桶川宿は、中山道67次6番目の宿場町。当時日本橋を出発した旅人達の1日目の宿として頻繁に利用されていた(日本橋から桶川までの距離は42キロ以上)。
当時、新たに宿駅を開設する場合、地元有力土豪が中心となって進めることが多かったという。
お隣の鴻巣宿は、後北条家の家臣である隼人助が1593年に「鴻巣御殿」を建て、1602年に桶川宿との間にあった本宿(現・北本市本宮)を鴻巣に移しスタートした。
桶川宿の場合、代々本陣職を務めていた府川家がこれを担った。
府川家は、越前国の大野城主だった大野秀利が、川越の府川村に住み「府川氏」と改名、のちに桶川に引っ越し、本陣・問屋・名主役を務めるなどして始まったという。
戦国時代、現在の桶中の南側あたりには「いっきほり」という市場があったが、桶川宿は、この市場集落をもとに府川氏が中心となって慶長〜寛永年間に整備されていったと考えられている。
当初は58軒程度しかない小さな宿場であった桶川宿も、幕末に近い天保14年(1843)には347軒になり、旅篭も36軒になった。はじめは農業を営む傍ら細細と旅篭や馬方で食べていたが、近郷からの作物を商う在郷町へと性格を変えていった。