焼津・藤枝を拠点とするサッカーサークル「イオシス」の活動報告。
おしながき
2003年01月11日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
2003年01月04日:初蹴り・焼津フットサル倶楽部
2002年08月03日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
2002年07月16日:紅白戦・焼津フットサル倶楽部
2002年06月29日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
2002年03月16日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
2002年03月09日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
2002年02月02日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
2002年01月26日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
2002年01月12日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
2002年01月05日:初蹴り・焼津フットサル倶楽部
2001年12月22日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
2001年12月08日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
2000年05月20日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
2000年03月11日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
2000年02月26日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
2000年02月19日:通常練習・石津浜公園
2000年01月08日:初蹴り・石津浜公園
2000年01月04日:新年会
1999年12月18日:ボーリング
1999年12月11日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
1999年12月04日:練習試合・大井川河川敷
1999年11月06日:通常練習・石津浜公園
1999年10月16日:通常練習・石津浜公園・焼津フットサル倶楽部
1999年10月23日:通常練習・石津浜公園・焼津フットサル倶楽部
1999年10月16日:通常練習・石津浜公園・焼津フットサル倶楽部
1999年10月09日:通常練習・大井川河川敷
1999年10月02日:通常練習・大井川河川敷
1999年09月11日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
1999年09月04日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
1999年08月21日:全国PK選手権
1999年08月14日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
1999年07月31日:通常練習・大井川河川敷
1999年07月24日:正式名称決定
1999年07月17日:通常練習・大井川河川敷
1999年07月10日:通常練習・中央小跡地
1999年06月26日:斉藤来静
1999年06月12日:対静岡理工科大・新歓コンパ
1999年06月05日:新年度役員人事
1999年05月22日:焼津で練習
1999年05月15日:おやすみ
1999年05月08日:清水で試合
1999年04月17日:対静岡理工科大
1999年03月20日:引退試合・追い出しコンパ
1999年01月30日:通常練習
1999年01月24日:フットサル大会決勝トーナメント
1999年01月23日:フットサル大会予選
1999年01月16日:’99年2回目の練習
1998年12月26日:’98年最後の練習
1998年11月21日:大石宅引っ越し
いままでのあらまし
2003年01月11日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
VICTORの試合終了後、どこだったかなぁ・・・あ、そうだ「シコップス」とマッチメイクを行った。
15分3本で、いつもの面子でやったのだが、2セットを終了して5−5。人手がたりなくなったため3セット目だけGKとして入った。
先制は許したものの、その後は靖のシュートが立て続けに決まり8−6くらいで逆転勝利。
試合後、窪田の「なんだか勝った気がしない」というコメントがよくわかるほど、相手に振り回された試合だった。
あと、後ろから何度も叫んで指示出してた(まぁ「上がれ」「戻れ」くらいだが)んだが、これが果たしていいことなのかという自問自答を。楽しくやるには自分のコーチングはうるさすぎるのかなぁ。でも勝った方が面白いしなぁ。どうしたものか。
2003年01月04日:初蹴り・焼津フットサル倶楽部
VICTORのマッチメイクの前のコートを使って初蹴りをしようとしたが、コートが空いていなかったので公園で初蹴り。
1時間ほど経ってから、フットサルコートへ移動。
VICTORのマッチメイクが終わってから、1時間ほど初蹴りの続き。結構疲れた。
ちなみに、イオシスオールドスターズから川口・清水・柳本が参加。
2002年08月03日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
3時から、多分格下と思われる相手とマッチメイク。
序盤はなかなか相手を崩せなかったが、途中からパスが繋がるようになり、最終的には圧勝。
その後、VICTORと紅白戦をやったのだが、久保田が腹痛になったり石部の足が曲がらなくなったりしたため、途中で終了。
2002年07月16日:紅白戦・焼津フットサル倶楽部
相手が見つからなかったらしく、victorとの紅白戦。しかし12分4本と、通常のマッチメイクの形態をとった。雨による足場の悪さで思ったような動きはできなかった。
紅白戦終了後、victorのマッチメイクの相手が次にやるチームに相談を受け(そのチームのメンバーが集まらないため試合ができない)、代わりにマッチメイクをすることに。要するに、victorの次にイオシスが同じ相手と試合をやったということ。途中から雨が強くなったが、どうなったんだろう・・・
2002年06月29日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
雨の中、2時半から練習、4時から試合だったはずが、3時に突如マッチメイクが入る。よく土曜の昼間に見るチームだ。イオシス・ビクトール合同チームでやり、見事勝利。自分もGK1本・フィールド1本やり、1失点1アシスト。マッチメイクでのフィールドは思いっきり久しぶりだった。
4時からの試合はイオシスのみで快勝、その後紅白戦を3本。ビクトールの試合が入っていたのでそこで終了。雨の中、ほんとによくやった気がする。疲れすぎ。
2002年03月16日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
4時からイオシスもVICTORもマッチメイクが入っていたため、2時過ぎから試合まで紅白戦等々を行う。
マッチメイクは、イオシスは初参戦のチームと対戦したのだが13−8で惜敗した。残念。
その後、5時からコートが空いていれば紅白戦の続きを行うはずだったのだが、試合でコートが埋まっており、断念。
2002年03月09日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
学生のテスト期間も終わったのか、久々に活動再開。
2002年02月02日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
今日はイオシスの試合は無いはずだったのだが、コートの利用状況等々の理由により清水の中学生?高校生?らしきチームと練習試合をやった。ちなみに相手は大人のコーチらしき人もいて、試合にも出てきた。
試合は45分ノンストップ、随時選手交代という条件で行った。全体的にイオシスが押していて、実際得点も大差がついたように思う(カウントしなかった)。そんな中、失点は30分で2点。両方とも、近い距離で思い切り打たれ、手が追いつかなかった。ま、それはそれとして。
また、自分は5分ほどフィールドに入って、対外試合で久々に得点した。ま、シュートを打ってこぼれたのを押し込んだだけだが。
試合終了後、VICTORでマッチメイクが入っていたため、長谷川さん・増田・村田・柳沢とVICTOR休憩者でチームを作り、彼らにもう1時間(さすがに今度は15分×3)試合をやってもらった。そっちの結果はよく知らない。
VICTORの試合が終わってからは、紅白戦を1時間ほど。6時過ぎに終了。
2002年01月26日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
職場に行って作業してからフットサル場に行ったため、既にミニゲームが何本も終わっていた。
で、マッチメイク(対戦相手:爆笑宣言、ランキングC263位)を一年生主体で行う(その間、雨が降り出したのだが、暇な連中で4対4を隣コートで強行)。結果10−5で勝利。カテゴリーAの面目躍如。試合内容は、ほとんど見ていないため不明。ただ、雨により球の走りが非常によくなり村田のシュートが一層取りにくくなっていたことが印象的。あと、転倒者数人というところか。
マッチメイク終了後、改めてミニゲームを行ったのだが、1本目を始める前から雨が本降りになり、2本目終了でミニゲーム続行を断念。今日はここまで。
2002年01月12日:通常練習?・焼津フットサル倶楽部
3連休というのに夕方から仕事があったため、2時から3時過ぎまで紅白戦に参加した。その後はどうなったのかわからない。
結構暖かな気候だったので、どうせなら夕方までやりたかった。
2002年01月05日:初蹴り・焼津フットサル倶楽部
新年早々、フットサルをやることになった。
フットサル場に着いてわかったことは、マッチメイクが無いということ。年末はやけに混んでいたフットサル場も、言われてみれば今日は非常に閑散としている。マッチメイクどころか、コートを借りるチームすら無い。
というわけで、5時頃までずっと紅白戦をやった。さすがに最後は寒くてたまらなかったが、まぁ初蹴りにしてはそこそこだったような。
ま、初蹴りといっても最後に蹴ったのは1週間前。いつもと何も変わらない間隔だったりする。
2001年12月22日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
2時ちょっと前にフットサル場に到着すると、もう増田が到着していた。駐車場はほぼ満車、やけに繁盛していると思ったら「4時まで空いてない」とのこと。やむを得ず、公園へ行ってアップをすることになった。あ、久々に山崎が参加した。
公園には先着が2組ほど居て、イオシスは2組が使っていない余りのスペースに入った。ちなみに人数はうちが一番多かったのだが。あ、当然ゴールは使われていたので、荷物をゴールポスト代わりに置いた。
で、10分のミニゲームを3〜4本ほどやって(最終的に7人対7人、昔なら嬉々として普通サイズのサッカーゴールを移動させてサッカーをやったのだがここにはミニゴールしかない)、マッチメイクの時間が近づいてきたのでフットサル場に戻った。
Victorで5時からマッチメイクが入っていたので、そのメンバーを除いた長谷川陽・山崎・増田・村田・やすし・柳沢・下條・久保田・(遅れてきた子)の計9人で対戦。相手はC-CUBE。ちなみにカテゴリーCの155位。
今回も、開始早々村田のシュートが決まり(この日3得点)、勝てそうな雰囲気が充満。逆に、村田が切れるんじゃないかと(つまらねぇ〜とか言って)心配したくらいで。その後も順調に追加点を重ね、結果12−2で勝利。柳沢が言うには、「相手が勝手にミスしてくれたから待ってたくらい」、やすしは「長谷川さんがキープできて、そこからボールが来た」、と結構余裕なコメントを。
で、その後紅白戦をやってから焼津の村さ来で忘年会。病み上がりの大石は生中1杯でやめておいた(飲み放題なのに)。うん、健全。
2001年12月08日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
あ〜久々にこのページを更新することになった。増田のリクエストってのもあるけど、確かに読んでみると懐かしい。日記みたいなもんだからなぁ。
というわけで、次回から一部リニューアルしようかな、と思うわけで。まぁいいや。とりあえず。
ニーパッドを購入してからそのままフットサル場へ行き、簡単なアップ(個人的に生まれて初めて胸トラップの練習をした)をしてから紅白戦に臨んだ。
メンバーは、イオシス(増田・村田・久保田・遠藤・新人?・渡辺(弟)※前述の渡辺とは別人)とVICTOR(長谷川・法月・正村・渡辺(兄)※やはり前述の渡辺とは別人・大石)(注:長谷川がキャプテンを務める新チーム)。
最初の一本は、VICTORの前線のプレスが巧くいかず、長谷川が切れかかる。というのも、通常とプレスのかけかたを変えた(らしい)からだ。2本目にはおおよそ修正されかけたのだが、アップしないでボールを蹴って足を痛めた正村が途中交代することに。うーん大丈夫か。
3本目終了後、マッチメイクが入るはずだったのだが、・・・対戦相手のエド・エスペランサ(当時カテゴリーA18位)が来ない。結局15分遅れて試合開始。しかも相手は人が揃わず4名。
1本目はイオシスのメンバーで。開始早々村田のロングシュートが決まる。その後も数的優位により押し気味に試合を進める。しかし相手の体が慣れ始めてから、点が取れなくなり、結局1本目は5−2。
相手GKが参加し、やっと5人揃った2本目。メンバーはVICTOR。ランキング上位であることが端々に見られるようになり、スコアだけ見れば2−2。ディフェンスから見れば、ところどころで裏をとられたりして厳しいところもあった。だがカバーリングもできており(失点はしょうがないが)、またゲームの組み立てもできていたのでまぁよかったのでは。
3本目、メンバーがイオシスに戻り、一進一退が続く。だが、決定力でこちらが上回り、またディフェンスも相手の速攻やゴール前の混戦をうまく抑え、結果2−1で終わる。合計すると・・・9−5で勝利。
その後は、寒空の下6時まで紅白戦。GKは寒かった。うん。
2000年05月20日:マッチメイク・焼津フットサル倶楽部
雨が降り始めた正午過ぎ、ほぼ2年ぶりにイオシスに復帰となる堀井を連れて、おーいしはフットサル場へ。到着してみると、メンバーは計6人。石部・増田・遠藤・橋本・堀井・大石である。で、よりによってマッチメイク。厳しい台所事情をふまえ、GKは不安一杯の迷GK堀井、あとは一人ベンチで随時交代という構成。
決して強いとは言えない相手に対して、イオシスは苦戦を強いられる。メンバー不足もさることながら、2年ぶりの運動となる堀井による失点を防げない。また、サイドからの突破を図るも中央へ折り返せず、不完全燃焼のまま3本目へ。
負けているという状況下、サイドからの突破よりも、トップがポストの役をし、底をはる橋本のミドルシュートを引きだそうという作戦に変更した。そこで大きな間違いがひとつ。3本目の最初半分は、橋本が(順番で)ベンチだということ(笑)。底には大石が入り、それ以外は作戦通りでいくことにする。ミドルシュートに威力がない大石は、橋本と交代するまで何とか失点を防ぎ、バトンタッチ。すると決定力が増したイオシスは、(よく覚えてないが)逆転に成功。あぁよかったよかった。
1時間をおいて、別のチームとマッチメイク。今度は、2本目終了時点で3−7と大きく負け込む。そこで、またも作戦。とりあえず大石をベンチにして(笑)、トップに橋本、右に増田、この二人を攻撃に積極的に参加させることで打開を図る。で、開始後すぐに1点取られ、もう負けを覚悟。しかし、その後は一方的にイオシスペース。約10分間の間に5点を奪い取って逆転勝ち。一週間前の話だからよく覚えてないなぁ・・・敵チームからも「負けるとは思わなかった」系のセリフがあったくらいの、大逆転勝利。あぁよかったよかった。
2000年03月11日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
フットサル場へ行く際に清水を拾い、2時少し前におーいしは到着。既に石部達がマッチメイクをしており、寒さをしのぐため清水と別コートでアップを開始。間もなく人も集まり、紅白戦を開始。最初は石部達のチーム対それ以外。それを3本やった後に、6対6の変則マッチ、長谷川先輩が到着して15人になったところで、5人チームを3つ作っての三つどもえ。それぞれ2試合やった頃には4時を回り、用事がある清水を乗せておーいし帰宅。楽しかったが疲れた・・・ちなみにこの疲れにより日曜は寝たきり。
2000年02月26日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
フットサル場に行く前に立ち寄った焼津の某スポーツ用品店のセールで品物を漁っているときに、山田から「さっさと来なさい」電話が入る。焦ったのだがいかんせん弟に頼まれた品物が見つからず、結局店員さんに聞いて入手、フットサル場へと急ぐ。
着いたら結構人が集まっており、計13人だったかな、なかなかのボリュームだ。石部達がマッチメイクを2本入れており、試合開始までと試合中、別コートを使わせてもらうこととなる。
そこで、マッチメイク申し込み組(5人)対その他(8人)でフットサルを開始。「とにかく攻めてきていいよ」とGKに入った大石だったが、石部に2点、遠藤に1点決められる。攻撃陣も決定機を作れずに前半を終了。後半、つながり始めたその他(8人)が、4点ほど取り、追い上げを見せるが、当然取られることもあるわけで、ま、シーソーゲーム風になる。マッチメイク申し込み組の初顔(?)二人は、確かに巧いがシュートが決まらず(というか止められる)、といった感じ。思いっきり打てば入るのに・・・
マッチメイク申し込み組が抜けてからは、GK無しの4対4。計2時間以上動き、へたばったあたりで終了。
2000年02月19日:通常練習・石津浜公園
久々参加の柳本を引っぱり出し、石津浜公園へ向かうと、7〜8人が既にいた。それ以前の問題として、諸事情により新規駐車スペースを探しまくったが、結局いつもの場所に止めざるを得ず、そこから公園まで歩いていく。
とにかく疲れたことと、近所の子ども達がコートを使いたがっていたこと位しか覚えていない・・・やっぱすぐ更新しないとダメだなぁ。
2000年01月08日:初蹴り・石津浜公園
職場の同期のスノボーを、風邪そのた様々な理由により(結果として)断った(ことになってしまった)おーいしは、長谷川からの連絡を受けて、嬉々として初蹴りに向かう。到着時には自分を含め9人、最近にしてはいい参加率だ。後に正村が加わり、長谷川・清水・法月・正村・正村の友人・川口の従弟・石部・渡辺弟・望月に大石、計10人での初蹴りとなる。
久々なのですぐに皆体力がなくなったようだ。加えて、3時半過ぎから急激に冷え込み、4時半頃に終了。久々にしてはよく動いたが、足が止まってからは体で相手を止めざるを得ないようになってしまい(足を掛けたこと無数)、今後の反省材料になった(自分の)。そこそこの動きはできたかな・・・
2000年01月05日:新年会
仕事が定時に終わった大石が車に乗った途端、清水から電話が。新年会をやろうとのこと。西村紳が翌日下宿に戻ること等の理由により、新年会を決行することになる。
最初は焼津のカラオケランドにてカラオケという話だったが、諸事情によりカート場にて勝負をすることが決定。大石が西村紳・西村政・清水・村上を車に乗せ、カート場へ向かう。5人でとりあえず1レースやり、わけがわからない間に大石がトップでゴール。後に長谷川・柳本が合流。計7車によるレースを二回実施。車数が多いことに加え、スリップしやすい地面、逆回りという諸条件が重なり、通常以上のクラッシュ続出。まさに「肉弾戦」という表現がぴったりのレース展開となる。その肉弾戦から抜け出したのが、2レース目は清水、3レース目は西村紳。クラッシュの巻き添えを食わない走法が功を奏したのか。
レース終了後は当初の予定通りのカラオケを2時間。スノーボード帰りの長谷川が途中で抜け、酔いの回った西村紳がぐったりしている状況をのぞけば、ごく普通のカラオケだったんじゃないかな・・・
そしてそのままお開き。帰りの車の中、西村紳が寝てしまっていたのがなんともはや。

1999年12月18日:ボーリング
今日は人数が5人しか集まらなかったことに加えて寒く、サッカーを中止してボーリング大会を実施した。
参加者は法月・正村・石部・遠藤・大石の5名。増田は「サッカーやらないなら行かない」とのことだった。で、ゲーム自体のことだが、とにかくハイレベル。1レーンたりとも気が抜けないゲームが展開された。2ゲーム目など、147を叩き出した法月が3位という状況、サッカーサークルじゃなさそうなレベルになっていた。なお、ビリ1とビリ2が罰ゲームという設定付き。
2ゲーム終了後、スコアに応じてハンディキャップを設定。遠藤+10、正村+5、法月・大石0、石部-5。これで罰ゲーム順位を競ったところ、遠藤大爆発。ハンディキャップ無しでトップになり、ハンディなしの法月がビリ2(3位と4ピン差)、ビリはハンディ+5の正村。石部が2位で大石3位。3位から5位までが10ピン差以内という、かなり際どい争いが展開された。
結局3ゲームを実施し、ダントツトップは石部。1、2ゲーム目は他の者の追随を許さず、3ゲーム目には疲れが見えるもそのまま逃げ切る。2位は大石(それでもトータル410)、3位法月、4位正村、5位遠藤。
その後はインターのすかいらーくにて談笑。
1999年12月11日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
久々のフットサルということで、気合いは入っていたのだが、到着がものの見事に遅れる(30分の遅刻)。既に4対4が行われていた。遅刻組が参戦してからは、7対7のゲームを。フットサルは当然5対5で行うもので、とにかく人口密度が高い。高すぎる。最初大石はGKをやっていたが、なかなかシュートが来ない。来ても、ディフェンス陣のふんばりでやはりゴールまで届かない。だが、そのうちカウンターがちょくちょくと出始め、ついに長谷川先輩にゴールを許す。その後もカウンターからの飛び出しで数度崩される。3〜4点取られたところで法月とGKを交代してもらう。あとはフィールドで動き回った。チャンスを何度かもらい、1点だけ取れた(気がする)。
4時になり、渡辺が入れたマッチメイクが始まる。強いチームということで、試合感の全然戻っていない大石は尻込みする。というわけで参戦せず、空いているコートで5対5を休み無く1時間ぶっ通しで行う。さっさと試合感を取り戻さないと。その前に判断力だよな・・・
1999年12月04日:練習試合・大井川河川敷
前日の飲み会が当日まで続き、朝6時に帰宅した大石は、そのまま睡眠。正午に起きてから家の用事を片づけ、午後2時過ぎにグラウンドに到着。久々にやるグラウンドでのサッカー、しかも試合とあって、無事出来る自信など全くなかった。なお、相手は常葉大のチームらしい(よくわからない)。渡辺つながりということだ。
午後2時半過ぎキックオフ。スタメンは、GK大石(社)、DFスイーパー法月(3)、センターバック田島(1)、右サイドバック遠藤(2)、左サイドバック正村(3)、MFボランチ長谷川(院1)、左MF石部(2)、右MF増田(2)オフェンシブハーフ渡辺(4)、FW川口・渡辺の知り合い。なお、交代メンバーは無し。20分3セット。
1セット目、イオシスが風上に立ち、その有利さを生かすかと思いきや、相手の出足の速さがそれを勝る。後ろで見る限り、ボールキープ率が3:7程かと。それを中盤からのディフェンスが良く耐えた。両サイドを使い攻め上がる敵に対し、中盤でのプレスから最終ラインでボール奪取、カウンターという対処を取った。それでも何度か左サイドから突破される。それを法月・田島が幾度と無く防ぎ、また突破された正村自身もそこからフォローに入り、しのぎきる。そして15分くらい、カウンターから川口が飛び出し、GKと一対一。GKボールに触れるもそのままゴール。先制してしまう。
風上という好条件が消えてしまった2セット目、正村が外れ左サイドバックに石部が入り、到着した長谷川の友人(ごめん!未だに名前わからない!)が長谷川とともにボランチに入る。
開始間もなく、中央から突破を図られる。それに対して十分なプレスが出来ないまま、正面からシュート、大石跳ぶも届かずゴール左に決められる。その後、1セット目以上に攻められる。理由は簡単、風下であるためクリアしても全然敵陣内までボールが飛ばないのだ。高く蹴れば蹴るほど当然舞い戻り、サイドラインを割ったりセカンドボールを拾われたり。元々ゴールキックが飛ばない大石が蹴れる訳もなく、やむを得ずディフェンス陣にボールを預ける始末。幾度と無くディフェンスラインを破られかけるが、全員で守り何とか処理。一度左サイドを突破されたときは大石も飛び込みボールキープ。よく守ったのだが、ついに自陣右サイドから突破される。田島が対処するも奥深くまで切り込まれ、中央に折り返される。シュートに備えゴール右に寄っていた大石は、そのボールについていくが中央で待っていた敵がゴール右にシュート。自分が飛び出した方向にシュートされたため、逆に跳ぶ格好となり、全く届かずゴール。逆転される。その後、敵ゴール前にてGKの反則か何かでフリーキックを得る。キッカー長谷川。ゴール左隅を狙うがわずかにそれる。
3セット目、サイドバックの攻撃参加が不足していたために大石が右サイドバックに入る。そのためGKに正村が入り、遠藤が左サイドバックに入り、石部が外れる。また、渡辺に代わり清水(院1)が入る。
相手の体力が落ち、幾度と無くカウンターが仕掛けられるようになる。大石も2度ほどカウンター攻撃に参加するが、決定的な仕事をすることは無かった。逆に大石のサイドからの突破が目立ってきたが、それを田島・法月がよくしのぐ。加えて、即席GKであるはずの正村が好セーブを見せる。ディフェンス陣が守る間、オフェンス陣もチャンスを得る。FWが2〜3度GKと一対一になるが、運悪くGK正面に飛び、防がれる。そしてそのままゲームセット。1−2で敗戦。
反省点としては、ディフェンスラインが下がってしまうことに依る中盤とのスペースが挙げられる。もう少しラインを上げて、コンパクトにやる必要性がある。また、理想型としてボランチ二人からパスを出し、両サイドバック、MFによる6人でボール回しをすることがあるが、さすがにそこまでのテクニックがまだ不足しているように思う。ただ、決して出来ないことではないため、挑戦してみる価値は十分にある。
試合後はミニゲーム。大石にはこれのほうが似合うのかも知れない・・・
終了後、大井川ガストにて食事。そこでユニフォームの話が出た。また考えましょう。金銭的な話から何からいろいろあるから。あと、長谷川先輩のチームが解散したということ。石部は「まぁ、いろいろとありまして・・・」と言葉を濁してしまったが。でもとりあえずは、「フットサルではイオシス名を使わないようにしよう」と確認した。どうやら渡辺の主催するフットサルチームも存在するらしいから、また混乱しそうだ。で、長谷川先輩のチームが解散してしまったと言うことで、サテライトの存在方法を変えてもいいのではないか?メンバー不足で悩むことも多いわけだから、サッカーはイオシス、フットサルはサテライトとして存在するとか、あくまでもサテライトの登録メンバーは定めておいて、今まで以上にイオシスメンバーを登用するとか。チームでの戦略とかができなくなるという難点もあるから、そう簡単にはできないことだと思う。自分としては、そういう使い分けもいいんじゃないかと。
1999年11月06日:通常練習・石津浜公園
朝から市役所サッカー部OBに混ざって芝のグラウンドでサッカーをやってきた大石に、午後もサッカーをやる体力は残っていませんでした。申し訳ないm(_ _)m
1999年10月30日:通常練習・石津浜公園
前回のフットサルにおいて足をくじいた大石は、サッカーは行かないよう考えていた。で、フットサルに行こうとしたところ、携帯に着信が入っていた。法月からである。ま、いつものことだろうと思い、何も考えずフットサル場に。そこでわかった驚愕の事実は、二人しか来なかったのでサッカーをやめて遊びに行ってしまったという事である。・・・非常に悪いことをしたような気がする。申し訳ない。
1999年10月16日:通常練習・石津浜公園・焼津フットサル倶楽部
藤枝市のグラウンドが全く取れなかったため、今週は石津浜公園にてミニゲームが行われた。飲み会明けの山田が非常に苦しそうだったのが印象的だ。最初のゲームでの出足は、昨晩の飲みの激しさを物語っていたのかも。しかし、ゲームが進むに連れて十分な動きに変わっていったのは流石である。
ゲームが始まったのが2時過ぎ、で、渡辺が4時からフットサルの試合を組んでいたために中途半端に公園で動いてからフットサル場に移動。
フットサル場について、対戦相手を確認すると・・・グーリット。そこそこ強い、というか互角かそこらのチームであることが判明。試合前から志気が下がったような気がする。
試合前、紅白戦を行う。これがまた楽しくて、試合が始まるときには「別のチームとやってもらうか?」説が非常に真実味を帯びていた。が、そういうわけにもいかず、試合開始。スタメンは、長谷川先輩・長谷川・山田・大石・遠藤(GK)である。とりあえず法月が次々に指名していっただけの、特に意味のない選択である。
さて、キックオフからの動きはよく覚えていない。とにかく、次々と人を変えて試合に臨む。そのため、どうしても連携などが不十分になってしまう。こればかりはやむを得ない、そのかわりに体力が残るのだから(笑)。1本目は次々とメンバーチェンジ、2本目は長谷川先輩・長谷川・村田・遠藤・法月(だったかな?)がずっと出場。で、他のメンバーはというと、もう一つのコートでGK無しの4対4。かなり笑いながらやった覚えがある。2本目フル出場してくれたみんなには悪いのだが。そして3本目、サテライトメンバーにて臨むことになった。これについてはフットサル部にて。
試合が終わってから、長谷川先輩のチームがマッチメイクで試合をやっている間、空いているコートでずっと紅白戦。体力がもう厳しいのに、「もったいないから」「なんかやりたいから」等々の理由により、計45分間プレイし続ける。これまたワイワイ出来たと思う、真剣みのある対戦もいいが、ワイワイ出来る紅白戦も楽しい。今回非常に楽しめたと思うのは私だけだろうか・・・
1999年10月09日:通常練習・大井川河川敷
久々に練習に来るという栗田を迎えに行った大石は、栗田家にて認識しないCD-ROMドライブに対応していた。そこに清水から、「今日練習にどれくらい人が来てる?」という電話。まだ行っていない、じきに行くという旨を伝え、またCD-ROMに対応し始める。すると、数十分後(笑)、またも清水から電話。「清水エスパルスみたいな連中がグラウンドを使ってるんだけど」。???一体何のことかわからなかったが、どうやらエスパルスのユニフォームを着ている巧い連中がグラウンドを使っているらしい。とりあえずグラウンドへ至急向かった。
グラウンドに到着すると、そのエスパルスな人々は大移動を終えかけていた。確かにグラウンドを取っていたためである。大覚寺グラウンドを使っていた頃とは大違い(笑)。
巧い連中を遠くへ追いやり、12人前後の連中で始める。ゲーム内容は・・・よく覚えていない、もう10日以上前の話だ・・・とにかく佐藤が巧いという事は、よくわかった。身をもって(笑)。
1999年10月02日:通常練習・大井川河川敷
土曜日に長谷川から連絡を受けた大石は、午後2時過ぎに柳本からかかってきた電話により目を覚まし、3時半頃にグラウンドに到着。大石を入れて10人という、多少寂しい環境だった(というか、グラウンドが広すぎる)。
「遅い〜」と責められつつミニゲームに参加。10月になったという事もあり、1年生が3人参加していた。チームは・・・忘れた、大石と正村、佐藤、渡辺(弟)、遠藤だったような気がする。相手は、法月・石部・増田・あと二人(笑)。相変わらず佐藤の動きはよく、再三絶妙なセンタリングをあげるも、ゴール前に詰めていた大石にあとひとつ届かず、ゴールを割れない。また、沼津高専サッカー部渡辺(弟)の動きも光る。結局、よくわからないうちに勝利。
で、次のゲームでは「一年+大石」対「二年・三年」という組み合わせに偶然決まる。が、2/3年チームがなぜかふがいなく、1−4で敗北。増田の「もう一度!」の願いにより、同じチームで再戦。最初とはうってかわって戦闘的になった2/3年、結構攻撃がすごかったが、2−2の引き分けか、2−1の(2/3年側)勝利かそこらで終了。何にしても、若いチームに入ってしまった大石はかなり疲れた。
1999年09月11日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
今週も雨天のためにグラウンドが使えず、フットサル場で練習を行う。
長谷川先輩のチームと対戦という形だったが、人数不足のためイオシス側が4人(一人キーパー兼)という変則的な試合になった。どうしても人数不足によるバランスの悪さが響き、またキーパーを兼ねている大石がディフェンス時に引ききってしまうため、バランス悪化を引き起こしてしまった。
4時過ぎに人数がそろい、やっと5対5。最初は石部をイオシス側に入れたのだが、見事なまでのゲーム崩しでチームの集中力が激減。まともな形ができずにそのミニゲームは終了。
その後は混合でチームを再編成。・・・で、5時からの対戦相手が来なかったため、使用料金はタダ、で、もう一試合ゲームを行った。はっきり言って、個人能力では差が出来たチーム編成だったが、なぜか不利かと思われたチームが競り勝った。前半はリードされたか同点かくらいで、結局7−5だったかと思う。密かに嬉しい勝利であった。
1999年09月04日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
雨天のために大井川河川敷が使えず、フットサル場を借りて4時から2時間ほど行った。
大石はフットサル場に行く途中に柳本宅に寄り、そのまま柳本を連れていったために遅刻。フットサル場に着いたのは4時半頃だった。そのため、到着後すぐ試合開始。
長谷川先輩の率いるチーム対長谷川・柳本・渡辺・法月・落合・大石。徐々に点差が開き、最終的には9−4で大石がいるチームが負けたが、長谷川曰く「こちらのほうが絶対いい試合をしていた、ただミスからの失点が目立った」と。やはり、どうしても些細なところでのミスがあったのは確かだ。それがことごとく失点につながっているのだから、何としてでも改善しなくてはならない。
それはそうと、試合中に降雨、ずぶぬれになりながらのフットサルであった。まぁ慣れているからいいのだが、やはり大変な事だ。雨の中交代を待つのは、非情に辛い・・・
1999年08月21日:全国PK選手権
大石の無理矢理なお願いにより、現キャプテン法月をはじめとした精鋭5名が、全国PK選手権inFUJIEDAに初参戦した。試合前、長谷川から「勝っても明日メンバーそろわないよ」と言われ、多少気になったものの「まぁ大丈夫か」と思いとにかく参戦したわけであるが・・・
審判の説明が終わると、早速試合が始まった。藤枝市民グラウンドに、市内各所からかきあつめたと思われるゴールが鬼のように立ち並ぶ。そのなかの「E」ゴール6試合目がイオシスの試合である。相手は・・・忘れた。確か相良町のチームだったような気がする。
で、試合開始。後攻だか先行だか忘れたけど、とにかくキッカー1番手は長谷川。本人曰く「マグワイア顔負け」の弾丸シュートは、市民グラウンドのスタンド横を越える大ホームラン。2番手法月は、相手キーパーが極端に隅に寄ったポジショニングを見て逆方向に蹴るも、狙いすぎて枠の外。3番手村田は、さすが元県選抜、無難にゴール右隅に決める。4番手長谷川先輩は、やはりキーパーと逆方向に蹴るもキーパーがキックの瞬間走り出していて止められる。5番手正村は・・・枠の外。だったと思う。結局1−5の完敗で終わってしまった。・・・これで一人千円か、かなり厳しい気もするが・・・
その後、フットサル場にて山田・佐藤の在籍するチームと対戦、1時間後は石津浜の公園にて続行したらしいが、その後のことはわからない。
ちなみに大石は、職場のチームでもイオシスでも控えとして存在していたため、どちらの試合にも出ていない(笑)職場のチームが勝ってしまったため、二日目に出場することになってしまった(お一人不参加のため)。どうしよう・・・
1999年08月14日:通常練習・焼津フットサル倶楽部
サテライトの試合を午後6時に控え、長谷川先輩率いるイオシスとノーマルのイオシスが3チームに分かれて巴戦を繰り広げた。
5人、5人、6人というぎりぎりでの人数で、2回同一チームと対戦したから・・・4試合ですか、やったわけだ。あとの試合のことも考えず(多少は考えたが)やりまくってしまった。
なお、柳本の友人である岸本氏が初参加をした。
1999年07月31日:通常練習・大井川河川敷
毎度の如く遅れて到着した大石は、ミニゲーム2セット目から参加、見事に敗北を期す。その後にゴールを使っての7対6を2ゲーム。仕事で大石が帰った後もゲームは続けられた。
本日は、久しぶりに西村紳が参加。袋井にて下宿生活を送っている彼であるが、夏休みということもありこちらに来たらしい。以前にも増して切れのある動きを披露、GKながら1点を奪うという怪挙まで成し遂げた。とにかく恐ろしいキャラだ・・・
1999年07月24日:正式名称決定
午後、栗田・鈴木と買い物をしてから大井川河川敷に到着。既に1ゲーム目は終了、着替えて3ゲーム目から参戦。炎天下、かなりのエネルギー消費を被ったが、たのしくできた。ちなみにサテライトのゲームは無し。
先週同様、試合後に焼津のガストへ。そこでついに正式名称が「イオシス」であると決定された。キャプテン法月と長谷川は既にイオシスが正式名称であると思っていた。それに蹴殺になるよりはということもあり、無事正式名称と相成ったわけである。よかったよかった!\(^-^)/バンザーイ、/( )\モヒトツ\(^o^)/バンザーイ
1999年07月17日:通常練習・大井川河川敷
体調が戻りきらない大石ではあったが、人数が結構集まるということで、2時過ぎに登場、1本目の後半から参入。しかし役に立たず敗北、石部と共にジュースを買いに旅立つ。
スーパーでアイスを購入してなんとか回復し、2本目の後半からまた参戦。・・・やはり負け。
3本目はトンボ掛けがかかっていたために必死になったはずなのだが、足をひっぱり負け。
しかし翌日グラウンドを使う方々がいらっしゃって、準備をするためにグラウンド整備はしなくておっけーというわけで、無事重労働から解放された。
練習終了後は、落合の提案により焼津のガストにて夕食。大人数で行ったため、結構店側もいやだったのでは?(^^;)
・・・取り立てて書くことがないなぁ(笑)
1999年07月10日:通常練習・中央小跡地
木曜あたりから体調がおかしく、金曜に飲みまくってその体調を悪化させた大石は、サークルに行くのをためらっていた。しかし天気は最高、人数は多いらしいという好条件に加え、長谷川先輩の「ボールがないから早く来て」の催促により二時少し前に到着した。
確かに人数は多く、8対8が出来る状況だった。新歓コンパ以来初めて一年生と会い、彼らの名前を完全に忘れていることに驚いた(^^ゞ
そして最初のゲームで、大石はばてた。もう走れないというまでに。風邪であるとはなんとなくわかってはいたが、プレイしてやっと自覚できたわけだ。前半はまだしも後半はもう・・・
というわけで2本目はジュースの買い出しへ。同じくダウンした清水と共に。そこでアイスを購入し、多少回復。
そして3本目。まぁ完調までは程遠かったがとりあえず最後までプレイすることができた。せっかくの好条件を無駄にせずに済んで、とても楽しかった。
ちなみに夜、新フットサルチームサテライトが誕生。こちらは勝敗云々を考えることなく楽しくやっていくことに主眼が置かれている。・・・イオシスが勝敗至上主義というわけではない(と思っているのだが)けれど。←実際問題としてそうなっているかな?
1999年06月26日:斉藤来静
前日に長谷川から電話有り。雨だったら無しだけど、午前中に法月が中央小跡地を見てきてやるかどうか判断する、と。そして当日。曇り。降ってはいないが、どう考えてもグラウンドは使えない状態だった。しかし、フットサル場近くの公園でやることが決定、大石は遅刻して到着した。
聞いてはいたが、斉藤が確かにいる。なんとまぁ本人である。久々に見る。・・・しかし、メンバーがなんか違う。新入生でもないし、誰がいるのだろう・・・その疑問を遠藤に伝えると、「ここに来たら4人がやっていたので、一緒にやってもらうことにした」と。なるほど。だから知らないのか。というわけで、途中から大石も参加した。長谷川先輩の率いるチームが5時から試合のため、そこそこで引き揚げたが、なかなか楽しかった。
で、フットサルは、大石・清水は見学。長谷川・斉藤が参加し、見事勝利。
そのあと8時から、焼津の村さ来にて斉藤歓迎会みたいな飲み会を。斉藤の近況がわかった一日でした。
1999年06月12日:対静岡理工科大・新歓コンパ
久々に試合があるので無難な寝起きを見せた大石であったが、一本の電話により大慌てとなる。それは、母の「ネコ踏んでるよ」の言葉がきっかけであった(着信音が「ネコ踏んじゃった」)。着信履歴を見ても誰だかわからない。再び電話が鳴る。取ったら、新キャプテン・法月からであった。「理工科大が到着してるけどグラウンドがあいていない(鍵がかかっている)んです、開けてきてもらえますか?」・・・おい!ちなみに渡辺は、「今日静岡に迎えにくるはずなんですけど、電話したら『今起きた』っていうんですよ(T_T)(ちなみに12時10分くらいの会話)」とのこと。やむをえずさっさと昼食をすまし、グラウンドへと向かった。
グラウンドの鍵を借り、急いで開ける。当然謝りながら。で、1時集合・1時半試合開始のはずが、1時10分になってやっと遠藤がくる程度。静岡の連中はまぁいつ到着するかわからない、とにかく相手さんに待ってもらい、やっと到着したところでアップも無しに試合に臨んだ(味方で待ちくたびれていた連中は十分アップしたが)。
先発は、FW長谷川先輩、MF長谷川・(左)渡辺・(右)新人・(底)清水・石部、DF左から正村・法月・新人、GK大石。遠藤がどこに入ったのかを忘れた・・・
そして、キックオフ。開始5分くらいであろうか、DF正村のクリアミスが相手FWへの見事なパスとなり、フリーでシュート。GK大石、ゴール右へ見事に決められる。その5分後、今度は相手のスルーパスにDFラインを破られ、GKと1対1。際どく足に当てたためボールはポストに直撃(この時点でゴールしたと思った)、跳ね返りを詰められゴール。その後長谷川からのスルーを長谷川先輩が独走して受け、シュート。1点差として1本目を終了。
2本目、足を怪我したというだけでGK石部に交代。遅れてきた増田がMFに入り、新人二人が先発の新人二人と交代して入る。しかし開始間もなくハイボールのキャッチミスから得点される。その5〜6分後だろうか、今度は中央からゴール右へ豪快に決められる。味方も一点目同様、長谷川−長谷川先輩から1点奪い返すが、終了前にゴール左へ決められ、点差を広げられる。
最終の3本目。大石がGK復帰、石部がMFに戻り、新人三人が新人二人+誰かと替わって投入される。両チームとも決定機を逃し、0-0にて終了。
結果、1-2/1-3/0-0の2-5にて大敗。新人とのコンビネーションを差し引いてもやはり厳しい結果だと思う。
試合後、ミニゲーム前後半一本をやってから新人チームと対戦。前半を0-2で折り返されるも、長谷川の檄が飛び、後半三点を奪って逆転勝ち。バランスの悪さ(大石の無駄なオーバーラップなど)が悪影響をもたらしたものと思われる。
練習終了後、新人全員と新歓コンパを村さ来にて行う。修羅場と化した追いコンと違い、おだやかに時は流れていった・・・
1999年06月05日:新年度役員人事
昼過ぎに渡辺から電話があった。「今日来れます?」と。大石は夜仕事が入っていたので、そこそこはやれることを伝えた。「3時くらいにあがればいいかな・・・」と思っていたが、渡辺の2回目の電話「3時頃に来て下さい」のひとことで予定は総崩れ。
さて焼津の公園についたところ(15分程度遅刻)、なにやらみんな輪になって相談中。何を話しているかと思いきや、渡辺が「せんぱ〜い、僕更迭されちゃいました〜」と。つまりキャプテンを決めてるようである。まぁどんなやりとりがあったかは定かではないが、多分長谷川が「だめ、おまえクビ」とでも言ったのだろう(笑)。で、結局新キャプテンは現3年生の法月に決定。あとは新入生をだれが送り迎えするのか相談していたが、結局結論が出なかった。また、法月が「なんで俺らが2年連続して勧誘しなきゃならないんだ」と現2年生に愚痴を言っていたことを付け加えよう。
あとはミニゲームをしていたが、大石は2ゲームやったところで退散。
ちなみに、渡辺は蹴殺にこだわっていたが、あっさりみんなに否定されていた(笑)。渡辺は蹴殺を以て再起を図っているようだが(笑)。
1999年05月22日:焼津で練習
いつものように中央小跡地に向かい、ボールを蹴っていたところ、なにやら生涯学習センターから車が流入してくる。これは何かと思っていたが、(来ていない)渡辺に問い合わせたところ「それじゃ河川敷」との返事が返ってきた。要するにグラウンド予約をしていなかったのである。まさか予約していない河川敷に我々が行くわけもなく、最初はフットサル場へ行くことを検討した。しかし電話がつながらず、その間に長谷川家のそばにある公園でおこなうことを決定した。
フットサル場の傍にあるその公園は、ミニゴール(ネット付き)がある結構よさげな所だった。そこでずっとミニゲームを楽しんだ。
なお、今回初めて清水の友人である山田・佐藤両氏が参加した。
1999年05月15日:おやすみ
読んで字の如く、今日はおやすみ。グラウンドがとれなかったという。・・・フットサルいれろって・・・
1999年05月08日:清水で試合
久しぶりにサッカーに投資をしようと考えた大石は、藤枝のシラトリが開店すると同時に店内に入り、キーパーウェアを探していた。しかし種類が泣けるほど少なく、何も買わずに駅南のFOOTBALL GEARに直行。そこで安売りされていたアップシューズとキーパーグローブ、安売りされていないスネ当てを購入した結果(買うつもりは無かった)、一気に予算が厳しくなり、キーパーウェアを買うどころではなくなった。やむを得ず再びシラトリに行き、これまた安売りされていたキーパーウェア(これがまた(略))上下とサッカーボールを購入、スタンバイが整った。
今日はどこで練習があるのかなぁと思い、渡辺に電話。すると「あ、いまから清水で試合なんですよ。これます?1時間あれば清水まで来れますよねぇ?」とのこと。折角購入したものを使いたいという理由だけで、清水へ向かった。
「国1静清バイパス長崎ICをおりて国1に入ったところにあるガストへ来い」との指令を受けて試合開始時刻に到着。渡辺に「ついたぞー」と電話を入れたら、「最初の信号を左に入ってまっすぐ」といわれる。その通りに行くも、じきに直進できなくなる。流れに沿って左折すると長崎ICに戻る。「ここを越すのか?」と思い、いろいろ走ってみるが一向につかない。もしや最初の信号を見間違えたのか、と再挑戦するも結果は同じ。1時間ほど悪戦苦闘した結果、渡辺に電話、電話に出たマネージャに諦めるといった旨を伝える。その後ガソリンを給油して、ついでにグラウンドの場所を聞く。あっさり場所が判明し直行するも、すでにトンボがけが行われていて、虚しく帰宅。
・・・試合結果?知るわけないでしょ(苦笑)
1999年04月17日:対静岡理工科大
朝9時過ぎ、大石は母の「ともくん、渡辺君から電話だよ」という声で目が覚めた。電話を受けると、「せんぱーい、渡辺です(略)理工科大と試合があるんですけど来てもらえません?」という衝撃の事実を聞かされた。・・・あのなぁ・・・第一こっちはずっとサッカーやってなかったのに突然試合かよ(T_T)
「人、足りないんですよ」の一声により、私が車を出さないという条件の下、参加することとなった。そして集合時刻の10:00〜10:30(という指定だった)、中央小跡地に着いてみるとそこにはグランドゴルフを楽しむ方々がおり、やむなく生涯学習センター駐車場に入る。法月・正村・遠藤といった面々が、私同様朝連絡を受け、そこにいた。集合時刻をすぎて小杉の車に乗った渡辺が参上。小杉の車が給油に行く間に落合、続いて長谷川先輩と村田が到着。これでメンバーがそろった(T_T)あとは袋井にて長谷川・清水を待つだけである。早速袋井へと向かう。
無事到着、浜松勢とも合流し、(略)試合に臨む。相手の人数がそろわず、10対9、20分3本の変則マッチが執り行われた。
一本目。ディフェンスの底に入った大石が全く機能せず、もたついている間に相手FWにボールを奪われそのまま失点。終了間際、長谷川先輩のシュートが決まり、なんとか追いつく。攻撃がうまく組み立てられず、守備もちぐはぐさが目立った。失点後、中盤の底に入っていた長谷川がディフェンスラインまで下がることにより、何とかしのげたという感じか。やはり斉藤の抜けた穴は非常に大きい。八木がいないのも大きい・・・
二本目。大石が左サイドバックに入り、センターバックに法月が入るというシステム変更をしたためか、何とかディフェンスを維持する。無失点に抑えるも、やはり不安定さが残る。攻撃陣も、決定的な場面を作れず終了。
三本目。大石がGKに入り、ディフェンスが一応の安定を見せるかに思えたが、オフサイドラインぎりぎりからの相手FWの飛び出しにDFが破られ、2対1の局面からそのままシュート、ボールは大石の左脇下を抜けゴール、再び点差をつけられる。その後、中盤左の村田から逆サイドトップの落合にいいクロスボールが出たりしたが、決定的な場面にまで至らない。逆に自陣ゴール前にて正村が空中戦にてハンド、自身肯定も否定もしなかったがどう考えてもハンドであるため、PK。しかしなぜか大石が無事止めて難を逃れる。終了間際にはオフサイドぎりぎりかオフサイドのところから相手に突破され(ディフェンス陣がオフサイドだと判断して止まってしまった)3対1の局面、そのままシュートされるもなんとかはじいて事なきを得る。結局2−1にて惜敗。心の中に数的優位の慢心があったのかもしれない・・・
p.s.渡辺が「チーム名変えました!」と言っていた。その名も蹴殺。蹴り殺すと書いて蹴殺。ビラにはドラえもんを蹴り殺しているのび太が書かれているそうだ。ちなみにそれは渡辺の一存であり、正村がマネージャだか彼女だかよくわからない娘に作ってもらったビラは「イオシス」になっているそうだ。チーム名がどうなるかは、未だ不明。
1999年03月20日:引退試合・追い出しコンパ
この日はあいにくの雨。しかしどうしてもサッカーをやりたい大石が、4年生(一部3年生)を無理に集めて雨天フットサルを決行。最初はカートをやっていたが、その後フットサル場へ直行。バイトがある山崎は帰宅。長谷川先輩と村田を呼び寄せ、5対5のフットサルを可能とする。雨が降りしきる中、また寒さの中、とにかくはしゃいでプレー。最後の頃はスライディングをする者まで現れた。結局4時から6時30分までやり続け、間髪入れず追い出しコンパ会場へ各自移動。柳本・松永は不機嫌さと疲れから帰宅。
予定より遅くに始まった飲み会は、「あぁ、ここって体育会系だったんだ」ということを初めて確認しうるものだった。とにかくよく飲む。無理に飲ませてはいけないと言うことはよくわかっているのだが、飲ませまくり。かくいう大石は、ビール中ジョッキ4杯飲んだ後、法月にそそのかされて「いいちこ」を大きめのグラスにて2杯一気。2杯目後、一気に気が遠くなり、とりあえずトイレにて復帰を試みるも既に手遅れ。どんな措置も回復に至らず、二次会に行く連中が多い中、政浩・遠藤に両肩を抱えられながら飲み屋を出て、遠藤のお母様の車にのせてもらって家に送り届けられる。車がついた後も玄関まで送ってもらうという痴態を曝した。結局、飲み代は一人頭6200円という恐ろしい金額だった。
なお、デジカメを持っていって写真を撮りまくったのだが、後日デジカメを操作しようとしてもシャッターがおりない。どうやら飲み会にて誰かが落としたらしい(ということを聞いた)。誰やねん!!せめて名乗れや!!!ま、その後自力で修理して、自力で落としてしまったからしょうがないが・・・

1999年01月30日:通常練習
朝10時に打ちっ放しの誘いの電話が入り、「サークルがあるから」と断った大石であったが、朝4時過ぎに寝たために再び意識を失う。次に起きたのは午後2時前。面倒になって休もうと決心し、柳本を誘うことなくうちで過ごすことにした。
しかし、いい天気なので昼食を取ったあと出かけた。午後3時頃に中央小跡地に到着するが、そのときちょうどメンバーの移動が始まっていた。今からフットサルをやるとの事である。大石もそのままフットサルコートへ向かった。
対戦は、長谷川先輩が結成している(大会に出場した)メンバー(長谷川先輩・増田・石部・遠藤・村田)と、それ以外のメンバー(長谷川・齋藤・法月・正村・渡辺・落合)で行われた。大石は、長谷川先輩のチームに入りプレーした。午後5時15分、9-8でイオシス(仮)本体が勝利した。イオシス(仮)分隊は午後6時からマッチメイクとの事である。大石はそちらに誘われたが、「静岡に行くから」と、断った。
余談ではあるが、大石は普段着(ジーパンなど)でプレーした。元々、サッカーをやってから直接静岡に向かおうと考えていたためである。でもフットサルで疲れ果て、家に帰ったことは言うまでもない。
ちなみに、法月が成人式で何かやったらしい(青年の主張みたいな奴か?)。
1999年01月24日:フットサル大会決勝トーナメント
朝、起きた。・・・冷静に考えると、大石は元々西村紳の代わりとして存在しただけだったため、大会に行くのを止めた。
翌日、静岡新聞の県民スポーツの欄に、フットサル大会が載っていた。「YFCウィンターカップ」だったらしい。初めて知った。そこには1-2でイオシス(藤枝市)が敗北したことのみが記されていた。あぁ、負けたか、と思った。
後に、西村紳から電話が入り、彼は風邪をぶりかえしながらも参加していたことを知る。当日、非常に寒かった上、雨も降っていたのに、である。メンバーが5人しかいない、という状況による長谷川先輩の要請を受け、わざわざ出かけ、GKを務めた。試合は、先制したものの逆転される、というものだったようである。大石が行っても行かなくてもそれほど影響は無かったものと思われるが、果たしてどうであろう。
1999年01月23日:フットサル大会予選
今日も中央小跡地で練習があるはずだった。しかし、よくわからないが長谷川先輩がフットサルの大会にエントリーしたらしく、そちらへ助っ人として参戦することとなった(試合開始が正午で、それまでに西村紳が間に合わない、しかもメンバーが4人しか揃わないとか)。・・・大石が助っ人である時点で、かなりやばいような気がするのだが。
毎度の通り、4チームのリーグにて、トップチームが翌日の決勝トーナメントに出場という形式、しかも今回は2位出場はナシ、前後半10分、ハーフタイム3分という事である。
大石が起きたのが11時30分、時間が無いので白い御飯1杯のみを腹に入れ、着替えの時間も無いと考えユニフォームを着、着替えも持たずに出発した。途中長谷川先輩から電話が入り、ギリギリで間に合う旨を伝える。で、予想通り、正午に到着。2分ほどのアップのみで、試合に臨んだ。起きて約30分で試合に臨んだのは、さすがに初めてのことである。
試合参加メンバーは、長谷川先輩・石部・村田・遠藤・大石の5人。当然大石はGKである。
1試合目は、静岡市リーグ(何部かは知らない)に参戦している「カレー」。中学のサッカー部の同級生でつくっているチームだとか(おやじさん曰く)。前半はほとんどボールを支配され、かなり厳しい状況であった。長谷川先輩のファールによるPKは止めたものの、カウンターから1点を失う。後半も形が作れず、そのうちに2点目を失う。終了間際に、村田のシュートが決まるも追い上げられず長谷川先輩の1対1も決まらず、1-2で惨敗。
西村紳が到着し、大石の出番はここまでと、そこから中央小跡地に向かおうとしたが、どうやら参加予定の増田(バイトで遅れる)が怪我をしていて出られない、とかいう話になり、残るハメになる。しかも今度はフィールドに出るとか。めちゃくちゃ不安の残る立ち上がりになる。
2試合目は、リーグの中で本命と思われる「グーリット」。1試合目を見ている限り、「フィールドは強いがGKはショボい」という印象があった。しかし他のメンバーは、「ここは強い」とかいう話をよくしていて、その点で不安があった。しかも、どうもGKが変わっていて、正GKになったようだ。試合は、前半カウンターからの長谷川先輩のゴールで先制、その後やはりカウンターから、大石のパスを受け長谷川先輩の2点目。前半を2-0で折り返す。前半で体力を消耗しきった大石は、後半遠藤と交代、ベンチに下がる。後半早々、長谷川先輩のシュートが決まるも、反則によりノーゴール。その後間もなく1点を失い、体力の回復しきっていない大石が再び投入される。カウンターによる長谷川先輩のシュートが決まり、再び2点差とするも、ゴール前の混戦からGK西村紳のいないゴールへボールが吸い込まれ(ボールは大石の目の前を通り過ぎていった)、1点差に追い上げられる。当然、後半終了前は、大石はバテバテであり、やはり疲れているはずの村田に「もう少しです、頑張りましょう!」と言われる。その後はなんとか踏ん張り、3-1で勝利。なお、前の試合で「カレー」が敗北しており、この時点で全チーム1勝1敗の五分、得失点差で「グーリット」がトップという状況になった。
増田がやってきて、本当に怪我をしていて参加できないという話から、やはり断れない人大石は3試合目も参戦することとなる(体力の事情からGK)。相手は、フィ、フィ、・・・何だったかな?忘れた。まぁいいや。前半は全くの五分。多少相手が押していたかも知れないが、こちらもそこそこやっており、お互い決定機に結びつかなかった。後半、相手のカウンターからの1対1を決められ、先制される。しかしフィールドに出ている西村紳が豪快に決め、同点に追いつく。その後は当たりの激しい試合となり、負傷しているらしい村田が2回、長谷川先輩が1回倒される。相手の攻撃をしのぎ、そして最後の最後にフィールド中央にいる長谷川先輩にボールが通り、真後ろにいたGKをかわして無人のゴールにシュート。しかし焦ったため、ボールは無情にもゴール右へ外れ、そのまま1-1で試合終了。
2勝1敗のグーリットが予選を突破し、イオシスは1勝1敗1分け、得失点差0の2位。これで終了か、と思いきや、グーリットが決勝トーナメントに出場できないという話から、イオシスの繰り上げ出場が決定。・・・前もこんなことあったよなぁ・・・運がいいというか、何というか。ま、うちだけがグーリットに勝利しているわけだし、当然か(笑)。
さて、その後行く予定だった中央小跡地に、西村紳・落合とともに行くも、既に誰もおらず(3時30分)、そこで「大石トラップ講座」が開かれる(生徒が大石であり、講師は他2名)。トラップの仕方について講師2人がもめ、板挟み状態の大石が一番困る。その後大石がGKを努めて、PK・FK・1対1を延々と続け、5時前に終了。明日に試合を控えながら、何をしているんだろう・・・と少々思ってしまった。
1999年01月16日:’99年2回目の練習
どうやら先週、今年最初の練習があったらしい。しかし卒論で忙しかった大石には行く余裕もなく、またその連絡もなく、うちでずっと卒論と格闘していた。
で、今年2回目の練習は、風が強く砂埃のひどい中、中央小跡地で行われた。メンバーも合わせて10名、うち4年は長谷川と大石だけという、世代交代がよくわかる構成であった。4時を過ぎる頃、尋常でない寒さが襲ってきて、ミニゲーム終了と共に練習終了。今までよくこんな寒い中やってこれたなぁ、とつくづく思う練習だった。
なお、次期キャプテンについて、現キャプテン渡辺は、「やれるとこまでやるよ、そう簡単にこの『大王』の座は譲らない」とのことである。次期キャプテンを自負してやまない正村は、最近サークルに現れず、どうなることやらと気をもむばかり。ちなみに、次期キャプテンを決めずに解散するか、という声も聞こえた。・・・解散前に名前確定しようよ。
1998年12月26日:’98年最後の練習
’98最終練習にしてはもの寂しさが伝わる集合人数。中央小跡地でミニゲームをやった後、フットサル場を借りて紅白戦。なかなか熱い戦いが繰り広げられた。
1998年11月21日:大石宅引っ越し
都市計画による大石宅引っ越し作業を、イオシスメンバーにて手伝ってもらう。
集合は13時であったが、西村(紳)、西村(政)は午前中から働くという偉業を成し遂げた。その後夕方まで作業は続き、日が暮れた頃終了。で、そこにて飲み会+サッカーゲーム大会(一時カラオケ)を。みなさん、ご苦労様。

サークル創設
大学に入り、バレーボールをやろうと思っていた大石に、柳本が悪魔の誘いをかける。サッカーサークル創らないか?と。元々サッカーは(も)苦手であった大石であったが、柳本の巧みな話術により説得され、藤枝・焼津を拠点としたサークルを創ることとなる。柳本の人脈を発端として、とにかく藤枝・焼津に実家を持つ連中を集める。それは、知り合いの知り合いの知り合いが知り合うという、わけのわからない人間関係を産んだ。人脈というものが存在しない大石が人を集めてくることは無く、柳本のツテにより人材収集は行われた。藤枝東高地学部つながりで西村紳を、大村中つながりで松永・山崎をつれてきた。そして、西村紳は友人の西村政と藤枝東高38HRつながりの清水を、清水は友人の川口・小池を、松永は焼津中央高つながり(工学部つながり?)の長谷川を、それぞれ引っぱってきた。大石にとっては、とにかく知らない人だらけであり、せいぜい知っていたのは西村紳位だった。とりあえず10人程度集まり、従来の目的通りサッカーをやることとなる。
初期メンバーの登場場面
では、大石が覚えている範囲で、人の登場場面を綴ってみよう。
松永:最初に会ったのは、静岡駅前のバス停。柳本と大石が一緒に駅からバス停に向かったところ、柳本が彼に話しかけていき、「あぁ、知り合いなんだ」と思ったのが最初。無愛想な人、というか、なんだか怖そう、というのが第一印象である。なぜそう思ったのか、不思議だが。ちなみにその時、松永と柳本はおそろいの黒いバッグだった(某店で20,000円也)。で、彼は柳本に連れられサークルに顔を出すようになったわけだが、サークルの登場場面は思い出せない。うーん・・・
山崎:夏休みか土曜日か、とにかく大覚寺Gにて練習をしているとき、なにやら自転車で登場したのが彼である。最初、「誰???」と、みんなで顔を見合わせていて、怪訝な表情をしていた。彼は自転車を降り、こちらへと向かってきた。そして、「あ、あの(たしかこんな風に喋った)、柳本って知ってます?」という第一声を発した(その場に柳本はいなかった)。うん、と答えると、「柳本君に言われて来ました、山崎といいます」と、挨拶が始まった。その状況は、推して知るべしである。その後、彼は毎週土曜の練習に、銀チャリで登場することとなる。
長谷川:全く覚えていない。多分、木曜日の練習の際、松永とともに登場したのが最初だと思われる。大石の第一印象としては、「でかい!」である(そのまんま)。最初は、名前すらおぼえられなかった(笑)が、いつの間にか覚えていた(当たり前か?)。とにかく、サークル創立の際、勝手に頭数に入れていた覚えがある(笑)。「こういちの友達の長谷川君もさそって・・・」とか、柳本と大石で相談していたりするわけで。
西村紳:全く覚えていない。柳本が「ポコ紳、ポコ紳」と言っていたことぐらいしか。第一、高校時代に会っているはずなのだが、どうして会っているかさえよくわからない・・・多分、「地学部対棋道部サッカー対決」で面識があったのであろう。サークル初登場も、よく覚えていない。うーん・・・
清水:やはり、全く覚えていない。工学部連中と共に登場したのか、西村紳と共に登場したのか、それさえ定かでない。第一印象としては、松永同様、なんだか怖そうというものがあった。高校時代、一回も面識は無く、アルバムを見て「あ、いるいる」と確認したくらいである。
川口:清水が友達と言って、豊田小での試合の時連れてきたのが最初。専門学校に通っているという話くらいしか聞いておらず、どんな人が来るのか不安に思っていた(はっきりいって怖い人が来ると思っていた(^^;))。が、会ってみて、口数が少ない、とてもおとなしいという感じを受けた。その試合で右のFWとして出場、点を挙げたのを覚えている。
小池:うーん、全く覚えていない。DFが巧いということは覚えている。また、夜ゲーセンに出没するとかいう噂を聞いたことぐらいか・・・
西村政:西村紳が、「GKできるやつがいるんだ」と連れてきたのが最初。その頃、大石は西村紳の原付に自転車を引っぱってもらいながら大覚寺に行っており、その時に初めて会ったような気がする。確かにGKとして巧かったが、それ以外でも巧く、GKをさせるのが惜しいとかいう話になった(はず)。また彼は、どうもGKをやりたがらなかったような印象があった。結局、彼のポジションはMFになったが、ハーフコートゲームの際、GKとして見事にシュートを何本も防いだ覚えがある。
はぁ、疲れた。事実誤認があったら、報告していただきたい。速やかに対処するつもりだ。
「イオシス」命名
サークルを結成し、名前を付けなくてはならない必要性が生じた。ドイツ語を履修していた大石と柳本は、日々ドイツ語の辞書をめくりネーミングを考えていた。いろいろと案は出てきたが、決定打が無かった。また、ふざけたネーミングをするつもりもさらさら無かった。
いい加減にネーミングに疲れた二人は、柳本の「イオシス」(アクエリアス・イオシスから)という名前に納得してしまう。当然、他のメンバーもネーミングを考えていた。しかしそれよりわずか前に「イオシス」と宣言してしまった(当然いやという声アリ)ので、その後のサークル命名会議(於:焼津のカラオケランド)で案が出ても、「いいよ、イオシスで。」という声が聞こえてしまう。ただ単に考えるのが面倒だったということ、チーム名をつけるということに照れをかんじることがその原因だったと思われる。妥協案として、一時的にイオシスという名前を使うことになる。その後大石は、正式書類にはイオシスと記入することに、内輪の書類にはイオシス(仮)と記入することにした。その名前は未だに変わっていない。
一年目の夏休み
さてさて、今までのメンバーがサークル初期段階の登場人物である。この後、メンバーが増えずに苦しみ、試合も出来ずに日々練習を続けた。そして大学生活最初の夏休み。地方(中央?)に散っていた人間が、実家である藤枝・焼津に帰郷し始める。その時、村上・栗田・見城・石神あたりがサークルにちょくちょく顔を出し始め、村上はその中でもかなりの割合でサークルに参加するようになる。
練習場所の確保
サークルの練習場所は、大覚寺Gになった。それは、焼津市民が多いことと、基本的に木曜・土曜の昼間、空いているからである。本当は予約しなければならないはずだが、そんなことは知らないこととして、「使ってないなら使わせてもらおう」と、使った。当然、野球の試合などで使えない日は、近くの公園に移動して、ボールを蹴り続けた。
対戦相手登場
そんなけなげな連中に、ついに対戦相手が来る。これもまた柳本のツテだが、藤枝東高地学部が相手になった。人数の関係上、柳本が地学部側にまわること数知れず、やっと得た対戦相手と試合を組んだ。地学部との対戦は数度に及び、最後には元サッカー部(中学?)までもが参戦した。なかなか面白い対戦だったように思う。
リーグ参戦の話、持ち上がる
1年目も終わりにさしかかる頃、西村紳の強い要望から、リーグ参戦を模索する。藤枝市リーグと焼津市リーグがその候補であった。しかし、どちらもたらい回しされ、結局何も出来ずじまいだった。また、どこぞのスポーツ用品店がリーグをつくるとかいう話が清水か長谷川か(実は村上であった)から知らされたが、そちらへうまくアクセスすることも出来なかった。
フットサル参入
2年目。焼津にフットサル場が建設され、そこの会員になる(会員No.0002)。そして、ついに試合。相手はC-CUBEだったように思う。基本的に乗り気ではなかったようだが、大石の「対戦チームに『今度サッカーの試合をしましょう』って誘うから、そうすれば試合出来るじゃん」という説得により一応納得する。その後、月1回くらいのペースでフットサルの試合が行われる。それ以前に、柳本が焼津市のグラウンド使用の登録に成功し、豊田小Gにてナイターが行えるようになった。対戦相手を捜すのが多少楽になり、そこで焼津FCやFORTUNEなどとの練習試合を組めるようになった。ちなみに、フットサルの対戦相手に「今度試合しましょう」と言った試しは、いまのところ一度もない。
ユニフォーム作成
時間は前後するが、「ユニフォームをつくろう!」という話が出てきた。チームとして存在するからには、ごく自然な流れである。まず、どういうユニフォームをつくるか?という話になる。オリジナルを作るという案は、あっという間に却下。一度、ユベントスのレプリカに決まる。だが、理由は忘れたが再びユニフォーム選択を始めることとなる。そこで「アルゼンチン」派と「イングランド」派に大きく別れる。ほぼ同数で、なかなか決着が着かない。アルゼンチン派の強みは、レプリカが安く売っていた(静岡のシラトリで3980円)と言うこと。そこで、柳本と大石はまずそれを探しに行くが、時期を逸したか、既に存在しなかった。そのためイングランドのユニフォームを購入することとなった。イングランド派の強みは、なぜか安いこと(ワッペンが無ければ5000円程度)。で、一応注文するまでにこぎ着けるが、胸のワッペンが無いのを選択したため、サークル内大不評。再び論争が巻き起こる。ワッペンが付いたら他のユニフォームとそれほど値段の安さが変わらなくなるため、また混乱が生じたのである。両派が再び激突するも(焼津のカラオケランドにて)、清水の言った「最初ユベントスって決めたんだから、それでいいんじゃない?」の一言で全てが決まった。一体、それまでの論議は何だったのか、あっさりと決定した。柳本と大石は静岡のシラトリに向かい、ユニフォームを注文した。
ユニフォーム決定の前に、背番号の決定もなされていた。これは、多分1年の冬である。自分の選んだ背番号を紙に書き、それを投票して開票していくという形式である。ここで激突したのは、背番号5をめぐった山崎・松永(勝者:山崎)、7をめぐった大石・柳本(勝者:大石)、11をめぐった川口・西村政(勝者:川口)の3組である。最初は清水の提案した、「私はいかにこの番号にこだわっているか」という主張から投票を行う、というものがなされるはずだった。しかし、なんのことはないじゃんけんで勝負は決した。背番号・ユニフォームの決定で、チームとしての一応の基礎は固まったと言えよう。
免許かサークルか?
1年夏、大石は自動車免許を取ろうと決意していた。しかし、柳本に「今お前がサークルに来なくなったらサークルどうなるかわからんぞ、サークルと免許どっちを取る?」と迫られ、大石はまさか「免許!」と言うわけにもいかず、サークルの練習に専念した。で、春、今度こそ免許と思っていたが、またも柳本に同じ事を言われる。しかし今度は自分の希望を押し通し、自動車学校に通うことにした。しかし、最安値+1万円のコースを選んだのが運の尽き、予約が取れるのはいつも朝か夜。結局、大石はサークルにも自動車学校にも行くハメになっていた。ちなみに、自動車学校にて附属島田中バレー部の鈴木先輩と偶然再会、サッカーサークルの話をしたため後日大石宅に連絡が入り、彼と長谷川先輩(鈴木先輩と同級生、附属島田中サッカー部)が新たにサークルに加わることとなる。
2年目の新規加入メンバー
2年目に入り、新規のメンバーが期待された。ここで入ってきたのは、齋藤である。静岡からの参加ということで、大石が西焼津から免許とりたての腕で送迎することになる。最初の練習の時、長谷川に「齋藤君って結構巧いんじゃない?」と聞いたところ、「めちゃくちゃ巧いよ!」と言われたのを覚えている。後日、彼が三重県・伊勢高校でサッカー部のキャプテンをしていたことを知り、「なぜうちなんかへ来たのか?」という疑問を抱いたりした。齋藤が入った頃、大石のツテで小川も静岡から参加するようになる。久々にサッカーをしたいという彼を言いくるめたのである。ちなみに両者ともDFであった。特に小川のサイドバックは、攻撃的であるが上がったら帰ってこられない、という弱点を持っていた。また、体力が無くなっているはずなのにいつの間にか回復しているのが驚異であった。齋藤はその安定したディフェンスにより、さすが高校サッカーをやってきたという事を示していた。
サークルに後輩が来なくては、数年後に自然消滅してしまう。そんな危機感から、大石と西村政はビラを作りまくり、静大構内に張りまくった。また、県立大にも張った。そのビラのおかげで、静大・情報学部の渡辺が大石宅へ連絡、彼も参加することとなる。最初に彼が来たのは、焼津のカラオケランドでの飲み会。歌がうまく、高得点を挙げたのを覚えている(ちなみにこの時から大石のカラオケ得点勝負最下位伝説がスタートする)。また彼は、当時浪人していた大島をサークルに呼び、サークル人口を増やすのに貢献した。もう一人後輩が入るといえば、大塚という人物がいる。相馬似の彼は、中学までサッカーをやっていた。これでサークルも存続するかもという期待があったが、彼は来なくなる。理由の一端に、連絡勘違い事件がある。豊田小での試合に際して、大石は6時に藤枝東高前に来るように要請した。しかし、彼は現れなかった。時間も無いので、そのまま豊田小に向かった大石であるが、彼は結局現れない。後日、次の練習を教えようと電話をしたが、彼は非常に機嫌が悪い。そこで、どうして来なかったか聞いたところ、自分は行ったという。「夜9時に東高って言ったじゃないですか!」・・・夜9時以降に試合をするチームは、そうそう無いと思うのだが。絶対に相手の勘違いだとは思いながらも、一応「ごめんごめん!」と謝った。しかし、はっきり言って謝る筋などこちらには全くない!今でもこれだけは譲れない。で、彼はその後何回か練習に来たが、7月を最後に来なくなった。結局この年、後輩は渡辺と大島の二人だけが加入した。※大島は当時浪人中
ホームグラウンド「大覚寺」消滅と新ホームグラウンド
2年の春から夏にかけて(1年の春か?)。サークルに一大転機が訪れた。それは、ホームグラウンド(と言い張っていた)大覚寺Gの使用不可能化である。東名高速道路のトンネル工事で生じる土砂の運搬先がここに指定されたのだ。使用禁止ということを柳本から聞いてはいたものの、そこはゲリラ軍の強み、知らん顔して使用し続けていた。そしてある日、柳本の知り合いである近所のおばさんが現れ警告を発した後、焼津市役所の職員が2人現れた。そして職員の方々の同情を誘いながらも、今後グラウンドを使用できなくなることを告げられ、ここでのサッカー生活に別れを告げたのである。
さて、新たなサッカーグラウンドを模索することになった我々は、まさか学生の身で毎週フットサルをやるわけにもいかず、毎週豊田小でナイターをやれるはずもなく、とにかくグラウンドを探した。そこで真っ先に出てきたのが藤枝市・中央小学校跡地グラウンド。ここは、数年前に地学部対棋道部のサッカー対決が数度に渡り行われた由緒あるグラウンドである。しかし、ここではある噂が聞かれた。それは、「無断使用していると市役所の職員が来て怒られる」というものである。無断使用している方が圧倒的に悪いわけだが、とにかく大覚寺Gより自由が利かない、やむなくグラウンド取りを行うことになった。毎月21日、藤枝市役所にてグラウンド取りの抽選会が行われる。大石か西村紳がその任を負った。両者とも出かけられないときは、抽選会以降に体育課窓口で直接申請をした(大石が現在体育課の向かいで仕事をしているのも何かの縁か因果か・・・)。毎月の申請により、大覚寺Gに代わって中央小跡地Gが新本拠地となったのである。加えて、五十海グラウンドがサブグラウンドとなった(ただ単に競争率が高かったため滅多に取れなかっただけではあるが)。
ネオ誕生
フットサルでのマッチメイクでそこそこいい成績を残して調子にのっていた大石は、夏休みの大会に参戦することにした。メンバーが多いという、一年前では考えられなかった悩みを解消するため、2チームで参戦することになる。そのチーム名をフットサルコートで考えていたが、思い浮かばない。そこで誰かがアクエリアスのペットボトルを見て、「アクエリアス・ネオ」から「ネオ」でいいじゃないか、と提案した。他にいい案も無かったため、即決で決まる。
最初のフットサル大会
ネオが誕生し、一応一軍と二軍というようなチーム分け(正確に言えば常時参加者がイオシス、季節限定参加者がネオ)をして両チームで大会に参加。ネオは予選リーグで敗退したが、イオシスは無事予選を突破、本戦に進むことが出来た。結果はよく覚えていないが、とりあえずまた今度調べておきます(笑)確か試合は午前中で終了、その後藤枝の東海村にてカラオケをやった。
ちなみにネオが敗退したとき、イオシスのメンバーもいたため、十分予選突破はできたのだが、やはりチームがごちゃごちゃになってしまうためネオのみで戦った。<P>
2年目の夏休み
1年目と最大の違いは、人数が多少確保しやすくなった点か。他には・・・相変わらず週三回の強行日程(まさにサークルのために生きているような日程)をこなしていた。よく誰も日射病にかからなかったものだ。
秋のフットサル大会
突然話が飛んで申し訳ないが、夏休みにも特にネタがないため、一気にとばさせてもらう。文化の日と思ったのだが・・・フットサル大会が開催された。大石は風邪を引いたため参加できなかったが、そこそこの成績を収めたようだ。その後、川口の就職祝いの飲み会が開かれ、大騒ぎしたらしい(羨ましい)
2年目の冬休み
相も変わらず週三回の日程を組んで、サッカー三昧の日々。年末には当然忘年会を。新年会はやったのかなぁ?やってないような気がするなぁ・・・
三年目の転機
三年目。これほど大きい転機はなかなか無い。それは、サークル人口の半分を占める工学部連中が、浜松へ行ってしまうということだ(約1名静岡残留を成し遂げた師匠がいるが)。これで週二回であった通常期の練習は土曜一回のみとなる。浜松から二週に一回は戻るから、という長谷川の発言は確実に守られ、下手するとそれ以上の参加率を誇った。浜松工学部組の驚異的な積極性は、今のサークル存続に多大なる影響を与えていると思う。
3年目の新入
大学3年になり、授業スケジュール的に学業の余裕が出てきて、一方で工学部が浜松へ移住し、まぁそんな中で新入生が入るわけだ。今年もビラを作って大学構内に貼り付けまくった(当然無許可)のだが、それで来たのは結構多い。う〜んと・・・えっと・・・教育学部で法月・正村・杉井(地学部の後輩)・勝岡、人文学部で小林・沢・・・沢・・・名前が出てこない!まぁいいや4人、合わせて8人くらい(もう少し居たかも)入った。こんな部員過多になるとは思いもよらなかったのだが、とにもかくにも増えたので、ユニフォームも追加生産した。既に20番まで埋まっていたので、20〜30番台の番号を割り当てさせてもらった。今となっては可哀想なことをした。ま、しょうがないか。うん。
以下略。また時間が許したら継続。
