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1960年代から、アメリカにおいて様々な意味で使われてきた”HYPERLEXIA”(以下『ハイパーレクシア』と呼びます。DYSLEXIA(読書障害)を「ジスレキシア」と訳すのに習い、「ハイパーレキシア」という表記もありますが、「ハイパーレクシア」のほうが原語での発音に忠実だと思うためです。DYSLEXIAも今日の「原語発音重視」の風潮のなかでは「ディスレクシア」と呼んだほうが良いのでは、と個人的には思っています。)の語ですが、全米で統一的な定義や診断基準というのは、実は今日もまだ作られていません。
それでも、「ハイパーレクシア」という語が広く知られるようになるきっかけとなったのは、イリノイ州エルムハーストにある、Center of Speech, Language DisordersとAmerican Hyperlexia Associationの共催による、"The syndrome of Hyperlexia"についての
2日間にわたるコンファレンスと、このコンファレンスが契機となってまとめられた書籍"Reading Too Soon"の功績によるもののようです。
この頃は、「ハイパーレクシアというのは、自閉症に似て異なる、独自の言語障害である」という考え方であったようです。
ここで提唱された「ハイパーレクシアの4つ組」は以下のようなものでした。
1.年齢相応以上の「読む」力(通常18ヶ月から24ヶ月でひとりでに文字や数字を読みはじめる。「書き文字」に非常に強いこだわりを持つ。
2.特殊な言語学習障害 3.社会的な、人との関わり合いの発達の障害(常同行動やこだわりなど自閉的症状)
4.特有の発達歴(男児が圧倒的に多い、2才くらいまで通常の発達、5才までに単語が読めるようになる)
現在では、ハイパーレクシアは「自閉症スペクトル」に付随することの多い言語学習障害で、言語性IQが低く非言語性IQが高い、"Language Learning Disorder"タイプ(ちびくまはこちら)と、言語性IQが高く、非言語性IQが低い、"Visual-Spacial-Motor Disorder"タイプの2つのサブタイプに分けられる、という考え方が主流のようです。
「自閉症スペクトル」との関係でいえば、前者が(高機能)自閉症タイプ、後者がアスペルガータイプと言えそうです。(このあたりの詳細はAHAホームページの"Peaceful Coexistence"という記事に詳しく述べられています。)
ちびくまはスクールディストリクトの判定では「ハイパーレクシアと考えられるPDD−NOS」だったのですが、大学病院の検査では、「自閉症スペクトルのうち、高機能自閉症かアスペルガー症候群と考えられるタイプで、ハイパーレクシアであるかどうかは今のところ判定不能。但し、読みと綴りに関しては非常に高い能力を持つ」ということでした。
実は、自閉症スペクトルに属する子供たちは、たいてい、文字や数字を覚えるのが早いようです。結構重症かな、と思えるような子が、アルファベットを読んだり、数字を読んだりすることは珍しくありません。これは、自閉症の持つ視覚優位という特性のわざなのでしょう。では、この能力とハイパーレクシアとはどう違うのか、それは私にとってもなかなか答えられない質問でした。
そもそも、私がちびくまを「ハイパーレクシアではないか」と考えたのは、最初、実に単純な理由からでした。 文字や数字への強い興味、教えなくてもどんどん伸びていく読みとスペルの力、反対にまったく伸びない言語、異常なこだわりや恐れ、それなのに親や親しい大人とはきちんと関係がもてる。この謎の状態をぴったりと言い表してくれる言葉がそれまでになかったのです。 「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」まで視野にいれても、どうしても「これだ」と言える説明や体験談が見つかりませんでした。「非定型自閉症」とか「強い自閉傾向」としか、言い表す言葉がなかった。 その迷路から一挙に私を救い出してくれたのがAHAのサイトにある「ハイパーレクシア」の特徴であり、体験談でした。
だから、大学病院で、「ハイパーレクシアかどうかはまだわからない。これは自閉症スペクトル」と言われると、「なんだそうでしたか」と思ったのですが、最近、私は、以前とはかなり違った意味で、「ちびくまはやはりハイパーレクシアなのではないか」と考えています。 私自身もかなり自閉的な傾向が強く、ビジュアルシンカーで、しかも2才代で本を読みはじめた、という人間だったので、ただ「字が早くから読めるようになって、本ばかり読んでいた」というのと、ちびくまのラーニングスタイルとはかなり違う、と漠然と感じてはいたのですが、それがどうやらはっきり形として捉えられるようになってきたようです。
まず、文字や数字に対する、こだわりの強さの違い。
これは、他の事物に対するこだわりとは質的にもかなり違いますし、他の自閉症の子供たちがみせるこだわりと比べても、異常に強く、限定されたこだわりです。そして生活の全般にこれが現れていて、初対面の人でも、短時間でこれに気がつきます。
ちびくまの場合、奇しくも「文字フェチ」と言われたように、認知の幅が広がってくるまでは、まるで文字と数字だけでできた世界に住んでいるようでした。この世のすべての数字と文字が、この子だけには蛍光色に見えているのではないか、と思うほど、見えにくい、気付きにくい文字や数字にもきづいて喜ぶ。そう、この子にとっては、文字や数字は「見ているだけで喜びをもたらしてくれる」ものであって、だからこそ、非常に幼い頃から「数字で遊ぶ」「文字で遊ぶ」ということが頻繁にあったのです。
ちびくまの担任L先生が過去に「診断のつかない発達遅滞」ということで担当した子供のうち、今になって「あの子はハイパーレクシアだったのではないか」と思うケースは、すべて同じように「文字と数字で満たされた世界に住んでいる」子供たちだったそうです。
第2に、「書き文字の持つ言語性」への先天的な理解。
これは、ちびくまの英語の語彙が発達しだして初めて気付いたことです。日本語の場合、ひらがなとカタカナは各々の文字が特定の発音と結びついていますから、どの文字がどの音か、ということさえわかれば、意味がわからずとも読むことはできます。反対に、子供たちは、耳で聞く音に文字をあてはめて単語の書き方を覚えていくのではないでしょうか。
しかし、英語の場合は、フォニックスと言って、ある程度の規則性はあるのだけれど、DOGは「ディーオージー」ではなく、「ドッグ」と読まなければ意味をなしません。この違いが、ちびくまには最初からわかっていたきらいがあるのです。
この違いがちびくまの行動にあらわれることがあります。ひらがなをでたらめに並べておくと、ちびくまは音をひろって読もうとすることがあります。そして、まともな単語なら、読み方を大人に訊ねることをしません。ところが、アルファベットをでたらめに並べておくと、スペルアウトするだけで読もうとしない。読みを訊ねることもありません。まともな単語なら、発音を訊ねてきます。
単なる「書き文字」の集団から「話し言葉」の助けを借りずに「言語性」を読み取る、「読み解く」力を「デコーディング」というようですが、彼のやっているのはまさにそういうことでしょう。
普通の子供なら、バイリンガル環境にあって、使っているうちに自然にはいりました、と言われればそうかもしれない。しかし、親のいうことすら殆ど理解できない子供が、こうしたデコーディングの力を、自然に体得している。私にはそのことが不思議でならない気がします。
第3に、「まず文字ありき」の認知システム。
ちびくまが新しい絵本に親しむようになってから、はっきりしたことです。
「普通の」子なら、絵本の絵と、大人に呼んでもらうことから、お話を楽しみ、想像力を膨らませ、いずれはそこから文字にも興味が広がっていく、そういうものではないかと思うのです。
ところが、ちびくまの場合、それとは逆に、「文字」への興味が「書き言葉」への興味につながり、確立した「書き言葉」を基礎として、「絵」の認知ができるようになる、という感じなのです。
だから、絵本はすべて「文字どおり」に読むことを要求されます。「そこに字で書いていないこと」をつけくわえられたり、文字を飛ばされたりすれば、彼のイメージはたやすく壊されてしまい、混乱を招きます。
ちびくまが話す言葉も、「書かれたような言葉」であることが多いです。
まるで、頭の中に文を書いたカードが入っていて、それを読み上げている、という感じなのです。
頭の中で、一セットになったイメージと文字を見、「文字に対応する音」を発することで話している。
反対に「話し言葉」を理解するときには、イメージや絵よりも先に「文字」が頭に浮かび、そこから連想されるものとしてイメージが出てくる。
毎日ちびくまと接していて、ちびくまの持つ言語というのは、そんな感じではないか、と考えています。だからこそ、自分の口にした文章(!)をすらすらとスペルアウトできたり、耳で聞いた文章を、「書いて欲しい」という要求がでるのだろう、と。絵だけや、絵と字を使った「絵カード」より、「単に字で書いただけ」の方が反応が良いのも、そのせいだろうと思います。絵は、文字よりもずっとあいまいなので、彼にとっては却って不要な情報だったり、混乱の元になるのではないかと思うのです。
「自閉症」の内的世界がやっと最近書籍に現れるようになりましたが、残念ながら、ハイパーレクシアであるときちんと診断を受けた人の書いた内的世界のようなものは世に出ていませんし、いまだそこまで突っ込んだ研究はなされていないようです。
したがって、上述したようなちびくまの言語世界は、いわば毎日彼に付き合っている私の「母親の勘」「本能的分析」のようなもので、どこの誰の論文にもこういった説明や裏付けがあるわけではありません。
でも、私がちびくまを「自閉症スペクトル」に付け加えて「ハイパーレクシア」と呼ぶのは、この彼独特の言語世界ゆえのことなのです。単なる「視覚優位」「サバン」では、少なくとも私には、説明がつかない。
本年度のIEP作成ミーティングで、私はこのことを学校側スタッフに説明しました。
私の英語力のほか、日本語と英語の言語形態の違いも障壁になって、どこまでわかってもらえたか、定かではありません。しかし、ちびくまの療育に関わるスタッフの立場からは、ちびくま個人の学習スタイルとしては、納得できる点も多い、という感想が返ってきました。
そして、こうした言語学習スタイルは、「自閉症児」にとってさえ、普通ではない、と学校のSLPは言います。
本当にもしこれが、「ハイパーレクシア」の学習スタイルであるとしたら、やはり「ハイパーレクシアであるが故」の療育アプローチを考える必要があるでしょうし、それが多くのハイパーレクシック達の利益になるでしょう。
「ハイパーレクシア」が「自閉症」と同じく、世に広く理解され、より多くの研究成果が得られるようになって欲しい、と願わずにはいられません。
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