マシュマロ・マン3 〜二人と彼女とエトセトラ〜

 マシュマロ・マンの最近のマイブームはずばり愛だ。ケーブルテレビでアニメの再放送が流れる日曜日の夕方、どこからともなく「あーいーそれはー」と元の音階を推測できない歌声が聞こえてきたら、それはまず間違いなく世にも珍しいマシュマロの歌声だろう。
 マシュマロ・マンは今や近所のレンタルビデオ屋の(僕名義の)会員カードを3枚所持し、世界平和の予習のために、塾帰りの僕をパシリに使う。
 ある日、いい加減店員に顔を覚えられた店で、特撮戦隊物のビデオをニ本抱えているところを疾風の魔女に目撃された。思わず、近所のお兄さんが出演してるんだ!と、キャストの欄を指差した。嘘ではない。ビデオのパッケージには、相沢のお兄さんの名前が明記されている。ただし戦隊側でなく、はじめは謎の美青年、後になって、敵の組織の幹部だと分かる役柄だ。
 テレビでこれが判明したとき、マシュマロ・マンは一メートルは飛び上がって本気で泣きそうになっていた。
「どうしようマサルくん。相沢のおにーさんは実は人類の敵だったんだ。僕は世界平和を担うヒーローとして、このあまりに残酷な運命を受け入れなくてはいけないみたいだ」
 そして涙をこらえながら、テレビ局の「みんなのおたよりコーナー」に、普段の2倍の長さの手紙を書いていた。マシュマロ・マンはこのコーナーの常連で、すでにこのペンネーム(と思われている)は全国お茶の間の有名人だ。あんなに解読困難な字なのに採用率が高いのは、やはり情熱のゆえんだろうか。
 閑話休題。とにかく相沢のお兄さんのおかげでレンタルビデオ店における誤解を免れた僕に、坂口は真剣な口調でサインをねだった。相沢のお兄さんと同じアイドルグループのメンバの、どうやら坂口はファンらしかった。
 お兄さんは今や事務所側所有のマンションに、エリザベス=中嶋共々引っ越してしまっているから、サインは無理だと断った。かわりにその特撮の春の映画を見にいった。坂口と、鞄の中にマシュマロ・マンを忍ばせて。映画には、友情出演という名目で、グループ5人が揃って出ていたから。
 映画の後、たまのことだからと奮発して、フライドチキンを食べたのだけど、それを同じ高校の誰かに見られていたらしい。二年生の新しいクラスで、僕はいつのまにか「女子校の彼女持ち」だった。
 だから、5月の連休に美知子さんの仕事のツテでJリーグの観戦ペアチケットが手に入ったときは坂口を誘うのを少しためらった。結局、他に誘う相手もいなかったので二人で行ったけれど。
 そんなことはどうでもいい、そう、美知子さんだ。
 美知子さんはどうやら秋に出世が確定らしい。少し遠い話に思えるけれど、ものすごく喜んでいた。普段は買わないブランドの化粧品を買って、家族にお寿司を奢ってくれた。

 名古屋のおじいさんが突然来ることになったのはそんなときだった。美知子さんは僕に言った。どうしよう、今仕事は休めないよ。ううん、今だけじゃなく、こんなことで休めません。
 こんなこと、で、今まで美知子さんは会社を休んで、家を片付けたり料理を作っていた。夕方まで誰も帰らないから、夜にいらして泊まっていって下さい、と、美知子さんは電話で言った。その日夕方一番に帰宅したのは当然僕で、おじいさんは家の前で待っていた。
 「塾だったんだよ。長く待った?」 僕は鍵を開けながらひやひやしていた。何にってマシュマロ・マンだ。おじいさんは動いて喋るマシュマロを見て、びっくりして腰を抜かしたりしないだろうか。
 はたしてマシュマロ・マンは、緋色のマントをひきずって、玄関マットの上にちんまり仁王立ちしていた。
「やあやあお初にお目にかかる」
 そしてそう言った。僕には分かるがマシュマロ・マンは緊張していた。
「名乗るほどのものではないが、この僕こそが、まさるくんちの平和を守る守護神マシュマロ・マンである」
 ああマシュマロ・マン、守る守護神じゃ馬から落馬だ。というか君はいつから神様になったんだ。
 おそるおそる振り返ると、おじいさんは口をあんぐり開けていた。
「おばあさんの入院とかでどたばたしててしばらく紹介できなかったけど」 仕方なく僕は補足説明を試みた。「こちらマシュマロ・マンだよ。僕が中3の秋から一緒に暮らしてるんだ。マシュマロ・マン、こちらお父さんのお父さん」
 おじいさんは何度か首を振って、マシュマロ、と呟いた。
「うん。あ、マシュマロっていうのはゼラチンとコーンスターチと……とにかくふわふわしたお菓子なんだけど、なぜかそれが生きてるんだ。不思議だよね。メルヘンだね。でも今じゃちゃんと僕らの家族だから、今更食べたり警察に届けたりサーカスに売り飛ばしたり悪の秘密結社にに情報を流したりしないでね」
 僕は少し早口になってしまっていた。悪の秘密結社ってなんだろう。僕は自分のおじいさんがそんな怪しげな団体にパイプラインがあるとでも思っているのか。マシュマロの悪影響としか言い様が。
 そしてそのマシュマロ・マンはと言えば、警察に、のくだりからひぃぃと悲鳴をあげてこわ張って、秘密結社でとどめを刺され、こてんと後ろに転げてしまった。
 情けないぞマシュマロ.マン。でも考えてみれば、相沢のお兄さんや坂口のような反応こそ例外で、(坂口に関してはどちらかといえばショック療法か?)こんな甘ったるく得体の知れないぬいぐるみもどきが口をきいて動くことを怪しく感じる方が多数派なのだろう。いわんや、それが戦隊物の敵キャラの名前をもうすぐ百暗唱できることをや。
 おじいさんの頭はしばらくかなり忙しく働いていたらしい。やがて、一体どんな経緯でたどり着いた結論なのか、「マサルにも弟が必要だしな」と言った。
 二人と一マシュマロは、それでどうにか一応の合致に達して、僕はとりあえず居間に落ち着いたおじいさんにお茶を出した。そして少し迷ったけれど、いつも通り夕食の支度をはじめた。葱を刻む僕の後ろにおじいさんが立って、美知子さんは?と尋ねるので、仕事だよ、と答えた。
「それに僕は料理好きだし、お母さんより美味しく作れる……ときもあるんだよ」
 本当はいつだって僕の方が手際もいいし味付けも上々。
「マサルも苦労してるなあ。かわいそうに」
「そんなこと」
 僕はとても驚いた。そして動揺して思わず手元を狂わせかけた。だけどここで僕が怪我なんかしたら、それこそ誰かの思う壺だ。世界征服を企む悪の組織の、陰謀の通りに美知子さんが責められる。
 居間から、テレビ観賞中のマシュマロ・マンの、「ひぇー」とか「ふぁいやー」とか、毎度お馴染みの奇声が聞こえてきたことで、僕は少し落ち着いた。
「そんなことないよ」
 否定すればするほどに、僕は、健気でかわいそうな子どもになるのだから、もうそれだけしか言えなかった。
 御飯が炊けたタイミングにお父さんが帰ってきた。お父さんとおじいさんは、僕の作った味噌汁を当然のように啜りながら、政治や経済の噂話をしていた。それから美知子さんが、和菓子を手土産に帰宅した。
 僕に礼を言って御飯を食べて、片付けをしようとする。僕は少し呆れた。久し振りに食器を洗って、お気に入りのお皿を割らないようにね。
 夜、マシュマロ・マンが平和に寝息をたてる部屋で僕は塾のテキストを広げた。居間ではまだ話し声がする。おじいさんは本当はもう寝る時間だ。宿題なんか進まなくて僕はベッドに入った。
 おじいさんは翌朝帰っていった。それから我が家の電話が鳴る回数が増えたりした。僕は相変わらず料理好きで、最近のブームはお豆腐だ。暑くなるこの時期、さっぱり豆腐サラダで食欲倍増。
「マサル」
 豆腐に合うドレッシングを試行錯誤していた僕を、ダイニングのテーブルから両親が呼んだ。
「塾の宿題終わったの?」
「この後するよ」
「マサル」
「この後するってば」
「もし離婚することになったら、どうする?」
 居間からの、「あーいー、それはー」という歌声がぷつりととぎれた。

 僕はこのときだけ超能力者になれたよ。マシュマロ・マンにだって負けないあんびりーばぼーだ。美知子さんが、僕に言ってほしがっていた言葉がぴぴぴって分かったんだ。まるで手に取るみたいに分かったんだ。
 美知子さんは僕に、構わないよと言って欲しがっていた。
 構わない、変わらないよ。それでも僕らは家族だもの。

「いやだ」
 僕は言った。お父さんが慌てて口を挟んだ。「するとしてもあくまで形式上のことだよ」
「いやだ」 僕は繰り返した。お母さんの顔はこわ張った。
「形式上って、事実上とどう違うの? だって籍を抜いて、別居するんでしょう? 前みたいに」
 僕は別に仕事に行くなと言ってるわけじゃない。家事をしてくれとも、もっと母親らしくとも言いはしない。カルチャースクールを勧めもしない。僕が人に、苦労をしているとかかわいそうだとか決め付けられたくないのと同じに、お母さんだって他人の基準で、勝手に自分の価値を測られたくないのだ。分かっている。だけど、やっぱり僕も美知子さんを測っていた。みんなと同じ物差しで、美知子さんの愛情を測っていた。
 気がつくとマシュマロ・マンが、間仕切りの影にいた。隠れているつもりでも、体の半分近くと真紅のマントが見えていた。白い体は、ふるふる震えていた。自分だけ仲間外れにされて怒っているのだ。
「…マサルがそう言うなら、頑張ります」
 やがて美知子さんがきっぱりと言った。

 仕事は止めません、離婚もしません。両親…というか、美知子さんの決断は、更なる波紋を親族のうちに呼んだらしい。僕にははっきりとは伝わらない。時折電話での会話を耳にするくらいだ。
 美知子さんは電話で言っていた。
「私は自由じゃないけど、子どもや家に縛られてるわけじゃないから頑張れる。自分で選んだものに縛られてるだけで、それが何かは分からないけど、」
 お父さんは電話で言っていた。
「我が家は平和だよ。問題はいつだって人の中で作られるみたいだ。生きて動くマシュマロが人にとってはメルヘンでも、マシュマロ・マンにとって自分が生きていることは何の不思議でもないのと同じだろう」
 美知子さんは少し痩せた。複雑だけど嬉しい。スカートが入る。そう笑っていた。心無い人は美知子さんにこう言う。あなた、人と違うことをしてるんだから苦労して当然よ、旦那さんやお子さんに感謝なさいね。
 坂口だって似たようことを言う。美知子さんが大変みたいだと僕が言うと、ファーストフード店の向かいの席で。
 だから、「当然なんかじゃないよ」と、僕はきちんと否定した。説明しても分からないかもしれないけれど、僕はみんなに説明したかった。そしてそのうちの何人かには、分かって欲しかった。たとえば坂口に。
「美知子さんが…僕らが戦っている相手はその言葉なんだ。なのに、その言葉を言う人たちが、戦うのが嫌なら逃げればいい、嫌なら止めればいい、と言うんだね」
「……よく分からない」
 坂口は案の定そう答えた。僕は少し苦笑いをして、言葉を次ごうとして結局やめた。坂口の方が続けたからだ。
「よく分からないけど、みんなにとっていいようになればいいね」
 そうして僕らは、店を出て駅までの2分間だけ手を繋いで歩いていた。
 家に帰ったらマシュマロ・マンに、愛とは何かと聞いてみようか。僕らはその2分間だけ、恋人みたいなものだった。
「ねえマシュマロ・マン、愛って何かな」
 マシュマロ・マンはその日も自信たっぷりで、自分が世界平和を守るものだと信じていた。
「マサルくん、そんなの決まってるじゃないか。愛っていうのはね…」


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