マシュマロ・マン7 〜昨日見た夢〜
入学手続きに行った帰りに、携帯電話の契約をしてきた。持ち帰ったそれを見て、マシュマロ・マンはそれはそれは喜んだ。
「変身を! 変身をしておくれ!」
最近の特撮ヒーローもの、ベルトや腕時計で変身するのはもう古いらしい。今どきはテレビの中でも(中こそ?)、携帯電話が必需品。
「いや、これは変身アイテムではなくて、単なる通信機器…」
説明しても理解してくれない。マシュマロだから脳みそもないしね。それよりも、僕の言葉の中の「通信機器」という響きがまた妙にヒットしたらしかった。つーしんきき、つーしんきき、と興奮して喚いている。
僕らが…というよりマシュマロ・マンが1人で騒いでいると、手続きと契約につきあってくれたお父さんが「今から仕事に行くよ」と声かけてきた。慌ててマシュマロ・マンを抱き上げて、玄関先でその手を振らす。メルヘンチックな可愛さに、父は相好を崩した。
「下宿先は次の日曜に探しに行こう」
「うん。それまで部屋の片付けしておくよ」
「お前の部屋は十分綺麗だけどなぁ。じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい。今日は春キャベツの餃子だからね」
この家の主夫なのは否定のしようもないが、我ながら新妻のような見送りの言葉だと苦笑した。僕の中で長らく続いてきたパスタ・ブームは、年明けにようやく落ち着いてきた。今現在我が家の主食は白米、たまに玄米か雑穀米。父母に簡単料理のコツを教えるのに、やっぱり白米が一番無難だからというのも理由だ。滑り止めを含め、3つの大学・4つの学部に合格し、この春から僕は1人暮らしを始める。
お父さんを見送った後、夕食の下ごしらえを済ませ、自分の部屋で腕を組んだ。下宿住まいは手狭だろう。処分するものを決めなくては。
本棚などを少し片付けてから、ベッドに寝転がって携帯電話の取扱説明書を読んだ。その間にも、当の携帯電話はマシュマロ・マンの遊び道具と化していた。通話ボタンと、ウェブの接続ボタンだけは押すなと言っておいたが、僕の手元に戻る頃には、一体どんな設定がなされていることやら。
僕は、取説の類については熟読派だ。しかしそれにしても途中で飽きた。マシュマロ・マンから携帯電話を取り返し、少し躊躇しなくもなかったが、知人である坂口に初電話してみた。
「…はい?」
少し警戒したような応答の声が聞こえた。
「あ、……俺」
「あれ。あ、携帯買ったんだ」
「うん」
「後でメールも入れてね。それで、どこにしたの」
最後の合格発表が今日の朝にあったのだ。僕は坂口に、進学を決めた大学を告げた。
「…おめでと。でも何もよりにもよって、その中では一番遠いとこ」
「受かった中では一番いいとこだよ。言っておいただろ?」
「はいはい。せいぜい、女だらけのキャンパスライフをお過ごしください」
本日無事入学を決めた四年制私立の総合大学保健福祉学部栄養学科は、在籍生の7割が女子。正直言うと、そこでの大学生活や卒業後の進路に不安がなくもない。が、それは自分次第だと考え直す。
ちなみに坂口は、僕自身夏頃まで第一志望としていた、地元の公立大学文学部に推薦入試で合格した。別に文学少女というわけでもないのにね。何をしに行くのかいまいち不明だ。
買いたての携帯電話で長電話をするのも何なので、必要最小限の会話をして通話を終わらせた。それから説明書片手でゆっくりと坂口にメールを打った。
夕食の支度に取り掛かっていたところ、返信メールがすぐに来た。ぴろぴろと鳴る軽やかな電子音に、マシュマロ・マンがおおうと驚いていた。
「返信だ」
「変身ですとっ!?」
「字が違う」
「何ですとっ!?」
受信メールの見方が分からず少し戸惑ったが、開くことができた。読むことができた。そして少々固まった。
「ところでさっき言い忘れましたが、私、平川さんに告られちゃいました(@ @;)」
ああこれが巷でうわさの顔文字というものかぁ、と、家でインターネットをすることさえ稀な僕は感嘆した。(見るとしたら大学情報とかレシピの検索とかね)…そうではなくて。
平川さんというのは、僕と坂口が通っていた塾における担当チューターさんだ。去年大学1回生だった。ということは一つしか違わない。だからそうではなくて。
「だからっ!?」 と、メールを打ちかけて、その文字面のあまりの動揺っぷりに送るのを止めた。いけない、魔女の奸計に陥っては。さすが中学サッカー部から丸6年のつきあいだ。坂口は僕の取扱を、説明書を読まずとも熟知していた。餃子を成形しつつ、家の電話の子機を使って先ほどの電話番号を再度押す。
「あ、反応が早い」
僕の家の電話番号もまだ登録したままらしい。開口一番のうれしげな声がした。
「喜ぶな」
「うれしいもん」
「試すなって」
「どの口が言う」
以前なら傷ついた様子を隠しもしなかった坂口の言葉は、今では何だか多少余裕を持って僕を振り回す。
「それで…」
「『あらありがとうございます光栄ですわおほほ』と麗しく微笑んでおきました。多少捏造。脚色潤色・私」
「…お前そんなキャラだっけ…」
「おかげさまでふてぶてしくなりました」
「俺のせいっ?」
「当然でしょう。平川さんにも言われたよ。つきあってんの? って」
それを言われるとぐうの音も出ない。受験やら何やらにかこつけ、中途半端なお付き合いを延々続けてきた自覚はあった。
とりあえず頭を冷やす意味もあり、明日会う約束をした。受験を終えた高校3年生ほど自由な身もない。
さてその夜、転職を控えて、本来なら有給消化中でもおかしくない美知子さん(母です、念のため)の帰宅は早かった。
「おかえり、引継ぎ終了?」
「うん! 後一日早く終わらせるつもりだったんだけどごめんねー」
「お父さんに言って」
「もう言ったもの。あ、代わりってわけでもないけど、ご飯食べたら塾に挨拶に行こうね」
帰りに買ってきたらしい、地元の有名菓子店の紙袋を美知子さんは掲げた。
「……俺も?」
「あたぼうよ。マサルのお世話になったお礼でしょ」
別にそれなら僕一人でも、と思ったが、口答えはしない。食事の必要のないマシュマロ・マンは、食卓の横で少年漫画原作の格闘アニメを熱心に観賞中。僕はテレビといえば、教養程度にトレンディドラマやニュース番組、それから料理番組とサッカー中継くらいしか見ないので、こと我が家の番組選択独占権はマシュマロ・マンのものだ。父母が大画面プラズマテレビをねだられるのも時間の問題。とはいえ、子ども騙しの特撮戦闘シーンを大画面で見たからといって、迫力が増すわけでもないとは思う。個人的意見。
そして夕食後、美知子さんと連れ立って塾を訪れた。掲示板に並ぶ合格おめでとうの名前の中に、坂口はいても僕はいない。偏差値による分かりやすい取捨選択だ。
受付で焼き菓子をずずいと渡していると、チューター控え室から出てきた平川さんが目敏く僕を見つけた。
「合格おめでとう」
「どうも、お世話になりました」
坂口のことを思い出すと口調も変わりそうになるが、それはそれ、これはこれ。今は美知子さんも横にいる。
その美知子さんを見て、平川さんは少し驚いたように僕を見た。「お母さん? 若い………ですね」
美知子さんは愛想ではない笑顔を向けて会釈した。その後平川さんは、僕に小さく、また今度話せるかと聞いてきたので、「今なら」と答えた。塾なんて場所、多分もう二度と来ないし。美知子さんには先に帰ってもらった。
進路相談室を使うのもおかしいので、廊下で立ち話だ。
「結局下宿するの?」
「はい」
「坂口さんとは遠恋?」
「遠距離ではないでしょ…。三時間あれば帰って来れますし」
一瞬、この人それが狙いで僕の進路相談していたのかと疑ってしまった。そんなこと思うなんて嫌な奴だ。これも魔女の呪いかもしれない。
「じゃあ中距離か」
曖昧に頷いた。自己保身から、言われる前に言っておく。曖昧にするのは僕の癖で逃げだ。坂口のことも、お母さんのことも。すべて白黒つけられるものでないと、そんなきっぱり境界線を引けるものではないと言いわけて、グレイの海にぼんやり浮いてる。
「ええと…坂口さんに聞いた?」
「少しだけ」
平川さんは気まずげに視線をそらした。
「…ええと…俺は、同じ大学になるわけだし」
そうですね。
「もう生徒じゃないし」
ああそうか、それもあった。そうですね。
それきり平川さんは口ごもってしまった。悪い人じゃない。坂口も。あいつはいい魔女なんだよ。西と東でいうなら西の方。一番いい加減で一番悪者になれるのは僕だと思う。ああ、敵は身近にいるものだマシュマロ・マン。まさか心の友が悪役候補だとは思うまい。
有耶無耶なままで帰宅すると、両親がインターネットで、僕のための賃貸情報を検索していた。相場や、譲れない条件を確認していると、美知子さんが唐突に湿っぽい声を出した。
「寂しくなるね」
「マシュマロ・マンがいるよ」
用意していた言葉を、僕は即座に返した。「それに、月1くらいでちゃんと帰ってくるから」
「そう言っておいて、どんどん帰ってこなくなるんでしょ。盆正月だって友達と旅行とかに行くようになるんだから」
美知子さんは拗ねたように頬杖をついた。僕は、まるでマシュマロ・マンをたしなめるときのように苦笑した。
「帰ってくるよ」
「…うん」
美知子さんは緩慢に頷いて、頬杖をついたまま、パソコンのディスプレイを眺めたままで、言った。
「マサルがいつ帰ってきてもいいように、お母さんも毎日帰ってくる」
知らない人が聞いたら冗談みたいなことを生真面目に言うものだから、僕は笑いそびれた。もちろんどんなに忙しいときでも、ここ数年の母はきちんと毎日帰宅していた。だけど僕が中3の頃、そう、マシュマロ・マンが我が家に発生した丁度その頃、母は会社の近くにマンションを借りて、この家になんかめったに帰ってこなかった。だから僕は言ったんだ。お母さんでなくてもいいと。あなたがお母さんでなくても、僕にとっての何者でなくても、僕はあなたが好きだから、せめて側に。この家にいて。家族でいて。
………お母さん、と、呟きそうになる言葉を飲み込んだ。
「それは当たり前だよ、美知子さん」
微笑んだ。
翌日のデートに、坂口は薄化粧をした大人びた顔で現れた。
「メイクするんだ」
「してるのよく分かるね」
「母がいるから」
坂口は呆れたように、「うちにだっているけど…」と反論しかけたが、途中で諦めて言葉を飲み込んだ。すみません、マザコンで。
二人でゲームセンターに行って、サッカーのゲームで対戦した。つい最近まで受験生だった僕は、勘を取り戻せずに坂口に3連敗した。それからハンバーガーショップに入って、たわいも無い話をした。マシュマロ・マンのこととか。ずっとずっとスーパーヒーローになりたがっているマシュマロ・マンのこととか。
そして、話題が尽きたわけでもないのに沈黙が落ちた。
「…平川さんは」
坂口が億劫げに口を開いた。「いい人だよね、かっこいいから女子に人気あるし」
僕は曖昧に頷いて、ホットティーの紙コップに口をつけた。
「つきあったら楽しいだろうね。きっと好きになれると思う」
熱いだけの薄い紅茶が、わずかに喉を流れて、僕はコップを置くと坂口を見た。
僕と同じくらい身勝手な中学生だった彼女は、いつのまにか僕をこんなふうに見つめる。
「正直揺れてる。だからいい加減はっきりさせたい。聞かせてよ」
疾風の魔女は、紅を引いた唇できっぱりと問い詰める。終わらせるのか、それとも?
坂口が言った。
「あなたは、私の、何ですか?」
その夜も、相変わらずマシュマロ・マンはマシュマロ・マンだった、母の赤いスカーフをマント代わりに、テレビを見ながら必死で変身ポーズを決めていた。
「今だー、そこだー、変身だーっ!」
普段なら叱りつける僕がおとなしいのをいいことに、食卓の上に立ち上がる。こちらを振り返るその頬らしき部分には赤みが差していた。血管なんかないくせに、それでも興奮するとそうなるらしい。
大仰に、短い四肢を精一杯振り回し、やがて案の定、マシュマロ・マンはマントにつまづき後ろにこけた。バランスを崩し、食卓の上から床へ、一直線。
「きゃーっ…」
悲鳴の尻尾が空気に漂う。ぽすんと軽い音がして、マシュマロ・マンはカーペットに沈没した
。
「たーすーけーてーっ…」
請われ、僕はようやく彼を救い出した。さらりとしたスカーフに包まれて、マシュマロ・マンは真っ白な体をふるふると震わせていた。
「…そうだ、変身だよ」
その様子がさすがに哀れで、僕はマシュマロ・マンに調子を合わせた。
「え?」
「今みたいなピンチが変身のチャンスなんだよ。凄いな、マシュマロ・マン。君はまた一歩スーパーヒーローに近づいたね」
僕の言葉をゆっくりと噛み砕き、マシュマロ・マンはまた大興奮したようだった。
「まさにその通り! さすがマサルくん、よくぞ見破った! 今こそ決戦のとき、立ち上がれ勇者よ! さぁ変身だ!」
また調子に乗る。だけど今度は懲りたのか、食卓にはよじ登らない。椅子の上に飛び乗り、そこでまたじたばたと体を動かし絶叫する。
「今だ、そこだーっ! へ、ん、し、ん、だーっ!」
春。僕は住み慣れた我が家を離れた。赤帽さんがダンボールを運んでいく様子を、マシュマロ・マンはぽかんと眺めていた。(赤帽のお兄さんは、そんなマシュマロ・マンをぬいぐるみか何かだと思ったようだった)
マシュマロ・マンは、最後まで、僕が1人暮らしをするという意味を理解していたかあやしい。少し寂しいが、まぁ僕には現代人の必須アイテムたる通信機器もあることだし。
家を出ても、日曜の朝にはきちんと起きて、特撮のシリーズをチェックしてしまう。実家に帰ったときちゃんと、マシュマロ・マンの話題についていけるように。
そんな子ども向け番組が終わりテレビの電源を切ると、途端にしんと静かな休日がやってくる。少し寂しい。寂しくないこともない。
だけどそんな静寂を打ち破って、突然、スーパーヒーローのマジック・アイテムが、軽やかなメロディーを奏で出す。
僕は咄嗟に手を伸ばす。電話の向こうの人に、伝える言葉を探りながら、心の中で叫ぶのだ。
今だ! ここだ! 変身だ!!
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