真田太平記
Many Seasons

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真田太平記 第7巻『関が原』



会津出陣中の徳川軍団から離れ、上田城に帰った真田昌幸・幸村父子は ただちに、城の守りを固める。
家康は息子秀忠に中山道をゆく第二軍を率いさせ、真田信幸に先陣を 命ずる。
秀忠軍4万を上田城に迎えうった真田父子は様々な謀略を使って、 これを釘づけとし、ついに関が原の戦に間に合わせなかった。

草の者お江は、
(かなわぬまでも、これまでの忍びの者としての自分が体得した すべてのものを集中し、ただ一人で徳川家康襲撃をこころみたい)
お江の忍びの血は燃えさかっていた。
お江は、いま、何歳になっているのだろうか・・・。
40を1つか2つは超えたにちがいない。
お江は若いろから男の忍びにまじり、戦場に出て、武器を取って 闘うことも辞さなかった。
人なみすぐれて、強靭な心身のもちぬしであるお江なのだが、しかし、 女は女ゆえに、このときまで、あれほどの活動をつづけにつづけてきた 裏側には、
「人知れぬ・・・」
苦痛と苦悩があったにちがいない。
それを、決して、お江は又五郎にも見せなかった。
今度の先陣では、壷谷又五郎も奥村弥五兵衛も、
「生き残れぬ・・・」
と、覚悟をさだめていた。
お江のみではない。
又五郎にしてみれば、せめて、お江だけは生き残り、これより先も、 女忍びとしての特質を生かし、真田本家のために、
(はたらいてもらいたい・・・)
これが、本心であった。

長良川の舟橋を渡る輿の上の徳川家康を狙ったが、間一髪で討ち損ねて しまった。
甲賀忍者、猫田与助が投げ撃った手槍がお江の右肩を突き刺したのである。
(あのとき・・・遠い、むかしの、あのときのことを忘れてなろうか・・・)
あのときに猫田与助が、お江から受けた屈辱は、男として堪えきれぬものであった。
あのときとは・・・。
いまから、およそ20年ほども前のことになろうか。
若いころの猫田与助の性情は、どちらかといえば快活であって、その忍びの はたらきにも独自のものがあったのだ。
「あの与助が、別人のごとく変った」
何故、変ったのか・・・。
何故、与助は、頭領・山中俊房の指令をも拒み、単身でお江の命を狙い つづけるまでになったのか・・・。
この執念は、与助が年齢をとるに従い、強く激しくなるばかりなのだ。
与助は、いま、60前後の年齢になっている。
(この期を逃したなら、お江を討つ機も逃してしまう)
と、おもいきわめていた。

さて・・・。
約20年前のそのとき、猫田与助は、山中に在った武田忍びの忍び小屋を 突きとめた。
忍び小屋の中にいた女忍びを、生け捕りにしたのは、このときである。
与助は、おもう存分に、お江の躰をなぶりつくしてから、小屋の中の 濁り酒をのんだ。
のんだ酒は多量でもなかったし、毒が入っていたわけでもなかったが、 心身の激動の後だけに、たちまち酔いがまわってきた。
突然・・・。
全身に鉄条を打ちこまれたような衝撃を受け、与助は眠りから覚めた。
猫田与助は絶叫をあげた。
女は裸身のまま短い刃物を構え、不敵に笑った。
「おぼえておけ。私は、馬杉市蔵のむすめじゃ」
「あっ・・・」
その後のことを、よくおぼえていない。
そして、よくも生き残れたとおもう。
いずれにせよ、このときから猫田与助は、男の機能を失ってしまったことになる。
与助の、股間の[男]は、完全に切断されていた。

お江の家康襲撃の失敗により、草の者の奥村弥五兵衛たちは、 影武者を使った家康襲撃に失敗する。
真田父子が徳川軍の約半分を削いだにもかかわらず、小早川秀秋・脇坂 安治の裏切りもあり、結束のはかれない西軍は、家康に敗れる。

何十万石の城主でもない、戸田重政や平塚為広それに大谷吉継など、 敵方の諸将にさえ惜しまれるほどの人物は、それだけに西軍へ 味方するという初志を、一念をつらぬき通した。
徳川家康の気に入られ、徳川の家臣たちや、東軍の諸将とも親密の人々 であった。
戸田重政の戦死を耳にしたとき、東軍の諸将が「みな、泣いた」
と言われている。

島津部隊の撤退作戦がある。
「東軍の中心を突破し、家康の本陣へ攻めかかると見せ、一気に 伊勢街道へぬけ、戦場を離脱すべし」
おもいもかけぬ島津勢の反撃である。
そこへ、福島正則の部隊が割入って来た。
その時である。
駆けつけて来た福島勢の中に、槍をつかんだ8名ほどの戦士が混じってい、
「まるで、一人のように・・・」
かたまり合って、島津勢と戦うのが見えた。
壷谷又五郎と七人の草の者だ。
8人が一心同体となり・・・・家康本陣へ接近して行った。
又五郎は、敵を突き伏せ、馬の腹をくぐりぬけ、跳躍した。
そして・・・
兜をぬぎ、ふたたび頼政頭巾をかぶった徳川家康を彼方に見た。
「いまこそ!」
又五郎は、左右から立ちふさがる家康の家臣たちの頭上へおどりあがった。
そのとき・・・
徳川家康の前へ出て来た、山中内匠長俊が又五郎と同時に跳躍した。
戦士たちの頭上で、又五郎と長俊の体が激しく打ち当たり、落ちた。
二人は相撃ちとなった。即死である。
又五郎のむき出した前歯は、かみ締めた下唇へ食い入っているのは、 最後の瞬間の激闘の緊迫を、まざまざとものがたっている。
七名の草の者は、すべて討死を遂げた。






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