つばさちゃん


 私はつばさちゃんのことが嫌いです。一応仲良くしているけれど、本当は嫌いなんです。
 つばさちゃんは私の面倒を見てくれます。いりません。私はつばさちゃんがいなけりゃ自分でやるんです。ゆっくりでものんびりでも、私のやることは丁寧だって、一年生のときの先生は誉めてくれました。
 でもつばさちゃんは、私が何かやってるといつも手を出してきます。自分でやるからいいよ、って言っても、聞いてくれません。
 こうした方が早いよ、とかアドバイスだけしているようで、どんどん手を出してくるのです。
 いいよって言ってるのに。
 そのくせ、後から大人ぶった顔で、まったく仕方ないなぁ、なんて言うんです。
 くうちゃん、私がいなきゃ駄目なんだから、なんて。
 周りの人みんな、私とつばさちゃんを一緒に扱うのも嫌いです。二人組みを作るとき、いつのまにか私はつばさちゃんと一緒です。一番の仲良し、とか、嘘です、そんなの。
 私はつばさちゃんのことが大嫌いです。


 図工の時間、また、二人組みを作りなさい、って言われて、当然みたく前の席のつばさちゃん、私を振り返って「やろう」って言いました。
 当然みたく、誰にも相手になってもらえない山岡さんは、教室の隅でぎゅっと下を向いていました。
 白い紙粘土でお面を作る授業です。私はほとほとうんざりしながらつばさちゃんの顔をじっと見て粘土をこねます。
 つばさちゃんもしばらくは真面目にやっていたけど、そのうちぷっと吹き出して何がおかしいのか笑い出しました。
 「だってくうちゃん、ここにしわ寄ってるよ。変な顔」
 同じ班の子も、くうちゃん真面目だからさー、とかって笑うのです。
 教室の隅っこから山岡さんがじっとこちらを見ているのが分かりました。
 私は山岡さんのことも嫌いなので無視してました。
 仲間だ、なんて思われるの、迷惑です。
 だから、「もう、つばさちゃん、言いすぎー」って、笑ってふざけておくのです。先生に、「藤原さん静かにね」って注意されてしまいました。つばさちゃんはまだ笑ってます。先生注意しないのはどっか変です。
 しばらくみんな黙ってやってましたが、松浦くんがCMソングを歌い出してまたうるさくなりました。
 「もー、めんどくさい」
 つばさちゃんはもうそんなことを言い出して、作りかけていた私の顔をぐにゃっとつぶしました。
 私はゆっくりつばさちゃんの鼻を作っています。意地悪そうな、つばさちゃんの鼻です。
 「あら山岡さん、どうして一人なの?」
 今更なのに先生がわざとらしく叫びました。
 「ペアの人いないの?…誰か、山岡さんも入れてあげて?」
 誰もいません。
 松浦くんが笑いました。
 「…山岡さん、誰と一緒にやりたい?」
 先生今度は山岡さんに聞きました。山岡さんは返事はしなかったけど、私の方を見ています。
 「藤原さん、夏目さん、山岡さんを入れてあげてね」
 先生が山岡さんを連れてきました。みんなが見てます。私とつばさちゃんは顔を見合わせくすくす笑いました。山岡さんが来たので、同じ班の男子が机をがたんと音を立てて離しました。女子は、そんなことはしません。そこまで子供じゃありません。でも男子は、中学校になってもそういうことをするんだそうです。お隣のみどりお姉ちゃんが言っていました。
 私は山岡さんの視線を感じながらつばさちゃんの顔を作りました。私の作ったつばさちゃんの顔は意地悪そうです。つばさちゃんの作った私の顔はいびつで、馬鹿みたいな表情です。どっちもちっとも似ていません。
 お面は色を塗る前に乾かして固めることになりました。
 図工の後は算数の時間でしたが、みんな紙粘土の片付けに時間を食って、おまけに白く汚れた手を洗うのに、水道のところ、行列です。
 私とつばさちゃんはちょっと離れたところにある女子トイレの手洗い場に行ってきました。
 教室の方に帰ってくると、水道のところが騒がしいです。絵の具のいっぱいついた雑巾が、べちゃりと廊下のタイルに張り付いている横を、山岡さんがぎゅっと下を向いて教室に入っていきました。
 水道は相変わらず混んでいるのに、一番端の蛇口だけは誰も使いません。
 多分、山岡さんが使った後なのでしょう。
 松浦くんがふざけて、その蛇口に触りました。
 「山岡菌だぞ」って言いながら、他の男子を追いまわしています。
 馬鹿だよね、って言いながら、私とつばさちゃんも、松浦くんの振り回している手に当たらないように教室に入りました。
 それから私は、算数の教科書を忘れたことに気が付いてどきんとしました。
 「どしたの?」ランドセルを探る私を、つばさちゃんが目ざとく見つけます。
 「忘れ物?また?」
 困ったねぇ、って言っているのに、つばさちゃんはどこか誇らしげです。私は反対にどんどん嫌な気持ちになります。こういうのを、みじめだって言うんだと思います。
 「見せたげるから隣に来なよ」
 つばさちゃんは言いました。私は黙って、自分の席を立ちました。そのとき背中をドンと突かれました。振り返ると、松浦くんです。頭がカーッとなりました。
 「山岡菌、藤原にうつしてやった。今、藤原だぞ、気をつけろ」
 松浦くんは大声で言いました。山岡さんも聞いています。ぎゅっと下を向いて算数の準備をしています。
 「ひっどーい。…くうちゃん、ほら、ちょうだい」
 つばさちゃんが私の方に手のひらを差し出しました。私は、ぱん、って、つばさちゃんの手に自分の手を合わせました。みんなが見てます。儀式なんです、これが。私から「山岡菌」を受け取ったつばさちゃんは、窓の方に行って、窓を開けて、ほこりを払うみたいな仕草をしました。
 これで、菌は教室を出てった、って、そういうことなんです。多分私が同じことをやっても駄目です。つばさちゃんだから、出来ることです。
 先生がやっと入ってきました。算数の授業が始まります。私はつばさちゃんの隣の前田くんに席を代わってもらいました。私が頼むと前田くんは嫌な顔をします。でもつばさちゃんが一緒に頼むので、代わってくれました。私はつばさちゃんに教科書を見せてもらいます。
 先生が、「藤原さん、また?」って呆れて、忘れ物表に丸をつけています。これで今月5回目よ、って言ってます。でも本当は、そのうち一回、国語のドリルを忘れたのは私じゃなくてつばさちゃんです。
 私とつばさちゃんが隣同士で同じ本を広げていると、先生はいつも「藤原さん」って叱って、つばさちゃんもそれを訂正したりしません。
 算数の宿題の答え合わせで、つばさちゃんの順番が来たとき、つばさちゃんは私をつついて答をプリントの端に書かせました。つばさちゃんはあんまり頭が良くないのです。だけどドッヂボールは強いし、かわいいし、ちょっとお化粧も、してます。
 答え合わせは山岡さんのところまで回ってきました。当てられても、山岡さんはしばらく黙っていました。
 「山岡さん」先生、言いました。
 山岡さんが小さく何かを言いました。
 「山岡さん」先生はまた言いました。聞こえなかったみたいです。
 山岡さんは今度はちょっと大きな声で答を(間違っていました)言ったけど、先生、また聞こえなかったみたいです。
 「山岡さん」松浦くんが先生の口真似をしたらみんな笑いました。「山岡さん、黙ってたら分からないでしょう」そっくり、です。
 「先生、答え合わせが進まないから、次行ってください」
 つばさちゃんがお利口ぶって言いました。
 「そういうわけにもいかないのよ」
 先生は困った顔で苦笑いしました。「山岡さん」
 みんな、くすくす笑いました。私語、あちらこちらで始まります。私は下を向いて、プリントに次の問題の筆算を書いていました。
 誰かが言いました。
 「きしょいなぁ」
 小さな声でしたが、聞こえました。つばさちゃんが私に囁きました。
 「窓から捨てちゃえばいいのにね」
 小さな声でしたが、聞こえました。
 きっと先生にも聞こえました。
 クラス中に聞こえたでしょう。聞こえなくたって、そういう空気、ありました。
 そのときです。
 ガタン、って、山岡さん席を立ちました。ぎゅっと下を向いたままで、私とつばさちゃんの方にずんずん進んできました。いすと机で教室いっぱいのはずなのに、なぜだか山岡さん、一度も足を止めることなく進んでくることが出来ました。
 突然のことだったし山岡さんの歩くスピードは速かったので、みんなあっけにとられて誰も何も言わず山岡さんを見ていました。
 私は、山岡さんがつばさちゃんにつっかかってくるんだと思いました。
 そうして、適当にあしらわれて、またみんなに馬鹿にされて、しらけてしまうんだと、そこまで想像してうんざりしました。
 でも、違いました。
 山岡さんは下を向いたまま窓際によって、窓枠を乗り越えたのです。
 振り返ってぎゅっとみんなを睨みつけて、それから、落ちていきました。
 落ちていきました。
 やっと先生が悲鳴を上げました。プリントとか放り投げて叫びながら廊下に出て行きました。
 私たちみんな黙ってました。
 誰かが咳払いをしました。
 誰かがシャーペンを片付けて筆箱のふたを閉める音がしました。
 つばさちゃんが呟きました。
 「…マジになっちゃって、馬鹿みたい…」
 そうして笑いました。乾いた笑いでしたが、何人かがつられて笑いました。
 私はおもわず、「つばさちゃん」、と言いました。
 つばさちゃんが笑うのを止めてぎこちなく私を見ました。
 みんなも、見ています。
 「つばさちゃん」
 見ています。
 私は、
 「つばさちゃん」
 それだけ言って、それからあと、黙り込みました。みんなが怖かったのです。みんなの目、怖かったのです。すごく。
 つばさちゃんの目が一番怖かった。
 あんた、裏切ったら、許さない。
 つばさちゃんの顔はそう言っていました。
 今まで誰のおかげでいじめられなかったと思ってるの。
 つばさちゃん。
 つばさちゃん。
 私は、それ以上、本当に何も言えませんでした。
 つばさちゃん。

 つばさちゃん。



 救急車が来て、その日の授業はもうありませんでした。
 山岡さんは、血がいっぱい出たんだそうです。でもそれは嘘だと思います。教室は二階だし、下には木があるし、夜回ってきた連絡網によると、山岡さん死んでいないそうだから、だからそれは嘘だと思います。
 山岡さんは、授業中誤って転落したんだそうです。事故だそうです。
 あんたもトロいから気をつけなさい、ってお母さん言いました。
 私は自分の部屋で、ランドセルからお面を取り出しました。
 帰る時まだ乾いていなかったけど、プリントに包んで持って帰ってきたのです。白い粘土は、さすがにもう乾いています。
 私、なんとなく山岡さんのこと考えました。
 思うのだけど、山岡さん、これまでだって「死ね」とか言われるたび、「本当に死んだらこの人どうするんだろう?」って思ってたんじゃないかしら。
 だから、今回、本当に飛び降りちゃったんじゃないかと思います。でもね。
 馬鹿みたい、って、つばさちゃん言ったんです。
 人一人血を流しているのに、自分たちの言葉でそうなったのに、私たち、私たちは何にも流さないで、代わりに笑ったんです。馬鹿みたいって。あんなの冗談なのにマジになっちゃって一人だけアツクなっちゃって馬鹿みたい、って。
 山岡さんが何をしたって本当に死んでみせたって、痛くも痒くもないんです。
 せめて山岡さんは、大声で叫ぶべきだったんです。殺されるって。
 病院でも、誰も無視できないくらい大声で、事故じゃない、事故なんかじゃない、って、言って、そして、ううん、違う、山岡さんは、山岡さんは、もっともっともっと早くに、なりふり構わず逃げていれば良かったんです。
 そしたらきっと、きっと私が、山岡さんになっていたでしょう。
 私は窓から飛び降りることは怖くて出来ないけど、もし飛び降りたら、きっと私も、つばさちゃんに「馬鹿みたい」って笑われていたでしょう。
 今だって、毎日のように笑われているのは、私山岡さんと一緒です。違うのは、その後、いつも口に出して、つばさちゃんが「冗談だよ」って言うことくらいです。
 冗談だよ。嘘だってば。やだなくうちゃん、本気になっちゃおかしいよ。ほんと真面目なんだから。本気で私がくうちゃんのこと、いじめるわけないじゃん。友達なんだから。親友なんだから。
 私、筆箱からカッターを出してカチカチ刃を出しました。
 「つばさちゃん」
 言って、机の上に置いた紙粘土のお面に振り下ろしました。
 「つばさちゃん」
 刃の方が欠けそうです。お面、固いです。でも何度も、何度も私、カッターを振り下ろしました。
 「つばさちゃん」
 つばさちゃんの右目、欠けました。
 「つばさちゃん」
 つぶさちゃんの右目に、カッターを突き立ててえぐりました。ぽろぽろ、崩れました。
 「つばさちゃん」
 頭がカーッとなってきて、お腹のあたりも同じようにカーッと熱くなりました。
 「つばさちゃん」
 「つばさちゃん」

 「つばさちゃん」


 「つばさちゃん」





 「死んじゃえ」







 私はつばさちゃんのことが嫌いです。一応仲良くしているけれど、本当は嫌いなんです。
 つばさちゃんの笑顔を見ると、むかむかします。だから私、つばさちゃんの顔、お面だと思うことにしました。
 紙粘土で作った笑顔のお面。その向こうに「つばさちゃん」って人間はいないんです。
 そう思いつづけていると、不思議です、次第につばさちゃんの顔、本当にお面みたいになってきました。
 朝教室で「おはよう」って振り返るつばさちゃんの顔は、真っ白な紙粘土で、おまけに右目にはカッターが突き立っています。
 私は笑って「おはよう」を言います。

 「おはよう、つばさちゃん」


 私はつばさちゃんのことが大嫌いです。  

back