ヤスキンインド旅行記

→解説

第二部:倦怠のベナレス編



1999年02月07日(日)後半


隣の大学生達と会話。初めは順調に進むが、語学力の壁にぶち当たり、しだいに無口に。 荷物は重いわ、暑いわ、足はしびれるわで、ヤス単独での途中下車も頭をかすめるが、 行動力の無さが幸いし、思いとどまる。

まさにもっとも悪い、最悪の電車移動だったが、過ぎると一生消えない、いい思い出に換えてしまうから人間は偉大だ。でももう乗りたくはない


あみだなでねるのは はじめて。うれしい。(注1) インド人大学生とはなしたり (インド人が)ヤスが女かどうかで かけをしてたりで とにかく楽しかった。


(注1)小学生の頃、網棚に寝っ転がってみたいと思ってたらしい。 もっとも 寝っ転がるのは人が多すぎてできませんでしたが(ずっと体育座り)。

なお、この日の事についてはこちらも参照されたい。


1999年02月08日(月)

Varanasi 到着。電車の疲れか イライラする。せっかく憧れのバラナシだ!と気分を高めようとするも、 物売りの日本語責めで 落ち込まされる。キンもそのようす。 CHECK IN してガンジス河を見に行くも普通(注1) 人間が焼かれてるのを見るも普通(注2)


8日朝に Varanasi とーちゃく。 どよーん。

まずAIで reconfirm したのちヤスがTC→ Rs。 旧市街着ドヨーン

カルカッタでは「この人相どう?」「やめとこ」クラスの人相が (ベナレスでは)標準。 「ハッパあるよ」「マヤクあるよ」「ダラーチェンジ?」「マンコハウスあるよ。ジュクジュク。ジュクジュク」 だのなんだので落ち込む(注3)


(注1) いやなんかまじで多摩川よりショボかったぞ。ちょうど水量が一番少ない時期だったんだろうけど。 (具体的に言うとここでいってる多摩川は二子玉のへんね。←むかし等々力に住んでた。)

(注2) 焼かれてるのはもちろん生きてる人ではなくて遺体。

(注3)これ全部そっくりそのまま日本語でいってくるのね。も ぐったり。 ちなみに後で分かったんだが「ジュクジュク」ではなくて「ジキジキ」というのが正しくて「セックス」のこと。


1999年02月09日(火)

その後9日夕方まで「部屋でねる」→「回復」→「外へ出る」→「落ち込む」のくりかえし。

みんな下品すぎんねん。カルカッタだったら「No thank you」ていってニコッと笑えばO.K.なのに つぎつぎと上記のをくりかえして さいごのあいさつが「チンポマンコ」だもん。

んで どよーんと 落ち込みきってたとこに バングラッシー投入一気にハッピーに。(注1)

脳の後頭部に血があつまって熱いカンジ。左脳もあついかんじがしたので計算が早くなるかためす予定。(注2) ハッパは「あんな人相悪いやつら もうけさせたくない」つーことで (だって最初の言い値が 200 Rs. → 100 Rs. だもん。) バngラッシーだったら 12 Rs. だもんね。


9日になってもグッテリとしているのでバングにチャレンジ!! 頭がほのかに温かくなりいい感じ。キンは左脳だか右脳だかが熱いと言って計算などをしている様子。(注2) さりとてヤスにはすべきこともなく ただ疲れきったクソのように寝るのみ。 ダウン症になりかけるシチュエーションだが、すこぶるいい感じ。これもバングの影響か。 後バングラッシーはオツな味。(注3)


(注1) まじで、かなり嫌いになってたベナレス(あるいはヴァラナスィ)の街が、 一気に「けっこうイイ街かも」と思えてきた。

(注2) 暇な時間に読もうと思って Wess-Bagger を持っていってた。 SUSYの部分はもう読んでいたがSUGRAのとこを読もうと思って(結局読みゃーしねえ)。 んで、計算が早くなるかためしてみたんだけど、結果:大麻で酔ってて早くなるなら世話ぁねーやなという真理を確認したのみであった。 たかが大麻に過剰な期待をよせてたのはねこぢるの影響かもしれない。

(注3) 僕も、ねこぢるのまんがよんで バングラッシー、どんな不味いもんかと覚悟を固めて飲んでみたらとても美味かった。 ついでにバングクッキーもうまかった。基本的に お茶っ葉の味に近い気がした。


1999年02月10日(水)

08:25AM 幸(ゆき)晋之介が来た。もう帰るって。


10日はヤスは部屋でベンピと戦う。(って書いたら今横で「激しくな」だって。)

僕は 手紙 出して、チケットとりに行ったら「今日のしかない」とかで その日10日の夜たつ事に。

帰りのリクシャワーラーがいい味だった。まず布屋につれてかれた。ルンギを二枚(2mづつ)30 Rs×2 で買う。その後「ジキジキどや?」って言われて、「I must keep trust with my girlfriend」って断る。カッコイー。 (そうか?)

その後、「あと2分くらいだからここでおりろ」とか言いだして やだっていったら、「つれてってやるからまず 15 Rs はらえ」とかぬかすので 「10Rsだけはらう。残りはついてから」ってことで話がまとまる。 おっさんその金で酒(ビニールぶくろ入り)&たばこをやっておやすみ。 んでから よーやくつれてってくれたら遠い遠い。 ホンマ油断ならんなー。(注1)

その後(18:00くらい)バングラッシーミディアムをキメて(ヤスはlight)Wess-Baggerよんでたら ちっとも効いてこなくて、もったいないので中断。その後ラリったままメールだして(←またされたー) リクシャーのって(←これが超ゲンソー的)、電車のった。


ヤス、インドで便秘でダウン。下痢を恐れるあまりの薬物大量摂取が原因か。(注2) 余りの苦しさにチケットの予約に行けずキンに行ってもらうことに。キンが行って30分間、便はまるでヤスをあざ笑うかのように行ったり来たりを繰り返す。出るのはガスのみ。やっと出すも肛門に激しいダメージを負う。

その1・2時間後キン帰宅。急きょ、今日バナラスを出る事に。二人でバングを飲んでリキシャに乗って駅へ向かう。

リキシャからみる夜のバラナシはオレンジの裸電球がホコリでボヤケて、にぎやかな街を優しく包んでた。 なんかもう少しいても良かったなと思った。(★)


(注1) なかなか愛敬のある憎めないオッサンであった。ネズミ男系小悪党。

(注2) ま単なるビオヘルミンですけどね。あ でもバングラッシー飲むときに用心してワカマツのんだからそれが効いたのかも。

(★)  こういう叙情的な文章は僕には書けないところのモノだな。 バングの効果もあって光が滲んだみたいになって妙にきれいだった。



(注0)

(注0)ここの文章はインド旅行最後の街デリーで書いた物。読みやすさのためこっちに持ってきた。

(注1)このへんカーマスートラ(後にバンガロールの空港で購入。第四部参照)から得た知識らしい。 何百年どころか下手すりゃ何千年だな。今もそうだし。

(注2)これは死後ガンジス河に流してもらえない5種類。 面白かったので忘れないうちに書き留めたものと思われる。

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