獅  子
さよならの潮騒

獅  子



あれから40年が過ぎた。
上田から新領地松代へ移って、93歳になった真田伊豆守 信之は、ようやく隠居願いがゆるされたので、松代から 北方1里のところにある柴村に隠居所を構え、一当斎と号した。
このため、松代十万石を次男・信政へゆずりわたし、沼田領 三万石は、故長男・信吉の次男・伊賀守信利へあたえた。
これで、
「ようやく、気楽になれたわ」
と、信之は鈴木右近へ洩らしたのも、束の間のことであった。

翌明暦4年、父の跡を継いだばかりの真田信政が中風を発し、63歳で世を 去ってしまった。
信政には、側室に生ませた右衛門佐という男子がいたけれども、満1歳の 赤子にすぎない。
また、幕府へも届けていなかったし、将軍の引見を得て、 相続をゆるされたわけでもない。
このために、真田家に騒動がおこるのである。
すなわち、分家の沼田城主・真田信利が、幕府大老の酒井忠清の 応援を得て、本家の主となるための運動を開始し、家臣たちも 二つに別れ、幕府の圧力によって、真田本家が危うく 分家のものになろうとした。
91歳を超えた、一当斎・真田信之が重い腰をあげて、 幕府と分家とを相手に立ち向かった。

激しい暗闘と謀略がつづいた後、信之は、ついに勝ち、 本家を孫の右衛門佐にゆずりわたすことを得た。
それには、本家の家臣たちの結束があった。
上は、家老たちから、下は足軽・小者にいたる548人が、 誓紙血判の連判状に署名血判をしていた。
その連判状を持参して、柴村の隠居所へ伺候した家老たちを 前に、一当斎信之が、ようやく会心の笑みをうかべて、 「ようも、ここまでこころを合わせたものじゃ」
ちから強くうなずき、
「よし、よし。わしも、そちたちと共に死のうぞよ」
と、いった。
家老たちはことばもなく、ひれ伏したが、そのうちだれから ともなく、むせび泣きの声が起り、ついには大の男たち・・・
それも分別のつきすぎた老臣たちまでが、子どものように 大声をあげて泣き出したありさまというものは、 実に異様なものであった。
信之が、
「よし、よし、泣けい」
と、いった。
「大声を張りあげて泣けぬようなやつは、男ではないわえ」
と、むかし、父・真田昌幸が、いつも冷静だった長男の 自分へ、あてつけがましくいったことを、いま、 信之はおもい起こしていた。

しかし、自分が亡きのち、酒井忠清の恨みと怒りが、 どのような
かたちをとってあらわれるか、
「それを、真田の家のものは、覚悟しておくことじゃ。 おそらくは、わしの遺金も、十万石の身代も、幕府によって、 つぎからつぎへと搾りとられてゆくことであろう。 課役の名目によって、な・・・」
鈴木右近も、吉田市兵衛も沈黙していた。
「そこまでは、もはや・・・」
苦笑と共に、信之が、
「われらに面倒が見きれぬことよ」
「御苦労を、おかけしたしまいた」
しみじみと、右近がいった。
「なんの・・・いまとなっては、おもしろかったわえ」
事もなげに、一当斎信之が、
「大名のつとめと申すは、領民と家来の幸せを願うこと。
これ一つよりほかにはないのじゃ。そのために、おのれが 進んで背負う苦労に耐え得られぬものは、大名ではないのじゃ。
人の上に立つことをあきらめねばならぬ。
わしが、孫の伊賀守を、あくまでも拒みぬいたのも、 それがためであった。
人は、わしを名君とよぶ・・・が、名君で当たり前なのじゃ。
いささかも偉くない。大名なるものは、いずれも名君で なくてはならず、そのことは、別に賞められるような ことでも何でもないのじゃ。
百姓が鍬を握り、商人が算盤をはじくことと同じことよ」
そういって、信之が、
「このことは、本家の家来どもへ、何度も申しきかせてあった。
なればこそ、このたびの騒ぎに、一同、こころを合わせて 事に当たってくれたのであろう」
さも、心地よさそうに、信之が寝そべり、
「疲れた。えらく疲れたわい。おぬしたちも、今夜は 此処で、わしと共に眠れ。そういたせ、よいな」
「恐れいりたてまつる」






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