KNOCKIN' ON YOUR DOOR (前編)

 そもそもガキは嫌いなのだと飛鳥は苛立った。無礼千万なガキはさらに嫌いだ。ましてや、左ハンドル高級車の後部座席に当然のように収まって、炎天下下校中の年長者に、「あんた、名前は?」などと傲慢な態度で聞いてくるガキは言わずもがなだ。
 お前は一体何様だ!? だいたいこの道は、そんな図体のでかい車が通るべきところではない。近づいてくる前から圧迫感があった。その上振り返ると、なぜだか自分の方へ寄ってくるのだ。電柱との間で潰されてしまうかと思ったが、その前に車は減速し、ウィンドウが下がると先ほどの台詞。「あんた、名前は?」
 「…お前こそ何者だ」
 名を名乗れ、とばかりに睨みつける。何しろ相手はどう見てもガキ。電車で数駅ばかり行ったところにある私立小学校の制服を着た、10歳ばかりの少年だ。
 「僕のことはいいの。あんたの名前を聞いてる」
 しかしそいつは、飛鳥のガンに怯むことがなかった。見下した態度は依然変わらない。結構しぶとい。自分はこれでも、学校では素行不良とみなされている問題児だ。特に何をしたという自覚はなかったりするが、問題はこの目つきの悪さにあるとかねがね思っていた。生意気なガキの一人や二人、それで黙らせられるはずだったのだが…
 「名前」
 「…るせぇ」
 吐き捨てて飛鳥は歩き出した。何が何だか分からないが、見ず知らずの小学生に絡まれる筋合いはない。
 が、そいつを乗せた外国車は、飛鳥の歩調に合わせぴったりと横をついてくる。忠義な運転手がいるらしい。
 「あのな、お前なぁっ」
 苛立ちが募り、再度振り返ると、少年はその片手をウィンドウの外に突き出し、いけしゃあしゃあと言うのだ。
 「名前、教えてくれたらこれ返すし」
 握っているのは飛鳥のネクタイだった。濃緑の生地に、S.H.――私立誠條大学付属高校――の縫い取りがあるそれを、飛鳥はズボンの後ろポケットに突っ込んでいたはずだった。ブレザーを着る冬服ならともかく、半袖シャツのこの季節にネクタイは暑苦しくまた面倒なのだ。勿論校則違反ではあるが。
 「…あのなぁ」
 いつのまに掠め取られていたものか。なんとも手癖の悪いお坊ちゃんだ。
 「飛鳥裕次郎! おい、一体何だっつーんだよ」
 よれたネクタイを奪い返し、もう一度乱雑に丸めポケットに押し込む。少年はあまり関心のこもらない声で重ねて聞いた。
 「…次男?」
 「一人っ子!」
 「ふぅん…」
 そして飛鳥の全身をじろじろと観察する。居心地悪く、本当に一体何なんだ、と飛鳥が問い詰めようとしたとき、今の今まで忠義かつ寡黙であった運転手が少年に何かを告げたようだった。
 「…じゃあ、今日はこれで」
 小学生は、大人ぶった口調で飛鳥に言う。音もなく上がっていくウィンドウ。態度や口ぶりとは180度違うあどけない動作で、バイバイと手を振って車ごと遠ざかる。
 残された飛鳥としては、顔をしかめて悪態をつくしかない。
 一体、何だったんだ。

 「ロマンスだねっ」
 翌日の放課後。2学期の授業が始まったばかりの教室で、その一件を話すと、クラスメイトの加賀司は開口一番そう叫んだ。
 「はぁ?」
 「ロマンスだね、恋と書いてロマンスと読む。それ」
 「どれだよ」
 「だから、」
 だからその子はきっと飛鳥に一目惚れしたんだよ。だから名前を知りたかったんだね、家族構成も知りたくなるよね、何せロマンスだもんなぁっ。
 どこまで本気で言っているのか、飛鳥はため息をついて加賀の好きに言わせておいた。
 「で? どんな子? 可愛い?」
 「三國の制服着た小学生でしかも男。黒塗りの外車乗った生意気そうな坊ちゃん!」
 「あれま…」
 「俺だって、相手がせめて三國の女子高生ならそういう解釈もするけど」
 「あー、嘘、それって何さ、ひでぇ飛鳥ー。多少の染色体の違いと生まれ年の違いでそんな安易な判断するわけー? 俺の目の前でするあたりいじめっ子だよねぇ。俺の繊細でナイーブなハートはずたぼろだわ。さめざめ」
 とりあえず、加賀の気が済むまで好きに言わせておく。加賀とは、付属中学に入学して以来3年半の付き合いになるが、相変わらずその言動にはついていけない。というか、そのノリについていく気が飛鳥にない。一度でもついていってしまったら恐ろしいことが起こりそうなのだ。この、自称ゲイの友人に。
 「あのなぁ、加賀。俺が今言ってるのは可能性の問題。パーセンテージ。より現実的な回答を求む!」
 頃合を見計らいそんなフォローを入れると、加賀はけろりとして「おーらい」と椅子に座りなおした。
 「まず…それ以前のコンタクトは?」
 「ねぇよ。赤の他人。見たこと皆無」
 「他人に関心を抱かれるようなパフォーマンスをした? 最近」
 「…どんなだよ。大道芸人か俺は」
 加賀は明るく声を出して笑うと、飛鳥それいい! 是非やって! と机を叩いてリクエストした。
 「お前がやれ」
 飛鳥は仏頂面だ。ふと視線を感じ教室の端に目をやると、仏頂面のままで女生徒と目が合った。クラスの中でも可愛い部類に入る彼女は、飛鳥に怯えてそそくさと教室を出て行った。
 「あ、栗原さん、さよーなら」
 加賀が愛想よく手を振って見送る。栗原は、先ほどとは明らかに別種の頬の赤みで微笑んだ。面白くない。
 「…どうして、俺と目が合うと逃げるくせに、お前となら喜ぶんだ…?」
 「それは飛鳥が怖いから。そして俺がかっこいいから」
 「言ってろ」
 「言ってる」
 飛鳥にとっては癪なことに、加賀は女子の間の人気者なのだ。「もてる」というのとは微妙に違うかもしれないが、大半の女子に恐れられている飛鳥からすればそれでも羨ましい。
 「ふふふ。女の子は、少女めいた美貌の美少年に弱いものなのさ飛鳥くん。しかもそれが、普段、硬派の友人とばかりつるんでいて、倒錯した関係を勘繰れるようなら別の層もゲットなんだな」
 どんな層だよ、とは突っ込まない。いつだったか加賀が冗談で、俺のダーリンは飛鳥だなどと、調子に乗って喋っていたとき、一部の女子が何とも嬉しそうに悲鳴を上げていたのを目撃して以来。まったく異性は未知である。
 「飛鳥、三國に知り合いは?」
 机を挟んだ向こう側の友人が、本格的に機嫌を損ねる前に、加賀は話を元に戻した。そういった機微に長けた少年であり、飛鳥はいつも彼に助けられている。正直にいうと、その茶けた天然パーマの髪の毛といい、同じく色素の薄い大きな瞳といい、まったく加賀は、少女漫画の王子様を地でいっている、と、飛鳥も認めざるを得ないのである。
 「…三國…。いない…と思う。もしかしたら、小学校のときのダチとか、高校で入学してるかもだけど…」
 「うーん…小学生を恐喝したりしてないー?」
 「してねぇ」
 「兄弟繋がりかなぁ? ほら、飛鳥に喧嘩しかけようとしていつも買ってもらえないオニイサンたちの中に、三國の人いたりしない?」
 飛鳥は少し考えた。誠條の飛鳥は強い、という噂が知らないうちに流れ、いつの時代からタイムスリップしたきたのか、という時代錯誤の輩が、時折飛鳥に喧嘩を売ってくる。しかし、すべてやり過ごしている。負けるのが目に見えているからだ。加賀は、そんな噂が広がる前に一回でも勝負を受けて、弱いということを皆に知らしめておけばよかったんだよ、と言う。が、なぜにそんな無責任な噂のために、自分が痛い思いをしなければいけないのか。それに、飛鳥にだってプライドはある。ということで、この迷惑なイメージを抱えて卒業まで持ちこたえるつもりだ。…出来るだろうか、と、不安になるときもあるが。
 「…三國のやつはいなかった…」
 「そう。じゃぁ他に何が考えられるかなぁ?」
 真剣な顔で考え込む加賀だったが、やがてその生真面目な表情のまま、
 「やっぱロマンスじゃないの?」

 誠條と三國、このあたりでも双璧を成す二つの私立校だ。誠條は、大学付属の小学校から高校まで、三國学院は小中高校の一貫エスカレーター式。偏差値は両方とも60を越す。文武両道品行方正な良家の子女子息が多く通うという点でもよく似ている。業界の著名人には誠條大学の出身者も多く、三國高校からの進学者は東京の有名私大・各地国立大にわんさかといる。交流も多々あるが、いろんな意味でのライバル校なのだ。
 そんな名門校にも、一般庶民は勿論いる。飛鳥の場合は、「ダメモト」で受けた中学入試に、奇跡的に引っかかってしまったのだった。中学在学中に父親が転職し、誠條の安いとはいえない学費がより生活を圧迫し出したが、それでも両親は飛鳥を公立には行かせない。
 だから、多少羽目を外しても、停学や退学になるような素行は絶対にしてはならないし、たとえ下の上〜中あたりをさまよう成績でも、下の下に落ちないようしっかとキープしておかなければならない。ネクタイ一本でも、なくすわけにはいかないのだ。小遣い稼ぎにレトロな新聞配達なんてバイトをやっている身としては。
 (あー…やっぱ原付免許取ろうか…?)
 まだ空も目覚めない早朝とはいえ、大荷物を抱えて自転車をこいでいると汗が垂れる。飛鳥はこの春16になった。
 (…金たまってから考えよ…)
 いつものルートを一回りし、最後の一部をポストへ落す。重たい自転車のハンドルを、これからもよろしく頼むぜとばかり握りなおしたとき、飛鳥は前方に小さな人影を認めた。
 まだ薄暗い住宅街に、子供?
 「…お前…っ」
 半ズボンと、エンブレムのついた半袖のシャツは、三國小学校の制服。なぜか白ソックスだけで、靴を履かずに道を行く彼は、先日の小学生だった。
 「何やってんだよ、こんな時間に。…おい。靴は?」
 午前4時半に、靴をはかない手ぶらの小学生が徘徊しているシチュエーションは、一歩間違えばホラーだ。無視も出来ず声をかけると、彼はしばし茫然とした表情で飛鳥を見上げ、それから不機嫌そうに眉をひそめた。
 「学校に行くんだよ、小学生だから」
 「はぁ? 何言ってんだよ。学校たって、早すぎるだろ。カバンもないくせに。何より靴は!? 裸足で歩いてく気かよ」
 まくし立てると、ようやく少年は立ち止まった。しばし無言で、己の暴挙を顧みていたようだ。飛鳥も、つられたわけではないが難しい顔で、自転車を停める。
 「…ガキ、乗れ」
 残っていた余分の新聞を前カゴに移し、同意を得る前に、少年を荷台へと抱き上げた。軽かった。小学生のガキなんていうのは、本当にこれが大人になるのかと思うくらい、ミニチュア過ぎて怖くなる。騒がれると厄介だと思ったが、彼はただ超絶に嫌そうな顔をしただけだった。
 「うちまで送る。どこ」
 「…誘拐しても無駄だよ」
 「住所!」
 少年はやがてぼそぼそと町名を告げた。飛鳥の配達ルートとは多少ずれるが、そう遠い場所ではない。ゆっくりバランスを取りながら自転車をこぎ出す。小さくても防衛本能くらいはあるようで、彼は飛鳥のTシャツを後ろから引っ張るように握った。
 「…飛鳥裕次郎…だっけ」
 「おう」
 「あんたは何してんの、こんなとこで」
 「見りゃ分かろ? 新聞配達だよ」
 「…働いてるんだ?」
 「バイト」
 飛鳥からしてみれば、自分のことより相手の方が謎である。まず何から聞くべきか迷ったが、ここは相手のやり方を踏襲することにした。
 「お前の名前は?」
 風を切る沈黙の後、まさし、と返事があった。記憶の中に引っかかりがないか探ってみたが、やはり覚えはない。何者だ、とも尋ねてみるが、躊躇とも困惑ともつかぬ雰囲気が背中から伝わるばかり。
 「今日、ベンツはどうしたよ」
 質問を変えてみた。
 「ベンツじゃないよ、あれは。……時間が早くて、まだ、来てなかった。だから歩いていこうと思って、」
 「電車は」
 「……お金を持ってない」
 バカガキマヌケ、と飛鳥は叫んだ。
 「お坊ちゃんは坊ちゃんらしく、お抱え運転手に車転がせりゃいいんだよ! だいたいなんで裸足なんだよ! ベンツの中は靴脱ぐもんか、おい?」
 「ベンツじゃない」
 「知るか」
 「言っとくけど営利誘拐なら無駄だからね。僕に恩売る気ならそれも無駄だからね。あんたの自己満足の偽善に付き合いたくないよ」
 「小学生が2字以上の熟語を使うんじゃねぇっ」
 「誰が決めたのそれ!?」
 「バカ。先月文部省がゆとり教育の一環として制定した法令だよ。知ったような口利くんじゃねぇ、ガキが」
 大嘘であるが、矢継ぎ早の叱咤にしばし少年は押し黙る。
 「……玄関で」
 それから小さな声が聞こえた。飛鳥は聞き返す。玄関で、と、今度は大きな声が毅然として、先ほどの飛鳥の問いに答えた。
 「両親が喧嘩してた。から、靴取れなかった。から、そのままで来た」
 「こんな早くに家出たのもそのせいか?」
 「……から、営利誘拐なら無駄だよ」
 また声が小さくなる。四字熟語を使ったって子供は子供だ。何も応えずに飛鳥は中腰になった。ペダルを踏み込む。夏の名残の蝉が鳴き始めた。白み始めた空の下で、小さな手の平は小刻みに震えていて、荷台が高くて怖いんだろう、と静かな声でからかった。そう、僕は高所恐怖症なんだ、と小さな声が応じた。
 何度か背中に道を尋ねて路地を折れる。敷地面積が見当つかないようなお屋敷が立ち並ぶ町角、まさしは飛鳥を後ろから叩いて停めさせた。
 「ここか?」
 「うん」
 昔ながらの木で出来た表札に目をやる。流暢な書体で「伊ノ原」とあった。
 「伊ノ原まさし?」
 「うん」
 観念したのか、素直にうなづく。荷台から下り難いようだったので、手を貸してやる。
 「優雅の雅、一文字で、まさし」
 「…それで、何で俺の名前聞いてきたの、お前」
 まさしはインターホンに向かって木戸を開ける旨を告げる。それからくるりと振り返ると、汚れた靴下のまま挑むような目をした。
 「だって、あんた、敵だろ」
 重たい音がして門扉が横に動く。開いた隙間にまさしは身体を滑り込ませた。何かを誤魔化すような大声がその向こうから届く。
 「送ってもらった借りは返すよ、そのうちね!」
 飛鳥はまたサドルに跨り、返事代わりにベルを鳴らした。2回。青の広がりだした空に向けて。
 敵、と言われても心当たりはないけれど、それが少年の他愛無い遊戯ならあまり気にする必要はないと思った。誰かに背中で泣かれるなんて、初めてだった。

 その日の移動教室の合間に、加賀が、そういえばこないだの小学生どうなった? と聞いてきた。飛鳥はしばし言葉に詰まり、「謎」と一言言い捨てた。朝のことを詳細に説明する時間はなかったし、謎は謎のままだし、少し後ろめたい感じもしたけれど。
 ふぅん、と加賀は疑わしげに相槌を打った。追求されたら話すつもりでいたけれど、そのとき加賀のポケットベル――この携帯電話全盛の時代、そんな過去の遺物を持っているのも加賀くらいだ――が鳴った。
 「……彼女?」
 ディスプレイに目を落とし、少し唇を緩めた加賀を見て、飛鳥は何気なく尋ねた。
 「彼氏」
 加賀は律儀に訂正する。「いい加減慣れてよ、飛鳥」
 飛鳥はため息をつきかけて慌てて飲み込んだ。
 「あの、カメラやってるっていう奴?」
 とりあえず話を合わせておく。
 「ううん。大学生の方。今日会おうって」
 「…何人と付き合ってるんだ?」
 「二人。だけ」
 「…だけ、ねぇ…」
 「だけ。だけだけ。大丈夫だよ俺別に飛鳥のこと襲わないし。そんな怯えなくたっていいじゃん。傷つくよ俺は」
 笑いながら言うから、どこまで本気なのかよく分からない。傷つくよ、と、加賀が言うたびに傷ついているなら、今ごろ加賀は飛鳥の横になどいないと思う。
 「お前、いつも勝手に傷ついてるだろ」
 飛鳥が言うと加賀は「そう?」と笑った。なんというか、優しげな笑い方だった。「難儀な世の中だからね、なかなかどうして」
 世知辛いよ。でも愛があれば平気。
 だから、どこまでが本気なのか分からない。綺麗に洗濯された白いソックスを突き通す、何か鋭いものが道に落ちていなくてよかった。世知辛く難儀な世の中だけれど、それだけは感謝。
 また別の、些細な「難儀」が飛鳥に降りかかってきたのは昼休みのことで、賑わう食堂で一人、敬遠されながらカレーうどんをすすっているときだった。不良のレッテルも、たまには役に立つ。どんなに込んでいるときでも席に困ったことがない。
 「おい、飛鳥?」
 顔を上げると、クラスは違うが飛鳥と同じく中学から誠條にいる、同学年の李衛(リ・ウェイ)が立っていた。
 「何か用」
 李は、柔道部仕込みのがっしりとした体躯を、飛鳥の隣に割り込ませた。後ろのテーブルに陣取っていた2年生が露骨に迷惑そうな顔をしたが、李と飛鳥を見て口をつぐんだ。
 「割り込むなよ、迷惑だろ」
 代わりに飛鳥が注意してやる。
 「すぐだよ。お前が納得してくれたらもっと早い。あのな、食券3枚と引き換えで、柔道部に入らんか?」
 「ああ?」
 からかわれているのかと思ったが、李はそれなりに真面目な顔で、さらには少し怒っているふうでもある。
 「なんで、俺」
 飛鳥は短いセンテンスで説明を求めた。
 「そりゃ、『誠條の飛鳥裕次郎』を見込んでの頼みだよ。な? どうだ?」
 どうだもこうだもない。飛鳥が某校のなにがしとかいう男を5分でKOしたとか、8人に取り囲まれてたった一人で突破したとか、そのあたりの噂がまったく信用に値しないことは、李くらい付き合いのある人間には分かっているはずだ。
 「…いやだ」
 「飛鳥っ!! この俺の頼みを一言で切り捨てる気か!?」
 突然の大声に、同じテーブルにいた女子グループが一斉に席を立っていった。昼休みの間のささやかな目の保養が台無しだ。
 「誰の頼みだろうと一緒だよ。だいたい理由は? 俺を入れたって何のメリットもなかろうが」
 不機嫌に、飛鳥の生来悪い目つきが、さらに剣呑なものになっていく。
 「…………あのな…俺に怒るなよ?」
 李は180センチに近い巨体を縮めて飛鳥を伺った。
 こういう様子を見て、周囲は噂の信憑性を高めるのである。
 「加賀の奴が、お前と一緒なら入部するって言いやがったんだ」
 「…あのなぁ…本気にするなよ、それ」
 大きくため息をつき、水を飲む。加賀は中学時代、李と共に柔道部に入っていた。2〜3年時には、李が主将、加賀が副主将で、それなりに好成績を収めていたらしい。それが、加賀は現在帰宅部。春からずっと、李や上級生の勧誘を蹴り続けている。
 「冗談かと思ったけど、本当にお前が入ってくれたら、多分気持ちも変わるだろ?」
 「知るかって。それに俺クラブは入らんの。時間も金もない」
 「……そうか」
 加賀の付け足しのような勧誘では、もともと存在しないやる気が起こるはずがない。飛鳥の冷たい返答に、李は気を落すかと思いきや、勢いよく立ち上がり、「じゃあ次は3組の藤澤だな…」と一人ごちた。
 「…何、それは」
 「加賀が言ったんだよ。1組の飛鳥か鈴木、3組の藤澤か国語科の甲斐、どれかを落せば入ってやるって」
 「…………本気にするなよ…」
 「いや、このラインナップを見る限り、加賀の奴結構本気な気もする、俺は…」
 1組の飛鳥か鈴木、3組の藤澤か国語科の甲斐、これらは、加賀が常日頃「俺の好みでねぇ…」と宣言してはばからない男どもなのだ。そもそも加賀が柔道をやり始めた理由というのが、嘘か真か、おおっぴらに寝技をかけられるから、というふざけたものだったりする。そんな奴をそこまでして入部させてどうするんだ、というのが飛鳥の率直な感想である。
 「藤澤は本人も有段者だっていうからな…これはちょっと気を引き締めてかからんと…」
 しかし、中学時代加賀と築いた黄金期が忘れられないらしい李は、飛鳥の意見など聞く耳持たない。次なるターゲットに向けて猛進していく後姿の、輝かしい前途を祈りながら、飛鳥はカレーうどんを食い上げた。
 教室に戻ると、諸悪の根源・加賀は級友と黒板の前で談笑していた。
 「おい、加賀!」
 呼びかけると、一緒にいた気の弱そうなクラスメイトは、何か理由をつけて、急に教室を出て行った。
 「はーぁい? 何、飛鳥」
 「おっまえ、柔道部の李に妙な約束とりつけたろ」
 「ああ、はい、李衛ってば仕事が早いなぁ。もう行ったんだ」
 「じゃなくて、だなぁっ」
 「いいじゃん、付き合ってよ。だって李衛、しつこいんだよ。俺はおデートで日々忙しいの。青畳臭い青春謳歌してる暇はないんだよね」
 「お前がどんな青春送ろうがしったこっちゃないけど、人を巻き込むなっての!」
 「いいじゃん、付き合ってよ」
 声を張り上げることこそないが、加賀はぴしゃりと飛鳥の文句をはねのけた。珍しくも笑いを含まない強気だったが、すぐにいつも通り、お茶らけた口調に戻る。
 「だってさーぁ、飛鳥、俺に対してすごくつれないんだから、これくらい協力してくれたっていいと思うよー」
 「…割に合わない」
 「そう? じゃあ、迷惑かけたお詫びに今日マックでも奢りましょう」
 「……ケンタのがいい」
 「ちゃっかりしてるねぇ」
 それでこそ飛鳥、と加賀は持ち上げたけれど、放課後、チキン3ピースを前に、初めて耳にしたもう一つの災難と比較すれば、デニーズかガストでフルコースを奢ってもらわなければ全然割に合わない、と飛鳥は感じた。
 「……なんだって?」
 「だから、俺と飛鳥が出来てるって噂。知らない?」
 「…しらねぇ」
 「まぁ、主に女子の間ではやってるみたいだから、俺と飛鳥が…」
 「繰り返すなっ」
 「出来てる出来てる出来てる」
 加賀は陽気に、節をつけて連呼した。ずんちゃかちゃか、と机を叩くのも忘れない。飛鳥は向かいの席で頭を抱えた。
 なんてことだ、謎の小学生にかかずっている場合ではない。現在特定の思い人がいなくて幸い、というか。
 「俺はノーマルだっちゅーのに…」
 「失礼な。俺だって正常(ノーマル)よ」
 「責任取れよ、加賀っ」
 「取るよー。ほんとに付き合うー?」
 「じゃなくて! お前の友達の女の子紹介しろっ」
 「えー」
 加賀は不満げに口を尖らせブーイングをした。
 「やだよー。俺の可愛い子猫チャンたちを飛鳥には渡さない」
 「ゲイのくせにっ」
 「なんだよヘテロのくせにっ」
 小声でやりあう飛鳥たちのテーブルに、長身の男が近づいてきて呆れたように加賀の頭を小突いた。
 「司」
 「あれ、早かったね」
 飛鳥は紙ナプキンで油のついた手を拭い、男を見上げた。加賀のポケベルの相手は「これ」らしい。お隣のお兄さん、的な微笑に、縁なしの眼鏡をかけている。
 「あ、こっち、飛鳥。俺の学校でのダーリン」
 「クラスメイトですっ!!」
 加賀のした恐ろしい紹介をとっさに訂正する。加賀がこの調子で触れ回っているなら、それは噂も起こるだろう。
 「知っとるよ。初めまして。いつも司の面倒見てくれておおきに」
 人当たりのいい関西弁だったが、別に飛鳥は加賀の世話を焼いているわけではない。頼まれてもごめんだ。
 「んで、この人が、佐伯亘さんね。いい人だよ。飛鳥、安心した?」
 「…誰も心配なんてしてねぇよ」
 悪くいえば、そこらに掃いて捨てるような人だった。良くいえば、典型的ないい人のようだった。本人に指摘されていては気遣いも形無しだが、これでも飛鳥は、この友人の交友関係について一抹の不安があったのだ。もう、子供ではないとはいえ。交際相手が、同級の少女というのなら、まだしも。
 どこで知り合ったとか、どの程度のつきあいだとか、そういうことは怖くて聞けないけれど、とりあえず当人を目にして、多少なりとも安心した。
 ごく普通の友人同士のように会話をはじめた二人に、遠慮したわけでもないが、飛鳥はスピードを上げて目の前のチキンとコーラを片付けた。
 おざなりに別れを告げ、ファーストフードの店を出た。日は傾き、繁華街のアーケードの影が赤く染まっていた。
 「飛鳥」
 駅へ向かおうとして、呼び止められた。夕焼けが気に食わないのか、仏頂面をしたまさしが、黒いランドセルを背負って立っていた。
 「お前、俺の尾行でもしてんの?」
 思わずそんな疑惑も抱いたが、このあたりは、誠條と三國の生徒が放課後よく立ち寄る場所なのだった。
 「今朝のお礼するから」
 まさしは飛鳥の手を引いて駅へと走り出した。靴下は真っ白で、上等そうな黒い靴を履いていた。いくばくかの金も持っているようで、まさしは改札で子供一枚の切符を買う。飛鳥は回数券で改札を通った。
 「何してくれるって?」
 「礼」
 「……別にいいよ。なんだかしらねぇけど…」
 「する。絶対、する」
 一本気に主張を曲げようとしない。飛鳥はとりあえず好きにさせることにした。小学生に何が出来るのか知らないが、気が済むまではつきあってやろう。このあたりの処世術を、飛鳥は加賀に学んだ気がする。
 「そういや、何年生、お前」
 「4年」
 「俺は高1」
 「知ってる」
 「……なんで」
 電車が来た。まさしは飛鳥の手を引いて乗り込んだ。この時間の急行電車が空いているはずもなく、二人はドア際になんとかスペースを確保する。
 「…お前さぁ、まじに一体何なんだよ」
 まさしは、今度は電車の振動が気に食わないらしい。不機嫌に黙り込む様子が必要以上に子供っぽい。車内は混雑しているというのに、スポーツ新聞を開いて読んでいる中年男の太い脚が、まさしの横でよたついた。
 やがて、乗り換え駅のアナウンスが流れ、「降りるよ」とまさしは言った。
 電車がホームに滑り込む。何人かが立ち上がり、飛鳥も反対側の扉へと体の向きを変えた。ドアが開く。人々の注意が人の流れに逸れたとき、まさしの手が自然に、とても自然な動作で、横にいた男の陰の、一人の女性のかばんの中に滑り込んだ。
 目を見開いた飛鳥が人の波につられ、車外へ出て行く。まさしは何でもないようにその後へ続いた。手には、小さな赤色の小銭入れがあった。
 「あっ……!」
 プラットホームへ足をつき、飛鳥は慌てて振り返ったが、今度は電車に乗り込んでいく人々に隠れ、中の様子はまるで見えない。どう反応すべきか分からなかった。まさしを引き連れて、もう一度電車に乗ろうかと思ったが、逡巡の間にドアは閉まった。
 「…礼…?」
 まさしを見下ろす。拗ねたような無表情。一生懸命、作ったポーカーフェイスだった。
 飛鳥は、だんだんと冷静になっていく自分を感じた。まさしの頬を、一回、強く張った。よろめく少年の腕を取って、向かいのホームへ連れて行く。
 「…どこ行くの」
 「元の駅に帰る。そこで、拾ったって駅員に届ける」
 地下へくぐる階段の途中で、飛鳥は急に立ち止まってまさしを見た。
 「お前、腹減ってるわけじゃないよな?」
 「…え?」
 「餓えて死にそうなガキなら、情状酌量。でも、違うよな」
 「……あんたに、借りを返さなきゃいけないんだ。でも僕は自由にできる現金を持ってないし、だから、」
 「誰がそんな金受け取るかよ、バカ」
 まさしの腕は細かった。すれ違ったサラリーマンが、不審に思ったか二人を振り返った。飛鳥が睨み返すと、気まずげに目をそらした。心配しなくても営利誘拐なんかじゃねぇよ、おっさん。飛鳥は、財布を持ったまさしの手首をつかんだまま、逆方向へ行く電車を待った。
 出会ったとき、飛鳥のポケットからネクタイをくすねた、それと今の手並みからして、もしかして常習犯なのかもしれない。金の価値を知らないお坊ちゃんが。スリの。
 「…つかまったことないのか?」
 「あるよ、でも、小学生だから」
 「…お前、後でもう一回殴ってやるよ」
 「なんで、あんたが?」
 「それから! 俺は年長者なんだからタメ口止めろ。あんたじゃなくて、先輩。飛鳥先輩」
 乗り込んだ駅に戻る頃には、随分と暗くなっていた。飛鳥はまさしを連れて、財布を落し物として届けた。連絡先を聞かれ、拾ったのはこいつですから、と、まさしに答えさせた。手続きには無駄に時間がかかる。疑われることこそなかったが、解放されたときにはぐったりとなった。
 買ってしまった切符は勿体無かったけれど、時間も遅いし、まさしには車を呼ぶよう言いつけた。付き合って飛鳥も駅を出る。
 盗みなんて二度とするな、と説教しようとして、ふと言葉に詰まった。自分に会う前に、同じことをして、金だけもってやって来ればよかったのだ。家から貰った金だ、と主張すれば、自分は決して疑わなかっただろう。
 見せたかったのか、と思った。
 「…まさし!?」
 駅前のタクシー乗り場でぼんやり車を待っていると、驚いた声がした。
 「あーれ、飛鳥じゃん、なんで今ごろここにいんの?」
 続くのは、聞き慣れた加賀の声だ。まさしを呼んだのは、数時間前会ったばかりの佐伯亘だった。
 「その子何? え? 亘さん知り合い?」
 反射的に、飛鳥はまさしの手首を握ろうとした。振り払われた。腰を下ろしていたガードレールから飛び降りて、まさしは、その場から逃げるように商店街の方向へと走っていった。追おうと思えば追えただろうが、この間の外車がすぐ側まで来ているのが見えて、心配はいらないと思った。
 「飛鳥?」
 加賀が、首を傾げて近づいてきた。

 佐伯亘は、伊ノ原雅の家庭教師として、2年前から雇われているのだと言った。
 「親御さんはなぁ、もともとまさしを、誠條の小学校に入れたがってたらしいねん。なんでも、伊ノ原の会社関係で、誠條の出身者のが有利やって。そんで、小学校受験で失敗してもうたから、中学からでも編入させたいゆうて…」
 「いや、それはいいんですけど」
 駅前のファミリーレストランで、料理が来る前から飛鳥は佐伯を質問攻めにした。せっかくのデートがおじゃんー、とは加賀の言い草である。
 「なんでその、あいつが、俺に近づいてきたのかって…」
 「あー、それは…」  佐伯は、ウエイトレスが料理を運び終えるまで、間をもたすためか、隣に座る加賀の頬杖を注意した。
 「その、な。悪い。堪忍。多分。俺と司のせいや」
 「なんで俺ー!?」
 関係ないと思っていたのに、いきなり登場した自分の名前に、加賀は両足をばたつかせて抗議した。
 「俺、あんな子知らないよ? 年上好みだもん!」
 「誰が司の好みを聞いとるねん。子供っぽいで。大人しく座っとき」
 「はぁい」
 語尾に、「もん」などとつける加賀も珍しい。飛鳥としては、いささか複雑な態度であるが、今はさておくことにした。
 「まさしの家は…お屋敷やねんけど、あんまり家庭円満っちゅーわけにはいかんくてな…まさしに対して無関心なとこがあんねん。そんで、だからか知らんけど、いつのまにか俺になつくようになって、」
 「うーわ、亘さん、浮気!?」
 加賀がフォークを持って突っ込みを入れる。
 「ちゃうて。もう。それを言うなら司のが罪深いやろ。いいから黙って食っとき」
 「はぁい」
 「それで…やな。そんで、でも俺は…はっきり言って、まさしに憧れてもらうよな人間じゃないわけや。つまり…」
 「ホモだから」
 「………そういうわけや」
 加賀の、今度は適切な突っ込みだった。だから何、と言いたげな加賀の視線の中で、佐伯は気まずげにコーヒーを飲んだ。
 「一度、司と一緒にいるとこ見られたみたいでな。えらい追求されてん。で、思わず、正直に答えてもて…」
 少し話が読めてきた。信頼していた男が、社会的少数派に属すると知って、まさしは心の中の理想像を崩さざるを得なかった。まさしの中で、加賀は「敵」なのだ。そしていつも加賀とつるんでいた飛鳥も、その一員だと勘違いした、と。
 「…要するに、全部加賀が悪いのか…」
 「なんでさ」
 「お前が妙な噂ふりまくからっ」
 「しーらない! 噂するのも勘繰るのも偏見持つのも全部俺じゃないよ」
 「司。飛鳥くんに八つ当たりしてもしゃぁないやろ」
 「飛鳥も悪い」
 「…加賀、お前意外に子供っぽい」
 「花の16ですからっ」
 とりあえず次の授業のときに、まさしにはよう言うてきかすから、と佐伯が苦笑いして、その場はお開きになった。機嫌を損ねた加賀に、追加のデザートをいくつかオーダーしてやっていた。こんな加賀は学校では見られない。それなりに気を張って、過ごしているのかもしれない。
 「飛鳥」
 ネオンの光る町へ、店を出て行こうとした飛鳥を呼び止めて、加賀は顔を向けるわけでなしこう言った。
 「ごめんね」
 謝られて、無性に、謝り返したい気になったのはなぜだろう。佐伯が加賀の頭をくしゃりと撫でてやるのを見て安心した。



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