真田太平記 虹のむこうに

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真田太平記 第5巻『秀頼誕生』



肉親を次々と失い朝鮮出兵もうまくゆかず、豊臣秀吉は日に日に 生気を失っていく。
年少のころから織田信長に仕え、骨身を惜しまず、
「はたらいてはたらいて、はたらきぬいて・・・」
ついには天下人となった豊臣秀吉なのだが、これまでに、 重病の床についたことは一度もない。
細くて小さな躰に秘められた精力は、常人の想像を絶する ものがあるといってよい。
その強烈な活力が、いまや燃えつきようとする直前の・・・ 最後の炎をゆらめかせている。
秀吉亡きのちの豊臣政権は当分の間、徳川家康・前田利家などの 5大老と石田三成・大谷吉嗣などの奉行によって運営されて 行くことになろう。

真田親子は、はからずも朝鮮出兵という豊臣秀吉の戦陣へ 参加することによって、信州の山国にいてはわからぬことを、 わが目、わが耳にたしかめたのであった。
秀吉歿後をにらんで諸雄は動き始めるが、思いかけず秀頼が誕生した ことで天下の行方は混沌となる。

いったんは次の天下の主は徳川家康をおいて外にないと確信した 真田昌幸であったが「好きな男」秀吉の世継ぎに己の命運を 賭けようとして、徳川方から嫁をもらった長男・信幸との関係が微妙になる。

秀吉亡き後、大老の一人前田利家が息絶えた瞬間から、 天下の情勢は急激に動きはじめた。
というのも、利家の余命いくばくもないことが誰の目にも歴然として いただけに鬱積していた紛争の根がたちまちに破裂したのだ。
それは、豊臣秀吉逝去後の二派の対立であった。
朝鮮戦役における両派の対立が、そのまま、秀吉亡き後の 政局に移行したかたちになった。
石田三成を中心とする奉行(官僚)たちの一派は、のちに [文治派]とよばれ、加藤清正ら戦将の一派は[武断派]と、よばれる。

いつに間にか、又五郎は、天神岳の山ふところにある別所の 家へ入っていた。
又五郎が入った浴舎は、17年前に、高遠城を脱出した 向井佐平次が傷を癒した浴舎であった。
浴舎へ足を踏み入れた又五郎は、湯壷の中に一つの人影をみとめた。
温泉は、岩壁に穿たれた穴の中から絶え間もなく噴き出し、丸太組の 浴槽からあふれている。
素朴な浴舎には温泉の硫黄の匂いと湯けむりがたちこめていた。
その湯けむりの中に立ちあがった人影を見るや、
(あっ・・・)
壺谷又五郎が、おどろいて、
「そこにいるのは、佐助ではないか・・・?」
「はい」
まさに、向井佐助なのだ。
「どうして、ここへ?」
佐助は、こたえぬ。
うつ向いて、笑っているらしい。
「わしが此処へ来るのを知ってのことか?」
佐助が、黙ってうなずいた。
「では、後を尾けて来たと申すか?」
またも、佐助がうなずく。
われながら不覚だと、又五郎はおもった。
(そうだ。一夜を、こころゆくまで、別所の湯に浸ろう)
ふと、おもいたった。
(何も彼も、忘れて・・・)
である。
おもえば10年も20年も、壺谷又五郎は休む日とてなく、 忍びのはたらきをつづけにつづけて来たのであった。
身体をやすめたことはあっても、こころをやすめたことは 片時もなかったといってよい。
それにしても、草屋敷の修行を終えて世に出たばかりの、 15歳の佐助が尾行して来たのに、すこしも気づかなかったとは・・・。
しかも佐助は、途中から又五郎の行く手が別所の湯であることを 見ぬき、先まわりをして浴舎に待ち受けていた。
又五郎は、ゆっくりと衣類を脱ぎ捨てて浴槽の中へ身体を沈めつつ、
「いったい、何のつもりで、わしの後を尾けてまいった?」
「お供を・・・」
と、蚊が鳴くような声なのである。
佐助はうつ向いたままだ。
「わしの供をすると申すのか?」
「一日も早う、壺谷様のお指図を受けて、はたらきたいのです」
「う・・・」
又五郎は咄嗟に言葉が出なかった。
こそばゆいような、うれしいような、それは何ともいえぬものが 胸の底からこみあげてくる。
その喜悦のおもいは、壺谷又五郎ひとりのものであった。
戸もない小窓から、湯けむりが外の夕闇へ吸い込まれてゆくのを、 壺谷又五郎は茫然と見つめていた。
「では・・・では、共に行くか・・・」
「うれしゅうござります」
「うむ・・・」
又五郎が双腕を差しのべ、佐助の裸体を抱きかかえ、
「たくましゅうなったわ・・・」
といった。
その声が、何やら、うるんでいるようである。

江戸から小田原、そして駿府、浜松、清洲から岐阜を通り、 佐和山の城下外れの長曽根の忍び宿へ立ち寄り、又五郎と佐助は 二泊した。
長曽根に泊まり、佐和山一帯の地形を佐助にのみこませた上で、 又五郎は京都へ入り、此処にも一泊してから、下久我の忍び宿へ 到着した。
お江は折よく忍び宿にいて、佐助を見るや、
「まあ・・・またも大きゅうなった。草の者はあまり身体が大きゅう なってはいかぬぞよ」
叱るようにいいながらも、満面を笑みくずし、そのふとやかな 双腕に佐助を抱きしめ、
「いよいよ、やってきましたなぁ」
何とおもったか、佐助に頬擦りをしたのである。






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