| 真田昌幸・幸村のために関ヶ原の決戦に間に合えなかった徳川秀忠は、家康から痛烈な叱責をうける。 家康は真田父子に切腹を申しつける決意でいたのだが、真田信幸の 舅で徳川家譜代の重臣・本多忠勝の戦も辞さぬ助命嘆願に屈して 紀州九度山に蟄居させることとなる。 わずかの家来だけをつれて九度山に移った真田昌幸・幸村父子は 「関ヶ原の戦い」が再びおとずれる日を夢みて孤立した日々をおくる。 幸村は、向井佐平次・もよ夫婦、それに生まれたばかりの女の子を 沼田の真田信幸の元へ預けることにした。 そのかわり、息子の佐助を九度山に連れて行くこととした。 これは、何を意味するのか・・・・ 佐平次が沼田へ向かうその前夜。 真田幸村は、二の丸の居館の居間へ、佐平次を招いた。 すでに、酒の仕度がしてある。 「佐平次。ま、こちらへまいるがよい」 と、幸村は火桶の傍へ佐平次を寄せて、 幸村は、まず盃を佐平次にあたえ、酌をしてやった。 むかしから、二人きりのときは、こうした場面がめすらしくないので、 向井佐平次は別に恐縮する様子もない。 「いよいよ、明日は上田を発つのか・・・」 「さようでございます」 「長い間、佐平次には厄介をかけたものじゃ。あまりにも、わしは お前にあまえすぎていたが、これでようやく、お前をもよの許へ 帰してやることができる」 佐平次は無言で盃をほし、幸村へ返して、酌をした。 「なれど、こたびは佐助をもらい受けることになってしもうた。 ゆるしてくれい」 「・・・・・・・・」 「何故、だまっている」 「は・・・・・」 「何か申せ」 「いえ・・・・・」 「妙な男じゃ、いつもの佐平次とおもえぬ」 「いまこのとき・・・・」 いいさして、佐平次は絶句してしまった。 佐平次は蒼ざめていた。 近年は、心のうごきを滅多に顔へあらわさぬ佐平次だが、さすがに、 おもいが胸へせまってきているらしい。 「いまこのとき・・・・・と、申したな」 「は・・・」 「いまこのとき、何とした?」 「いまこのとき、何を申しあげましても、みな、嘘になってしまうかの ようにおもえまいて・・・」 「さようか」 真田幸村の、血色のみなぎった顔に微笑が浮かんだ。 幸村は両手をのばし、佐平次の右手をつかみ、軽く打ち振りつつ、 「かたじけない。かたじけない」 ささやくように、繰り返した。 このとき、堪えきれなくなった佐平次の両眼から、どっと熱いものが ふきこぼれてきた。 「佐平次とは、もはや、二度と会えぬやも知れぬな」 幸村の声も、こころなしか、潤みかけているようであった。 「は・・・・・」 佐平次も、そうおもった。 このとき、幸村と佐平次は、何とはなしに永別の直感をおぼえた のだが、しかし、これは的中しなかった。 後年、この二人は、また共に日を送ることになるのである。 翌朝。 雪はやんでいた。 夜明けまでの長い時間を、幸村と佐平次は酒をくみかわしていたが、 この主従は何を語り合っていたのであろう。 12月13日。 鈴木右近ひきいる上田城を発した真田父子護送の行列が、領内を 過ぎて行く途々に領民があつまり、別れを惜しんだ。 また、沼田の真田家へ収容されなかった家来たちも何処からか あつまって来て、行列を見送った。 こうした家来たちへ、安房守昌幸は惜しみなく、金銀や物品を分け あたえていた。 「お江どの・・・」 と横沢与七が、お江の袖を引いた。 いましも、護送の行列が塩尻峠へあらわれつつある。 いつの間にか、雪が降りはじめていた。 「お江どの、あれは左衛門佐様でござるな」 「はい」 「御立派じゃ」 うなずいたお江の両眼は、笠の内で燃ゆるような色をたたえていた。 お江は、これから先、幸村との再会を疑っていない。 幸村の下で、 (私の最後のはたらきを・・・・) するまでは、死ぬに死ねぬ身となってしまった。 なぜなら、お江は生き残ってしまったからだ。 (その日が来るまで、待っていて下され) と、お江は胸の内で、亡き壷谷又五郎へよびかけた。 |