さちこさんのおとぎばなし


 しんでれら

 ある日さちこさんが歩いていると、いきなり道に転がってきた、二頭身の魔法使いのおばあさんと目が合ってしまいました。
 しまった。内心焦るさちこさん。なぜならさちこさんはとってもシャイで内気で、人見知りの激しい人だったから。
 おばあさんは「おーいてて」と、道にぶつけた頭のこぶをさすっていました。
 そーっと逃げ出そうとしていたさちこさん。そのさちこさんの足首を捕まえて、こまこましたおばあさんの言うことは。
 「いきなり何をするかいシンデレラ。ほれほれ大人しく魔法をかけられなさい。舞踏会に遅れてしまうよ」
 しんでれら。…どうやらおばあさん、かなりの近眼らしいのです。完全にさちこさんをシンデレラと間違っています。さちこさんは慌てて否定しようとしましたが、何しろ内気でシャイなので、口の中でもごもご言うだけ。そんなこんなでいつのまにか、魔法をかけられてしまいました。
 いかにも田舎の高校生(本当は大学生なのですが)、野暮ったい格好だったさちこさんが、ピンクハウスを粋に着こなした、垢抜けた女子大生に。
 「さぁさ、行ってらっしゃいシンデレラ」
 そう。さちこさんは思い出します。さちこさんは今、憧れのタツヤ先輩の引退パーティに行くところだったのです。
 大変大変。このままでは遅れてしまいます。
 さちこさん、走ります。走ります。そして3分遅れでコンパ会場についたとき、みんなの視線が集中しました。
 「可愛い子だね、でも誰だろう?」
 なんとなんと、誰もさちこさんだと分からないのでした。つまり今までのさちこさんは誰の印象にもない子だったのだと、さちこさんは少し落ち込みました。だけど、憧れのタツヤ先輩がなんだか優しくしてくれるので、やっぱり嬉しくなりました。
 お酒も入り、場もたけなわ。どうせ自分と分からないなら、いっそ告白してしまおうか。
 さちこさんが一大決心を固め始めた頃、サークル随一のべっぴんで、タツヤ先輩と噂されているアキコ先輩が、酔った勢いで言うのです。
 「聞いてよ。今日急いでるときに、変なおばあさんが現れてね…」
 さちこさんはショックです。知ってしまいました。あのおばあさんはアキコ先輩に吹っ飛ばされて、さちこさんの前に転がってきたのです。
 シンデレラはアキコ先輩だったのです。
 ああそうか。なんだ、そっか。こうなるとさちこさんには何も言えません。おうちの門限も近づいているし、もう帰ってしまいましょう。
 それでもやっぱり未練があって、自分のピンクのリボンをそっと、タツヤ先輩の席に置いておきました。そしてさちこさんはこっそりと、会場を抜け出してしまったのです。
 さよならさよならしんでれら。
 さちこさんはその日からずっと待ちました。あのリボンを持ったタツヤ先輩が、自分の元へ来てくれること。
 ずっとずっと待ちました。
 そんなある日、風の噂で、タツヤ先輩とアキコ先輩が婚約したと聞きました。
 さよならさよならシンデレ・ら。
 さちこさんは一人涙ぐみました。



 おねむりひめ

 さちこさんは小さなピアニストです。大事に育てられてきたので、だから世間知らずは仕方のないことなのです。
 さちこさんがピアノを弾くと、みんなが誉めてくれます。だけどさちこさんの理想は高いので、自分では決して満足することはないのでした。
 それでもさちこさんは幸せでした。誰もがさちこさんを愛してくれていましたし、ピアノは綺麗な音色を奏でます。さちこさんは本当に、幸せだったのです。
 あるときさちこさんはピアノリサイタルを催しました。たくさんの人たちが大きな花束と誉め言葉をくれました。その翌日には、何紙もの新聞が、リサイタルの記事を載せてくれました。さちこさんはひとつひとつ、それを読んでいきました。誉め言葉。感動の言葉。…その中の、一紙に。
 「技術はすばらしいが感情に乏しく、とりたててスポットを当てる必要は感じない」
 …ちくり、と、さちこさんの胸が痛みました。ちくり。今までまったく知らなかった痛みでした。言葉の刺でさちこさんが魔法にかかってしまったのです。
 さちこさんはそれから家に閉じこもって、ピアノに触ることも嫌がるようになりました。どんな親しい人の励ましや非難にも、耳を貸しませんでした。いつか、人々は知りました。この小さなピアニストは、深い深い眠りについてしまったのだと。
 もう何を言っても無駄なのでした。さちこさんは眠りつづけているのですから。
 こんこんと眠りつづけるピアニストのさちこさんは、時々、こつこつ、という音を聞きました。こつ、こつ。こつ……
 誰か来たんじゃないかしら。ノックをしているの。それとももう部屋の中に?…いいえ、誰も来ていません。来てくれるわけがないのです。たった一つの新聞記事で、さちこさんの大きなお城、全部が全部バリケードの中でした。百年の眠りの中でした。
 ある日、さちこさんのお仲間が見舞いにやってきました。男の人はピアニストで、鍵のかかっていたピアノを開けました。その人の指が鍵盤を叩きました。零れる音と一緒に、さちこさんは聞きました。こつ。…それは、鍵盤に爪が当たる音でした。
 さちこさんは思わず、男の弾くピアノに耳をすませました。
 ああなんて綺麗な曲なんだろう。なんて美しい音色なんだろう。
 さちこさんは、ピアノを大好きな自分に気づきました。その男の人の後ろから、そっと手を伸ばし、鍵盤を叩きました。途端、男はびっくりして曲を中断しました。
 さちこさんを、まじまじと、見つめました。困っていました。男の人には、分かっていたのです。
 さちこさんがピアニストとして復帰したら。もう一度さちこさんがピアノを弾いたら。
 男の人は怖かったのです。ピアニストのさちこさんが怖かったのです。だから言いました。
 「君はもうピアノを弾くべきじゃないよ」
 ……一人になったさちこさんは、ピアノの前に座り込んで、ぼんやりと、胸を突き刺す、ちくちくする痛みを感じていました。こつ、こつ、こつ…
 もう一度眠ることは簡単でしょう。さちこさんには王子様がいません。今度こそ、いつまでも安らかな、眠りにつくことが出来るしょう。こつ、こつ、こつ…
 さちこさんは立ち上がりました。さちこさんはピアノを弾きました。泣きながら弾きました。それは王子様への、さちこさんなりの精一杯の愛撫で、そしてそれは自分自身への、初めての目覚めのキスでした。



 You can fly !

 童話作家のさちこさんは、妖精や魔法使いのお話を書いています。さちこさんの童話は、子どもより大人に人気があります。乾いた心に夢を与えてくれると、評判なのでした。
 ある日さちこさんは、雑誌のインタビューを受けることになりました。
 ――魔法や宇宙人など、夢のあるお話が多いですね。
 「童話ですから」さちこさんはしゃあしゃあと言いました。
 ――作者ご自身は、そういった存在を信じてらっしゃいますか。
 さちこさんはしばらく黙っていました。
 「…もし本当に小人がいるなら、真夜中に家事が終わるかしらね」
 さちこさんは独身です。が、お友達には、結婚して子どもがいる人、たくさんいます。高校時代からの親友など、子育てでノイローゼになって、実家に帰ってしまっているのでした。
 ――つまり、信じてらっしゃらないと言うことですか。
 わざわざ念を押すインタビュアーをうらめしく思いながら、答えました。
 「はい、信じていません」
 その瞬間、さちこさんが書いた一冊の絵本の中で、一匹の妖精が死にました。
 「昔は、信じてたんですけどね」
 ――「現代のアリス」というキャプションは、ご自分で?
 「…アリスは昔から嫌いでした。だって変なんですもの」
 ――……
 「ピーターパンが好きでした。よっぽど健全じゃないですか。アリスは生々しいでしょう?」
 ――まぁ、ピーターパンは明るいですね。アリスは地下に落ちるけど、ピーターは空を飛ぶんですよね。
 「ええ、そう。だからアリスは嫌いです。ピーターパンが好きでした。信じてましたが、でも今は信じていません」
 さちこさんの童話集の中で、小人たちがばたばたと倒れていきました。
 「信じていません。信じていません。信じていません」
 さちこさんが一言繰り返すたび、ページのどこかで誰かが死にました。妖精が、魔法使いが、小人が、宇宙人が……
 「『わくわくすることを考えてごらん。そうすれば体が宙に浮くんだ』…一度、マンションの屋上から飛び降りたことがあります。思える限り、わくわくすることを思い描いて、飛ぼうとしたんです。耳の奥で、胸のうちで、頭の中で、私のからだの全部の中で、妖精が叫んでいました。You can fly、君は飛べるよ…!
 ……でも飛べなかった。私は死にかけました。でも生き返った。UFOに助けられて。私は宇宙人に助けられた。でも私、宇宙人なんて信じていない!」
 その途端、世界のどこか片隅で、一人の宇宙人が息絶えました。インタビュアーは途方にくれて、心臓の止まったさちこさんを見ていました。……

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