編入直後


アメリカの養護幼稚園への編入は決まったものの、この頃、ちびくまは全くと言っていいほど、英語を知りませんでした。私も夫も、ちびくまの障害がわかるずっと前から、「いずれは日本に帰る日本人の子供は、まず日本語をきちんと身につけるべき。言葉の基礎が確立していない子供を安易に現地校に行かせるべきではない」という考えで一致していましたので、ちびくまに英語を教えたり、アメリカの幼稚園に入れて英語を身につけさせよう、という気はまったくなかったのです。それで、ちびくまが知っているのは、勝手に覚えたアルファベットの読み方と数字の読み方、それにテレビで覚えた十数個の英単語(地名が主)くらいでした。

それが、思わぬことから現地校への通学を余儀なくされてしまったので、親としては大変不安でした。だいたい、日本語ですら言われていることがよくわからないのに、英語の環境に入れて、療育の効果があがるのだろうか?クラスにいる普通の子達から障害以前に言葉ができないことで苛められたりしないだろうか?やっと日本語がぽつぽつ出てきたのに、英語の環境に入れたら、混乱して逆効果になったりしないだろうか?

幸い、検査の段階で、そういう親の不安を心理の先生が真剣にきいてくださり、意見書にも「言語的混乱を避けるため、母語保持への配慮が必要」と書いてくださっていましたし、担任の先生が、「日本語大好きです。私の勉強にもなりますから、できるだけ日本語も使うようにしましょう」と言って、予め教室でよく使う言葉の日本語訳を所望されましたので、いささか安堵の気持ちもありましたが、ちびくまにとってこの変化が良い方に働くか、悪い方に働くかは蓋を開けてみないとわからない、という感じで、入園当初は親のほうがドキドキハラハラでした。

登園初日、集合場所でちびくまを先生に預けると、ちびくまは素直に手を引かれながらも、「え?お母さん来ないの?」と言わんばかりに何度も何度も後ろを振り返りながら、教室へ消えて行きました。今にも「泣いて手がつけられませんので迎えに来てください」と電話が入るのではないかと、家に帰ってじっと待っていましたが、とうとう電話はかかってこず、迎えにいく時間になりました。解散場所で待っていると、ちびくまが先生に手を引かれてやってきて、私の姿を見つけると、にっこり笑って飛びついてきました。「どうでしたか?」「ええ、全く大丈夫ですよ。とてもいい子。安心してください」先生の言葉もまだ半信半疑です。

2日め、学校に着くと、ちびくまは抱っこをせがみました。「やっぱり不安なんだ」そう思うと、こちらまでまた不安になってきました。でも、その日は、先生の顔を見ると素直に降りて、手をつなぎに行き、2度ほど振り向いただけで教室に行ってしまいました。帰りはやはり、顔を見るなり走って抱きついてきますが、先生は「ホントに、頭の良い、可愛い子ですね。あんまり可愛いので甘やかさないようにするのが大変(笑)」なんて言っています。

3日目の朝、ちびくまはやっぱり抱っこをせがみました。そこへ先生が迎えに来ます。するとどうでしょう。ちびくまは自分から身を乗り出して先生に抱っこをせがみ、先生が抱っこしてくれると、私に向かって「ばいばい」と言って手を振ったのです。先生は「やったあ」という顔で「ソーリー}ミー」と言って笑っています。私はあっけにとられながらも引き返しました。

その日迎えに行くと、ちびくまは助手のローラさんに抱かれていました。「ずっとこうして降りてくれないの。私のことを好きになるって決めたみたいね」ウインクして、彼女は続けました。「ちびくまを笑わせる方法、ひとつ発見したわ」ローラさんはちびくまを抱いたまま、その耳元で囁きました。「ヌードル!」ちびくまは、とても面白い冗談でも聞いたように、キャッキャと笑い転げ、「もっと言え」という仕草をします。「面白いでしょう。これだけでもううけまくり(笑)」と言いながら、ローラさんがまた「ヌードル!」と言うと、ちびくまはもうおかしくてしかたがない、と言う感じで、ゲラゲラ笑い転げているのでした。

実は、ちびくまは何が好きか、と事前に聞かれて「ヌードル」と答えてあったのです。ちびくまは麺類が大好き。ラーメンでも、うどんでも、そうめんでも、蕎麦でも、スパゲッティでも、麺なら何でもこいです。ちびくまのクラスでは途中でスナックタイムがあるのですが、早く慣れるように、好物があれば出してあげよう、という配慮だったようです。ところがその日、マカロニのミートソースあえだったのに、手をつけようとしない、そこで、「こればヌードルだよ」とローラさんが教えようとしたらしいのです。もちろん、ちびくまはそんな単語は知りませんでした。でも、ローラさんが口にした「ヌードル」の言葉の響きがどういう訳か彼にはとてもおもしろかったようです。大好きな麺類とおもしろい「ヌードル」の言葉が結びついて、彼の中にはもうひとつの世界が広がりはじめたようでした。

あとで聞いた話ですが、ちびくまはやはり最初泣いて泣いて、泣寝入りしていたのだそうです。でも、先生たちは慣れているので、思い切り泣かせて、抱っこして、寝たいだけ寝させて、ちびくまが慣れるのを待っていたそう。「2日目にはね」ローラさんはちょっぴり得意げに言います。「目が覚めたら、にっこり笑って抱きついてくれましたよ」言葉の違いや、外見の違いを越えて、ちびくまに働きかけたものはなんでしょう。

入園前に見学した、サークルタイムや工作など、ちびくまが問題無く参加できているとは思えません。それでも、とにかくちびくまは、養護幼稚園が気に入ったらしいのは確かでした。先生は「ママがいると、甘えがでて順応ができないので、見学はもう少し待ってね。でも、あと1ヶ月もしたら、是非、クラスを見学にきて頂戴。あなたの 息子さんが、どれほど素晴らしい子か、見せてあげますよ」と自信たっぷりです。その日の来るのが楽しみなような、怖いような、複雑な気持ちで日々が過ぎていきました。


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