F下の木戸跡
「木戸(きど)」はもともと“お城の入口”の意味で、最初は「城戸(きど)」と書かれていたそうです。
それからお城だけでなく、もっと一般的に柵門のことを「木戸」と呼ぶようになって、城の通路の出口の門や宿場の出入り口に設けられた木の門のこともそう呼ぶようになったようです。
桶川の木戸跡は、ここの他に、うどん屋さんの「今福屋」の前(中山道から菖蒲街道が分かれるところ)にもあります。
木戸は、「木戸番」の家が交替で管理し、朝夕(朝6時と夕方6時頃?)の開け閉めをしていました。
治安が悪い世相の時は常に木戸番が立ち、怪しい人馬を見張りました。
毎年7月14、15日に行われる「桶川祇園まつり」では、この辺りから屋台が出店しはじめます
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Gセブンイレブンの前の、騎西屋
大塚屋や人情屋台がある交差点(中仙道と、川越県道の交差するところ)から、何軒か上尾寄りに見える古い建物。
普段はあまり気にも留めてませんでしたが、よく見ると中山道沿いに『味噌』の看板、奥の方には土の建物が見えます。
この家は、もともと造り酒屋で、明治時代以降は味噌を作る商売をしてきた家で、奥の建物は戸袋や妻壁をしっくいで塗り込め、防火に注意を払ったつくりになっているそうです。
藤の花と壁の対比がきれいでした。「川越風」の少し前の明治8年ごろのつくりだそうです。
三代目の奥さまを、鴻巣の騎西屋から迎える時、桶川の騎西屋では松の木を3本用意したといいます。
中山道から見える松の木は果たしてその時のものなのでしょうか……。
Kトラック事故と、鐘馗様(藤倉家)
中山道を、再び桶川駅の方に向かったところで、迷子に…(-_-;)親切な薬屋さんに場所をたずね、人情屋台の隣の建物を教えてもらいました。
瓦葺きの屋根の上を目をこらして見ると……いらっしゃいました「鐘馗様」(アップの画像はこちら)。
鐘馗様は中国の疫病よけの鬼神だそうです。
建物が何度かトラックに突っ込まれたので、昭和6年に家の魔よけとして祭られてから、約70年、藤倉家を災厄から守っているそうです。
J秋山家(屋号:伊勢茂)
場所を探すことができなかったため、写真はなしです。
秋山家は、もともと「中山道もの」と呼ばれる桶川の良質の麦を商っていた家でしたが、江戸後半には「桶川臙脂(桶川の特産である紅花)」を扱う紅花商人として知られたそうです。
伊勢茂の主人は代々「茂右衛門」を名乗りました。
幕末の「茂右衛門」は旅やお芝居が大好きで、江戸を経て東海道を下り、伊勢から西国、四国、善光寺に至るたびの様子を旅日記に残しているのだとか(家業は大丈なのか??)。
アクティヴな茂右衛門さんです。
L武村旅館
福寿司の隣の旅館です。
大正時代に一度改築されているものの、実は、江戸時代の「旅篭」の姿を残すたいへん貴重な建物なのだそうです。
カメラを構えると、自転車に乗ってきた男性の方が身を屈めて小さな入口から入っていきました。




写真の右奥が、川越県道と中山道の交差点(大塚屋&木戸跡のあるところ)。消火栓の赤い目印の奥に、松の木が見えませんか…?


左の建物の屋根の真ん中にちょこんと座ってます
