| <<三方ヶ原>> 夕闇は、夜の闇に変わりつつあった。 いつの間にか風が出て、暗く重くたれこめた雲を吹きはらい、その雲間に 冬の星がまたたいている。 だが、三方ヶ原の台上で激烈な戦闘をおこなっている武田・徳川の両軍には、 夕暮れもなければ日の出もない。 「引けい。引けい!!」 声をふりしぼって下知をあたえながら、徳川家康は闘っていた。 このときの家康は、31歳。 遠州(静岡県)・浜松城主である。 後年の家康ではない。 将兵をまとめ、家康は必死に浜松へ退却しようとしていた。 家康は、ただ一騎であった。 追撃して来る武田軍の喚声が遠退き、小松原の闇をぬって逃げる徳川家康を 追って来るものはない。 それにしても、総大将みずから退却の殿をつとめ、ただ一騎で逃げるなどとは 前代未聞のここといわねばなるまい。 このとき、小松原の闇の底から浮き出た人影が一つ、声もなく音もなく、 家康の背後へせまってきた。 この男の名を、飯田彦蔵という。 彦蔵は、武田方の「忍びの者」である。 信長が、今度、家康へ送ってよこした部隊は、わずか三千余にすぎない。 そのかわり信長は、甲賀の頭領・山中大和守俊房に命じ、すぐれた忍びの者を 15名ほど浜松城へさしむけてよこした。 織田信長がさしむけた甲賀の忍びの者の中に、小杉重六もいた。 (何としても浜松の殿の安否を見とどけねばならぬ) と、小杉重六はおもった。 重六は41歳になっているが、体力も智能も忍びの者としては熟しきったところで、 いまが、はたらきざかりといえよう。 甲賀には妻もいるし、虎松といって、8歳になる男の子が一人いる。 夜の闇の底を、小杉重六は吹きつける風と供に走りつづけた。 そのころ・・・。 「行くぞ」 愛馬へ声をかけた徳川家康が手綱を引き、馬首をめぐらしたのと、体を起した 飯田彦蔵が投爪を投げつけたのが、同時であった。 「推参な!!」 馬上の家康が、小松原の陰から踊り出た彦蔵を一喝した。 馬は、後足で飯田彦蔵を蹴りつけるようにしたかとおもうと、家康を乗せたまま、 まっしぐらに走り出した。 これを、飯田彦蔵が全速力で追った。 (しめた!!) いまや、飯田彦蔵は馬の尻を目がけて跳躍しようとした。 (あっ・・・) 何者かが、飯田彦蔵へ襲いかかって来たのだ。 飯田彦蔵へ襲いかかったのは、甲賀忍びの小杉重六であった。 「どうだ、いさぎよく闘おうではないか」 「それも、よいな」 「では、名乗ろう。おれは武田忍びにて、飯田・・・」 いいさした彦蔵へ、小杉重六が、 「忍びどうしが、名乗ることもあるまい」 「それも、そうだな」 「では、まいるぞ」 「応!!」 二人は同時に小松原の陰から身を起し、飛苦無と投爪を投げ合った。 それから、どれほどの時間が過ぎたろう。 小杉重六と同じ甲賀忍びで、 「夜張り」 と、よばれている助七が、この場所へあらわれた。 「あっ・・・」 おもわず低く叫び、身を起した助七が走り寄った。 「しっかりなされ、重六殿。助七でござる。これ、重六殿・・・」 短刀が重六の胸下へ深ぶかと突き刺されている。 「相手は・・・相手の名は?」 「忍びどうしの闘いに、名も身分もいらぬわ」 小杉重六は、自分に勝った飯田彦蔵については一言もふれたくないらしい。 それのみか、自分が徳川家康の危急を救ったことも、ついに洩らさなかった。 「せがれを・・・せがれ、虎松の面倒を、たのむ」 「しかと・・・しかと、引きうけ申した」 うなずいたのが、小杉重六の最期であった。 <<17年後>> | 上田源五郎が、山岸十兵衛の家来となったのは、一昨年の春であった。 山岸十兵衛は、武蔵の国の、鉢形城主・北条氏邦に仕え、勇猛の家臣として 知られている。 源五郎は、いまも時折、夜張りの助七と会う。 助七は、闇の底から微風のようにただよいつつ、眠っている源五郎の枕もとへ あらわれる。 これは、源五郎との連絡をつけるためであり、源五郎が助七へもたらした報告は、 甲賀の頭領・山中大和守俊房の耳へとどけられる。 つまり、上田源五郎は亡父・重六の跡をつぎ、甲賀の忍びの者として はたらいていることになる。 なればこそ、上田源五郎の名をもって、山岸十兵衛に仕えている。 しかし、ふとした運命のいたずらから、山岸十兵衛の娘・正子を愛してしまい、 のっぴきならぬいきさつから、ついに正子を正式にめとることになる。 やがては子もでき、夫であり、父親であるという平穏な人間の暮らしを営む 源五郎が、その暮らしを守りたいと思うのは自然の道理である。 しかし、忍びとしての源五郎は、その家族のしあわせを根底からくつがえすことを、 即ち義理の父・山岸十兵衛が仕える北条家を内部から撹乱し、崩壊させることを 絶対の使命としている。 山岸十兵衛は、旧主の武田信玄こそ、 「天下を治めるべく生をうけられた御方だ。この御方でなくては天下は治まらず、 世の人びとに平穏は来ぬ」 と信じ、いのちをかけてはたらいて来た。 だが、武田信玄の急死によって、すべては空しくなった。 それにしても、信長の変死により、秀吉が〔天下人〕になったことは、わずかに 十兵衛のこころをなぐさめてくれる。 いまの豊臣秀吉の武器は〔微笑〕である。 先ず、笑いかけて屈服させようとする。それでも従わぬときは、二度三度と 笑いかけてくる。 この笑いの底にひそむ決意を、北条父子も、分家の北条氏邦も、よくわきまえて いないのではあるまいか・・・。 天正18年2月1日。 豊臣秀吉は、 「3月1日までに、小田原攻めへ参陣すべし」 と、諸将に指令を発した。 鉢形城も、篭城の準備をほとんど完了している。 山岸十兵衛ほどの男が、北条氏邦から受けた恩顧に報いるため、 「死のう!」 と、決意をかためているのだから、源五郎が説得したところで、むだといってよい。 源五郎は、十兵衛の前身を、まだ知ってはいなかった。 義理を重んじる実直な武人だと、おもいこんでいるのだ。 それだけに、甲賀忍びとしての自分の全能力をかたむけるなら、十兵衛夫妻を 救い出すことができると信じている。 それがせめて、戦争終結後に、わが子を身ごもっている正子を捨てて、 甲賀へ帰らねばならぬ自分の、正子へのはなむけだと、源五郎はおもっている。 いや、はなむけというよりは、 (おれの詫びる心をふくめて・・・) の、ことであった。 この年の7月13日。 小田原城の北条氏政・氏直父子は豊臣秀吉に降伏し、秀吉は小田原へ入城した。 家康は、榊原康政に捕らえられた山岸十兵衛直勝のことを耳にして、 榊原康政から十兵衛を引き取り、徳川の臣とした。 源五郎の苦闘は、実に、小田原落城の後から始まったといってよい。 <<再17年後>> | 鉢形と小田原が落城し、関東の北条氏が滅びてより、17年の歳月がすぎていた。 いまの山岸十兵衛は、徳川家康に仕え、千石の旗本になっていて、その名も、 「山岸主膳之助景行」 と、あらためている。 山岸十兵衛は、もう70に近い老齢に達している。 そして、上田源五郎も40をこえてしまった。 正子も36歳というわけで、二人の間に生まれた松代は、この年、慶長12年 (1607年)で17歳になった。 正子と松代の許へ忍んで来て数日をすごしたのち、源五郎は、また何処かへ 消え去って行く。 いまは源五郎も、自分の過去のすべてを、正子に語っていると看てよい。 そして、いまも尚、源五郎は危険の日々を送りつつあった。 だが、17年もかかって、甲賀は、ただ一人の源五郎を討ち取ることが できないでいる。 これまでに源五郎は、数度、甲賀の襲撃を受けていた。 上田源五郎は、深い森の中に眠っていた。 丘の斜面を利用し、横穴が掘ってある。 いつしか、眠りに落ちた上田源五郎は、むかしの自分の名を呼ぶ声に、 はっと目覚めた。 「もし・・・もし、虎松どのよ」 しわがれた声が、横穴の入り口を被っている樹林の何処からか、呼びかけて きたのだ。 まさしく、それは、夜張りの助七の声であった。 身を起した源五郎は、脇差に手もふれようとせぬ。 小杉虎松の本名で呼ばれたのは何年ぶりのことであったろう。 「虎松どの。目覚めてか・・・」 「小父ごか・・・」 「さよう。助七におざる」 声は、近寄って来ない。 樹林の闇の底から、低いが、はっきりとした声で、 「今日は、みごとに脱けられたのう」 「小父ごは、見ていたのか?」 「助七は、わが手で虎松どのを討ちはいたさぬが、いのちあるかぎり、 居処を突きとめねばなりませぬ。それが、せめてもの、わしが頭領さまへの 義理立てと申すものゆえ」 「よう、わかっている」 「さ、此処へ来てくれ、小父ご・・・」 「さて・・・それは、遠慮せねばなりますまい」 「小父ご。こなたから、まいるぞ」 すると、 「なりませぬ」 助七の、きびしい声が返ってきた。 「虎松どのよ。これより先、もはや語り合うこともあるまい」 樹林の闇の底で、夜張りの助七が、 「虎松どのは、亡き父ごによう似ておじゃる。ま、それもよかろ。 それも甲賀の忍びの本体といえよう」 「わかってくれるか、小父ご」 「わしはわかる。なれど、わからぬ者もいるわえ。これよりは、しばらく、 虎松どのも安穏に暮らせようが、油断は禁物じゃ。忘れまいぞ、虎松どの。 わかっていような・・・」 助七は低く笑い、その笑い声が、ふっと消えた。 「小父ご・・・小父ご・・・いま一度、声を聞かせてくれ。たのむ、小父ご・・・」 だが、夜張りの助七のこたえは、二度と返ってはこなかった。 <<春の海>> | 上田源五郎は、丹波の里から大坂の冬・夏の戦陣を、わざわざ見にあらわれたらしい。 「いやはや、最後の戦さは、実に大変なものであった」 と、源五郎が正子にいった。 「まあ・・・」 正子は、ただ、おどろくばかりである。 「案ずるな。これよりは死ぬるまで、そなたの傍から離れぬ」 「うれしゅうございます」 「これよりは、年寄りどうし、仲よう日を送ろうではないか」 「はい」 それから5年後の、元和7年の夏に、あれほど健康だった正子が、 丹波の里で急病のため、生涯を終えた。 このとき正子は50歳。源五郎は57歳になっている。 そして・・・。 正子を葬って後、上田源五郎の姿が、忽然と丹波の里から消え去った。 こうして、いつの間にやら、正子が亡くなってより8年の歳月が経過してしまった。 「正子。この世も、あまり、おもしろうなくなってきたわえ」 しずかに墓へ語りかけつつ、筵の上へ腰をおろし、腰に吊した瓢を手に取った。 上田源五郎は、65歳になっていた。 めっきりと薄くなった髪が、真白になっている。 顔の皺は深く、体も、ひとまわり細くなったようだ。 「つまらぬ・・・つまらぬ世の中になったものよ」 酒を含みつつ、源五郎は墓へ向って呟きをくり返す。 山間の夜空に、星が凍りついたように光っていた。 大坂の陣の後、日本の諸国に戦乱が絶えてより、14年がすぎている。 それから数日後の夕暮れになって・・・。 遠州・浜松の北方にある三方ヶ原の小松原を歩む源五郎の姿を見出すことができる。 「父上。しばらくでござった」 と、呟き、腰の瓢を手に取った。 「父上。おのみ下され」 源五郎は声に出して、土の底へよびかけた。 だが、それからの源五郎は沈黙したままであった。 そして・・・。 夜が明け朝の太陽が昇りはじめたとき、 「父上。源五郎の心身も、ようやくに衰えてござる。間もなく、お傍へ まいれましょう」 呟いてから、合掌をしたまま身じろぎもせぬ。 暖かい伊豆の国には、もう、春がきている。 源五郎は、2年ほど前から、この漁村に住み暮すようになっていた。 (もはや、昼近いころか・・・) 源五郎は、寝床をたたみ終えた。 そのとき、 「見つけた・・・見つけたぞよ」 しわがれた声が、 「小杉虎松よ・・・」 と、源五郎を本名で呼びかけ、 「わしを、おぼえているか」 影がさし込むように土間へ入って来るものがある。 痩せ細った老人であった。 顔色は蒼ざめ、息切れが激しく、竹の杖を持った手がぶるぶるとふるえていた。 「おお・・・」 老人を凝視した源五郎が、おどろきの声をあげ、 「下中の清松。まだ、生きていたのか・・・」 「おのれを討ち取るまでは、死ぬにも死ねぬわえ」 「清松は、何歳になったのじゃ?」 「だまれ!!」 叫んだ清松が板の間へあがり、源五郎へ切りつけた。 源五郎は、清松を凝視している。しずかな、おだやかな眼の色であった。 「それ、突け。清松。おもいきって、突いてまいれ!!」 はげますかのように声をかけつつ、上田源五郎が仕込み杖を振りかぶったまま、 清松へ近寄った。 清松が片眼を瞑り、掠れ声をあげ、体ごと短刀を突き入れてきた。 それを、源五郎は、わが左の胸下へ受けた。 「よう、やった・・」 この一語を残し、上田源五郎の息は絶えた。 「う、討った・・・とうとう、源五めを、討った・・・」 源五郎に折り重なって倒れ、よろこびの声をあげたのが、下中の清松の最期であった。 精根のかぎりをつくした清松の心ノ臓も、このとき急に、はたらきを やめたのである。 晴れた空に、鳥の群れが渡っていた。 |