真田太平記

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真田太平記 第11巻『大坂夏の陣』



和睦休戦の翌日から、徳川家康は東軍の総力をあげて外濠のみならず、 たちまちに、二の丸・三の丸の塀や矢倉を打ち壊し、濠を埋め立てに かかった。
大坂方では、愕然となった。
和睦、休戦というからには、東軍は残留の部隊のほかの、大半は大坂から 引き上げるだろうと考えていたふしもある。
このとき、真田左衛門佐幸村が労して築きあげた真田丸も破却されて しまったのだ。

12月29日の昼すぎに、滝川三九郎一積は将軍・秀忠の許可を得た 上で、単身、沼田の真田家の陣所へおもむいた。
三九郎は、格別の用事があって来たのではない。
三九郎にいわせるなら、
「暇つぶしに・・・」
訪れたのであろう。
この日は、晴れわたっている上に、めずらしく暖かい。
対岸の木立から、軽武装の騎士十名を従えた平服の武士が、いましも 冬の日ざしが煌めいている平野川へ、馬を乗りいえれようとするのが 見えた。
まさに、真田幸村であった。
真田幸村は満面に微笑を浮かべつつ、近寄って来て馬から下りた。
滝川三九郎が真田幸村の前へあらわれたとき、めったに大声を発したことが ない左衛門佐幸村が、
「おお、三九郎殿」
叫ぶようにいって立ち上がり、まるで、抱きつかんばかりにして 三九郎の両腕を掴みしめ、これを激しく打ち振るようにしながら、
「今日、此処で、そこもとに出会おうとは・・・」
いいさして絶句した幸村の両眼から、どっと泪があふれ出てきた。
このように、自分の激情を顕にした幸村を、たとえば向井佐平次やお江と いえども、見たことはなかったろう。

15年前の関ヶ原前夜に、真田昌幸・幸村父子は西軍に与して上田の 居城へ立てこもった。
その折、ふらりと訪ねて来た滝川三九郎へ、真田昌幸は、自分と亡き お徳との間に生まれた於菊を、
「あずかっていただきたい」
と、いった。
「よろしゅうございます」
まだ、少女の面影をとどめていた於菊をあずかり、江戸の我が家へ ともなって行った。

「義兄上・・・」
と、滝川三九郎がよびかけ、
「真田丸での、見事な御はたらき、胸がすいてござる」
はっきりと、言った。
この場に、東軍の者がいたら、何とおもったろう。
「見事でござる」
とのみなら、さておき、
「胸がすいた・・・」
とは、東軍の一員たる者の口にすべきことではない。
けれども、滝川三九郎は、そのような事に頓着するような男ではない。
真田家の女を妻に迎え、左衛門佐幸村の義弟であることに誇りを抱いている。
それを、東軍の将兵の中にいても押し隠そうとはしなかった。

徳川家康は、和睦休戦を利用して、真田幸村を取り込もうと計略する。
京都の”小野のお通”邸にて、兄信之と弟幸村の会見が実現する。
しかし、幸村の家康の首を取るという信念はゆるがなかった。
おもえば、徳川家康もむだなことをしたものだ。
家康ほどの者が、真に、真田兄弟の対面に期待をかけていたのであろうか。
かけていたからこそ、密かに事を計ったのであろう。
だが、兄も弟も、双方の立場と決意とあきらめとを、わきまえつくして いたといってよい。
真田兄弟の対面が終ったとき、日は傾きかけていた。
茶室を出る前に、左衛門佐幸村は息・大助をよび寄せた。
14歳の真田大助の体躯は堂々たるもので、
(左衛門佐は、このせがれをも道づれにするのか・・・)
信之は、憮然となった。
むろん、それは幸村の意志ではあるまい。
大助自身の決意であることは、たしかめるまでもなかった。
大助のこころは決まっていて、微塵もゆるがぬ。その初一念 はまことに見事なものだ。
初一念とは、事にのぞんで一瞬のうちに決意をかためることだ。
その一瞬に、決意した者の全人格が具現させることになる。
口には出さずとも、武士にとって、この初一念ほど大事なものはない。
周囲の状況が、どのように変転しようとも、初一念をくずさぬ武士の 本分を、真田大助は14歳にして体得していたことになる。
見方を変えれば、14歳の若さが、彼を迷わせなかったともいえよう。
死を怖れぬのは、若さの特権といってよい。

後になってからのことだが・・・・
真田兄弟の対面が、幸村の東軍参加に結実しなかったことを、知ったとき、 徳川家康は無言で苦笑を洩らしたのみであったという。
伊豆守信之へは、何の咎めもなかった。

元和元年(西暦1615年)5月7日、戦闘が開始された。
「大坂夏の陣」である。
この前夜、向井佐平次と佐助の父子は、茶臼山の陣営の一隅にいて、 酒を酌み交していた。
例によって、この父子は、あまり言葉をかわさぬ。
長年にわたり、離れて暮らしていた為なのであろう。
凝と佐助の顔を見つめた佐平次が、
「30余年後のいまこのとき、左衛門佐様が、わしに、おれとお前とは いつの日にか、いっしょに死ぬるような気がする。そのお言葉が、まこと のものになったわ」
さすがの向井佐助も、この父の言葉にはおどろいたようだ。
「左衛門佐様のようなお人は、二度と、この世にはあらわれまい」
うれしげに、しかも、しんみりとした口調になって向井佐平次が、
「お前や、お前の母や妹には、何一つしてやれなんだわしじゃが・・・
明日はどうやら、おのれのささやかな一生を、うまく終えることができ そうじゃ」
と、いった。

見る見る吹き払われてゆく霧の中に、朝の日がさしこみ、茶臼山の、 真田の赤備えが姿をあらわした。
いよいよ、戦端がひらかれた。すでに、正午を過ぎていた。
東西合わせて20万に近い大奮戦の幕が切って落とされた。
敵味方の、無数の槍の穂先が日に煌き、銃声と喚声が諸方にわき起こった。
真田幸村は、青竹の指揮杖を二度三度打ち振った。
自らも茶臼山を下って、戦闘へ加わって行く。
幸村の馬側につきそった向井佐平次の背後には、武装の草の者たちが 槍をつかみ、従って行く。
茶臼山の南の裾の、大きな泥池のあたりまで進んできていた幸村は、 青竹の指揮杖を高々と打ち振り、これを投げ捨てた。
真田本陣の攻撃を命じたのである。
このとき、左衛門佐幸村を囲んでいたのは、九度山以来の家来たちと、 真田本家にいた旧臣たち、それと草の者を合わせ、兵力は約五百ほど であったろう。
幸村は、馬上から、ちらりと向井佐平次を見おろし、
「向井佐平次。冥土で会おうぞ」
と、声を投げてよこした。
佐平次の口から、白い歯がこぼれた。

馬上の幸村は人間わざともおもわれぬ槍さばきで敵を突き崩し、突き倒した。
愛馬の月影は、腹をしめつける幸村の股の感触ひとつで、主の手足のごとく うごいた。
逃げ足となり、手薄となった越前勢を一気に突き破った真田幸村は、約 50騎の手勢をひきいて、猛然と、徳川家康の本陣へ殺到した。

左衛門佐幸村は、ただ一騎であった。
幸村も、愛馬の月影も身に数創を負っている。
と・・・・。
月影が哀しげに嘶き、がっくりと前脚を折った。
腹を股を、頚を脚を、敵の槍に突かれている月影のはたらきも、ここまでが 限度だったのであろう。
くずれるように横倒しになった月影の鞍の上から、真田幸村がすべり落ちる ように、ゆっくりと田圃の中へ体を横たえた。
「ようやった・・・・」
かすれた声でよびかけた幸村へ、月影が目をまたたかせ、鼻梁をこすり つけてきた。
「ようやった・・・よう」
幸村も、月影の頬骨のあたりへ顔を押しつけた。
月影は細い声で嘶き、ぐったりと馬首を幸村の腕の中へゆだねた。
息絶えたのである。
幸村は、月影の馬首を掻き抱いたまま、凝とうごかぬ。
やや戦陣もはれて、午後の青空が幸村の頭上にあった。
(これまでじゃ)
と、幸村はおもった。
幸村は、月影の遺体へ合掌し、槍を杖にして立ちあがった。
汗と血と土埃が、左衛門佐幸村の体に、鎧にこびりつき、いまは乾いていた。
右手に槍をつかみ、左腕に亡父の形見の抱角の兜を抱えて歩む幸村の前に、 ささやかな池があらわれた。
(ここでよい)
槍を手放して、両腕に兜を抱えた幸村が草の上へ腰を落し、
「あっ・・・・」
おもわず、おどろきの声を発した。
(さ、佐平次・・・)
まさに、向井佐平次がいた。
左手の木陰に、佐平次は顔をこちらへ向け、横たわっていた。
「佐平次・・・」
這うようにして近寄り、幸村は、
「佐平次・・・佐平次・・・」
何度も、よびかけた。
向井佐平次は、こたえぬ。
佐平次は、すでに息絶えていた。
横たわっている佐平次の遺体のまわりには、おびただしい血が流れていた。
その血も乾いている。
真田幸村は、向井佐平次を抱き起こした。
先刻、月影の馬首を抱いたように、幸村は佐平次を抱きしめた。
佐平次の死に顔は、何やら、うっとりと良い夢でも見ているかのように、
おだやかなものであった。
(佐平次。死ぬる場所も、一つになったのう)
木の間から洩れてくる初夏の日ざしは、あくまでも明るい。
冬ならば、夕闇がただよってくる時刻なのである。
(父上・・・かくは相なりまいた)
と、幸村は亡父・真田昌幸へ、胸の内で語りかけた。
(いま一息のところにて、家康を逃がしてしまい申した。徳川家康は、 まことに強運のもちぬしでござる)
何処か、遠くの方で、間がぬけたような一発の銃声がきこえた。
(なれど・・・・なれど左衛門佐は、かく戦いまいた。父上、これで・・・
これで・・・、よろしゅうござるか?)
いまは、すべてが虚しくなってしまった。そのことよりも、自分の 家来たちと、その他の、自分の部隊へ加わった牢人戦士たちが、どこまでも 自分を信頼し、自分の指揮にこたえ、
(最後の最後まで・・・)
忠実に戦ってくれたことへ、真田幸村は激しく強烈な満足をおぼえていた。
左衛門佐幸村の意識が、朦朧となってきた。
向井佐平次の肩を抱いたまま、幸村の体が、ゆっくりと仰向けに 夏草の中へ倒れた。
息絶えたのである。
左衛門佐幸村の、四十九年の生涯は、ここに終息した。






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