マシュマロ・マン2 〜ささのはさらさら〜
マシュマロ・マンが我が家に現れて以来、三時のおやつにマシュマロは厳禁だ。僕なんかは、冬にストーブでマシュマロを軽くあぶって食べるのが、実は好きだったりしたのだけど、さすがにそれもしなくなった。
年明け2月、疾風の魔女ツァツァに頂いたチョコレートのお返しも、マシュマロではなくマドレーヌにした。ちなみに僕が作った。坂口はそれを聞くとものすごく嫌そうな顔をして、そのマドレーヌが美味しいことは高校入試の失敗より罪だと言った。
坂口が落ちた公立高校に、僕は春から通っている。マシュマロ・マンは深紅のマントを翻し、毎朝玄関まで見送ってくれる。だけどリビングから正義の味方のオープニングテーマが流れ出すと、そわそわして見送りもぎこちない。いいから見ておいでよと促がしてやると、ぱっと甘い匂いを振り撒いて、一目散にテレビの前に飛んでいく。
同じテレビに、近頃相沢のお兄さんがよく映る。人気急上昇中の5人組アイドルグループの一員なのだ。実家の庭にもカメラが入ったりして、エリザベスまでテレビデビューしていた。僕はそこで、彼女のフルネームがエリザベス=中嶋だということを始めて知った。親友だと思っていたのに少しショックだ。
この間僕の自転車の前を悠々と横切っていった様子といい、最近ベスは僕につれない。最も僕は僕で、そのときは定期考査の期間中で、頭の中は古代ローマの王様で賑わっていたから、あまり一方的に責めるのも大人気ない。
その定期考査なのだけど、高校に入ってから僕の成績はがくんと落ちた。中学生の頃はサッカー部とだって両立できていたのに、なんだろう、あんまりだ。
塾に行くお金くらいなら私が出すわよ、と我が家の美知子さんがのほほんと言う。とりあえず期末テストを見て考えよう、とお父さんと相談し、その期末考査が7月だった。
テストが終わるのを見計らったように、真夏日が続いた。連日授業ごとに返却される解答用紙はぺけぺけのオンパレードだ。夏服になったのに暑すぎる。しょんぼりして帰宅すると、美智子さんが、職場からかっぱらってきた笹を手にして家の中を走り回ってきた。
「さ〜さ〜の〜は〜さ〜らさら〜、っとねっ」
そういえば七夕なのだった。
「今日は早いんだね」
「七夕だから」
「七夕休暇なんてあったっけ?」
「今年できたの」
無茶苦茶な理屈だけれど、愉しそうなのでよしとする。
「ほら、マーくん。色紙切って。そうそう、それが短冊ねっ! こないだテレビでやってたでしょ。そこに願い事を書いて吊り下げるのよっ」
見ると、マシュマロ・マンが真剣に色紙を切っていた。さすがにハサミは扱えないのか、カッターだ。それにしてもあのむくむくの手に、どうやって固定しているのか謎なのだけど。
美知子さんとマシュマロ・マンが七夕に熱血している間、僕は返ってきたテストの類いをテーブルに並べてため息をついた。
塾に通うとなると、我が家の家事はどうなるのだ。洗濯物は乾燥機を使うより外に干したいし、ご飯は毎食きちんと炊きたい。出来合いを暖めなおして食べるなんて邪道だ。ボタンは取れかけたら取れる前に付けなおさなければいけない。細かいと言われようと入試の不合格より罪だろうと、これは僕の使命なのだ。マシュマロ・マンが世界の平和をこっそりと夢の中で守っているように。美知子さんがシーズンごとに戦闘服であるところのスーツを買い足すのと同じように。
夜になってお父さんが帰って来た。
僕が塾についての相談を持ちかける前に、お父さんは美知子さんにとっつかまって、強制的に願い事を書かされていた。マシュマロ・マンは一人でもう十数枚は書いている。
仕方ないのでお父さんがお風呂から上がるまで待つことにした。夕食のスタンバイは完璧だ。暇つぶしに玄関に飾られた笹を眺める。
「せかいへいわがじつげんしますように」
「あくのひみつけっしゃがかいめつしますように」
「せいぎのみかたになれますように」
言うまでもなくマシュマロ・マンの願い事だ。字はそれこそミミズの這いずったような汚さだけれど、よくよく考えてみればマショマロが字を書くということ自体奇跡なのだから字体くらい大事の前の小事だ。ことわざの使用法が間違っている。
「だいなまいだー(今年の戦隊物はこういう名前らしい)が、えっさ○○(解読不能。敵の組織の名前らしい)のきちをいっこくもはやくみつけて、る○○○の○○○○をうばいかえしますように」
「あいとゆうきのともだちになれますように」
「まさるくんがすなっぷしゅーたー(戦隊物のおもちゃの名前)をかってくれますように」
「まさるくんのせいせきがあがりますように」
マシュマロにまで成績を心配されてしまった。だけどマシュマロ・マンも、世界平和のことだけでなく、僕のこともちゃんと考えてくれてるんだなぁとしみじみした。
しみじみしたところで次の短冊に移ると、今度は解読の努力なしで、日本語が目に飛び込んできた。
「みんなが健康で暮らせますように」
お父さんの字だ。「みんな」のところが、元々は違う言葉が書いてあったらしく訂正されている。裏返してみると透けて見えた。
家族が健康で暮らせますように。
お父さんが風呂から上がってビールを飲んでいる。僕は返ってきたテストの点数について報告して、その後の協議の結果、塾を探すことにした。
家事は使命だけれど、多少疎かになったからといって世界平和が守れないわけでもないだろう。
家族が、潰れるわけでもないのだ。
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