| こちらに背を向け、茶を点じているそのひとの、つややかな垂れ髪を分けて
見える耳朶は、春の陽ざしに濡れた桃の花片のようであった。 「どうぞ・・・」 そのひとの躰からただよってくる香の匂いが近寄り、うすく脂がのった、 むっちりと白い二つの手が茶碗をささげ真田伊豆守信幸の前へ置いた。 障子には夕暮れの翳りが濃く、戸外の底冷えの激しさが思われたが、 この田舎風の小さな茶室には釜の湯が滾り、炉は赤々と燃えている。 「幸村様とお別れ遊ばしてから、もう何年になりまするか?」 「関ヶ原以来でござる」 うなずいたお通の面が急に引き締まって、つぶやくように、 「まことの御兄弟とお会いになりたくともお会いになれぬ・・・今の世の 武家方は、せつなく、もの憂いことばかりで・・・」 その言葉には、切実な共感がこめられていた。 お通の好意により、信幸は、ふたたび生きて会うこともあるまいと決めていた 敵軍の一部将としての弟・左衛門佐幸村と、この館で15年ぶりに語り合おうと しているのである。 茶室には、信幸兄弟二人きりだった。 今、信幸が15年ぶりに会う幸村は、敗色濃い大坂方の一部将として、 快活に、気力に満ち、次の苦しい戦闘にのぞもうとしている。 「おぬしは、生まれながらの軍師なのだな?」 「僅かな手勢をもって信濃上野の山野に大敵を破ってきた真田一族の血で ございますかな・・・しかし、兄上は別でござるな」 「おれは、別か・・・」 「兄上があればこそ、真田の血も家も、後の世に受け継がれてまいりましょう。 これは左衛門佐、心から有難いことだと考えております」 信幸が黙然と盃を取りあげると、酒器を近づけながら、幸村は、 「わがまま勝手な左衛門佐を、どうか、お許し下さい」 最後の献酬が済むと、二人は酒を口に含んだまま、かなり永い間、互いの顔を、 眼を、瞬きもせずに見合っていた。 「今夜のおぬしの顔を、おれは忘れまい」 信幸が口中の酒を静かに舌で消しながらつぶやくと、幸村の喉がゴクリと鳴った。 「私も、忘れません」 一滴の涙も、二人は見せなかったが、信幸は部屋を出るときに、 「左衛門佐。たとえ大御所の御首をとったところで、徳川の屋台は崩れはせぬ。 よいな・・・」 「崩れるものか崩れぬものか・・・そこに私は、もう一度、夢を見とうござる」 幸村の眼に、燐のような光が煌めいた。 あれから半年も経たぬうちに戦いは再開されたが・・・ 江戸にいて、苦戦を続ける弟や甥のことを思うにつけ、信幸は、小野のお通の 面影をも忘れ得ない自分に気づいていた。 幸村との最後の夜は、そのまま、あの茶室にただよっていた香の匂いに、 お通の声に結びついているのである。戦国の世の常とはいえ、哀しい宿命に ある自分たち兄弟への、いや、ことに信幸自身に示してくれたお通の温かい 好意は、信幸にとって忘れ難いものがあったのだ。 やがて、京都屋敷に詰めている鈴木右近のくわしい手紙で、信幸は、幸村討死の 模様を知ることが出来た。 小姓も侍女も遠ざけた屋敷の奥の一間で、信幸は、何度も息を大きく吸っては吐いた。 夕方から降り出した雨の音が、室内に蒸し暑く立ちこめている。 「左衛門佐・・・」 信幸は手紙をつかんだまま突立ち、思わず庭の闇へ呼びかけていた。 鈴木右近が、お通の手紙と幸村の遺髪を持ち、単身、沼田へ戻って来たのは、 あと数日で元和元年(1615年)も暮れようとする今日の、たった今しがたのことである。 お通の手紙には・・・幸村様の御遺髪をお届けする、と簡単に記され、 「再び何時、お目にかかれることかも知れず、ひたすらに・・・」 ひたすらに御自愛をお祈りする、と書かれてある、その一字一字を食い入るように 追いながら、あわただしい動乱と心痛に耐えつつ、努めて追い払い掻き消そうと してきた彼女の面影が、今はどうしようもなく信幸の血を騒がせずにはおかなかった。 (会うとも・・・会わずにはおかないぞ) 信幸は胸に叫んだ。 右近が去ってからも、信幸は政務に手がつかず、幸村の遺髪と、お通の手紙を 懐ろに忍ばせては本丸の天守へ上り、城と城下町を囲む雪の山塊を眺めて日を送った。 年が明けて元和2年の2月に幕府の許可があり、信幸は、20歳になる長男の信吉に 沼田城を預け、上田へ戻ることになった。 この荒廃した上田へ戻ってから、信幸の血潮が突如として騒ぎ出すことがあった。 この城を本拠にして父や弟と共に戦った何十度の合戦の記憶が、ほうふつとして 胸に湧き上がり、一夜まんじりともしないことがあるのだ。 (父も弟も合戦を楽しんでいる風が見える。だが、おれだけは違う。家を 守る合戦に、たとえ一片の昂奮も、無駄にしてはならぬ) そう戒めてきた自分が、すべては徳川幕府の統治に委ねられた戦火の消え果てた今、 闘争の本能に身内を灼かれるとは・・・。 (真田の血が、おれにも流れている。父や弟が死んでから、二人の血が、おれに 乗り移ってきたのかも知れぬ・・・戦を好む父と弟があったからこそ、おれは 冷ややかな眼を持たざるを得なかったのだろう・・・) 関ヶ原の向背を決するとき、もし、この血が燃えていたら、真田の家は絶えて いたことだろう・・・。 信幸とお通の間に、それからも文通と贈物のやりとりが続けられた。 右近の報告によれば・・・お通の美しさや若々しさは少しも変わることなく、 京大坂での評判も相変わらず高いということだ。時は流れ、日は移っていった。 庭の草叢の中で、野茨の小さな赤い実が、明るい秋の陽に光っていた。 居館を囲む竹林は風につつましく揺れ、開け放した茶室の障子の蔭からのぞいている 桐の木の枝に鶸が一羽とまっていて、しきりに鳴いている。 信幸とお通は、かなり永い間、その雀によく似た小鳥に見入ったまま、身じろぎも しなかった。 信幸が、お通を側室に迎え、余生の愛情を彼女一人にかけて、領国の治政に 全力をつくそうという生甲斐と希望とを押えきれなくなったのは、今年の春頃からだった。 信濃と京と・・・四季の食物や心をこめた品々を贈り合い、努めて押えつつも、 その底に流れる慕情を秘めた書簡の交換のたびに、信幸は心を固めていった。 小松の一周忌が済むと、これはもう動かし難いものとなり、ついに信幸は鈴木右近 を通じて、自分の胸のうちをお通に伝えさせたのである。 矢も楯もたまらなくなった自分に自分でも呆れながら、信幸は、京へ上る決心をした。 思い切って、幕府に、紀州九度山にある父昌幸の墓参をしたい、と願い出ると、 意外にも何の支障もなく許可されたので、信幸は、供の人数も出来るだけ切り詰め、 急遽上田を発ち、紀州へ向かった。 「そなたと信幸の心は、目に会わさずとも、京と信濃を往来した便りと品々に、 通っていた筈ではなかったのか・・・」 「その通りでございました」とお通は、むしろ冷然と硬い声で言った。 「そなたは、信幸を・・・」 「貴方様は、わたくしを愛しく思し召し下さいますのか」 「今更、何を・・・」 「それがまことなれば、貴方様こそ、何故、何も彼も捨てて、京へ、このお通の館へ 来て下さいませぬのか」 激烈な声だった。 信幸は息を呑んだ。 永い沈黙の後に・・・ 「わたくしとて、この化粧の下の顔も躰も、もはや若くも美しゅうもございませぬ。 まして眼に見えぬ行先の不安におののき、女の幸せを夢中につかむことのできぬ わたくしのことなぞ、お捨ておき下さいまし・・・お捨ておき・・・」 突然に、お通は立って身をかえし、茶室から去った。 真田伊豆守信幸が、江戸へ出府を命ぜられ、上田から信濃松代へ国替えを申し 渡されたのは元和8年の8月である。 8月21日に登城して、老中の土井利勝から国替えのことを申し渡された信幸は、みじんも 動揺の色を見せず、 「有難き仕合せに存じ奉る」 と平伏した。 乾いた低い重々しい声だった。 能面のような表情を変えず、信幸は屋敷へ戻って来た。 通夜のような邸内の一室で、信幸は鈴木右近を相手に、夜更けまで酒を酌んだ。 「まあ、飲め」 信幸が、気軽に酌をしてやると・・・右近は唇へ近づけた盃を音をたてて置き捨て、 両手で顔を蔽った。そして、そのむっくりと肥った掌の指の間から低く咽ぶ声が 洩れてきたのである。 「そのほうは、わしを憐れんでくれるのか」 「出来ることなれば、殿を京へ、お通殿の許へ差し上げとうござる」 「知っておったのか、わしの心を・・・」 「殿は、右近めの命でございます」 「安心せい・・・そう思うてみただけのことだ」 家も国も、家来も捨てて、ひと思いに大名暮らしの垢を振り落とし、京のお通の館で 余生を送る夢は、むろん信幸にとって、江戸城から麻布の屋敷へ戻る駕籠の中で、 永久に消えてしまったものだった。 屋敷の玄関に降り立ち、不安そうに自分を見守る出迎えの家来たちを一瞥したとき、 信幸は、その夢の一片すらも再び見てはならないと決意した。 右近が退出するときに、信幸は、 「右近、松代へまいったら、わしは、この真田の家が、行末どこまでも、国替えを されることのないような治政をおこなうつもりだ。武将としてのわしは、もう消えた。 だが国を治め領民に幸せをもたらすべき重荷を背負った領主として、これからの わしは生きて行くのだ」 しっかりと落ち着いた、そして冷静なその言葉は、また右近を泣かせた。 それから約2ヶ月経った10月19日に、松代へ移る信幸の行列は上田城を発った。 上田の城外まで信幸を見送り、再び引き返して残務の役目に従っていた筈の鈴木右近が、 馬を飛ばせて行列に追いついたのは、このときだった。 信幸は駕籠にいた。とまった行列の駕籠傍に、ぴたりと寄り添った右近は、 小さな箱包みを信幸に差し出した。 「京よりの使いの者が届けてまいりましたので、すぐさま・・・」 「何か?」 「お開け下さればおわかりになりまする」 開けて見ると、それは、小野のお通からのものだった。 箱の中には、8年前に、弟幸村と語り合ったあの日、お通が茶を点じてくれたときの、 青磁の茶碗が入っている。 真新しい箱の表には”大空”という銘が懐かしい筆で認められてあり、折り畳んだ 鳥の子の紙片が忍ばせてあった。 それには、これもお通の筆で、歌が一首、記されてある。 大空は恋しき人の形見かは物思ふごとに眺めらるらむ やがて・・・信幸の行列は、保基谷・高遠の山脈が両腕に抱え込んでいるかのような松代の 城下町へ、静かに吸い込まれて行った。 |