| 「上田は、自分が攻め落とす」 と、家康は、小田原の北条父子へいい送った。 「なれば、そちらは、こころ置きなく、上州・沼田を攻めるがよろしい」 家康に、そういわれて、北条父子は沼田進撃の命令を下した。 夏は、早くも、盛りをすぎようとしている。 閏8月1日の夜は、雲が低くたれこめてい、妙に蒸し暑かった。 「明日の戦は、雨になろう」 と、真田昌幸が〔地炉ノ間〕で、壷谷又五郎にいった。 「いかさま・・・」 又五郎はうなずき、 「雨天にても晴天にても、同じことでござります」 上田城内は、意外にしずまり返ってい、篝火だけが城の内外に 惜しげもなく燃えさかっている。 本丸・居館の中の〔地炉ノ間〕には、いま、昌幸と壷谷又五郎の二人のみが 向かい合っていた。 すべて、準備はととのったのである。 「ま。のむがよい」 昌幸は、手ずから酒瓶を取り、又五郎の盃をみたしてやり、 「神川の上流を、堰きとめておいてくれたろうな?」 「ぬかりはござりませぬ」 「徳川の忍びどもは、こなたへ入り込んでおるのか?」 「われらの目には、とまりませぬ」 「ふうむ・・・」 壷谷又五郎が指揮する草の者は、この一ヶ月ほど、昼夜の別なく、 はたらきぬいてきた。 「ふ、ふふ・・・」 安房守昌幸が苦笑し、 「三河守め、われらを見くびっておるのだ」 と、いった。 「さて・・・」 盃の酒をのみほして、真田昌幸が、 「明日は、源三郎しだいのことよ」 抑揚のない、低い声で、 「又五郎は、いかがおもうな?」 「何をでござります?」 「わしが、源三郎に先手をつとめさせることを、よ・・・」 「別に・・・」 又五郎は、微かにくびを振った。 「別に、とは?」 「いえ・・・さもあるべきことと存じたまでで・・・」 瞬間、安房守昌幸の両眼がかっと見ひらかれ、 「まこと、さようにおもうか?」 「はい」 「さようか・・・」 低声に変りはなかったが、今度は、あきらかに昌幸の感情があらわれて、 「又五郎が、さようにおもうてくれること、うれしくおもうぞ」 「なれど・・・源三郎様は、お討死になさるやも知れませぬ」 「む・・・」 「御覚悟を・・・」 「むろん、しておる」 明日の先鋒をつとめる源三郎信幸には、決死の突撃が要求されている。 それでないと、真田昌幸が決断した作戦の効果があがらぬのだ。 真田の嗣子である源三郎が、まず、必死に徳川軍を迎え撃つ。 そこに、今度の作戦の意義がある。 これは味方の士気をも鼓舞するだろうが、敵軍へあたえる影響は、 さらに大きい。 真田軍も篭城の無意味を知って、捨て身になったことを、徳川軍は、 はっきりとさとるにちがいないからだ。 「わしが源二郎を可愛くおもうことと、源三郎をたのみにおもうこととは、 別のことじゃ」 「御兄弟は、殿におかまいなく、胸と胸とが通じ合うておられます」 昌幸が、はずかしそうに面を伏せ、 「わしも、そうおもう」 蚊が鳴くようにいった。 源三郎信幸は初陣以来、北条軍の上州進行に対して、矢沢頼綱・頼康父子 と共に、何度も戦闘の体験をしている。 この点で、弟の源二郎幸村は、およぶところではない。 だからこそ、父の昌幸も、明日の大事な先手を、この長男へまかせることに したのである。 上州・沼田城の帰属をめぐり北条家と争う真田昌幸は、ついに徳川・北条連合軍と戦端を開く。 そして出来たばかりの上田城に拠った昌幸父子は、捨て身の決戦で数倍の敵を退ける。 上田合戦の後に・・・・ 真田家にとって事態は「思いもかけぬ・・・」方向へ動き出したのだった。 悪い方へではない。よい方へ動き出したのである。 それというのも、数倍の徳川軍を完膚なきまでに打ち破り、撃退した真田安房守昌幸の実力が 「天下に聞こえた・・・」 からだと言ってよい。 真田昌幸はじめ、信幸、幸村兄弟、家臣たちにいたるまで、戦勝に歓喜したけれども、 「このままでは、すむまい」 との覚悟を決めていたのであった。 それにしても・・・・ この時点で信幸が、事もあろうに徳川家康の養女を妻に迎えることになろうとは、当の信幸も、父も弟も、おもいも及ばぬ事であった。 それも、この縁談は家康の方から持ちかけられたのである。 家康の家臣、本多平八郎忠勝の娘、稲姫、それであった。 宏大をきわめた大坂城”本丸”の曲輪。 寝床から程近いところに「御焼火の間」と称する2間つづきの大きな座敷がある。 いま、この”御焼火の間”に2つの人影を見ることができる。 1は、豊臣秀吉 1は、60を超えてみえる老武士であった。 この武士の名を”山中内匠長俊”という。 2人の密談はもう2刻(4時間)も続いていた。 「手筈はととのいてござります」 と、山中内匠長俊が秀吉へささやいたのである。 旧態依然たる北条家のふるまいに嫌気がさした豊臣秀吉は、甲賀忍びの御伽衆”山中内匠長俊”の仕組んだ謀略を使って開戦にもちこみ小田原城を攻め落とす。 こうして秀吉の天下統一はなったのだが・・・ |