とおるは中学2年生で、美術部です。今泉君も同じ美術部の部員です。
夏のことでした。
今泉君の作品が、県の絵画コンクールで県知事賞をとりました。
いい絵でした。
とおるは「おめでとう」を言いました。
本当を言うと悔しかったのです。
とてもとても悔しかったのです。
だけどちゃんと「おめでとう」を言いました。今泉君は「ありがとう」と言いました。
分かっています、今泉君の絵はいいのです。そもそもとおるとは違う絵を描きます。だから比較したって仕方ないのです。
とおるはちゃんとそれを知っていました。だけどどんどん悔しいのです。
どうしてなんだろう。
考えても仕方のないことです。
どうして自分には、描けないんだろう。
どうしてこんなものしか描けないんだろう。
そんな日の帰り道のことでした。
とおるは行き倒れの悪魔を拾いました。
悪魔は四ツ谷サイダーに飢えていたので、とおるは近くの駄菓子屋でそれを買ってきて悪魔にやりました。
悪魔の顔は今泉君そっくりです。
「助けてくれたお礼に、何でも好きなものを君にやろう」
悪魔は言いました。
とおるは初め辞退しました。だって悪魔です。怖いじゃないですか。
「お礼だから見返りなんかもらわない。さぁ何がいいか言いたまえ」
とおるは困ってしまいました。わざわざ悪魔にもらわねばならないものって、あったでしょうか。
「じゃあ、君、」悪魔は言いました。「君に、君の欲しい才能をやろう」
びっくりしました。とおるはびっくりしました。才能。絵を描く才能。それは、欲しくてたまらないものでした。
とおるはしばらく考えた後、悪魔から才能をもらいました。
それからのとおるの活躍は華々しいものでした。
とおる自身とても驚いたことには、これまでずっと描きたくて描けなかったものが、次々と形になって、とおるの中から溢れてくるのです。
思い描いていたとおりの、絵が描ける、それはなんて素晴らしいことでしょう。
とおるはとても幸せでした。目が眩みそうな幸せでした。
当然周りもびっくりして、それから誉めてくれました。
すごい、すごいと賞賛してくれました。
悪魔は変わらずとおるの家にいます。
四ツ谷サイダーを飲みながら、今泉君の顔をして笑っています。
とおるの絵がコンクールで賞をとったとき、悪魔は一緒に喜んでくれました。
とおるのお母さんも、その日にはごちそうを作ってくれました。
「お母さん、僕の絵のことなんて、今まで何も言ってなかったのに」
とおるが言うと、
「そりゃぁ、だってお母さん、絵のことなんてなんにも分からないんですもの」
「じゃあなんで今日はご馳走なの?」
「だってあんた、今までとてもよく頑張っていたじゃない。とても楽しそうで、絵を描くことが本当に好きそうで。…その結果が実って、嬉しいのは当然でしょう?」
お母さんはそう言って喜んでいます。
とおるは、そんなお母さんを見て、ほんの少し、ごめんなさいと思いました。
ごちそうを食べて部屋に戻ると、とおるは声に出して自問しました。
僕は一生懸命描いたんだろうか。
悪魔は寝ていたので答えてくれませんでした。
とおるは自分で考えて、答えます。
僕はいつだって一生懸命描いている。
描くことが好きだ。好きだから描いた。描けば描くほど技術は上がって、それが嬉しくてまた描いた。
幸せだ。
幸せなのに、確かに幸せなのに、何も間違ってはいないはずなのに、それなのにとおるは、少し、悲しくなりました。
また、ある日、賞をとったとおるの絵が戻ってきて、美術室に飾られました。隣には今泉君の絵がかかっています。
二つの絵を前に、今泉君はとおるに言いました。
「すごいね」
「そうかな」、と、とおるは答えました。
みんな優しく、いい人ばかりでした。
「うん、すごいよ。僕は前からとおるの絵が好きだったんだけど、最近は本当にとてもすごいね。こんな絵は僕には描けない。こんな色は僕には塗れないし、こんな構図は思いつかない。とおるの絵は、本当にすごいね。悔しいよ。だけど、楽しいよ」
僕の絵、と、とおるは鸚鵡返しに呟きました。
そうです、認められたのはとおるの絵です。他の誰でもないとおるの絵。とおるにしか描けない、唯一の、作品です。
だけどとおるは家に帰って、悪魔に訴えずにはいられませんでした。
「ねぇ、何かが違うような気がするんだ」
「何がだい」と悪魔は言います。
「僕は才能をもらって、本当によかったんだろうか」
「わるかないだろう。誰かを犠牲にしたわけでも、ずるをしているわけでもない。君の絵は、君にしか描けない君のものだ」
とおるは、しばらくうつむいてから、これまで誰にも言ったことのない自分の気持ちを話し始めました。
「僕にとって、描く前の絵はお星様なんだ」
僕にとって、描く前の絵はお星様なんだ。
それはとても遠く、空の彼方で、とても美しく輝いている。僕はそれに憧れる。たどり着きたいと心から願う。手に入れたいと心から思う。
そうして、だから絵を描くんだ。
だけど描いている途中、そして描き終ってから、僕は途方にくれる。
空の向こうであんなに美しかった星を、描くというその行為で、僕はこの手でひきずりおろして、地上の、泥の中に落としてしまうんだ。
僕はとても悲しくなる。
手に入れるために描かずにはおけない。だけど描くと、もうそれは星じゃない。汚らしい石っころだ。
とおるはそう言いました。悪魔はじっくりそれを聞いて、それから優しく言いました。
そう、だから俺は君に、星へ行く宇宙船の乗車券をやった。だけど考えてみたまえ。初めから宇宙船に乗っている奴らだって、世の中にはごまんといるんだ。
いいかい、神様は初めからアンフェアなんだ。
生まれたときから与えられている才能なんて、努力じゃどうにもならない。
神にもらうか悪魔にもらうか、そんなのは些細な問題だろう?
それに今君は、君の星について、生きがいを失ったりしているか?
今火星に到達したのなら、次は冥王星を目指せばいい。
冥王星についたなら、今度はもっともっと遠いところを目指せばいい。
飽くなき挑戦さ。上昇への志向だ。君のそれは意志だ。
君の絵に対する態度は、今も昔も、何も変わっちゃいないだろう?
そうさ初めから神様はアンフェアだ。
とおるは言いました。
だからもう僕は、神様から何ももらおうとは思わない。
僕は、
僕は、そう、今冥王星を目指している。君の言うとおりだ。次には宇宙の果てを目指せばいい。
君の言うとおりだ。
君はまったく正しいよ。
だけど、だけどやっぱり、何かが違うような気がするんだ。
上手な絵が描ける、高い技術力がある、意外な構図、色、形、そして誉められる、君の絵が好きだと人に言われる、それは嬉しいさ!
幸せだ、とてもとても幸せなことだ!
だけどやっぱり、そんなこと関係ないんだ。
一番大事なことってなんだろう。分からないけれど違うんだ。
何かが違う。違うんだよ。
とおるはそう訴えました。
言ううちに胸がつまって、ぼろぼろ涙が零れました。
何が違うと言うんだい。悪魔が言います。
分からないよ。とおるは答えます。
とても、とても悲しかったのです。
実際とおるは何も分かりませんでした。
悔しいよりもずっとずっと、悲しいのです。
何が一体どうしたって言うんだろう、だけどどんどん悲しいのです。
分からないよ。答えた後でとおるは小さく呟きました。
ぼくにはかけないんだ。
と。
才能を失ったとおるが、文化祭に出展したのは悪魔の絵でした。
それはなんとも平凡な絵でした。
とおるは頑張ったのですが、どうしたってそれは、お星様には程遠い絵でした。
その絵を見て、今泉君は情けない感じに笑って、言いました。
「ねぇ、僕は悪魔みたいな奴だったかな」
とおるも同じように情けない笑みを浮かべて、答えました。
「ううん、悪魔が君みたいな奴だったんだ」
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