マシュマロ・マン4 〜相変わらずのボクら〜
マのつく愛と平和の使者が、我が家に発生した記念日が近かったので、おもちゃ屋に行った。剣にも変形する銃のおもちゃは、トリガーを引くと必殺技の名を叫ぶ。それを買った。
マシュマロ・マンはそれはもう飛び上がらんばかりに喜んだ。実際、80センチくらいはジャンプした。
「ありがとう、マサルくん。ありがとう。君はやはり僕の心の友だ」
僕は、マシュマロ・マンの差し出す手を握るためにその場にうずくまらなければいけなかった。
「いや、たいしたことじゃないよ」
「てやんでぇ、たいしたことだとも!」
マシュマロ・マンは最近お江戸言葉を学習中だ。
「このお礼に…僕がマサルくんにかかった呪いを解いてあげよう!」
「気持ちは嬉しいけど」
僕は立ち上がって、料理の続きに取り掛かった。今日の夕食はナスの揚げ浸しだ。
「僕には別に呪いなんかかかってないよ」
「見くびってはいけない大いなるダークフォースの力を!」
マシュマロ・マンはなぜか胸を張りながらもそわそわしていた。新しいおもちゃで遊びたくて仕方ない、しかし心の友へのお礼をおざなりにしてはいけない。葛藤。
「分かったよ。呪いだなんて怖いなぁ。早く解いてくれよマシュマロ・マン」
棒読みして向き直ると、マシュマロ・マンはさらにふんぞり返り、
「そう、魔女の呪いは気づかぬ内にお主の体を支配していくのだ。しかしこの偉大なる大魔法使いマシュマロ・マンがいるからには安心してよろしい。そおれ…ルルルルル」
どちらかというと魔女っ子な感じの甲高い呪文を唱え、マシュマロ・マンは早口で「さぁこれで安心安心安心して僕はこのガン・トレーサーで……きゃほーっ」
とか何とかおもちゃの銃に歓声を上げながら飛び去っていった。本当には飛ばないが。
さて。誕生日といえば、先日やけに坂口の機嫌が悪かった。坂口とは高校が違うけれど、塾が同じなので週に1、2回は顔を合わせる。
誕生日、と言うものだから、おめでとう、と言ったのだ。沈黙。
英語の先生が入ってきたので、そのまま会話は途切れた。僕には時々坂口が分からない。
いや、分からないわけじゃない。何をして欲しいのかくらい分かったけれど、坂口が望めば望むほど、僕は望まれることにためらってしまう。そんな僕を、坂口は、塾のテキストの余白に「イイトコドリ」と書いて責めた。
それは彼女のわがままだろうか、それとも僕の怠慢だろうか。
似たようなことを美知子さんが言われていた。なんだか血の繋がりを感じさせる。
「結婚するということは、あなた、そういったことも込みの契約でしょう。自分のしたいことだけをして、したくないことはしないで許して下さいだなんて、それはわがままじゃない?」
陽射しの厳しい午後だった。自転車の前カゴに買い物袋を入れて帰宅していた僕は、懐かしい鳴き声でペダルをこぐ足を止めた。
「べス!」
ぶみゃぶみゃと潰れたようなその声は。紛うことなきエリザベス=中嶋。
「久しぶり、エリザベス。どうしたんだよ? 実家に戻ってきた?」
自転車を路肩に止めて、僕は石塀の上に座るエリザベスを抱き上げた。
「相沢のお兄さんは?」
「ここやで〜」
そろっと電信柱の影から、この暑さの中毛糸の帽子を目深に被ったお兄さんが現れた。
「逆に目立ってますよ?」
「…言わんといて。規則やねん」
サングラスをかけて、服装はラフなTシャツジーパン。「お休みなんですか?」
「そやねん。半年ぶりやで。リズもさぞやマサルくんに会いたかったことやろうと」
少し感激し、僕は半年以上ぶりに会う親友の前足を掴んでダンスさせた。嫌がられた。
「芸能界はどうですか」
「ぼちぼちや」 さらりと答える相沢のお兄さんはかっこいい。「ぼちぼちかぁ」 その言い方、練習しようと思った。
「マサルくんちのはんぺんは元気なん? もう食った?」
「食ってません。食えません。もうとっくの昔に賞味期限過ぎてますし」
相沢のお兄さんは汗を拭って笑った。「会いに行ってええ?」
「ええですよ。今なら漏れなくおもちゃの銃で撃ってきます」
「エリザベス・キックで応戦するわ」
「それは無敵です」
相沢のお兄さんは、エリザベスを抱く僕の代わりに自転車を押してくれた。
「ただいま、マシュマロ・マン」
「お邪魔します」
「や、や、や、」
玄関先に迎えに出たマシュマロ・マンは、おもちゃの銃を握ったまま固まった。
「つつつつつついに現れたなっ。いや恐れるなっ。今の僕にはマサルくんの残したこの銃がっ…」
「エリザベス・アタック」
「あーれーっ」
勝手に殺すなこの僕を。呆れながらも、僕はとりあえずお客様のためにアイスティと白桃ババロアを用意した。
リビングに戻ると、マシュマロ・マンが部屋の隅から、相沢のお兄様に正義の味方の心得を説いていた。2期前の子供向け特撮戦隊物で、お兄さんは敵組織の幹部を演じ、それはテレビシリーズ終了後の映画では味方に寝返る役どころだった。
「どうしてもっと近くに座らないんだいマシュマロ・マン」
「てやんでぇっ。恐れ多いっ」
どうやらまだベスが怖いらしい。その後も、マシュマロ・マンは相沢のお兄さんにからかわれ、僕はエリザベスにつれなくされては落ち込んだ。夕食準備の時間が近づくと、勝手知ったるお兄さんは「ほなそろそろ帰るわ」と立ち上がった。
お土産にババロアの残りを渡すと、映画の先行ロードショー無料チケットを2枚貰った。俳優陣の中に、相沢のお兄さんと並んで、お兄さんと同じグループのアイドルの名を見つけた。
坂口にあげようと思った。
食卓に、僕の十八番の豆腐サラダが並ぶ頃、お父さんが帰宅し、ついで美知子さんが帰ってきた。「マサルのサラダ好き。嬉しい」
「今日は唐辛子でピリ辛にしてみた」
「わぁい」
テレビをつけると相沢のお兄さんの出るドラマが始まる。近未来を舞台にしたこのドラマを僕は大好きなのだけど、マシュマロ・マンは少し怖いらしくあまり見ようとしない。テレビの中ではお兄さんは標準語である。共演している、ドラマ初出演の女性シンガーと交際疑惑がある。最もそういう噂は、同じアイドルグループの中でとっかえひっかえ作られているのだが。
ドラマの主題歌を聞きながら洗い物をしていると、美知子さんが少し手伝ってくれた。ああ、また、誰かに何かを言われたのだと思う。「そのお皿は上の棚だよ」 「あ、そっか。ごめんごめん」
ばきゅーん。ばきゅーん。マシュマロ・マンが決め台詞を練習しながらおもちゃの銃で遊んでいる。
「塾はどう?」 成績なんてあまり関心のないくせにそんなことを言う。「うん…ぼちぼちかな」 僕は答える。安心させたかった。大丈夫だよ。僕はきちんと分かってる。あなたのことを分かっている。あなたが大切にしているものを。大切にしようとしているものを。
次の週、塾で坂口を映画に誘った。坂口は複雑な顔で、無理しないでいいのにと言った。
「少なくともこれは無理じゃないし」 魔女の呪いは気づかぬ内に。「それに、多少の無理ならできると思う。したいと思うよ。させてくれないかな」
坂口は一言、恥ずかしい、と言うとそれから顔を真っ赤にして笑った。
そおれ、ルルルルル…。
マシュマロ・マンの甲高い呪文を思い出し、これは僕の望んだ呪いだと微笑んだ。
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