マシュマロ・マン5 〜僕らは常に戦場に在り〜

 春になり、僕は高校3年生に進級した。つまり世に言う受験生というものに変身したのだ。進路のことを考えるのはとても難しかった。とりあえず今の希望としては、就職に有利な大学、学部がいい。早く稼ぎたいからだ。僕は今お父さんの扶養家族で、実質的には僕と一マシュマロがそういう立場。美知子さんは違う。我が家の家計は僕が握っているけれど、その金の出所は美知子さんとお父さん、二人の財布だ。そういったことを考えるとき、僕は何となく気持ちが悪い。保護者名を書くときに迷うくらいなら、さっさと自立したいという意味だ。
 正直に言うと、家政科とか料理系の専門学校とかに惹かれないでもなかった。だけどプロのコックになるわけでもなし、楽しく実用的な趣味はそのままに置いておこう。(仕事となれば、マシュマロを作ったり食べたりすることも出てくるだろうしね)
 塾に通う日数が増え、必然坂口と会う回数が増えた。坂口は、僕の今現在での志望校を巧妙に聞き出し、五秒ほど沈黙すると「私もそこ」と笑った。おそらく、先日の模試での偏差値を思い出す五秒だった。志望校が同じということで、塾でのチューターも同じ大学生が当たった。平川さんという大学一年の男の人だった。1〜2週に1回くらい、学習相談という名前の雑談をする。ただし平川さんは塾の女の子たちに人気のチューターだから、なかなかつかまらないことも多い。
 今日も、お勧めの参考書を教えてくれるというから待っていたのに、結局会えなかった。これ以上遅くなると夕飯の支度ができないので、僕は仕方なく帰宅した。
「ただいま」
 鍵を開け声をかけるも、家の中はしんとして返事がなかった。マシュマロ・マンは一人では外出しないから、部屋を覗いてみた。案の定、僕のベッドで大の字になって眠りこけている。周囲には絵本が散乱している。よく、町の小さな本屋とかで、入り口近くにある回るラックに突っ込まれてる類の。特撮テレビシリーズの写真がフルカラーで、マンネリなお話を展開する、擬音語たっぷり文字色カラフルな。あれだ。マシュマロ・マンは、ここ数年の幼年向けテレビアニメ(再放送含む)は大体網羅しているが、やはり基本は特撮戦隊物、それからばい菌と戦うパンのお話。心のふるさとらしい。
 寝た子を起こさないようそっと部屋を出た。しかし気のせいか、最近マシュマロ・マンは睡眠時間が増えた気がする。少し怖い。いつか気付けば、ベッドに転がるが単なる巨大マシュマロになっていやしないか。しかもそれにカビとか生えていたら、僕はもう途方にくれて泣いてしまうかもしれない。
 だけどとりあえず今、マシュマロ・マンはうごうご寝返りをうち、またむにょむにょ寝言を呟いていた。
 台所で、最近のマイブームであるパスタを茹でていると、珍しく美知子さんが先に帰宅した。最近残業続きだったのが、ようやく落ち着いたらしい。性懲りも無く、手伝うわーなどとスープの味付けに手を出そうとする。(今日はスープパスタなのだ)
「スーツ汚すよ」
 僕はそう脅して、着替えてくるよう追い出した。やがて、目覚めたらしいマシュマロ・マンと美知子さんが、きゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえてきた。

 翌日の土曜日、受験勉強の息抜きに、坂口と映画に出かけた。
「マシュマロ・マンは?」
「連れてきてないよ。今日はアニメでも特撮でもないし」
 答えると、坂口は少し不思議そうな顔をした。「もうそろそろ、これくらいの映画分かるんじゃない?」
 今度は僕がびっくりした。
「そろそろ?」
 坂口が、マシュマロ・マンのことをまるで親戚の子どもみたいに表現したのが新鮮だった。
「マシュマロ・マンって成長するのかな。今以上に大きくなられたら困るんだけど」
「…少なくとも大きさは、初めて会ったときと変わってないように思うけど」
「中身も、変わってないように思うけど」
 その日の映画は、少し子ども向けのファンタジーだった。選んだのは坂口だったから、初めから僕がマシュマロ・マンを連れてくるのを想定していたのかもしれない。だったら少し悪いことをしたなと思ったけれど、映画の内容的には、正直僕は、これをマシュマロ・マンに見せたいとは思わなかった。
「要するに主人公の成長物語だろう?」
 映画を見終わって、ファーストフード店でハンバーガーの昼食を取った。
「異世界からやってくるキャラクタは、主人公が成長するための脇役でしかなくて、最後には本人には何の変化もなく元いた世界に帰るのがお約束なんだ。これがテレビシリーズだったら、サブタイトルまですぐ分かるよ。『さよなら、マシュマロ・マン』」
 映画に出てきた異世界の愛らしい生物を、咄嗟に、勝手に、マシュマロに変換してしまった。僕は口をつぐんで、それから強くバニラシェイクを吸い込んだ。
 正直言って。
 僕は、自分がたとえば大学に入学するとか、家から自立するとか、そういった区切りが怖い。「大人」になった僕の側でも、ちゃんとあのマシュマロはスーパーヒーローごっこをしていてくれるのだろうか。
「大丈夫でしょ」 坂口はいかにも機嫌を損ねた顔と声だった。
「心配しなくても、マサルは何も成長してない。中学の頃と同じで………自分勝手なマザコン」
 坂口はさすが引退しても疾風の魔女であったので、確実にそれはクリティカルヒットだった。僕は結構ぐっさりと来て何も言えなかった。見方を変えればぐうの音も出なかった。そこへ続けざまに魔女は言う。
「それに、自意識過剰。マシュマロ・マンはいつだって自分のこと主人公だと思ってるんじゃない? それも地球を守るスーパーヒーローでしょ? ばりばりの主役よ。脇役だなんて言ったら怒られるわよ」
 坂口は、最近伸ばしている髪の毛をかきあげて、不意に大人っぽくけだるげにぼやいた。
「私だって、こんなところでエンドマークつけてもらっちゃ困るの」


 翌週。塾の自習室でノートを広げていると、突然数式の上に落下してくる未確認物体があった。
「金曜はごめんなー。それやるよ。小さい弟いるんだろ?」
 平川さんだった。ノートに転がったのは、それぞれが小さなロボットの形をした、二つの消しゴムだった。マシュマロ・マンが喜びそうだ。僕はありがたく受け取った。
 平川さんは、チューターなのに前の席に陣取ると、僕の方を向いて約束していた参考書の話をしてくれた。それから大学の話と。合間に、自分が持ってきた消しゴムをノートの上に立たせて手遊びしている。
 僕は思わず、もう一つの方のロボットを手に応戦してしまった。
「ばーん」
「ばきゅーん」
 マショマロ・マンとは比べようもないテンションの低さだ。
 人畜無害な雑談の後、平川さんはさりげなく付け足した。
「ところで、坂口さんって、可愛いね」
 反応できなくて、条件反射で「はあ」と頷くと、平川さんはまた一体のロボットを白い平原に復帰させた。
「ぱーんち」
 咄嗟に僕も防衛し攻撃する。
「ばーん」

 …なるほどこんなところでも。
 戦いはまだ始まったばかりだったらしい。



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