| 才槌あたまの、ずんぐりとした体躯のもちぬしで、鼻は人の二倍も
あるほどの肥さなのだが、両眼は木の実のように小さい。 三河の国、作手郷の奥平貞能の家来である。 姉川の戦のとき、奥平貞能・信昌父子は徳川軍について出陣をした。 その後、武田軍の侵略をうけ、武田軍に味方をし、三方ヶ原でも武田軍の一隊 として戦った。 しかし、信玄が亡くなるや、 「いまこそ!」 と、奥平父子が徳川家康の下へ、 「もどりとうござる」 と、申し入れてきた。 戦国時代の<小勢力>の生き方を、奥平父子のまざまざと見ることができる。 こうして、鳥居強右衛門は、主人と共に、ふたたび徳川・織田勢力の一員 としてはたらくことになる。 さて、家康は、奥平父子へ、 「長篠の城へ入り、これをまもってもらいたい。わしは決して長篠を見捨てぬ」 と、いいきった。 奥平信昌は、信長と家康を信ずることにきめ、長篠へ入った。 浜松からの救援軍が到着するまで、奥平の将兵は、わずか五百ほどで城に立てこもり、 武田の大軍を食いとめぬばならない。 長篠城は間もなく、武田軍の来攻によって孤立ことになる。 主人と共に、長篠城へ入った鳥居強右衛門は、このとき36歳である。 姉川のころにくらべると、強右衛門は5人の寄子(家来の足軽)をもち、妻の 加乃との間に、男女合わせて7人の子をもうけている。 妻の加乃は、おなじ作手の清岳に住む黒瀬久五郎のむすめで、17歳のときに、 23歳の強右衛門と夫婦になった。 はじめは、 「わたしは、強右衛門どののところへは嫁きとうない」 と、加乃はいった。 加乃がきらったのは、強右衛門の容懇であった。 黒瀬久五郎は何故か、強右衛門が好きであった。 こうして加乃は、いやいやながら強右衛門の妻になったのだが・・・。 半年ほどして、実家にあらわれた加乃に、父の久五郎が、 「どうじゃな?」 にやりとして、 「いまも強右衛門がきらいか?」 問うや、加乃が真赤になった。 「わしはな、加乃。強右衛門の父、角内とはむかしから親しい間柄じゃし、亡くなった 強右衛門の母ごの人柄も、よう知っておる。あのような夫婦の間に生まれ、育てられた 強右衛門が、どのような男か、見ぬでもわかる。わしは、可愛いお前の婿として、お前が しあわせになってくれとねごうていたからじゃ」 と、いったが、さらに、こうつけ加えた。 「なれど、強右衛門は人にすぐれた武勇があるとはおもえぬし、才智に長けているわけでもない。 じゃから、武士としての立身出世については、わしもうけ合いかねる」 「出世なぞ、どうでも、かまいませぬ」 と、加乃は、長男を身ごもって、ふくらみはじめた自分の腹を、さも、いとおしげに見た。 加乃が嫁いで見て、おどろいたのは、先ず、鈍重そうな夫・強右衛門が妻の自分を 非常に、いたわってくれたことであった。 たとえば・・・。 嫁いですぐに、彼女は夫や夫の父と共に畑へ出て、はたらいたわけだが、おどろいた ことには、畑から帰り、汗をぬぐって夕飯をすますと、 「加乃。ここへ来い」 と、強右衛門が呼び、 「さ、そこへ、うつ伏せになれ」 「・・・・?」 どうもわからない。 夫の父・角内は、奥の部屋で、二人の様子をにこにことながめている。 強右衛門が、なんと加乃の体をもみほぐしにかかった。 畑仕事の労働に硬張った妻の体をマッサージしてやる夫。このようなことを加乃は 人からきいたこともないし、もちろん見たことも経験したこともない。 おどろきは、毎夜つづいた。 ありがたいやら、うれしいやら。 「なぜ、このようにして下さる?」 問わずには、いられなかった。 すると強右衛門は、 「女房どのは、家の宝ゆえ、たいせつにするのだ」 こう答えた。 加乃の感動は強烈であった。 「なに、おれの父が母にしてやったことを、子供のころから見ているのでな」 ささやいてきた。 夫とは、妻をそのようにあつかうのが当然である、と強右衛門はおもいこんでいるらしい。 加乃は全身で強右衛門を愛し、老父・角内につかえ、子を生み育て、畑仕事に精をだした。 家康は、 「武田軍来攻」 の第一報を、すぐさま、織田信長へ向けて発した。 長篠城は、びっしりと武田方の軍旗に取りかこまれていた。 川をへだてた対岸に、おびただしい軍勢が陣を張り、林立する槍の穂先が 初夏の陽ざしをうけて、無数に光り、きらめいているのである。 5月8日の夜ふけに・・・。 奥平信昌は奥の一室にいて、まだ、ねむっていなかった。 小さな机の前にすわりこみ、身じろぎもせず、沈思しているのだ。 信昌の居室の外の廊下へ、大きな黒い影がのっそりと浮いて出た。 奥平信昌も、すぐ気づいて、 「何者じゃ」 声をかけた。 「強右衛門にござる」 鳥居強右衛門は、手にした竹製の水筒をさし出し、 「酒のまれませい」 ささやくようにいった。 「若殿・・・いや、殿。おこころのうち、お察し申しあげます」 ずばりと強右衛門がいった。 身分は低い強右衛門ながら、若殿の信昌が幼少のころから、そばにつきそって いたので、こうした遠慮のない態度が自然に出るのであろう。 信昌も、気にしていない。 「よい。かまうな」 と、いった。 「なれど・・・」 「お前は気がかりなのか?」 「は・・・」 「この城が落ちるとおもうのか?」 「さて・・・」 強右衛門は、あたまをかきかき、 「わかりませぬが、なんとなく落ちそうで・・・」 と、こたえた。 信昌が笑い出した。 率直な強右衛門のことばに、笑いをさそわれたらしい。 「困ったの」 「はい、困りまいた」 本丸の、城主・居館の大広間において軍議がひらかれたのは、 「ぜひとも・・・」 という重臣たちの要望であったからだ。 このとき・・・。 「組頭以上の者はすべてあつまれ」 との命令が来た。 奥平信昌の命令なのである。 広間から廊下にかけて百名に近い家来たちが、ぎっしりとつめかけていた。 板敷きの大広間は異様な緊迫にみち、つめかけた家来たちの汗と脂にまみれた体 からたちのぼる臭気が、むんむんとたちこめている。 「だれか、おらぬか」 と、信昌がいった。 「だれか、この城を這い出る一匹の蟻となってくれる者はおらぬか」 大広間が、しずまり返った。 信昌は、なにをいい出そうとしているのか・・・。 「だれか、おれの手紙を、岡崎に在る父上へ・・・そして徳川殿へ、とどけて くれる者はないか」 鳥居強右衛門は両手にあたまを抱えこみ、板敷きの上へうずくまってしまった。 「う、うう・・・」 強右衛門は、いま、5年前の姉川戦争に、当時は16歳の<若殿>だった 奥平信昌と共に出陣したときのことを、おもいうかべていたのであった。 (あの、姉川の戦の折の、徳川家康公の戦いぶりは、まことにすさまじいものであったな) いまさらに、そのことを強右衛門は強く感じる。 自分の同盟者である織田信長のために、家康は小兵力をもって死物狂いの苦戦を つづけ、一歩も退こうとはしなかった。 そして、ついに織田軍を勝利へみちびいた。 (おれが殿さまも、その一人なのだ) 強右衛門は、あたまを抱えていた両手をおろし、これを堅くにぎりしめた。 「おらぬか・・・だれも、おれのたのみをきいてくれる者は、おらぬのか」 奥平信昌の、血がにじみ出るような声が頭上できこえた。 強右衛門が突然に立ちあがった。 「ああ・・・強右衛門か」 彼方で、奥平信昌が叫ぶように、 「強右衛門。行ってくれるか」 人びとの眼が、強右衛門へ吸い寄せられた。 強右衛門の満面に血がのぼり、真赤になっている。 強右衛門が強くうなずき、 「それがし、やってみましょう」 と、いいはなった。 意外な男が、名乗り出たものではある。 奥平信昌が、 「強右衛門。たのむ」 と、いってよこした。 信昌の両眼が、ぎらぎらと光っていた。 「強右衛門。それにしても、よう引きうけてくれた」 「いえ・・・」 「うれしかったぞ」 「はい」 「引きうけてくれた理由をききたい」 「あのように、老臣の方々がは反対をなされる中で、殿がおひとりで、 その御胸のうちにある決心を変えようともなさらぬ強い御様子を見て、 それがしも岡崎へ駆けつけ徳川勢のうごきをこの眼でたしかめたい・・・ そう思ったのでござる」 「おう、おう・・・」 信昌はひざをすすめ、強右衛門の手をつかみ、 「かたじけない。よう、そこまで思いつめてくれた・・・」 といった。 あたまをたれている強右衛門のえりもとに、何か落ちてきた。 これは、信昌の熱い泪だったのである。 「殿・・・」 強右衛門も、胸がいっぱいになった。 (よかった。名乗り出てよかった) と、あらためておもった。 強右衛門は、心も体も、この若い主人と、 (一つになった) ような気がした。 そこへ、小姓が酒の仕度をしてあらわれた。 「さ、のみかわそう」 「はい」 信昌が酌をしてくれた。 すっかり、百姓姿になった鳥居強右衛門が、 「では、行ってまいります」 と、信昌の前へ両手をついた。 武士の姿よりも、このほうがむしろ、強右衛門にはぴったりと似合っている。 「強右衛門。たのむぞ」 と、信昌が万感のおもいをこめて、いった。 「はい」 強右衛門は、不敵に笑った。 夜ふけの闇の中に、強右衛門の丈夫で白い歯が浮いて見えた。 ふしぎに、恐怖感がない。 (やってのけられそうだ) と、強右衛門は自信をもちはじめてきている。 「では、これにて・・・」 奥平信昌に一礼するや、強右衛門は、不浄口の穴のふちから下へ たらした綱へ手をかけ、巨体を穴の中へ沈めて行った。 (臭い、臭い。これは、たまらぬ) 鼻をさす強烈な臭気に、呼吸がつまりそうになる。 ようやく・・・。 強右衛門は、寒狭川に面した穴へ顔を出すことを得た。 冷たい外気を、胸いっぱいに吸いこんだとき、 (生き返った・・・) と、おもった。 やがて・・・。 強右衛門は、雁峰峠の登りにかかった。 雁峰峠の頂上に立ったときは、 (疲れた・・・) 一瞬だが、強右衛門は目がくらみそうになった。 だが、一休みする間もなく、強右衛門は烽火の仕度にかかった。 雁峰峠の烽火は、まさに長篠城から見えた。 一睡もせずに、本丸の櫓の上に立ち、西の空を見つめつづけていた 奥平信昌が、躍りあがって、 「見よ、烽火があがった。強右衛門が、見事、ぬけて出たぞ」 歓喜の叫びを発した。 少年のおもかげが、どこかに残っていそうな若々しい信昌の頬に、 感動のしるしが一すじの糸を引いてながれ出た。 「よう、ぬけ出てくれた。よう・・・」 鳥居強右衛門のはたらきへ、信昌は、おのれの人生のすべてを 賭けていたのだ。 さて・・・。 雁峰山から空へ立ちのぼった烽火を、すぐ間近かに見た者が二人いた。 鳥居強右衛門が、岡崎の城下へ走りついたのは、この日の夜ふけであった。 「長篠の急便でござる。奥平信昌が家来、鳥居強右衛門でござる」 叫びつつ、彼は一気に、徳川方の陣地へ走りこんで行った。 つきそっていた徳川の武士が、さもうれしげに、 「上総介様(織田信長)が大軍をひきいて、昨夜おそく、岡崎へ御到着 なされたのでござる」 と、いった。 「な、なんと・・・」 立ちどまった強右衛門の両ひざが、がくがくとふるえはじめた。 (ま、間ちがってはいなかった。おれと、殿は、間ちがってはいなかったのだ) 強右衛門は両手を高々とさし上げ、夜空を仰いで、 「おう、おう・・・」 吼えるような叫びを発した。 歓喜の叫びだ。 家康は、城内・本丸の大広間へ強右衛門をまねき、徳川と織田の重臣たちが 居ならぶ前で、奥平信昌からの手紙を、むさぼるように読んだ。 「・・・いざともなれば、それがしは腹を掻っ切り、家来どものいのちを 助けるつもりでござる」 と、むすんでいたのである。 徳川家康も、感無量の態であった。 いよいよ、 (明朝は、長篠へ向けて進軍する) ことになっていたのである。 鳥居強右衛門は、全身につきあげてくる衝動を押えきれず、 「一時も早く、このことを長篠の御大将へ知らせたく存じます」 熱い粥を食べたのち、鳥居強右衛門はこの夜のうちに岡崎城下を発し、長篠へ 取って返しのである。 鳥居強右衛門が牧原の村へ入って見ると、かたまり合っている十戸ほどの農家には 人の気配がない。 村外れの山道へふみこんだ鳥居強右衛門が、 (や・・・?) あわてて、草の中へころげこんだ。 息をひそめていると、 「助けて・・・」 女の声で、そうきこえた。 助けをよぶ女の声につづいて、けたたましい子どもの泣声をきいたとき、 われ知らず、 (捨ててはおけぬ) 気持ちになっていた。 百姓家の板壁の隙間から、強右衛門は中をのぞきこんだ。 強右衛門の顔色が一変した。 (おのれ・・・) 激怒が、彼の巨体を燃えたたせた。 (敵は、三人だ) と見て、強右衛門は、にわかに勇気がわいてきた。 三人の敵を倒した鳥居強右衛門の呼吸は荒かった。 闘った時間は、ごく短かったけれども、強右衛門は全精力をつかい果たしたほどに、 疲れていた。 「ここにいてはあぶない。子たちをつれて、早く逃げろ」 と、農婦にいった。 百姓家を出て山道へもどった強右衛門は、あたりに異常がないのをたしかめると、 急に重い疲労を感じはじめた。心身をみずからはげまし、山道をのぼり出した。 木立の上に、すこしずつ星空がひろがりはじめた。 (間もなく、尾根道へ出られるぞ) また、闘志がわきあがってきた。 間もなく、鳥居強右衛門は尾根道へ出た。 彼は、一気に雁峰峠へ走りはじめた。 どれほど、走ったろう。 尾根道が右へ曲ろうとするあたりで、急に松明の火がゆれうごくのが見えた。 一つや二つの松明ではない。 前方から、武田の兵士たちが松明をつらねて、見る見るうちに近づいて来る。 あわてて身を返した強右衛門が今度は声に出して、 「しまった・・・」 と、叫んだ。 鳥居強右衛門は、本陣の中で、武田勝頼の前へ引き出されていたのである。 勝頼のまわりには、武田方の老臣・重臣がずらりと居ならび、強右衛門を 見まもっていた。 「お前か、昨日の早朝、雁峰峠で烽火を打ちあげたのは・・・」 勝頼の問いに、こたえようともせぬ強右衛門であった。 「お前は、岡崎へ助けを求めに行ったのであろう」 「・・・・」 「どうじゃ?」 強右衛門は、こたえない。 勝頼が、にんまりと笑って、 「強情なやつめ。名は、何と申す」 「鳥居強右衛門と申します」 「や、はじめて口をきいたな」 「名乗るほどのことなれば、わけもない」 「こいつ、おもしろいやつじゃ」 武田勝頼は、強右衛門には好感を抱いたらしい。 「これ、強右衛門。わしに降参するは武士の恥ではないのだぞ。おもうても 見よ。お前は、一命をかけて城をぬけ出し、岡崎へ馳せつけて、立派に役目 を果たしたのではないか。そうであろう」 「はい」 強右衛門は、すこしずつ、武田勝頼に素直になってゆく自分を感じていた。 すると勝頼が、 「わしの家来になれ」 と、いった。 「いさぎよく降参するのも、また武士の本懐なのだぞ」 「は・・・」 「どうじゃ。わしの申すことをきいてくれるか」 強右衛門は、うなずいた。 いや、うなずいてしまった。 「いさぎよいやつ」 と、勝頼がほめた。 (殿も、おれの気もちをわかって下されよう) と、強右衛門はおもった。 この日。 天正3年5月17日である。 鳥居強右衛門が、十余名の武田兵にかこまれてあらわれたのは、二つの川の 合流点より、すこし寒狭川へ寄った河原であった。 強右衛門の背後には、武田軍がひしひしとつめかけてい、総大将の武田勝頼も 本陣を出て、この場所に来ていた。 空が、真っ青に晴れあがっている。 朝の陽が山の稜線をぬけ出し、渓流へ落ちかかっていた。 と・・・。 武田の鉄砲隊が十名ほど河原へ出て、鉄砲を空に向けて撃ち放った。 「あっ・・・強右衛門だ」 「捕らえられたか・・・」 本丸や野牛曲輪の城塁へ、奥平の将兵があつまり、かたずをのんでいる。 奥平九八郎信昌が本丸の塁上へあらわれたのは、このときである。 黒の鎧の上に、麻を黄に染めた陣羽織をつけている信昌の姿は、強右衛門の 眼にもはっきりと見えた。 「と、殿・・・」 おもわず強右衛門が口走った。 「おーい・・・」 強右衛門の大声がひびきわたった。 奥平信昌が身を乗り出してくるのが、遠目にもわかった。 「鳥居強右衛門でござる。殿に・・・殿へ申しあげます」 「殿。強右衛門めにござる」 もう一度、呼びかけると、城塁の上の奥平信昌が、手にした青竹の指揮杖を 高々とあげた。 信昌は、指揮杖をゆっくりと、何度も打ち振って見せた。 「織田・徳川を合わせて四万の大軍、すでに岡崎を発し、こなたへ進み ござある。早まって城を開けわたしてはなりませぬぞ」 よどみもなく、一気にいってのけたのである。 「強右衛門、強右衛門!!」 と叫ぶ、奥平信昌の大音が、蹴倒された強右衛門の耳へとどいた。 (ああ、殿・・・) 蹴られ、殴られて河原をころげまわりながら、強右衛門は、 (ああ・・・何故、おれは、あのようなことを叫んでしまったのか・・・) 自分で自分が、わからなくなっていた。 強右衛門は、すぐに武田の陣所の中へ引きもどされて行った。 城内のどよめきは、なかなかに消えなかった。 奥平信昌ひとりが、佇立したまま身じろぎもせぬ。 武田勝頼も、さすがに激怒し、 「すぐさま、はりつけにせよ」 と、命じ、強右衛門の顔を見ようともせず、本陣へ引きあげてしまった。 城塁に立ちつくしたままの奥平信昌の顔は、熱いものにぬれつくしていた。 「殿。強右衛門が・・・」 傍の家来が、ほとばしるようにいった。 (これで、もう終わりだ。おれという人間が、この世からいなくなる・・・) あまりの呆気なさに、強右衛門はおどろいていた。 妻や子供たちの顔があたまの中に浮かび、笑いかけていた。 川をへだてて正面に見える本丸の城塁も、そこに群れあつまり、自分を声も なく見まもっている奥平の将兵たちも、強右衛門の眼に入ってはいなかった。 強右衛門は、城の上の空を仰いでいる。 (加乃。子どもたち・・・おれはついに、このような死様をすることになって しまった。何故か、わからぬ。ゆるしてくれい。だがな、殿は、きっと、 お前たちのことをしあわせにして下さるだろうよ) 妻や子に、よびかけている強右衛門の真下へ、駆け寄って来た4人の兵が、 「強右衛門。覚悟はよいか!!」 と、わめいた。 4本の長槍が、強右衛門の胸板へつきつけられた。 (いよいよ、死ぬのだ・・・) 活と、強右衛門は両眼を見ひらき、長篠の城塁を見すえた。 強右衛門の裸体は緊張のため、堅く堅く引きしまり、充血していた。 奥平信昌が両手を合わせ、磔刑柱へくくりつけられた強右衛門をふしおがんで いる。他の将兵も、いつしかこれにならっていた。 おそろしい勢いで血がふき出し強右衛門の裸身が真赤に染まった。 がくりと、鳥居強右衛門のくびがたれた。 どよめきが、静止した。 武田の将兵も鳴りをしずめている。 したたるような緑におおわれた山も川も、城塁も、この一瞬は死んだように しずまり返ったのである。 ときに、鳥居強右衛門勝商は、36歳であった。 |