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徒然なるままに・・・(平成12年8月分)つまらない愚痴なんかを書き連ねているようだが、一応これが自分のアイデンティティなので、どうか見てやってください。 |
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日本の学校における英語教育は、実用の役に全く立っていないという論が後を絶たない。少しでも英語に関心のある方なら、こういう議論の例をいくらでも挙げることができるであろう。よく言われるのは、8年も勉強していて、簡単な会話もできない、といったあたりだろうか。 しかし、8年という数字にマジックが隠されているのである。 学校教育の場では、英語のみならず、国語・数学を始めとして様々な科目を勉強しなければいけない。いや、いけないというよりは、生徒それぞれの得意不得意があって、中等教育の場では、それを自ら発見することによって、自分の将来の進路を決める。 その場において、英語だけに教育の重点を置いてはならないはずだ。どんなに英語教育に熱心な学校でも、週に6時間を越えて英語の授業を行うところはないはずだ。まぁ、多くの生徒は学校の他にも、塾や予備校で、そして家庭学習でさらに英語を(そして、他の科目も)勉強している。 それにしても、実用的が語学を習得するためには、学校教育で週12時間、それに対応するための家庭学習に相応の時間を費やさねばならない、といわれている。大人になって独学で語学をマスターした方からは反論が出てきそうだが、まぁ一般的にはそう言われている。 繰り返しになるが、自らの才能を発見すべき場である中等教育の場で、そのような集中教育を施すのは、表面上の現象(英語の世界語化)にとらわれすぎて、大事なこと(才能発見の場)を忘れているのではないか。 この問題に関しては、別の視点からものぞくことができるので、(1)ということにして、また機会を改めて、違った角度から眺めてみたい。 |
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2000年08月22日 01時13分23秒
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私の、フリーターをやっている友人が、私の住んでいる川崎区の電話帳を交換する配送のアルバイトをやっている。 そう、電話帳は「頒布」されるものではなく、貸し出されるものなのである。 しかし、私は、一人暮しを始めてから一度たりとも電話帳を返したことがない。おかげで、引越し荷物に、ほとんど役立たずの電話帳の束が加わることになる。最も全く役立たずなら、NTTに返してしまえばいいのだが、実は少しは役に立っているのである。 というのは、ハローページは個人情報の宝庫である。学生時代に、私は東京都町田市に住んでいたが、当時『サラダ記念日』を出して売り出し中だった、歌人の俵万智先生(当時、学校の先生だったので、どうしても「先生」という癖が抜けない)も町田に住んでおり、私の手にしていたハローページは、氏がブレイクする前のものだったので、どこに住んでいたかが、ハローページで「答え一発」だったのである。 先日は、『ちびまる子ちゃん』について書いたが、ある参考資料とハローページを元にして、やはり彼女の実家を探し当てることに成功した。ただし、これには後日談があって、見つけた時にはさくら一家は、さくらももこ氏を頼って、東京にエクソダスを計った後だった。清水に住んだら、「さくら青果物店」で買い物しようと期待して移住したのに、お見事に肩透かしを食ってしまった。 とまぁ、使いようによっては、意外な個人情報がわかるので、電話帳は絶対に返さないことにしている。友人によると、ハローページとタウンページのセットを1部引き取ると、歩合給で80円になるそうである。ということで、川中島担当の方には悪いが、この部屋の分の80円はあきらめて下さい。 あと、このように重大な個人情報が入手できるので、私は、親から夜逃げしている関係上、電話帳に私の電話番号を載せないようにNTTにお願いしている。 最後に、子供の頃はよく好きな人のうちの住所を調べるのに、電話帳を使ったものである。実は、独身時代(相手がですよ。私はまだ独身ですからね)、ひそかに憎からず思っていた女性がいたのだが、ひょんなことから、結婚後、川崎に住んでいて、新しく変わった苗字もわかったので、その気になれば、彼女の家の電話番号もわかる可能性が高いのだが、ここは我がプライドを保つために、敢えてハローページを調べないことにしている。 |
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2000年08月19日 01時59分38秒
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今日は8月15日である(タイムスタンプ上は16日だが)。終戦記念日と言い換えられた、第二次大戦に敗れた日であることを一応は知っている身として、戦争と平和についての最低限の哲学を開陳せねばなるまい。 書き出しから見てわかるように、私は右寄りの人間である。ここで「キャー、怖い」と思われる方はどうぞほかのサイトに飛んでくれて構わない。 飛んで行かないで、私の妄言に付き合ってくれる方に話したいのは、平和の価値についてである。 現在の日本では、平和とは絶対善である。つまり、ほかの全ての価値に優先される概念と言うことである。いや、そんなことはない、至るところに競争があるではないか、という方もいるだろう。しかし、最近の小学校の運動会における、徒競走の例などを持ち出さなくても、「喧嘩両成敗」という言葉や、「談合」について話しを進めれば、一応は肯定してくれるのではないでしょうか。 最も、ここで話したいのは、争いを回避したがる、日本人の一般的な行動様式ではなく、「戦争」という言葉に対置される「平和」についてである。 政治家・キャリア組官僚に防衛・外交問題を公式に尋ねたならば、「平和を守らなければいけない」と答えるに違いない。そう言わなければ、前者は次の選挙で落選し、後者でさえ首が危ない。まぁ、彼らは第2章を含む日本国憲法を遵守しなければならない立場にある人のことだから、この答弁は仕方がない。 問題は、その外側にある立場の人間でさえ、この真理を疑うことはタブーとされていることである。学者やジャーナリストの中には、少なくともこのテーゼに異を唱える方々がいてもいいのではないか。 繰り返して申し訳ないが、今の日本では、平和、つまり戦争のないことが絶対善のように思われているが、私もそうだし、多くの外国では、平和を破ってでも守らなければならない価値があると思っている人が多数を占めている。 例えば、その中に自由な民主主義がある。ベルサイユ会議で始めて唱えられた、民族自決の概念もそれに入るだろう。他の国や地域などでは、別の概念に重きを置くこともある。 その中でも、「独立」という概念はその最たるものである。日本は独立を失ったのは一回だけ、それも寛大な占領軍に進駐されたから、世界史的スケールで、独立を失うことの重大性が理解できないのではないか。 私は書物によってではあるが、それを肌身に感じている。それゆえ、「日本」という国、「日本民族」という集団の独立を脅かす事態があれば、それを排除することを、「平和」という概念より上位に置いて考えている。 私が一部の、軍隊をなくせば平和が訪れる式の平和主義者に尋ねたいのは、こういうことである。平和が破られたとする。その時、我々を守ってくれるものがなかったら、我々や愛するもの(私にはいないんだな。非常に残念なことではあるが)の身の安全をいかに守るのだろうか。 上の論には、日本や日本人が誠心誠意外国と付き合えば、平和を破るものはない、という反論もあるだろう。しかし、日本人以外(いや、日本人でも、オウム真理教などは、この中に入るだろう)には、平和を破ってでも得たい価値があると思っている国家や団体がある、というのが私の考えである。 ということで、私は「平和」を絶対善とは考えていない。平和を破ってでも守らなければならないものがあると信じている。ただ、付言すれば、個人的には軍隊の没個性的性格に耐えられるとは思わないので、軍隊の内部に入らずにすむように願っている。 |
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2000年08月16日 1時27分59秒
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クリントン米大統領は、何か問題を抱えた国や勢力に海軍を派遣して、敵対勢力に対して気軽にトマホーク巡航ミサイルを投射することから、一部では「トマホーク外交」と揶揄されている。 このようにプレステのボタンを押すみたいに簡単にパワープロジェクション政策を採用するというのは、通常弾道型巡航ミサイルの登場までは考えられなかったことである。 従来の国家間の戦争とは、どんな新型兵器が登場しようとも、最後は歩兵が敵陣地ないし首都を制圧して終了するものであった(第2次世界大戦の日本は違う、という声もあろうが、あれにしても、海上補給線の途絶で、本土に敵陸軍の上陸を阻止することが出来ない、と判断したが故に、実際には敵兵力の本土侵攻がなくても降伏したのである。連合軍側は、いつでも本土上陸の用意が出来ていたのである)。湾岸戦争がその好例である。あれも「ニンテンドー・ウォー」と呼ばれ、大量の精密兵器が登場したが、戦争の結果を決めたのは、陸軍がイラク軍の陣地を制圧して、その陸軍の主力を壊滅させたことによる。つまり、戦争の原則が生きていた訳である。 しかし、ボスニア紛争(1992〜1995)では、その原則が崩れかかってしまった。セルビア人勢力を和平の椅子に座らせたのは、ムスリム勢力が強化されたこともあるが、95年に米軍が本格的に空爆に乗り出したが故である。ここで大事なのは、米陸軍(及び海兵隊)は一兵も派遣されていないことである。つまりアメリカは、戦争の目的を達成するのに、それまでの戦争の原則を用いることなくなし得てしまったのである。しかし、まだこの時は、ムスリム勢力の強大化という、力の原則が生きていたので、それほど注目はしていなかった。それでも、介入側が陸軍を用いずに目的を達成したという事実に注目していた。 しかし、コソボ紛争(1998〜)では、いくつかの軍事勢力があったものの、コソボ州におけるセルビア人によるアルバニア人への弾圧行為をやめさせたのは、間違いなく去年3月から6月はじめにかけての空爆行為によってであった。これにはNATO軍の陸上兵力はまるで出番がなかった。もちろんコソボ解放軍がユーゴスラビアに侵攻するなどということもなかった。つまり、純然たる航空・ミサイル攻撃のみで戦争目的を達成したのである。 これには私は驚き、戦争の歴史が変わったと思ったのである。つまり、精密機械兵器があれば、歩兵を用いずとも戦争を遂行し、戦争目的を達成できるということである。 近代戦は、戦争を繰り返すごとに犠牲者のレコードを更新してきたが、湾岸戦争に始まり、ユーゴ空爆に至るこの10年の戦争の歴史で、ほとんど死者を出さずに戦争が行われるようになったのである。 一般に「軍事革命」という用語は、戦争のIT化を意味することが多い。しかし、私にとっては、戦争目的を達成する手段が変化したことをもって、この用語を用いたい。 |
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2000年08月15日 01時40分04秒
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皆さんは、開くのが重たかったBGMファイルを聞いて、硬派の文章を期待しているかもしれません。しかし、昨日の日記にも書いたように、私は清水の人間として、さくらももこ氏ならびに『ちびまる子ちゃん』のファンなのです。 当初は、男として少女漫画などは読んでいなかったので、その存在を知りませんでした。この漫画を知るきっかけになったのは、IトーYカドー大山店で短期アルバイトをしていた時でした。 私は雑貨コーナーに配属され、今で言う100円ショップのようなところで仕事をしていました。そこに文具・玩具コーナーがあったのが運のつきでした。というのは、当時大ブレイクしていた『おどるポンポコリン』が、販促用BGMとして狭いフロア内にエンドレスで流れており、いつのまにか歌詞を諳んじてしまいました。 そこで当時人気の『ちびまる子ちゃん』とはどんな漫画/アニメなのか興味を持ち、試しにテレビを見てしまったのが運のつきでした。独特のストーリーと、故郷が舞台であることがあって、即座にはまってしまいました。そこで、漫画本(当時6巻)を買い揃えました。そこでは氏の独特のストーリーが我が故郷と見事にマッチしており、清水の人の良さを全国にアピールできたのではないかと思います。テレビも留守録で必ず見るようになりました。 大学4年になり、就職活動の時期になりました。東京と静岡の二股で活動したせいか、東京のほうには身が入らず、当時は超売り手市場であったにもかかわらず、東京の会社は全部滑って、帰清して就職することになりました。 かほどに『ちびまる子ちゃん』に入れ揚げたせいで、さくらももこ氏のファンになり、氏の著作は『神のちから(小学館)』以外は全て購入しました。CDもなるべく買うようにしました。清水にいた時は、もちろん地元で入手していたのですが、川崎に引っ越してきてからも、氏の本やグッズは清水に帰って購入するようにしています。 残念なことに、清水に帰って半年でアニメが中断され、2年半の間は漫画とエッセイだけが楽しみでした。それだけに、平成7年に放送が再開されたときは嬉しくてしょうがありませんでした。ただ、中断前(第1期といわれる)と比べると、内容に毒が含まれるようになり、前の”ほのぼの−オチ”路線に比べて、暗くなったような感じがするのは否めません。 まだ書きたいことは山ほどあるのですが、本日は「なれ初め編」ということで、この辺にしたいと思います。 |
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2000年08月14日 03時07分34秒
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わざわざ日記帳のイラストをクリックしてくれた方に、今更「はじめまして」はないだろうとは思います。しかし、日記を書く習慣を持たない私が、公開エッセイのような形で思ったことを綴ることになって、ささやかながら、自分もデジタル文章作家(注)の末席を汚すことになり、嬉しく思います。できれば、更新を怠ることなく、毎日エッセイを綴りたいです。 初めてなので、テーマの選択に困ります。最初に選んだテーマでエッセイの性格が決まってしまうので、慎重にならざるを得ないのです。 「はじめまして」ということで、自己紹介の補足説明からいたします。 実は、今までメル通してくれた方には悪いのですが、この名前は戸籍上の本名ではありません。しかし、皆さん、少しでも注意を怠ると、私の名前をこのように書いてくるので、いつのまにか私も気に入って、通称として、役所仕事に関係しないところでは専らこの名前を使っています。 あだ名は清水で会社勤めしていた時に、当時絶頂期だったJリーガーの三浦知良選手(現・京都:静岡市出身)にちなんでつけられたものです。気に入るも気に入らないも、諸先輩がたがこのように呼んでくださるので、認めないわけにはいきません。それに、本家カズーのように海外雄飛を夢見ているので、それにあやかりたい気持ちもあります。 現在の仕事は通関業です。清水時代に慣れた仕事をしているので、日々の仕事に支障はありません。 派遣社員になっているのは、ここには書いてありませんが、私の夢と関係があります。清水に残っていれば、生活も保証されていたのに、わざわざ苦難を求めて東京(バイクで10分も走らせて、六郷川を渡れば、もう東京です)に出てきたのは、国際政治学を勉強して、アカデミズムの世界に入りたいと志したからです。恩師・先輩諸氏には「無謀だ」と言われながらも、清水の舞台を飛び降りる気持ちで道を進んでいる、つもりだったのですが、生活の基盤が安定しないので、中々勉強に集中することができません。それに、趣味の欄に書いてありますが、外国語を勉強することが好きで、今6つの外国語に手を出しています。そのせいで、余計に院試の勉強から遠ざかってしまうのです。 出身地は、本籍地ということで理解して下さい。出身校は、大体読めるんじゃないかな?どうしても知りたい方がいらっしゃれば、メールを頂ければお答えいたします。 趣味は、これでも一部なんですよね。もしかしたら、あとで追加するかもしれません。 スポーツ観戦は、高校が野球が強かった関係で、中学生になってから野球に熱中しだしたのと、やはり高校の関係でアメフトも興味がありました。アメフトでは、リクルートに所属していた安部奈知が私の知りあいです。 大学生までは「サッカーなんてあんなに点が入らないスポーツのどこが面白いんじゃい?!」と思っていましたが、故郷に就職が決まり、その頃Jリーグが立ち上がったので、周りに影響されて、社会人になってから急にサッカーを見るようになりました。そういう関係で、当然エスパルスサポですが、清水出身のJリーガーには、「ジーコ真理教」と読売(現:日本テレビ)にいる選手を除いて、みんな心の底で応援しているところがありますね。 外国語は子供の頃から興味があったのですが、親が理解のない人間で、かつ通った高校も第2外国語などという悠長な授業をやってくれなかったので、実は本格的にやり始めたのは、社会人になってからなんですよ。まぁ、英語は受験英語を多少やっていましたが、大学で英語をみっちり絞られたせいで、自分の意思で勉強する、というのは本当に遅かったんですよ。そんな人間が清水の田舎から東京に出てきたもので、調子に乗ってドイツ語・韓国語・中国語・タイ語と次々に手を出しています。英語は独学できると思ったのですが、どうも意志薄弱のようで、現在、英語学校(「英会話」にあらず)を探しているところです。 清水は、私が引っ越してから急に変わり出しましたね。勤めていた会社が本社ビルを新築したはいいけど、エスパルスドリームプラザなどという面妖な建物に側面と背面をふさがれて、みんなびっくりしたでしょうね。ほかにも、ジャスコが出来たり、ブックオフが旧宅の近所に出来たり、なんか私の知っている清水じゃないみたいです。 本は、語学本を読んでいる暇があったら、勉強しろ、と言われそうですが、勉強法の本とかを見つけると、ふらふらっと買って読んでしまいます。 さくらももこさんのエッセイは、同郷ということもあって、全巻揃えています。あのおかしみのある言語感覚は、いかにして養われたのでしょうかねぇ。私にとっては、ジャンルは違いますが、氏のエッセイは北極星のようなものです。 最初のパソコンを買ったのが3年半前、今から見ると、恐ろしいくらいに性能が低いです。それで30数万円ですからね。でも、インターネットで、元は取ったとは言い切れませんが、十分楽しませてもらいました。2代目パソコンについては、日を改めて書いてみたいと思います。 ハムの資格は持っていますが、ネットの方が広く人と知り合えるので、ペーパーライセンスと化していますね。 好き嫌いについては、主体性がないとか、かわいそうだとか言われそうですが、まぁそう言う風に半生を過ごしてきたわけですから、一朝一夕には変えられませんね。しかし、果物はぜんぜん食べられないのに、果物ジュース(の一部)はゴクゴク飲んでいるのは、我が七不思議の一つですね。 ほかに私について知りたいことがあったら、メールかカキコをお願いします。予定の原稿用紙5枚相当を大幅に越えてしまった… (注)デジタル文章作家:『書くためのパソコン(中野明著・PHP新書)』第1章参照−パソコンを使って文章を書いている人の総称 |
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2000年08月13日 02時41分42秒
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