徒然なるままに・・・(平成12年11月・12月分)

つまらない愚痴なんかを書き連ねているようだが、一応これが自分のアイデンティティなので、どうか見てやってください。

名良橋晃に捧げる
 明日の天皇杯、椅子男は関西勢対決を見たかったらしいが、結局はJの理念を最も体現している両クラブの対決となった。
 片や三冠間近の最強軍団、片や天皇杯初奪取に向けて二回目の挑戦となった、我らが市民の期待を一身に背負った橙騎士軍団。
 しかし、『邪悪なエンジ色をまとった軍団、繰り返される太鼓の音に合わせて何度も歌い、試合中はのべつ幕なしに大旗を振り、抜け目なく、ずるがしこく、冷静で計算高く、ダイビングも得意なせこい奴、邪悪な鹿島アントラース』は、二冠の代償に、ほとんどの選手が満身創痍の状態である、とすべてのスポーツ紙は伝えている。
 邪悪な『ジーコ真理教』唯一の清水人、相馬直樹は足を損傷し、決勝戦には出場できない。対面の、相馬の中学の後輩にあたる、史上最年少日本代表デビューを果たした市川大輔を止めるのは、無名の若手選手だ。最近、イチのプレーが単調なのは気になるが、所詮格が違う。
 問題は奴らにとって右サイドにあたる選手だ。やはり足を痛めていると報道されているが、強行出場を宣言しているのが、今日の主役の名良橋晃である。

 前置きはこの位にして、本題に入ろう。

♪つかみかけた厚い腕をふりほどいて君は出てゆく
わずかに震える深紅のユニフォームに君の年老いた悲しみを見た
ピッチに向かう長い廊下で 何故だか急に君は立ち止まり
ふりむきざまに俺に こぶしを見せて寂しそうに笑った
やがてスタジアムと拍手の渦が
イレブンの男をのみこんで行った
立ち上がれ もう一度その足で立ち上がれ
命の炎燃やせ

君はついに立ち上がった 血に染まった赤いテーピングに
わずかに開いた君の両目に光る 涙が何かを語った
獣のようにアレックスはおそいかかる 若い力で
やがて君は静かにピッチを去った レッドカードを突きつけられて
わずかばかりの意識の中で
君は何を考えたのか
立たないで もうそれで充分だ
おお神よ彼を救いたまえ

ロッカールームのベンチで君は
足を引きずりそっとつぶやいた
帰れるんだ これでただの男に帰れるんだ
これで帰れるんだ
ライ ラ ライ ラ・・・
(繰り返し)
(繰り返し)♪


 清水人の期待はみんなそこにあった。90分もあれば、宿敵鹿島アントラーズを倒して優勝し、全国に清水の名をとどろかすのに十分だ。サンバが試合開始を待ち受ける観衆の間を流れ、我々は声を揃えるであろう。「清水エスパルス!」

 20世紀最後のエッセイがこんな形になるとは思わなかった。
2000年12月31日 23時36分54秒

私と清水サッカーの憂鬱
 我が故郷のJクラブ、清水エスパルスでは、ペリマン監督の退任に伴って、新監督が就任した。セルビア人のゼムノヴィッチ・ズドラヴコ氏である(ちなみに、セルビア語は、子音が極端に多い言葉で、「ズドラヴコ」という名前のうち、ズドとヴは子音だけである。この辺の言語学的な話は、後日論じてみたい)。去年からユースチームを見ているので、ある程度はうちのクラブの事情を知っているわけである。常に下位を低迷しているクラブのように、毎年(下手をすれば毎ステージ)めまぐるしく監督を代えているところと比べると、継続性のある人事ができているわけだ。そういう面では、今年のセカンドステージこそ低迷したとはいえ、うちはフロントワークはしっかりしていると見ていいであろう。さすが安本社長は出向元会社で、人事・総務部長をやっていただけのことはある(実際はサッカーに熟知した部下が決めているのであろうが)。
 ところが、この人事、非常に個人的ではあるが(同時に国際政治的、とも言いたい)、非常に困惑している。というのは、私はサッカーファンであるとともに、国際政治学の一学徒でもある(と信じている)。セルビア、すなわち新ユーゴスラビアがこの10年で何をやらかしたかは、人並みには頭に入っているつもりである。そう、ボスニアとコソボでエスニック・クレンジングを行ったのである。まぁ、サッカー的にもこれで新ユーゴはだいぶ制裁を受けたわけであるが、それで民族浄化の罪が許されるわけではない。名古屋グランパスエイトの「ピクシー」ことドラガン・ストイコヴィッチもセルビア人である。セルビア人がバルカン半島でなしたことを記憶している私としては、彼が超一流のサッカープレイヤーであっても、その民族の血ゆえに、スタジアムで彼を見るたびに「歩く○殖器」(もちろん英語で言ったわけであるが)と野次を飛ばしたものである。ちなみに、普通の清水人は、その極端に温和な性格ゆえに、こんな野次は決して飛ばさない。私が生まれつきの清水人ではなく、元日本代表のK(もしくはエスパルスのT)と同郷であるがゆえの激しい性格からこの言動はきているのではないか。
 まぁ、早い話が私はセルビア人という民族が嫌いなのである(ただし、個人的にセルビア人の友人を作る可能性は否定しない)。実際、バルカン半島の歴史を見ても、回りの大国の行動によって目立たないが、セルビアもそれなりに帝国主義的政策を行ってきた(し、つい最近まで行っていた)のである。
 まさに、こういうのを英語で「アンビバレント」というのであろう。うちのフロントワークは誉めたいが、監督がセルビア人というのは許しがたい。早速明日から天皇杯で采配を振るうわけだが、果たしてセルビア人の指揮するうちのチームを、私はどのような目で見るであろうか?
 もう少し、個人的な話とサッカーの話をごちゃ混ぜにした文章を許してほしい。現在、私はポルトガル語を習っている。いろいろな事情はあるが、清水サッカーが伝統的にブラジルに範をとってきたこともその一因である。ところが、現在エスパルスのブラジル人は、サントスの退団により、GKコーチのフッカ氏(首になってないだろうなぁ)と、今日の新聞紙上で移籍志願を表明した、去年のMVP・アレックスの二人だけである。そして、監督は三代続けてヨーロッパ系(オジーはアルゼンチン人であるが、彼の選手としてのキャリアは多くはイギリスでのものである)の人間である。清水港の貿易の多くは、対欧米もしくは東南アジアであり、対ラテンアメリカのそれは比べ物にならないほど少ない。クラブの首脳陣(多くは清水港の運送業者から派遣されてきた)がヨーロッパ志向なのだろうか、と考えたこともある。何はともあれ、今まで清水サッカーが築いてきたブラジルや韓国との縁というものを、上層部はどのように考えているのであろうか。
 これをバラすと、私は清水の町を歩けなくなる可能性があるが、清水ほど巨大なサッカー都市ともなると、やはり一枚岩というわけにはいかなくなるのである。清水商業高校とエスパルスが仲が悪い、というのは市民の間では常識である。現に二人の選手がエスパルスではなく、宿敵日本テレビ(東京ヴェルディ1969、というそうだが、噴飯ものである)に加入することになった。清水東高は(最近、弱体化が進んでいるが)ジュビロの杉山スーパーバイザーの関係で、どうしてもそっち志向が強くなる。救いはエスパルスユースだが、その存在は却って清水サッカーの分裂傾向を強めただけではないか。
 全国的に、少子化が進んでおり、清水もその例外ではない。その中にあって、派閥争いなどに業を煮やしては、せっかくの資源が無駄になってしまう。ある不祥事で第一線から身を引いたH氏のような(一部では「Hブルドーザー」と呼ばれていた)清水サッカーをリードすべき人物を、一刻でも早く立てない限り、我が故郷のサッカー史は、歴史の一ページで終わる可能性が否定できない。
2000年12月17日 01時02分03秒

TOTOに現れた問題点
 サッカーくじ“TOTO”が、静岡県での試験販売が始まった。Jリーグの試合結果を予想する賭けだが、二部リーグの結果はすでに日曜日に出ている。今日は一部リーグ(普通はJリーグと言えば、こちらのこと、つまりJ1を指すことが多い)の結果が出た。
 こういうのは、多少は番狂わせがないと、賭けとして面白くない。果せるかな、二つほど番狂わせが起きた。一つは名古屋が京都に負けたこと、もう一つは日テレと藤枝(アビスパ福岡だって…)が引き分けたことである。後は、多少は身びいき覚悟で言わせてもらうと、国立競技場12連勝中だった清水が、通算成績でも14勝7敗とカモにしている鹿島に負けたことである。
 まぁ、この位は「セ・ラ・ヴィ」で済まされるのではないかと思う。特に鹿島−清水戦はチーム状態から考えると、むしろ順当な結果とも言えるような気がする。しかし、藤枝(だから、福岡だって…)は、負けなかったものの、相変わらず日テレには勝てないなぁ。
 問題はJ2である。山形−大分戦、多少マニアックなサッカーファンならご存知かと思う。去年、競技場は大分であったが、最終戦のこのカードで、延長でも勝てば大分のJ1入りが決まっていた試合で、山形が意外とも言える粘りを見せ、延長でも決着がつかず、新潟で90分勝ちを収めていたFC東京に逆転J1入りを許したのであった。しかし、今年の山形は11クラブ中10位に低迷するチーム状態だったので、まさか、去年の再現はないだろうと、ほとんどの人は考えたに違いない。しかし、大分のストイコビッチことウィル(試合中によく切れることが、以前のストイコビッチに似ているのである)が、5試合出場停止明けのこの試合で、またレッドカードを頂戴した(ちなみに、後日の規律委員会の裁定では、3試合出場停止を言い渡された。つまり、今期はもう出場できないのである)。中心選手を失った大分は、山形の粘り腰もあって、そのまさかをやらかしてしまったのである。
 また、鳥栖−札幌戦は誰もが(新聞報道では9割弱が)後者の勝ちを予想していた。優勝を決めるまでの圧倒的な強さを見れば、至極順当な予想と言える。しかし、岡ちゃんこと札幌の岡田監督は、私には理由はわからないのだが、チームの半分近い得点を叩き出したエメルソンをスタメンから外し、それどころか、劣勢にもかかわらず、彼を投入なかったのである(もしかしたら、遠征メンバーから外れていたのかもしれない)。結果として0−2で札幌は敗れた。まぁ、優勝とエメルソンの得点王は決まっていたので、単純に采配面で見たら、岡ちゃんもエメルソンも納得づくだと思うし、むしろ若手を起用して、実践経験を積ませることは理にかなっている。
 だが、これはTOTOの対象ゲームなのである。ということは、ほとんどの購入者は鳥栖と札幌の戦力を分析して買ったに違いない。それに対して消化試合的発想でメンバーを決めたのなら、TOTOの購入者に対する裏切り行為とみなす人もいるかもしれない。まぁしかし、おとなしい静岡人がこの番狂わせに怒り狂ったという話は聞かないが。別に私が札幌勝ちを予想して外したからこういうふうに書くのではない。冷静に考えれば、そこのあたりも考慮して、マルチを使って両者勝ちに賭けるのが上策だったかもしれない。自己批判をすれば、エメルソンがいなくても、堅守・札幌DFの要、名塚キャプテンがいれば、1−0くらいで勝てるのではないかと思ったのである。
 ただ、日本人は、皆静岡人のように穏和な人柄の持ち主というわけではない。県民性に凝っている人ならば、どこの県とは言わないが、瞬間湯沸し機のような県民性の持ち主がいることは承知のはずである。来年、TOTOは全国発売される予定である。その時、日曜日の岡ちゃんと同じことをやって番狂わせが生じたら、一部の購入者が暴走して、監督の自宅に石を投げたりとか、家族をいじめたりとか、そういうことが起きないという保証はない(というか、これは、岡ちゃんが日本代表監督時代に実際に受けた被害の一部である)。
 私は、ここにTOTOの問題点があると考える。一応、Jリーグには、「最強選手出場規定(という名前だったか、とにかくそういうもの)」があるから、明らかに八百長と思われるような選手起用はできない。しかし、何らかの理由で飛車落ちのようなメンバーを組んでその試合を落としたとしたら、TOTOの購入者による何らかの悪質な行為が発生しないとは言い切れない。この点について、何らかの措置を講じなければ、TOTOは既存の公営ギャンブルより悪質なものと化してしまう可能性がある。
 蛇足だが、大阪ミナミで生まれ育った岡ちゃんならば、TOTOが全国販売されていたら、飛車落ちのメンバーは組まなかったような気がする。いや、東日本で生まれ育った人間の偏見なんですけどね(蛇足の蛇足:ところで静岡って東なんでしょうか、西なんでしょうか。NTTは西日本だし、電気は60Hzだけど、文化としては東京の影響が強いように思える)。
2000年11月09日 01時03分30秒

英語の必要性・第二外国語の誘い
 世の中、英語ブームである。「駅前留学」を始めとした英会話学校が、街中に雨後のタケノコのごとく乱立している。厳密に統計をとって調べたわけではないが、こういう所の生徒の中心は若いOL達であろう。ここでは、英語はファッションと化している。
 一方で別の目的で英語を学んでいる人たちが、ここ数年で急増している。目的は、某雑誌で「現代の科挙」とまで書かれたTOEICのスコアである。いくつかの大学では、この点数を単位として認める所や、入試の際の英語力の目安として英語の試験を免除する所も出てきている。会社社会ではもっとシビアである。スコア次第で就転職の可否や地位の上下に響くという話は、今や至る所で聞かれる。
 私の知人は、某楽器メーカー傘下の幼児英語教室の先生をしている。実際、住宅地などでは、その類の英語教室の宣伝ポスターを見ることもしばしばである。知人には失礼だが、ここまで来ると、何をか言わんやである。

 こういう書き出し方をすると、私があたかも某学者のごとく、「英語帝国主義」に立ち向かうような論調を想像される向きもいると思う。しかし、現実の私は、アメリカ文化の世界的拡散という現象は基本的には歓迎できる所があると思っている。もし第二次世界大戦で大日本帝国が一敗地にまみれ、GHQの占領政策を受け入れることがなかったら、私は会津の貧しい水呑百姓の下男として封建的な生活に縛られていたに違いない。もちろん、このような媒体に駄文をしたためるような自由など認められようはずもない。アメリカ式の自由な民主主義は、欠点もあるが、世界に現存する政治体制の中で、それが一番少ないものだと思う。ただ、アメリカが自らの価値観で世界を染め上げようをする時には、そんな私でも感情的な反発を覚えることはある。
 ではお前は何なんだ、と問われたとする。私の過去の日記帳を見ればわかる通り、私も英語ブームのフォロワー(注)の一人なのである。英語を身につけたいという願望は人後に落ちない。翻訳者として身を立てたいという強い意思もある。そのために、こりずに何校目かわからないが、また今月から英語学校に通い始めることにした。今度こそ英語をモノにするぞという決意を胸に…。
 ところで私は、現在かじっている外国語は八つを数える。具体的に知りたい方は10月26日の日記帳を読んで欲しい。今日もフランス語文法四日間集中講座を受け終えたところである。アブとハチだって二匹しかいないにもかかわらず「アブハチ取らず」と言われるのに、八匹も追いかけて大丈夫なのか、と言われそうである。
 私は綿密に計画立てて行動を起こすタイプではない。ある面非常に腰が重いくせに、時として衝動的にことをやらかすという、両極端な性格を共有している。その結果が八カ国語なのだが、全く考えなしに手を広げた訳ではない。それぞれの言葉全てについて、ネイティブ並みになりたいなどとは思ってはいない。それぞれに目標はある。

 私はなぜχ語を身に付けたいか、と考える時、大まかに言って二種類の目標を立てる。 一方は私の本好きの性格から来るもので、その外国語で書かれた本が読みたいから勉強する、というものである。フランス語・ドイツ語は確実にここに入る。実は英語・タイ語・中国語も(特に中国語は)この側面がある。ただし、英語は今や世界語としての一面がある。外国人のメールフレンドとのメル通に使う言語はもちろん英語である。だから英語は四技能全てを伸ばさざるを得ない。タイ語を始めたきっかけは、実は私が国際政治の学徒であることによる。なぜタイのような国が空母を持っているのか、その研究をするために、タイ語文献を読む必要を感じて、タイ語の勉強を始めた。しかし、タイ語を勉強していくうちに、タイという国自体に興味を持ち、結局オーラル面も勉強することになった。中国語については「一年で外国語大学四年分以上の実力がつく」というキャッチコピーを真に受けて受講している中国語講座が音声重視メソッドなので、講座終了の暁には、四技能全てが身についているはずである。
 もう一方はコミュニケーションのための言語習得である。韓国語は隣国の言葉として、観光で使う機会は他の言語より多いだろう。実は、韓国人のメル友も何人かいて、今は英語を使ったり、韓国語の辞書を引き引きメールをやり取りしている状態である。この子達と韓国語で不自由なくメールのやり取りをしたいという願いもある。ポルトガル語は「故郷」静岡の、特に遠州(県西部)における第二言語である。浜松の街では、もはや公用語はポルトガル語であると言ってきた人がいた。そこに住む人たちと話をしたいと思って勉強を始めた。ベトナム語は、恥ずかしながら、劣情が勉強を決意させたことを告白せねばならない。ベトナム女性の美しさと情の深さは、つとに知られるところである。ベトナムは社会主義の国なので、簡単に旅行できるわけではない。しかし、その機会を得られた暁には、現地の女性に「デップ・カー・チー(お嬢さん、とってもきれいだね)」と声をかけたい、現地人と簡単な会話を交わしたい、ある意味では「その程度」のやる気である。 しかし、理想をいえばこの八ヶ国語全てで翻訳ができるようになりたいという夢も持っている。食い扶持がなければ、観光旅行も結婚もできないのである。

 まずは英語の基礎力を固めて、翻訳の勉強を始めたい。英語の翻訳で仕事がもらえるようになったら、他言語でも翻訳ができるようにしたい。せっかくこの歳で勉強に専念できる機会を得られたのだから、学生時代の時のように遊びに走らず、真面目に勉強せねば、この機会をくれた人に申し訳ない。
(注)フォロワー:マーケティング用語で、流行に後からついてくる人のことを言う。
2000年11月06日 00時55分46秒

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