ガダルカナル島(以下ガ島)はソロモン諸島の南端部に位置している。ソロモン諸島とは、オーストラリアの北にあるニューギニアから東へ約1,000kmの位置にあるブーゲンビル島を北西端とし、そこから東南へ約1,100kmの位置にあるサンクストバル島を東南端とした、点在する平行した二条の列島群である。かつて英保護領であったが、昭和53年(1978年)7月「ソロモン諸島国」として独立した。
ガ島は、南西側列島の南端部に近く、太いサツマイモの様な形をした島で、東西150km、南西45kmで、面積6,500平方km である。房総半島とほぼ同じぐらいの大きさに見え、日本からは南東へ約6,000kmの位置にある。
島の中央に東西に山脈が貫き、平野部は殆ど無く、東海岸は密林と幾多の川、南海岸は殆ど岩壁である。気候は年間を通じて高温多湿、草木の発育が旺盛である。原住民はメラネシア人で、人口約28万5000人(1990年三月現在)。主としてココナッツ、コプラの栽培を行っている。一般的に温和で、性格的にも純朴で、日本人への感情も良好、大半の人々はキリスト教徒で、飲酒や肉食を厳禁している宗派もある。言語はピジンイングリッシュを用いる。
島内の道路は、首都ホニアラを中心に、東海岸沿いに東西に延びる自動車道路があるが、山岳部には、原住民用の小径がある程度であり、大部分はジャングルに覆われた未開の島である。
ガ島は、先の大戦(大東亜戦争≠第二次世界大戦)に於ける日米間の激戦地であり、ひとつの飛行場を巡る争奪戦ガ島戦が約半年間に渡り展開された。
昭和17年(1942年)8月、ガ島に飛行場を完成させた日本海軍は、その完成直後に米軍に奪取されてしまう。奪回のため、幾度となく日本軍は陸軍部隊を急派し攻撃するが、物量に優る米軍の反撃を受け、損害が続出。制空権、制海権を失った日本軍は物資や食料の補給も困難を極め、ガ島の兵士たちは、やがて果てしない密林と山谷の連続という地形に、ジャングルをひたすらさまよい、飢餓とマラリアによって倒れていった。
これが為、昭和18年(1943年)2月、ついに日本軍はガ島からの撤退を余儀なくされた。先の大戦にて、当初、優勢を誇っていた日本軍が、逆転形勢へと連がるターニングポイントとなったのである。
投入された人員三万余名のうち、二万余名が戦病死した。この損害に比べ米軍側は、戦死傷者ひとつをとっても、5000余名と少ない。しかも、日本軍の戦死者の殆どは餓死であった。戦う前に死んでいたのである。日本の兵士たちは、実際の敵と遭遇する前に、戦うだけの体力をなくしていたのである。陸上の戦争では、武器、装備の類も米軍のそれと比べて、違いがあり過ぎた。
後年、ガ島は“餓島”(餓死の島)とも、言われるようになった。