もうなにも、感じない
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優しくしないで
いかんな、明らかに疲れている(苦笑)
いみじくもパートナーが指摘したとおり、私は「優しくされたい」人なのだ(ろう)
だが、私は優しくされることを恐れる。
私にとってご主人様は、私が自分の中にある攻撃性を封じ込めてくれる人でなければならない
私自身がコントロールできない攻撃性を、「それを持つ必要がない」と教えてくれる、教え続けてくれる人でなければならない。
私の凶暴さを完全に封じ込められる、強さ、厳しさを私は求めてしまう。
その反面、自分の中にある「man-disliking」(man-hatingまでいかずにとどまる半端な立場)をほぐしてほしい。つまりは「優しくしてほしい」。
私の中の「男性不信」と「男の人を信頼したい」という葛藤の苦しさから、私を養護してほしい。
優しい人の元で庇護される喜びは知っているつもりだ。
なだらかな心。痛みのない日々。
だが、それは彼だけといるならばということだ。
仕事をすれば、いや、仕事に出なくとも親子兄弟という軋轢の中でも私は闘ってしまう。
私の凶暴性はそうした場面にぶち当たると全面開花する。
優しいだけの人には、そうなった私をどうにかする力がない。
結果、優しくて、しかも私を押さえ込めるだけのS性を持った男性を求めることになる。
あのね。
そういう人には既に、それなりの若くて教え甲斐のある女性がいるのだよ>自分
かくして私は、流浪することになる。
それでアイデンティファイするな
「そういう」チャットに行くと、自分のM性の強さをアイデンティティ確保に使おうとしている女性に時々、出会う。
使おうとしているって言っても、たぶん、無意識のうちだと思うのだ。
だが、危険であることは確かだ。選民意識の孕む危険性だ。
まぁそれは本人のメンタリティだからいいや。
やなのは、M女性と見れば「やれる相手」、M男性と見れば「変態」「人権無視した否定・暴力の対象にしてよい」と見なしている連中が跋扈していることだ。
M女性と見ればってのは、最初、スケベ根性の現れだと思っていた。
だが、M男性の出現で私の見方が少し変わってきた。
自称Sの男性はまず、S男性のS性を正当なものと認識している。
他方、M女性のM性を正当に受け入れているかのように振る舞うが、実のところこれを理解しようとしているとは思えない。
つまりM女性のM性は自分の欲求の都合のいい受け入れ口として存在し、「女性は男には理解しがたい」という言葉の後ろに逃げ込むことで対決を避ける。
避けると言うより、そういうものを正当なものとして認めるという考え方すらない。
都合のいい性欲の旺盛なオンナがそこにいるという感覚がそこには漂う。
時に、彼らの誘いを不愉快とし突っぱねたり、あるいは仲間内のM女性に対する不愉快行動を注意したりすると、逆恨みさえされる。
掲示板に「M女性の風上にも置けない」などという噴飯ものの悪口を書き込むのは優しい方。「IPから身元を割り出すことも出来る」「HPを破壊することくらいわけない」などという脅しにかかる者さえいる。
彼らは(彼らの考え方からすると)自分の都合がいいはずの「M」の看板を掲げたお店から不当に追い出された、その不当さを訴えているのだ。
そしてその不当さを訴えるに、相手が女性であるが故の社会的な弱さ、不利な状況に陥りやすい部分を突いてくる。
一方で、M性の強い男性に対しては理解不能な気味の悪さを関知するのか、口を利かない、もしくは迫害する。
男性の暴力性行は社会的に認知されやすい。
その逆であるところのM性は軟弱であり、否定的な目で見られる。これは男性原理とか父系社会における常識なのだ。
そしてそうした社会での通念として女性の性欲、殊に方向性のはっきりした性欲は、否定される。
基本的にフェティッシュは男性だけの特権的文化とされている歴史的事実を忘れてはならない。
M女性を自分の性欲の対象としてのみ受け入れている男性というのは、社会的に「外れていない」という感覚を持っているのではないだろうか。
だからこそ、自分の理解が及ぶ及ばない以前に、社会的に否定されやすいM男性を否定し、社会的に否定されやすいM女性を女性/人間という以前にS性の対象として位置づけられる。
つまり、彼らのやっていることは、自分の安住している一般的男性社会での自らの位置づけの延長線でしかない。
一般常識=コモン・センス=みんながそういうから、これは正しいという感覚 にどっぷり浸って行動しているだけ。
社会的に自分より弱者であること(女性であるということ・社会的認知度が自分より低いM男性であるということ)をもって、相手を叩くと言うことは、すなわち、彼らがそうした社会を背景にしてしか自己基盤を形成できないと言うことであり、一般的男性社会を背負ってSMチャットに出入りするという大馬鹿者であることを示している。
さらに言えば、一般的男性社会で自己の確立をなしていればわざわざほかの基盤であるところのSMチャットなんぞで、自分のいる一般社会での弱者をわざわざ一般社会を背景にしていじめるなどと言うことはあり得ない。
つまり、SMチャット以外でもろくな人間じゃないから、こんなところへ来て自分より弱いやつを見つけて性欲の対象にしたり、嫌がらせの対象にしたりしているのだ。
自分の性的嗜好の根元や人としての在り方を自分なりに考えて、常識とは別の基準を持つという困難な作業はしたこともない、もしくは面倒だから途中でやめて流されてきた。
そんな人たちが自分のアイデンティティを見つめ、相手のアイデンティティを尊重できるわけがない。
薄っぺらな自称S男性との会話を、私が拒否するのは、自己研磨を放棄した輩を人間的に認められないからだ。
そして、そういう自称S男性にちやほやされて有頂天になる女性とも、会話する価値を私は認めていない。もっと言うと、
そういう女性とは、いくら単語を重ねても会話という知的生産的行為にはならないと見なしている。
苦情・反論、うけつけます(笑)
違う、違うのそうじゃないの
私はあなたに反発してばかりいる。
あなたのそばに行きたい。腕の中に収まっていたい。
しっかりHOLDされていたい、支えて欲しい。
でも、いや、いや。
自分の足で立ちたい。自分で歩けるの。
誰にも支えられたくない。甘えたくない。
甘えたい、構われたい。
違うのいやなの
甘えないの、一人で出来るの
捕まえておいて欲しいの。
もがいても逃げられないように。
ぎゅっとして欲しい。
暴れたら叱ってほしい。
なんか、壊れちゃいそうだ。
調教済み?
その日は組合で頭を使ってとても疲れていた。
「あのお方」を待っていると、H氏がネットに登場した。
このH氏、私がこの系列のネットで初めてお会いした「痛い系」の方である。
優しい語り口とは裏腹に
「針で乳首や乳輪を刺すのがいい」
とか
「鞭でこう打つ」
という痛そうな話をなさる。
今でこそ私は平気でお話ししているが、最初の頃、H氏の怖くてネットから逃げ出していたものだった。
その方に
「疲れて頭が変。こういうとき、鞭で打たれたらしゃんとするのかな……打たれたい」
とぼーっとした頭で話してしまった。あ、チャットだから書いていた、というのが正しいのかな。
ともあれ、H氏はマシンの前で大笑いしたらしい。
「昔のあなたからは想像もつかないせりふだ」
でも、本当にそう思ったんだもの。
「調教されたね」
え? あ、これが調教されたってこと?
相変わらずピントが合っていない私だったりする。
玩具
煽られ、じらされると、頭の中は
「お願いです、お願いだから」
という声でいっぱいになる
何をお願いする?
問われると困る。
ただ、「お願い」とだけ思うから。
「お願いだから、もう、やめてください。狂いそうです」でもあるし
「お願いです、もっと、もっと、いじめて下さい」でもあるし
「お願いします、突いて……」でもあし
「お願い……叩いて下さい。泣くまで、いえ、泣いても許さないで下さい」でもある。
淫らに乱れたいという気持ちと、乱れて狂ってしまいそうで怖いという気持ちとが入り交じって、どうしていいか判らない。
どうしようもなくて、答えようが無くて言ってしまった
「あなたの、おもちゃにしてください」
相手に全て委ねるしかない、
泣くことも、許しを乞うこともないのだよ、玩具は
それでも、他に選びようがなかった。
「やめて」も
「もっと苛めて」も
「突いて」も
「叩いて」も
全て同時に思うこと。私は全部欲しい。全部同じくらい、欲しい。とても、とても欲しい。
切実に。
だから、
全てを委ねるおもちゃになること以外、望むことができない。
貪欲が、それしか選ばせてくれない。
「あの行為」
何度も繰り返しますが、私にとって痛みは痛みであって、それそのものが快楽だとは思っていません。
でも、その方とずっとお会いできないでいる時、思い出す行為は最も痛く辛かった行為になってしまいます。
身体の甘いうずきを伴って、「あの行為」を思い出してしまうのです。
その行為を享受したとき、私は痛みを受け入れると言うことが出来ませんでした。
自分の中を痛みが留まらずに通り過ぎてくれることをただただ待つだけでした。
今、同じ行為を享受したとして、私はどのように感じるでしょうか。
やはり受け入れきれず、痛みに叫び、どうしたらそれが終わるのか、なぜこんなものを望んだのかと苦しむに違い在りません。
でも、あの行為を思い出してしまう、今、あれをしていただいたら、していただけたら、と考えてしまう。
痛みそのもの、恥辱そのものがを快楽ではないので、私は自分をMとは思い切れずにいます。
もちろん、一般的な性衝動とはすこしずれた感覚を持っているから「Mがかっている」ことは認めますが。
でも、あの行為を思い出してしまう時、私は自分が一体何者なのか判らなくなります。
それなりの年齢まで生きてしまったので、自分の中の不明瞭な感情に多大な恐怖を感じることはありません。
ただ、淡々と、私は何者なのか、何処へ行こうとしているのか、単純明快な知的好奇心に揺さぶられます。
私は何者なのか
私は、何を望んでいるのか
もちろん、知ることが幸福かどうかは別として、ですが。
異形の者をヒーローであれと望むこと
「それは第三者の介入を望んでいるのでは?」
あるS男性に言われたことがある。
『囚われの姫君』願望のことを話していたときだ。
日本人女性の多くがこの、『囚われの姫君』願望があると、私は考えている。
そうでなければ「眠り姫」「ラプンツェール」「瓜ん子姫」などがもてはやされるわけがなく、
また、鬼に囚われていた姫がヒーローである桃太郎や一寸法師と結婚する必要もない。
「白雪姫」だってりんごで死ぬが、これは動けない・なすがまま上体と考えればやっぱり囚われたも同然。
愛されるべき美しい姫君ならば、囚われ、異形の者に好きにされなければならないのだ。
そしてその上でヒーローに助け出されてハッピーエンドとなる。
そうすると異形の者とヒーロー、この二つが必要なように見える。
ヒーロー=御主人様ならば、第三者の介入が必要。それが彼の考えた構図だ。
が、そうじゃないんだな〜。
異形の者がヒーローであるのが一番いいのよ。
自分を捕らえ、もてあそんだ異様な者こそが神に匹敵するとその後、分かることが一番嬉しいのだ、オンナは。
簡単な話『美女と野獣』のオリジナル、ってわけだ。
最近の童話解釈本ではないが、浚われる=強姦される=性的快楽への目覚め、なのよね。
浚われた時点で、既に姫君は純潔でなくなっている。異形の者に触れられたら、まるで伝染病にでも罹患したかのごとく
姫君は、それまで姫のいた一般常識(コモンセンス)の世界からはじき出される。
そこにある快楽はすばらしいものかも知れない。
が、男社会ではそれでは済まない。
社会の共通意識(コモンセンス)からはじき出されたままで女が生きていけるわけがないのだ。
だから救いが必要となる。
で、ヒーロー登場。
だが、欲張りな姫君は目覚めてしまった快楽からも帰ってくることは出来ない。
だから、ヒーロー=異形の者でなくてはならないのだ。
だからね、
囚われの姫君の願望があったからと言って、第三者を行為や感情の中に持ち込みたいのではないのだ、と私は思う。
むしろ唯一の人にだけ身を捧げたい、唯一の人をより深く知ることでその二面性の両方に曝され、犯され続けたいという願望なのだと思う。
それで引くのか!(笑)
私の場合で言うと、Mがざわめくのは、夫との関係性ではない。子供に係わったときだ。
私の中には元々、罰を求める部分がある。それがMへと繋がる。
その一方で、私は子供が欲しいと言いながら子供が居ない。
だから、子供を引き金にすると、自分が内側から壊れていく。
内側が壊れるのに、外側が壊れないという違和感が拡大していき、壊れたい・壊されたい、罰を与えられたいという、Mとしての感覚がすべてを覆い尽くしていく。
だが、男性側からすると“子供”というキーワードは禁句らしい(一部の男性にとって、婚外の子供(妊娠)は想像するだけで萎えるという)。
子供ができない、そのことを責められたいのではなく、内側だけが壊れていることをどうにかして欲しいのだ。
どうにかして欲しい、だから、「こういうふうにこのくらい打たれたい」とか「この行為はいや」というものが基本的に存在しない(もちろん、後々の生活上困ることはたくさんある)。
だが、壊れた原因に触れると大概のS男性は一歩引く。
一歩引くような男性から打たれて罰を得たとは思えない。
もちろん、1打1打は痛みを伴い罰ではあるかも知れない。
しかし、私を打つ相手は、私を罰すべき対象として評価し、必要な罰を与える人間でなくてはならない。
評価の対象を見てたじろいでいては正当な評価は下せないではないか。(苦笑)
Mを決めつけるS
嗜好の話になると時々、連れ合いの代用としてパートナーを求めているように取られる。
確かに私は連れ合いとの関係が順風満帆だとは言わない。
SMの出会いネットに出入りする女性の中には、社会的に容認されたパートナーと(性を中心として)すれ違いを感じている人もいる。
しかし、性的な(インサートという行為を伴わなく、着衣のままだとしても身を委ねる/相手を自由にするという関係は非常に性的なものだ)行為を含む人間関係を結婚の外に求めることと、パートナーとの関係とは、関連がないこともある。
ちなみに、私と連れあいとの関係を云々するのはすべて男性である。
女性から、それが原因でパートナーを捜していると思われたことはない。
問いたいのだが、男性は、では、自分のパートナーとの肉体関係がつまらない・破綻しているからM女性を捜しているのだろうか。
また、妻との関係にアドオンした楽しいsexliveのためなのか?
数人の男性に問いかけたが、本人達は違うという。
違うと言いながら、女性側には夫との関係に何かトラブルがあるだろうと言い続ける。
そうであることを「望んでいる」としか思えない。
思うに、男性側は女性が出会い系に走るのは
@その女性が希にみる好色である
A夫との性的・精神的関係がうまくいっていない
のいずれかであってほしいのだろう。そうないと、自分の夫婦生活(もしくはパートナーとの関係)に懐疑を抱かなければならないからではないだろうか。
自分が自分の相手と、普通に理解し合い普通に性的な満足を与えあっていれば、相手が他の相手と交渉することがないと思いたいからではないか。
自分の不安から、女性側の背景を勝手に決めつけないで戴きたい(苦笑)。
だからといって、私の家庭の事情をあなたの頭の中のTIPICALな誰かと一緒にして欲しくないのだが。
まぁ、TIPICALなパターン以外を想像できないのかも知れない。
貧困な想像力のSって、面白くないのだがね。
判りたい/判られたくない
ジェンダーもあるが、一般的に日本人女性は日本人男性に比べて
「(相手を)判りたい」「(相手に)判って欲しい」
が強いそうだ。
じゃあ、男性は
「判らなくても良い」「判らなくて当然」
と思っているかというと、そこは日本人のアイデンティティの弱さ
「判って欲しい」「判って貰っちゃ困る」「(女になんか)判られてたまるか」
を行き来しているらしい。
ところで、多くのS男性って「相互の理解」を標榜している。
これを本気で考えているとすれば、自我の強さであり女性的と言うことである。
まぁ、Sをつきつめて考えたことがあれば自分を見つけることになり、
性的嗜好を中心にアイデンティティが確立しやすくなるはずだ。
でも、本当かな? って思えることもある。
私はというと、
「判りたい」「受け入れたい」「判っている相手から受け入れられたらlucky」
ってところかな?
形として、肉体的に受け入れて貰っても、そこから先が難しいことはよく知っていて。
受け入れることを強要される・受け入れていることを社会(夫や両親などを含む)から容認されている
「子供」というものが、まぁ欲しいのだろうな。
いないけれど(苦笑)
見えない
御主人様のお側に参りたいのに、
どうしてだろう。
お姿が見えません。
私がいけないのでしょうか。
私が間違っているのでしょうか。
泣かない/泣きたい
ずっと逢えないでいる時間よりも、逢ってしまった後の方が辛い
「あひみての のちのこころにくらぶれば」
ということか。
何より辛いのは電話を切るときであり、ネットでお休みを告げられるときであり、そして駅で別々の方向に歩いていくときだ。
ご主人様に負担をお掛けしたくない、負担になるような奴隷だと思われたくないから、ぐずぐず言ってお引き留めしたりはしない。したくない。
「では、ここで」
と言われたら、一礼してあとは振り返らずにまっすぐ帰る道を歩いて行く。ご主人様が見届けられている間は。
でも、歩き出したご主人様を、柱の陰からこっそり見送ってしまう。
ご主人様は決して振り返らない。
私がふらつかず、まっすぐ歩いていることを知っているから、私を信じて下さっているから。そうだと思いたい。思おう。
でも
ご主人様の気持ちは、さっきまでの私の姿をリプレイしているのではなく、
既に家や仕事や、大事なわんこに切り替わっているのではないか
そう思うと胸が締め付けられる。
足下の地面が、全部なくなるような気持ちになる。
泣けたらいいのに。
電車の中ですら、泣きじゃくり続けて、そのまま帰れればいいのに。
でも、そんなことはしない。
きっとご主人様が望む姿とは違うから。
私はしっかりしている。
いつだって強い。
大丈夫、大丈夫。
そう言い聞かせながら、帰る。
時々、コンビニで牛乳を買いながら泣くけど。
もっと、いえ・いいえ……
責め苦を与えられているとき、
「もっとほしいか」
と尋ねられるといつも答えに窮する。
ご主人様の、嬉しそうな瞳の輝きを見ると
「もっと……」
と答えたい。もっと、受け入れたい。
でも、もし、受け入れなかったら。
受け入れきれずにご主人様を失望させたら。
是と答えたら、次に与えられるものをすべて受け入れるという事。
私はその自信がない。
受け入れたい、与えていただけるものならばすべてを
でも、自信がない。
喚いてしまうかも知れない、
耐えきれず許しを乞うてしまうかも知れない
そんなくらいなら、「もっと」などとは言ってはいけない。
言いたいのに……
言ってしまったら、失敗できない……
ご主人様、
はいと申し上げないのは身体が苦痛に耐えられないからではないのです。
人魚姫
事情があって御主人様へのメールを控えなくてはならなくなった。
それまでは
「日記は奴隷の義務」
と言われていた。書くのが辛い日もあったが、楽しみだった。
毎日、仕事の合間やふとしたときに
「御主人様にこれを伝えたい」「こういう風に書こう」
そう考えていた。
書いたことで叱られて泣いたことも1度や2度ではない。
それでも書くことは尽きなかった。
御主人様から見れば同じ事ばかりを書いていたかも知れないが。
すなわち、
「お逢いしたい」「寂しい」
その繰り返しであった。
私からの電話を掛けてはいけないと御主人様から言われたことはないが、一度だけ掛けたとき、コールが切れたと思ったら
「ただ今、電話に出ることが出来ません……」
と切り替わった。そう、「切断」を押されたのだ。
だから、それ以来、どんなにお声が聞きたくなっても掛けていない。
あのメッセージを聞くのが辛いし、何より御主人様に迷惑が掛けたくない。
メールを控えなくてはならないと判ったとき、その時は「しばらくだから」としっかり思えた。
が、家に帰ってマシンの前に座ってネットに繋ごうとしたら息が出来なくなった。
御主人様にメールが書けない。書いても送れない。
お逢いしたい、お逢いしたい、お逢いしたい
今のこの気持ちを、御主人様に向かって叫ぶ声を取り上げられてしまった。
そう思うと涙が溢れてきた。
叫ぶための声を、はやく取り戻したい
苦しいです、御主人様。
いく その2
Broken HeartのI氏が、「射精する前の時間を延々と味わいたい」と書いていた。
あれってすごく判る。
「いく」前の苦しい、もどかしい時間が嬉しい。
自慰行為ではその時間が楽しい。
子どもの頃、それが自慰行為とは知らずに俯せに寝て腰の当たりに体重を掛けて快感を得ていた。
その形で今でも直に肌に触れることなく自慰を行う。
だからいくことがない。
延々とだらだらと「いく」直前を楽しむ。
大人になってセックスをするようになって「いく」ことが楽しくなった時期もある。
が、それでも自慰行為は相変わらず触らないまま。だらだらを楽しんでいる。
どうしてだろう、と自分でも思った。
試しに直に触れたがどうも気持ちよくない。
「いく」どころか濡れ止まる。渇いちゃう。
何だかなぁ(^^;;
御主人様から
「まだいくな」
と言われるとすごく苦しい。
でも、心のどこかで「いく」ことを止められることを待っている。
あの苦しい状態が、もどかしい状態が好きなのだ。
でも、本当はどうなのだろう。
私の楽しんでいた「いく」は小さな波に過ぎない
御主人様が与えてくれる波は時々、恐ろしいほど大きい
それに飲まれることが怖くて、大きな波をやり過ごし怖くない中位の波が来るまで待つために
もどかしい状態を選んでいるのか、私は。
いく
「いく」ってなんだろうね。
いや、多分、私は「いった」ことがあるのだが(あれが「いった」のだろう、うん)、実は「いく」のは好きではない。
好きだけれど、好きではない。
何ていえばいいのかな……怖いのだ。
軽い小さな「いく」は良いのだが、大きい波が来ると怖くなる。
自我を失う、自分を手放すことだから。
オルガスムスは「小さな死」という意味だそうだ。
一度、死ぬんだよね。
今まで経験した以上の波が来ると、私は岩にしがみついて流されないようにする。
無意識のうちに、「いかない」ように頑張る。
後で聞くと大声で「いや〜!!」と叫んでいるらしい。「いってない」時でもそう叫んでいる。
自分を手放すのが怖いのだ。
それでも大きな波の飲まれて訳が判らなくなることがある。
嬉しいと思う。自分を手放させてくれた相手に感謝する。
その一方で自己嫌悪に陥ったりもする。
御主人様から
「お前が後生大事にしているお前の身体」
と言われた。
身体なのか、自我なのか。
いたぶられると自我がどこかに行こうとする、魂が消えると書いてたまげるだが、本当にそうなりそうになる。
自分は「いきたい」のか「いきたくないのか」判らない。
ごめんなさい。御主人様
信じること・判らないこと
(常日頃より混沌としているので、疲れるのが嫌な方はお読みにならないほうがいいかも知れません)
こんなことを書いたら叱られると思うけれども
私は信用すると言うことが、判らない。
SMとしてではなくても、人間関係で判らなくなったときにチャットなどで
「でも、相手を信頼しないと……」
と言われることがある。
何を信頼するというのか。
結婚だって、判らない。
結婚は契約としては理解できる。だが、それ以上、何を信頼するというのか。
人は変わる。
成長と退化を繰り返し生きている。だから、
最初に約束したときと今とが違っても仕方がない。
私だって変わってしまう。
私を見つめながら私に与えられた言葉は、
次の瞬間から、その意味も状況も変わってくる。
私は何を信じたらいいのか。
御主人様を信じると言うこと
私を奴隷と認めて下さった、そのお気持ち
違うな。
私が「奴隷になりたい、支配されたい」と思っていることを受け入れて下さった、その時のそのお気持ち
それから、それを簡単には放り出したりしないというお気持ち
私はそれだけを信じて良いのか。
自分が御主人様が納得しないような言動をしてしまったとき(してしまったに違いないと思うとき)
布団をかぶって後悔する。
−−捨てられる、嫌われる
そういう単語が頭の中をぐるぐると回り始める
このまま、窓から飛び出したい そう思う
2階だから死んだりもできない
きっと足を折ってそれでおしまいだろう。
御主人様が受け入れた「私」という名の誰かは多分、もっと大人だったのではないか
もっと、しっかりした誰かだったのではないか
本当の私を見て御主人様はがっかりしていないか
私を奴隷として認めたという言葉故に私を奴隷として下さっているだけではないのか
本当は後悔していらっしゃるのではないか
そう言うことで悩むことも、御主人様を信用していない証なのか
言われたこと、語られたことだけを信じるべきなのか
言われたことを信じ、まだ言われない御主人様の悦びを探すのが奴隷としての私のまず為すべき事なのか
こんな事を書いていたらきっと
また、お前は考えてばかりいて……
と呆れられるに違いない
でも、判らない
判らないまま、歩いているけれど……
お逢いしたい
お逢いしたい
お逢いしたい
お逢いしたい
お逢いしたい
お逢いしたい
お逢いしたい
お逢いしたい
お逢いしたい
お逢いしたい
行為が欲しいわけではありません
私を見つめる視線や、お言葉をとも、申しません。
ただ、足元に
ただ、ただ、足元に、お側に参りたいのです。
踏まれても蹴られても、
ただ、お側にと
そういう存在ではいけないのでしょうか
紅(くれない)
どこに残っていたのか、ピンクがこぼれる。
痣のように
縄の痕のように
私はまた、その想いに捕らえられてしまう
「お望みのままに」と言ってはみるものの……
こうやっていろいろ書いているが、実際にその場面になったら自分がどういう反応をするか皆目見当のつかないこともある。
具体的に受け入れたい行為の内容が判るような文章を書くこともあるが、
そういうものは大概、それ以前に
「これはきっと受け入れられない」
と思っていたことが、
「受け入れられそう……」
と突然思ってしまったから書いていたりする。
だから書いてはみたものの、いざとなったらこわばってしまう可能性が大きかったりする。
ご主人様から「あんなことを書いておいて」とあざ笑われるのが非常に怖い。
受け入れる・受け入れられないで言えば、今、ご主人様がなさるとおっしゃれば受け入れてしまう(精神的苦痛は別として)。
もっと言うと、ご主人様が私を「こうしたい」「こうなったこいつを見てやりたい」という意志の元に為される行為を受けたい。私はご主人様の意志に染まり続けたいのだ。
でも、受け入れると言いながら、突然泣き出したりしてしまうのではないかとびくびくしている行為も結構ある。
中には人が聞いたら「SMでなくともしそうな行為じゃないの」と笑われてしまいそうなものすらある。
ご主人様がお望みならばそれが私のすべてですと、申し上げるのだと思いつつも、その場に及ぶまで自分が判らない私だったりする。
あ〜。
やっぱり、私って頼りないヤツだ。
知りたくない・教えてほしい
(馬具のHPを見ながらチャットする)
ある方「やはりお尻ですね。お尻を鞭で打つ」
私「私は鞭よりも平手打ちされてみたいです」
ある方「革手袋をはめた手で、平手打ちもいいですね」
革手袋……
その発想のすばらしさに唸らされてしまった
その後、この方とはこういう類のお話をしていない。
というか避けている。
だって、
新しいことは全部ご主人様から植え付けられたいから……
甘ちゃんでしょうか……?
失格?
そのご意志を私に向けて下さったとき、
我が身を差し出せなかった
差し出せなかった
差し出せなかった
差し出したかったのに
まさかとは思うが
同情して欲しいんじゃないだろうな
(none title)
服の上から
当然のごとく私を確認する
私の身体を
私の体の中にあるあなた自身を
私の不確かさの中にある動かしがたい物を
探る・まさぐる
すると突然、
私の中で、一番辛い種子が芽を吹いて
救いを求める手のように
新緑の小さな双葉をあなたに向かって拡げていく
助けて下さい
蔓が伸び私の身体を浸食する
肩も指も、腿を通りつま先まで
やがて脊髄を伝って脳に到達し
海馬に触手を伸ばし、さらに味覚野、言語野も
助けて下さい
濃い緑の豊かな葉が私の内側の肉を割り、拳を拡げるように開いていく
助けて下さい、お願いです
あなた、あなた
助けて下さい、どうか、
私が摘み取り、育てぬように努めてきた、あの
残酷な紅い花を
私の中に咲かせて下さい
Master
服従させられたいのだと思っていた
そのために痛みや恥辱を用いて欲しいと
確かにそうではあったけれども、違うの
その方のその意志が。
だからね、
御主人様自身が、御主人様のご意志そのものがね
私をそうして下さるの。
ご意志をいただけなければ行為に意味はないの、それは知っていたの、判っていたの、前からね
でも……難しい、うまく言えない
御主人様のご意志と、私の従おうとする意志の、あいだにね
あったの。
ずっと探していたものが
こんなところにあるとは思わなかったの
神様って信じていないけれど、
もし、いるんだったら
さんきゅって言いたい
私ってMだったの?
尊敬できる人に巡り会いたい
尊敬する人から、とことん恥ずかしいめに遭わせられたい
完全に相手の物になりたい、させられたい
嫌なこと、辛いことでも受け入れたい、感じるからだに
カスタマイズされたい
こういう気持ちって、私はそれがSMだと思ったことがなかったの。
単に、ちょっとえっちかな?
程度。
手足を拘束されて、好きな人に玩具でいたずらされたり、
グロテスクな野菜を入れると言われたり
「いかせてください」
と泣いて言わされたい、
恥ずかしい部分を丸見えの形に縛られて、言葉で辱められたい、
濡れるところを眺められ、観察され、私が恥ずかしい生き物になるところを知られてしまいたい。
観察された実験動物のように、逃げられないものになりたい
こんな事はみんな考えていると思っていました。
でも、きれいじゃないから、太っているから
似合わないだろう、と思っていたから言わなかっただけ。
私にはしなくても、きれいな女の人にならしているんだろうなと、
つきあう人ごとに思っていました。
あなたに対してもね。
したいとおもうこと、ない?
こんな風に、恥ずかしくさせて辛くされて、辛いけれど感じて
恥ずかしい体に女の人をしてみたいと
でも、あれ?
と思ったのは時々、
わき上がる感覚から。
「お尻を、叩かれたい」
こどもみたいに、お尻をぺんぺんと叩かれたい。
そんな気持ちが起きるときでした。
スカートの上からでも、
スカートをまくり上げられて下着の上からでも、
お尻を剥かれ、丸見えな姿にされてでも、
どれもが魅力的に感じます。
一番嬉しいのは、膝に乗せられて。
でも、私は大柄で太っているから、そんなポーズは取らせて貰えないでしょう。
だから、
四つん這いになって
目は手と手の間の床を見つめて
もしくは堅くつぶって。
できれば平手で。
でも、平手だと手が痛くなるからと、革手袋をした遠慮のない手で叩かれてもいい。
必要ならばパドル、大きめのブラシで。
本当に叩かれたことは一度しかないですが、
叩かれると考えただけでじんわり……と来ます。
すごく辛い。
叩かれたい。
叩かれているのに濡れたことを指摘され、
そのだらしなさを叱咤しさらに叩かれてしまう、
困った子供となりたい。
最初の、自覚的なMってこの辺にあります。
何者でもない私
突然思ったのだが、
こうむしゃくしゃすると調教されたくなる。
SMってセックスじゃなくて、
支配・被支配の相手との関係のことなのよね。まぁ、人によってそれぞれだけれども。
で、支配していること・されていること、を明確にするために
自由を奪う(奪われる)・痛みを加える(に耐える)・些細なことでも絶対命令として服従させる(完全に従う)
命令が絶対って実は精神的にすごく楽なの。
例えば、あるものを体の中に入れろという命令が出されます。
調教する、という概念を持ったSの場合、この入れるものが徐々に困難なものになっていくのですが、
とりあえず、入れろと言う命令が目の前にある。
これは困難だったり簡単だったりします。
容易であれ、困難であれ達成する。
特に目の前で行う場合、困難であればあるほどほめられる。達成=褒章。
達成できなかったら、お仕置き。未達成=処罰、そしてその後の課題となる。
単純化された世界ですよね?
単純。
でも達成するには忍耐力と集中力が必要になってくる。
最終的には自己の解放のためとはいえ、自分のためと思っていてはとても耐えられない。
快楽責めだとしても、羞恥責めだとしても、その時間は非常な苦しさを伴う。
「この方のため」「この方に喜んでいただきたいから」「この方に認めていただきたいから」
そう思わないと耐え続けるのが難しい。
だから達成したときに褒められると嬉しいし、相手に対する信頼が深まる(ような気がする)。
何かに似ていると思いません?
宗教の荒修行ですよ。
眠らずただ走り続ける、瀧に打たれ続ける。
単純だけれど、忍耐と集中力を求められる。
「神様のため」「神様に喜んでいただきたいから」「神様に認めていただきたいから」
そう思わないと耐え続けるのが難しい。
だから達成したときに神様の姿が見えたような気がするし、信仰が深まる(ような気がする)。
その信仰や行為の時以外が困惑と苦悩に満ちていれば満ちているほど、雑念を払いただ相手を想うしか救われる手段のない行為に没頭したくなる。
没頭するには今の限界いっぱいの困難と苦痛を伴う命令が必要になる。
正しい命令と、その実行・非実行(服従・不服従)への正しい評価が、混乱からMを救う。
だから、たぶん、複雑な家庭環境だったり評価が定まらずに苦しんでいる優等生さんが
はまって行くんだと思う
暴く・暴かれる
まず、「暴かれる」ことは常にMの快楽の源だと思う。
私は(私たち)は、自分の性の嗜好を社会に対し隠蔽している
さらに、その具体的な手法をパートナーの目から巧みに隠している
パートナーに隠し事などない、と言う人も多いと思う。
私もパートナーには包み隠さず私を開きたい。
が、一方で相手に自分がどう取り扱われたいかを語ることには抵抗を感じてしまう。
自ら語ってしまうことで、自分の羞恥心をひけらかすチャンスを失うからだ。
私は彼に、自分の心と体の在りようを暴かれたのだ。
パートナーから隠していた自分の性のあり方を暴かれて、それで秘め事は終わったかというとそうではない。
私たちは、自分自身に対しても性の快楽を隠蔽している。
自分が「それはできない、それを快楽とは感じない」と思っていたことを快楽と感じると知らされるとき、
これがもっとも甘美な「暴かれた自分」と今のところ、私は思っています。
自分が自分に対して嘘をついてきたことを、そうではないと思い知らされること。
自分が自分に対して隠してきた事柄を、パートナーによって見出され、告発され、裁かれること。
それは、時に調教という名称で実行され、時に開発という名称で語られる。
そして私は(私たちは)その時のために、巧妙に
自分を自分から隠匿し続ける。
暴かれるための「自分」が常にそこにはいる。
薄暮
背中で手を組む
胸をはり、首だけはうなだれる
腕に掛けられる紐の強さほど
私をあなたのものにしてほしいのに
ご承知のとおり
あなたを探すことは
私を捜すことでしかない
あなたは誰と問うことは
私は誰と問うことで
あなたを想うことは
私を想うことで
あなたという謎は
私という謎に過ぎない
QUEST
ネットに落ちていた脳味噌のかけらと
肌のにおいだけを頼りに
私はあの人を探しに
旅に出ることにした。
歯の当たるキス
くちづけの時
あの人は私の歯を自分の歯で擦る
かつん、と脳味噌に響く音
それから
骨と骨の当たる感触
きり・きり
ともちがう
かり・かり
ともちがう
狂おしい陶器の触れ合い
骨まであの人に犯されて
あとは
もっともっと壊して下さいと
乞い願うことしかできない
傷跡
男のからだについた傷って、どうしてあんなにセクシーなんだろう
あぁ、舐めたい、しゃぶりたい
そして、
爪で思い切り
掻き拡げたい
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