第4次ガダルカナル島残砲弾処理報告記
(平成11年8月2日〜12日)
 晩夏の候、皆々様におかれましてはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

 さて、私根生乃塾・夏井辰徳は、無事に第4次ガダルカナル島の残砲処理より、無事に戻りましたことをここに伏して御報告申し上げます。

 実は、今年はじめより、ガダルカナル島では先住民のガダルカナル人と隣島からやってきた新入民のマライタ人との内乱が勃発しており、その最中どこまで残砲処理ができるものかと不安を抱えたままの出発でありました。だたださえ、ガダルカナル島(ソロモン諸島国)の情報が不足しているの中、この内乱状況は残砲弾同様に、例えばこの日本ではマスコミ等の報道は皆無であることが当然であるように、情報収集もままならず、いつものことではありますが、この体を運んでみて、体で情報収集をし、その場で判断し、行動せねばならないという私好みの苦境のスタートでありました。(外務省海外危険情報参照)
 結論から申し上げますと、推測通り、残砲弾処理どころの騒ぎではなく、所謂、「危険」そのものといった状況下で、残念ながら、たったの1個のそれも回収・爆破処理はできませんでした。その意味では、「残砲弾処理報告記」ではないかもしれませんが、ご容赦頂きたく存じます。しかしながら、残砲弾処理同等に、いえ、もしかしたら、それ以上に得るものを得て帰国したつもりでございます。いかに、その私が感じ得たものを伏してご報告させていただきます。

 入国した飛行場から「危険」「普通でない」という空気はすでに蔓延しておりました。回りの武装ゲリラに気を付けながら、何とかホテルにたどり着くや否や、「在留邦人の皆様」という在ソロモン諸島日本国大使館からの通達書をフロントで手渡されます。その要旨は、「この内乱の状況下で、安易な行動を自重するように。特に、首都ホニアラ市以外への外出や、市内でも夜間の外出は、慎むように」とのことで、これまたいつものことではありますが、カッコ下記で「もし、この通達を破り、何かトラブルがあっても当方では関知しません」といわんばかりのそれです。お役所仕事では、この通達も内容も当然のことだろうと、頭の隅には置くものの、私の体温(目的)には、何ら関与せず、さっせくより詳細な内乱情報を収集するために、ホテルの従業員、そして、街へ出かけ、街の人々に情報収集をします。
 もともと、私は、この内乱事態には意見する立場でもないし、その資格もないと考えておりました。「戦」とは、一面だけで断ずることなど出来ないものでしょうし、まして、異国の我々が口を挿むなど持ってのほかだと。しかし、大小問わず、人間同士の無用の争いを憎み、大げさに言えば、所謂、「世界平和」を望む心は大前提にあります。それが故に、過去3年間の残砲弾処理もあったのですし、この大前提の上では、内乱字体に口は出さずとも、微力なりとも「平和解決」に向けて何か尽力できぬものかとの行動の始まりであります。
そこで、危険を覚悟でさまざまな場所やさまざまな人々から得た数々の多方向(ガダルカナル人や、マライタ人、そしてオーストラリア人や在留邦人等)の複数情報を客観的に、箇条書きに以下にまとめます。
 

  1. 事の始まりは、今に始まったことではなく、相当の過去からのガダルカナル人とマライタ人との確執はあり、それが小さな争いで済んでいたときもあれば、大きくなってしまったときもあり、今回は、その延長線上にあり、大きな争いになっている。
  2. ソロモン諸島の中で、首都ホニアラ市のあるガダルカナル党へ、(ガダルカナル島自体も貧しい島ながら、さらに貧しい)マライタ人の多くが出稼ぎに来ている。そのマライタ人たちに対する差別的視野は、一般のガダルカナル人たちの一部にあったと考えられる。そのマライタ人の一部が、盗みや放火を表立っては過去3年ほど前から始めだした。それに対し、一部のガダルカナル人たちが、先の大戦で使用した銃などを改良したりして制圧し出した。それは、火に油を注ぐ形になってしまい、マライタ人一部がさらに奇襲を繰り返し、それに対しガダルカナル人たち一部の武装が本格化(当局は調査中だが、他国からの武器密輸の疑いありとの事)し、大小の争いが繰り返され、死者が出る(公式発表の死者数字は出ていないが、私が収集した情報によるとこの4ヶ月間で、50人に至った。
  3. 現在の大統領は、マライタ島出身であり、国益の多く(90%以上)を担う半官半民のパーム油や木材等の輸出会社SIPLを、一部の過激ガダルカナル人(GRAと名乗る一派。後にIFFと名乗る)が襲ったことを機に、大統領命令で、国軍が、武力制圧をはじめた。経済状況が思うように良くならない政府指導とこの貧しい島で仕事が皆無に等しい中、SIPLの従業員の65%がマライタ人で、28%がガダルカナル人以外の近隣の島の人間で、ガダルカナル人の従業員は5%に満たないということなどが、襲われた一つの要因と考えられる。当然政府とすれば、微力なりとも国益の多くを作り出すSPILを武力で襲われ、武力に対しては武力で鎮圧に出ざるを得なかった。私が入国する一週間前にも、私が毎年、活動の現地拠点とさせていただいているレレイ村の裏手の山・オースチン山で、軍とGRAとの銃撃戦があり、GRA側から4名の死者が出たとの事。
  4. 政府は、六月始めに国連に協力を要請。しかし、その国連は視察の結果、まだ国連が介入する段階ではないと判断し、自国での解決を指示。そして、オーストラリアやニュージーランド等の近隣諸国の共同平和維持軍コモンワールズセキュレタリィアートが介入し、GRAの幹部と接触。武装解除を申し出たが、GRAでは拒否し、SIPLのあった地域(CDCエリアと呼ばれる)や山中に潜み、現在もゲリラ戦を行っている。
  5. 民族問わず、貧しい層は、ジャングルや町外れへと逃げ回っている。物価は、一気にうなぎ上りで(電気量などは、一ヶ月に13%上)、民族問わず貧しい層の人々が、上出している。国際赤十字も訪れ、彼らのこの内乱の分析結果による判断で、マライタ人のみに食料物資を提供している。
  6. GRAの幹部は、未確認ながら、私が過去3年間友に命をかけ協力を得ているレレイ村の(約62人。そのほとんどがガダルカナル人)の奥の隣村・マタニコ村(約300人。そのほとんどがガダルカナル人)の中の一部の人間で構成されている模様。その幹部らは、武装し、レレイや他の村々の人々に仲間に参加するように強要している。それを拒否するために、レレイ村や他の村々の人々などはジャングルを逃げ回っている。さらにレレイ村の人々は、そのほとんどがガダルカナル人であり、国軍隊は、GRAを見極められず、ガダルカナル人達を一斉に取り締まっている。その双方から逃れるために、ジャングルの中を転々とし、飢餓に襲われている模様。


等々の情報です。

 一方、わたしは当初より、3年前より我々日本人と共に我々の思いに感銘してくれ、共に命をかけて行動してくれ、現地の活動拠点となったレレイ村(ホニアラ市から車で一五分ほど山中へ入った場所)の人々が、どうしているものかと心配でありました。私が出発する一週間前に届いたレレイ村の中心人物のBENからの手紙によると、「レレイの全員がジャングルを逃げ回っていて、餓死者も出ている。私も、途中で襲われる危険性もあり、命をかけなくてはこの郵便を出しに、街へもなかなか容易に出られない状況で、(現金収入を得るための)仕事がまったくできない。レレイを代表し、心からお願いする。食料費を援助してもらいたい」、とのことで、とりあえずの援助金を送り、残りの援助金を直接渡すためと、何よりまずは、BENをはじめレレイの皆さんの安否確認のために、レレイを訪れたいのですが、先述通りの危険があります。そこで、私は2年前より協力を得ている軍隊(爆破処理班)を訪問し、警護を要請。軍とは、我々の活動の趣旨をわかってもらっており、爆破処理の協力を得ている間柄で、快諾してくださり、「ただし、GRAは、我々軍隊を敵視している。レレイまでの道のりは、GRAから襲われる危険性もある。それを忘れないでほしい」との条件付きでレレイ村へ私を警護し、行ってくれることになりました。翌日の午前9時?10時にホテルへ迎えにきてくれるとのことで、待っておりましたところ、10分ほど前に部屋の電話が鳴り、なんとBENが私を訪ねてホテルのロビーへ来ているというのです。慌てていってみると、紛れもないBEN本人が待っているのでした。良く事情を聞いてみると、街へ出てくること自体も危険なのですが、町の郵便局へ、もしかしたら私からの手紙が着いているかもしれないといってみたところ、3通も届いていて、それをその場で開封したところ、今来ていることを知り、慌ててホテルへ来てみたとのこと。そして、無事の再会を喜びあっているところへ、軍の方々が来て、それぞれの無事と再会を喜び合い、軍隊の車でレレイ部らへの視察に入ったのでした。
 そこは、物の見事に蛻の殻となっており、各家々は気持ち中利のかぎがかけられ、盗みに入られぬよう、また放火をされぬよう、BENと奥さんと二人きりで当初から、守ってきたとの事でした。良く聞くとBENは、レレイの中でたった1人だけガダルカナル人ではなく、近隣のウラワ島の出身であったのです。BENに関する情報を補足すると、21年前にこの島へ来てソロモン政府の大蔵省へ勤務し、奥さんと結婚し、レレイ村の住人となり、五人の子供(うち二人が故事で、それを育てている)の父親であり、キリスト教の宣教師リーダーであるのでした。そうした人間性や思想が背景となり、いつ襲われてもおかしくないそこで、子供達を出身のウラワ島へ預け、いわば、たったひとりで、村を守り続けていたのでした。そして、ジャングルへ逃げているレレイの人々は、夫々にBENの元へ山から下りてきて、食料をもらい、再びジャングルへ逃げるといったことを繰り返すこの4ヶ月間だというのです。そうして、2ヶ月たった頃、ジャングルで隅々足を汚したワラァという若者(我々の第一回目の活動を協力してくれた1人)が、下りてきたところを、BENに諭され、男二人でレレイを守っているというのです。私は、各家々を視察し、もぬけの殻となったレレイに、今一度愕然とさせられ、しかも、過去3年、我々の活動の現地捜査の隊長的な存在だったピノという男が亡くなっていたことを知り、心の痛みは、深さをまします。死因は、表面上では、酔っ払って、川へ落ちて溺死ということでしたが、酔っ払ったところをマライタ人に教われた可能性もあるとのこと。しかし、BENは無用な推測はしたくないと、眉間のしわを深めます。BENのこうした一連の行動に、思想に、改めて感動しながら、ピノの墓前で合掌しました。その時です。私は、何者かに「おまえが命懸けで先の大戦の残砲弾をいくら処理しようとも、何をどうやろうとも、どうだ、思い知ったが!人間の争い(戦争)というものは、無くなりせんのだ!」と、指差されたような気がし、只々、暫し呆然としました。もちろん、私ごときの活動で、人間社会全体の平和がなし得るなどと、冗談にもならないような図々しいことは寸分だに考えているつもりはありませんでしたが、何者かに指差されたようなその衝撃に、瞬時に立ち向かう術は私にはありませんでした。それからのBENとの長い対話の時間、衝撃はとどまることなく、私を攻め立てます。一方で、BENと共に、私もレレイへ滞在し、村を守ろうとも考えましたが、逆に私がいることで、妬まれ狙われやすくなるということで、ひとまずBENと別れ、ホテルへの缶詰を余儀なくされます。8月5日のことでした。

 そのメンダナホテル(ホニアラ市で唯一安全とされるホテル)滞在の数日、このホテルだけに映る2時間プラスの時差だけで唯一移るNHKのテレビ放送を眺めながら、「人間は、どうして戦争をするのだろう」「戦争とはいったい何なのだろう」「人間は、何故に同じ過ちを繰り返すのか」「いや、戦争は過ちなのか。もしかしたら、必要悪というものなのではないのか」「人間の存在って何なんだ」「世界平和っていったい何なんだ。必要なものなのか。」「俺はいったい何をやってるんだ」「毎年こうやって来ていて、何もなっていないどころか、こうして内乱が起きているじゃないか」「こんな金があったら、もっといい車を買い、もっといい家に住み、もっといい飯を食い、我が子供やカミさんをハワイにでも連れていって、へらへらと遊びに行ったほうがマシなんじゃねぇか」等々といった数多くのこれまでも何度と無く自問自答してきた根本的問いが、息する暇も無く襲いかかります。その間、NHKでは、ちょうど8月6日の広島原爆投下の日、そして、9日の長崎原爆投下の日と重なり、そのニュースや番組が続きます。私は、自問に答える術を失ったように只々その番組等を目で追いました。資料映像。後遺症で苦しむ人々。身内を無くした人々の苦悩、涙 ---。次々と映し出される映像は、自問をより加速し、より責め立て、いつもの答えに簡単にはたどり着けない私を嘲笑するかのように流れて行きました。
 偶々私の部屋のベランダは、ビーチに面した一室でありました。そのから正面に海軍の船の船着場が見えます。そこへマライタ島から来る船も着けます。その船に乗った子供達が、本来はフェンスで仕切られ入って来れない様にしてある私の部屋の目の前のビーチへ遊びに来ます。私が、時折洗濯物を干したりしているうちに、そのマライタ人の子供達と仲良くなり、遊ぶようになっていました。と、ふと、「レレイの子供達はどうしているかなぁ」と頭を過ります。去年までは、この目の前のマライタ人の子供達と同様に、レレイのガダルカナル人の子供達と遊び、その純真さに心洗われていたのです。もしかしたら、この子供達に心洗われるために、私は何度も来ているのではないかと錯覚するほどの純真さです。その純真さに、今年も触れているのです。マライタ人の子供達によって ---。
この子供達が、やがて、大きくなり、もしかしたら、このままだったら、再びレレイの子供達と争うのか…と、思った瞬間、私の自問に対するひとつの答えが噴出しました。いえ、答えではなく、「タマラン!」「許せん!」という欲(はらのむし)でしょう。

私は、この数日間で得た情報を再検討してみました。
「世界平和」などと大袈裟なことが私ごときに出来るなどとは、寸分だに思ってはおりませんが、少なからず、この子供達の笑顔を踏みにじる輩は「許せん!」、何が出来ずとも、この子供達の笑顔は守りたいと、自分の中の何者かが叫びます。そして、再検討の結果、あることに気づきます。「世界平和」を大上段に掲げた国際赤十字の活動内容です。彼らの、この内乱を分析した結果、この内乱の加害者はガダルカナル人であり、被害者はマライタ人であるという判断によるマライタ人のみに対する食料物資の提供という活動です。私は元来、こうした独善に任せた正義感のようなものを生理的に受け付けない体質のようで、気がついたら、私と同じホテル内に国際赤十字の幹部が宿泊していることを知り、その方々とロビーのソファで向かい合っておりました。彼らの理念は「貧しいもの達を救う」のだそうです。すばらしい理念であり、すばらしく穴のあいた眼球をお持ちの方々でした。さらに驚き、笑ってしまったのは、その食糧援助物資の巨額資金が、日本大使館から提供されたというのです。
私は、「マライタ人とかガダルカナル人とかの民族を問わず、この内乱で貧しいものは貧しいし、民族問わず、悪いものは悪いのではないか。あなた方国際赤十字の理念はすばらしい。その理念に基づき、民族問わず、救うべきではないのか。内乱自体に安易に干渉すべきではない」という趣旨を伝え、是正を求めました。これが是正されたか現在確認中ではありますが、いずれ、東京裁判や、国連を妾に従えたようなアメリカ軍、そして戦後溢れ出したわが国の進歩的文化人等にオーバーラップするような、以非の正義感を大上段に振りかざした連中こそが、あの子供達の純真な笑顔を踏みにじるのでしょう。サカキバラ少年やオウムやオヤジ狩り等を生み出したように。
 そして、私がガダルカナルを離れる前日、BENは再び私を訪ねてくれて、心行くまでさまざまと話し合えました。その中で、私は、これまでの残砲弾処理活動は元より新たに島内にある小中学校15校へ、広島原爆のシンボリックな少女「サダコ」の小説を寄付し、レレイへ、小さいながらも、民族や宗教やイデオロギーなどを一切問わない所謂、「人間塾」(コミュニティハウス)の建設を初めて約束しました。これが、滞在中に必然的に対峙させられた根本的自問に耐え、そして芽生えた、私のささやかな夢です。
物質文明を求める人間の欲求というものは、所謂、業というものであり、ある意味において健全なのかもしれません。しかし、一方で物質文明のみを極め、先進国といわれる我々が、忘却し踏みにじってきたものを、その顛末を直視するならば、物質文明を求めると同時に同等レベルに高めねばならなかった何かに覚醒せざるを得ません。その何かとは、「戦」というの野の本質・物質文明を求める手法を少なからず健全なるものへしてゆく、唯一の”感覚”であり、”免疫”となりうるでしょう。
 私は、そこに新たなる”もうひとつの路”を見出し、夢を賭けようと決意致しました。
こうした内乱が、日本には一切報道もされず、残砲弾処理同様に無視され続け、期せずして私が日本を離れている間に、来世紀は経済大国になるであろう中国から再び化学残砲弾が出てくるや、俊敏な反応をするわが国政府のあり方に、現在の日本人のあり方に、赤面せざるを得ません。
ガダルカナルだけではなく、我々が虚飾の平和を貪り続けているその最中に、数多くの名も無いような国々島々では、我々の先輩や連合軍が残した砲弾で傷つきなく亡くなっているという事実に、繰り返し行われる人間同士の殺し合い、「戦争」というものに、
微力なりとも一石投じようと、改めて決意した次第です。
そして、私一人の力では当然、どうすることも出来ぬほど、問題は大きく、あまりに私は無力です。願わくば、皆々様のご協力を頂戴し、ひとりでも多くの子供達の笑顔を皆々様と共に守って行きたく、切に伏して願うものです。

 今回も、様々な方々から、影に日向にご声援を頂戴致しました。どうか、今後共、この浅学無力な私共に御指導御協力を頂けます様、この場をお借りし、感謝の念を述べますと共に、お願い申し上げます。

我々の活動をご理解頂き、何らかのかたちで手を差しのべたい方、御力添えをいただける方は、こちらへお進みください。

合掌

平成11年8月15日
根生乃塾 夏威辰徳


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