ちびくま、東京へ行く。(その6) |
さて、無事渋谷へ到着したのは夕方6時ごろ。まず、帰りのバスが出る高速バスターミナルの場所を確認しに行きます。そばのコインロッカーに荷物を預けて、夕食を取りに行くことにしました。大きいビルなので、どこか適当に食事をする場所がすぐに見つかるだろう、と思っていたのです。 ところが、私は自分が大きなミスをしていたことに気が付きました。ここは昨日利用した駅ビルとは、規模も値段も混雑ぶりも格段に違っていたのです。渋谷という街を甘く見過ぎていました。少し見て回っても、子連れで気軽に入れるような雰囲気の店はなく、しかもあたりはものすごい人出で、飲食店の前にはどこにも長蛇の列ができています。 「しまった。時間だけはたっぷりあるんだから、もう1度多摩センターに出るか、調布あたりで途中下車して、ちびくまがリラックスできるような店で夕食を取ることを考えるべきだった」と反省したものの、今からもう1度電車に乗る、と突然の変更を告げたら、息子は余計混乱するかも。 それでなくても、大嫌いな人ごみ、しかも自分の土地勘のないところに連れてこられて、「おかあさん、ばんごはんはどこでたべるの?なんじから?」と半パニックになっています。 そこで、とりあえず、さっき歩いていたとき目についた洋風居酒屋に入ることにしました。ウインドーにピザやから揚げが並んでいたので、ここなら息子にも食べられるものがあるだろうと思ったのです。 「このお店で食べましょう」と息子に声をかけたはいいけれど、ここでまたハードル。ちょうど夕食時になったので、既に満席。椅子に座って待たなければなりません。しかも、ここでは「何分待ち」という見通しを立ててやることもできません。案の定、息子はぐずぐずと泣きが入ってきて、「もうごはんたべない。もうたべられないんだ」と繰り返し始めました。もう限界かなあ、これならJRの駅まで歩いて駅弁でも買って、バスの待合室ででも食べようかなあ、と考え始めたころ、ようやく空席ができて案内されました。 「お利口によく待てたね。さあ、晩御飯食べようね」と息子を促してテーブルについたものの、店の中は想像を絶する賑やかさ。まあ、土曜の夜の居酒屋なので当然と言えば当然。息子が一緒でなければ気にならないことですが、息子にとってはとてもくつろいで食事を楽しむどころの環境でないことは明らかでした。しかし、今から場所を変えることもできません。ここはちびくまの好物をしっかり食べてもらって、早くここを脱出するしかなさそうです。 ミックスピザにサラダ、鶏のから揚げとフライドポテトのバスケット、りんごジュース、スパゲッティ、と息子が好みそうなものばかりを注文します。おかげでなんとか、ちびくまも周囲の喧騒に耐えて食事をすることができました。息子は食べるだけ食べると、「もういらない。もういきます」とそそくさと立ち上がります。それを追って、レジでお勘定をすると、目の飛び出るような額でした。 うるさい、待たされる、高いの3拍子・・・。今回の旅行最大の失敗かも。 遊園地までは綿密に計画を立てたのに、最後の詰めの甘さが露呈してしまったのでした。 |
レストランで随分待たされたので、時間つぶしにはなりました。でも、まだバスの出発まで、3時間以上あります。JR渋谷駅前のバスターミナルへ行けば、バス好きのちびくまには絶好の時間つぶしになるだろう、と踏んでいました。 ところが、またここで詰めの甘さが露呈しました。高速バスの乗り場と京王線の駅が近いことに油断して、渋谷駅周辺の地図をダウンロードしておくのを忘れたのです。緑豊かな神戸の町で生まれ育った私、山の見えるほうが北(神戸では「北側」を「山側」、「南側」を「浜側」と表現します)という単純な方向感覚しかありません。ビルの立ち並ぶ都会では、大阪キタでさえ、地図があっても道に迷います。まして生まれて初めて来た渋谷では、地図なしでうろつくのは自殺行為かもしれません。 とりあえず、帰り道を意識しながら少し移動すると、大きな通りを見晴らす大きなガラス窓のあるところに出ました。すっかり真っ暗になった町のネオンサインとイルミネーションと、バスやタクシーの動きが、ここからなら見渡せます。ちびくまは少しの間だけ喜んで外を見ていましたが、しばらくすると、「もういい。バスのりばいきます」と言い始めました。 時計を見せて、まだバスに乗るには時間があることを説明し、「じゃあ、もっと向こうへ行ったらバスターミナルがあると思うよ。行ってみようか」と説得しますが、息子は「バスみにいかない。もう、こうべいきのバスのりばいきます」と繰り返します。今日の遊園地の行列、それにレストランに入る前と入った後の嫌悪刺激の連続で、疲れ切っていることは私にもわかりました。 そこで、先ほど歩いているうちに見つけたコンビニで飲み物を買って、高速バスの待合室であとの時間を過ごすことにしました。時間つぶしのために、自分用には雑誌も1冊。息子は本もいらない、と言って、ペットボトルのお茶だけを選びました。 |
この高速バスのターミナルからは、神戸行きだけでなく、徳島、島根、京都、青森など、全国各地へ向かう夜行バスが出ています。待合室はそれほど込んでいませんでしたが、ちょうど2つだけ空いていた椅子に座ると、ちびくまは一気にこれまでの疲れが出たようで、生気のない顔であくびをし始めました。 「疲れたの?お母さんにもたれて、ねんねしててもいいよ」と言うと、私に寄りかかってうとうとし始めました。ちょうどそこへ1台高速バスが来て、椅子が空いたので、椅子を2つ使ってちびくまを寝かせ、私は友人にメールを送ったり、雑誌を読んだりしていました。 青森行きのバスの出発時刻が近づいたころ、ちびくまは目を覚ましました。ちょうど向かいに年配のご夫婦が座っていて、にこにこしながらちびくまを見ていました。ひょっとするとちびくまくらいのお孫さんがいるのかもしれません。 「ぼく、何年生?」と訊かれて、ちびくまは「5年生」と答えます。 「5年生か、やっぱり大きいな」と感心するおじいさん。 いえ、5年生にしてはかな〜り小さいんですけどね。 今度はおばあさんに「どごさ行ぐ?」と尋ねられたちびくま、私の顔を見て、小声で「なにご?」と訊いてきました。聞いて理解できなかったので外国語だと思ったようです。「おばちゃんは『どこへ行くの?』と訊いてるのよ」と説明しますが、ちびくまは「ピューロランドとたまテックへ行きました」と答えます。 息子にとっては神戸はこれから「帰る」場所であって、「行く」場所ではないので、代わりに「行った」場所を答えたようです。私が横から「東京へ遊びに来て、今から神戸へ帰るところです」と助け舟を出すと、どうやら息子も気が付いたようで、「えっと、こうべからでんしゃにのって***へかえります」という説明を付け加えていました。 お爺さんとお婆さんの乗る青森行きが来て、ちびくまにバイバイと手を振っていなくなると、ちびくまは狭い待合室の中にいるのに飽きたのか、「そとでまっててもいい?」と言い出しました。幸い待合室はガラス張り。「おかあさんが見えるところにいる」条件で許可します。ひとりごとを言いながら、うろうろと待合室の周囲を歩き回る姿は、怪しいことこの上ないのですが、まあ、この際気にしないことにします。 そのうち、戻ってきたちびくまは「おかあさんもいっしょにそとでまつ〜」と言い出しました。やれやれ。外はかなり肌寒いですが、耐えられないほどの寒さではありません。真冬でなくて良かった〜。そうこうするうちに、やっと私たちの乗る神戸行き夜行がやって来ました。ちびくまは真っ先に乗り場に並んで1番乗り。荷物をトランクに預けて、早速バスに乗り込みました。 |
| バスの座席は、往路と同じ、最後列の窓側とその隣。息子は私が指差した席に、おとなしく座ると、コートを脱ぎ、自分でシートベルトを締めました。 「でんきがきえて、くらくなったらしずかにするんだね。あしたのあさ、こうべについたらおりるんだね」 と、最早すっかり「心得た」風情。 往路は木曜の夜だったので、大して混んでいなかったこのバスも、今日は土曜の夜だからか、満席のようです。ちびくまに、「前のお席の背中を蹴らないように気をつけてね」と言い聞かせていると、ちびくまの前の席に座っていた若い女性が振り返って、にっこり笑って、「お子さんのことですから、気にしませんよ。ぼく、楽にしてていいからね」と言ってくれました。だから蹴ってもいいわけじゃないけど、こう言ってもらえると気が楽です。 そのうち、ちびくまは靴も脱いで「おかあさん、いすはどうやってたおすの?」と訊いてきました。 「ああ、お席を倒さないとね、やってあげるからちょっと待ってね」と言いながらちびくまの脱いだコートやお土産を片付けていると、さっきの女性が 「じゃ、お姉さんがやってあげるわ。こうするのよ」とちびくまのシートを倒してくれました。慌ててお礼をいう私。若いのに頭柔らかいな〜。ひょっとして「その道」の人かしら〜。 定刻をわずかに過ぎて、バスは出発。ちびくまは既にすっかりリラックスした表情で、お茶のペットボトルを両手で抱えて、窓から外を見ています。 思ったよりずっと大丈夫だったなあ、と思いながら、高速道路のオレンジ色の照明に照らし出されるその横顔を見つめていると、ふと振り返ったちびくまが、身を乗り出して私の耳元に口を寄せ、小さな小さな声で囁きました。 「おかあさん、とうきょうはとってもたのしかったね。またこようね」 |