| 於蝶は、この日の夜に入って観音寺城へ到着した。 (杉谷の頭領さまと、上杉謙信公とは、よく似ておられる) とき折、ふっと・・・於蝶はそう思う。 杉谷信正が、あくまでも、むかしからの主家である六角氏のために、忍びばたらき する頑固さは、古くさいとか馬鹿正直だなどということを、通りこしているようだ。 杉谷信正も上杉謙信公も、損を承知の上で苦労の多い道をえらぼうというのだ。 (ふ、ふふ・・・よう似ておいでだこと) 観音寺城の番所をいくつも通りぬけつつ、於蝶はくすりと笑った。 杉木立にかこまれた奥の小さな居宅に、善住房は一人で暮らしてい、六角義賢の住む 本丸の居館へ、ほとんど毎日のように出仕して、話相手をつとめているのだという。 折りよく、善住房はいた。 「おう、於蝶か」 にやにやと、炉を切った居間へまねき入れて、 「お前、また、腰のあたりの肉置がゆたかになったのう。よだれが出そうじゃ」 などと、相変らず、みだらな冗談をいい出すのだ。 於蝶は取合わぬ。 それだけに、於蝶が無言で微笑していると、善住房も照れくさくなってくるのであろう。 「いやはや・・・あの折、鳥坂峠で、お前にはとんだことを打ちあけてしもうたわい」 あたまをかきかき、伊佐木からの手紙を受けて読みはじめた。 「返事を持って行ってもらわねばならぬゆえ、明朝帰れ」 「はい」 そのころ・・・。 市木平蔵は、井ノ口城下へ忍びばたらきに出るため、甲賀の杉谷屋敷を出発している。 甲賀の里を闇にとけて走る平蔵は、自分の後を風のように追って来る人影に 全く気づいてはいなかった。 頭領・杉谷信正が、市木平蔵にあたえた任務は、 「井ノ口城下の様子をさぐり、次いで、尾張の織田信長のうごきを見て来るように」 と、いうものであった。 下田の部落をすぎた山道で、 (や・・・・?) 市木平蔵が突然、足をとめた。 山道の左側の木立の闇から、すさまじい殺気が自分にそそがれているのを感じたからである。 敵は猛然と闇を割って出るや、走り寄って、物もいわずに必殺の一刀をもって 市木平蔵の脳天へ斬りつけたものだ。 これが、市木平蔵の最期であった。ときに平蔵は30歳。 二つの黒い影は、うなずき合った。 翌朝になって・・・・。 観音寺城を出た於蝶が、この山道へさしかかったときには、昨夜、平蔵がながした おびただしい血痕にも土がかけられていたのである。 そのころ・・・。 闇につつまれた伊佐木の土間へ、空気のようにながれこんで来たものがある。 杉谷源七老人であった。 「それにしても、杉谷源七、久しぶりに血がおどりまいたよ。 隠し門の番人ばかりしていたのでは生きている甲斐もありませなんだが・・・」 こういったとき、源七老人の曲っていた腰が、すっきりとのび、壮者のごとき体躯に見えた。 「見事じゃった。おぬしが”大苦無”を平蔵の胸板へ打ちこみ、風のごとく走り寄って 抜討ちに斬ったときの早業・・・むかしのままの杉谷源七であったぞえ」 「それにしても、事を未然にふせぐことが出来て、よろしゅうござったな」 「於蝶は、たれとも夫婦にはさせぬ。このおばばが手塩にかけ、いのちをかけて 教えつくした忍びは於蝶ひとりじゃ。どのような男にもやらぬぞえ」 「杉谷家としても、於蝶のかわりはおらぬ。平蔵のかわりなら、まだまだ何人もおるし・・・」 「そのことよ、そのことよ」 「うふ、ふ、ふふ・・・」 この夜ふけ・・・。 伊佐木と於蝶は、甲賀を出発した。 めずらしく、杉谷信正が門外まで送って出たものである。 「老体をはたらかせて、申しわけなし」 「こころえたわいの」 十数匹のねずみどもも、おばばと於蝶の前後を走った。 |