ヤスキンインド旅行記

→解説

第四部:魅惑のケララ編



1999年02月15日(月)後半

→コヴァラムビーチへ。(注1)

HOTEL がなかなかきまらず脱水気味で弱る。でも今までで 一番(?)いいトコロをみつける。(注2) オレンジジュースに2人で狂う。ウマすぎ。


→ 14:00 のバスで コヴァラムビーチへ。(注1)

たいま吸う。オレンヂジュース激ウマ。


(注1)白人馬鹿ヒッピーの集まるビーチ。 このころ2人ともだいぶお疲れで、ちょっとビーチリゾートで休もう、ということになったのだ。 カニャークマリからコヴァラムビーチに行くバスの中でいかにもジャンキーといった風情のやや目がトローンとした白人ヒッピーが声をかけてきてなかなか楽しかった。 バスの中からの南インドの風景もじつになんとも素晴らしかった。

(注2)なんせたしか一人一泊1000 Rs. (3000円)の超高級リゾートホテルだ。清潔だった。


1999年02月16日(火)

キンがビーチで泳ぐ。一言「海は海やね」と、言ってはいけない事を言う。(注1) ミもフタもない。恐ろしい男だ。

夜、例によってオレンヂジュースを飲み おいしい食事。 バングクッキーを食べすぎたキンの笑顔が気持ち悪い。ヤスがしっかりせねば!! とリキむも何もせず。


16日 朝たいますう。昼 水泳。夜バングクッキーききすぎ。


(注1)全く記憶になし。そういえばたしか曇りで大していいとも思わなかったような気もする。 少なくともいまちょっと検索したら出てきたここの写真は美化しすぎだとオモタ。ま季節によっても違うんだろうけど。

この日は一日休養の日だな。


1999年02月17日(土)

10:55AM 今から Quiron へ(Trivandram けーゆ) (さっき漁をみた)(注1)


17日は Quiron 泊。3F(4F)

上の階は工事中。(注2) 晩めし ファンキーおやぢ:(注3)

59才。55才のつまをなくした。 ナンパ。200万ハラマキ。インド、タイ、ネパール、モルジブ・・・

(注1) そうそう、この漁ってのが凄い代物でしてね。 砂浜の海岸で底引き網。も、30人ぐらいかけて延々と何時間も引いて、上がってきたのがマジでほんのちょっぴり。 ちゅーかその日の収穫ゼロ。でもあの網じゃ仮に入ってもほんのちょっとだね。 どう考えても費やす労力と収穫が釣り合わない。

南インドじゃそこら中に食い物があるから、あんまり働く必要もないのかなあ・・・

(注2) 工事中ってのはマジで工事中で「いま一階上を継ぎ足し中」ってな感じ。 まだ内装がない、つーか骨組み向きだし。ワイルド。

(注3) 日本人で、工務店の社長かなんかだったと思う。 奥さん死んじゃってなんか空しくなっちゃってアジア一周といった風情であった。 パワフルおやぢ。なんせ英語もロクに喋れないのに ハラマキに200万円(インドの(食料品の)購買力でいったら日本での2000万円相当はありそう)を全額現金で入れて旅行してた。


1999年02月18日(木)

Backwater cruise。 ボールペンの為に途方もない距離を走る少年(←バナナでも取りに言けばいいのに)や、(注1) ナゼか立泳ぎをしている(メッチャ笑顔で)オジサンなど エネルギーの無駄使いをしてる人がいっぱいいて面白い(景色もモチロン良かったが)。

クルーズ中、ウォークマンを出そうとして、キンが買ったナマシヴァのテープを川に落とす。 でもヤスはさほどそれがいいと思ってなかったので たいして悪気は感じず。ケロリとしていた。(ゆるさん)

音楽といえば休憩場でかかってたヴィシュヌに祈る為の曲は素晴らしかった。 「民ように似てるね」とキンは言ってたが、そんな感じ。

その曲は大音量で、その後しばらく森や川に降って 次の曲に変わった。


18日は Back water cruise(注2)  バナナ食いまくり。(注3) 曲最高(クリシュナ・シヴァ) Aleppy 泊。


(注1)まぁバナナはどうせ一年中そこら中になってるからあくせく働いてとるようなもんでもないんだろうな。 あるいは各バナナの木の所有者が既に決まってるか。<こっちかも。

ボールペンは数少ない「現金化できる作物」なのだろう。

(注2)とてもよかったんだが、自分が、 足組んで船の上からインド人を見下ろす白人旅行者の仲間入りしてるのは、なんかイヤであった。 いやクルーズ自体は素晴らしかったけど。運河に張り出した天然水洗トイレ(椰子の葉っぱで壁を構成してある)がステキであった。

(注3)バナナ激ウマ。 ちゃんと木の上で熟れたバナナと、日本で売ってるスジスジしたへんなアレとは、 全くの別物ですな。筋が全くなくて ちょっと固めのクリームみたいなの。


1999年02月19日(金)

Cochinへ。

カタカリを見る。すごく良い。おもしろい。ああいうメイク好きみたい。メイクも見せてくれたみたいなのに...。

感い躁状態でリキシャーに乗り込み興奮気味に「いやぁ。実に良かったヨォー!」と言うと 運転手は「俺は嫌いだね。あんなの昔のダンスさ。」と水をさす。 ヤスがマフィアなら消してるトコロだ。

帰宅後、ノンビリしてるとキンの悲鳴。見知らぬ同居人、ゴキブリが出たのだ。

今までキャリヤー(荷物持ちのことだ!!)としてのヤスを悩ませてきた ゴキジェットの出番だ。(注1) 1/3ぐらいまきちらし見事 殺りくに成功した2人は、勝利の興奮ではなく、ゴキジェットの残り香に包まれ、寂しく換気をするハメに。


19日は Cochin へ。バスまちで良い人にあう。truck driver

Bijus は一階建てで横がどぶ川
↓
Grand は改そう中で部屋は道路側のみ。900Rs〜 といわれてやめ。
  (空いてんのが 1100 Rs からだった)
↓
Sealord は満室
↓
Joyland はつぶれたか改装中
↓
Bharat は部屋を見て良かったので
フロントにもどったら「何日泊まるんだ?」ときかれ
「一泊」と答えたら「たった今予約を入れた」とかで
また部屋に置いた荷物をとりにもどらされる。最悪。
↓
Woodland に決定。ゴキそうぐう。

カタカリ見た。Good。(注2) last大麻食すも効かず。


(注1) いちおういっとくが別に僕の荷物をヤスに持たせてたということはないぞ。 二人共通の荷物、というのもなかったし。・・・あー便所スリッパはずっと持たせてたか。(すまん)

(注2) カタカリダンス。よかった〜


1999年02月20日(土)前半

んで今日は飛行機でバンガロールまで(乗り継ぎで)来た。16:00に(デリーに行く飛行機に)のる予定。

結局 バンガロールで20時近くまで またされるも カーマスートラ読みで楽しかった。(注2)


コーチンからデリーまで飛行機で行くことに。昼から夜まで待つ事に。

手持ちの文庫は読み終わり、キンはインドの珍書「カーマ・スートラ」に無中。(注2) ヒマ。空想の世界に。

結局食べられなかったオレンジバナナ、日本に帰ったら何をするか、彼女のこと... 等の現実的な事から、今のヤスに必要な事とは、んで何をすべきか...等の描象的な事まで考える。

何か 難しい事を考えてる時に ハッと我に帰り、『なんだ、ヤスもやるじゃん』とニヤリとする。

そうこうするうちに、出発の時間。乗るはエアバス。恐怖のエアバス。「おもしろいほど よく落ちるらしいよ」のキンの一言に高所恐怖のヤスの玉袋縮み上がる。 出発前 離陸のパワー否定の為か、電気が消える。不安は頂点に。 念仏を心の中で唱え 不安に打ち勝つ。

無事到着。ホッ


(注1)学校の制服を着た子がいっぱいいた。他州より歴然と進学率が高そう。 貧しい国では共産党の方がうまくいくのかも。<ケララは当時たしか共産党が与党だったような・・・

(注2)これマジで面白い。英語版が空港の本屋で売ってたので買った。 インドの古代〜中世の性風俗や結婚式や結婚生活や性生活についてセキララに書いてある、性指南書といった趣の本。 前から読んでみたかったんだ。 (例えばこの本ではあんまり「おっぱいを揉む」という技を推奨してない。 その理由とは?じゃ代わりに何をするの?とか気になるでしょでしょ?・・・読みたい人は いえば貸してあげます。)


悠久のデリー編へ


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