織田信長

SOUND by MACHI
♪さよならの潮騒♪

織田信長



於蝶は、首尾よく、織田家の侍女となることを得た。
滝山忠介は、
(とても御館への奉公は、かなうまい)
と思っていたし、於蝶も、そのつもりでいた。
やがて、於蝶は織田信長の侍女となった。
いや、信長というよりは、信長夫人・お濃につかえることに なったのである。
お濃の方を、ひと目見て、
(ああ・・・)
お蝶は、うっとりと見入ってしまったものだ。
於蝶が好ましいと見る型の女は、どちらかといえば男勝りの 気性と容懇をそなえた女性だといってよい。
背丈高く、肉づきも豊満でいながら、お濃の方の顔懇は武者人形の 雅気をさえ感じさせる上に、少年のようなりりしさがある。
立居ふるまいも胸がすくほどに爽快なものであった。
(とても、30をこえた女性とは考えられぬ)
と、於蝶はおもった。

日を経るにつれ、於蝶もお濃の方にしたがって、奥殿へ入るようになった。
(これが、武家の屋敷なのであろうか・・・?)
於蝶ばかりではなく、信長の家来たちでさえ、おどろいたほどなどである。
金と銀と・・・・。
(信長がもっている金銀は、このように大きなものであったのか・・・)
そして、織田信長の顔を見たとき、
(これが・・・あの、信長か?)
信じられぬ。
於蝶が、尾張・清洲城下にいたころ、数度見た信長は、只もう精悍な 青年武将という印象のみであったが、それから8年を経たいま、文字通り、 尾張・美濃の太守として君臨する三十五歳の信長の両眼が、こちらにへ 向けられたとき、於蝶は彼の双眸がはなつ光ぼうのつよいちからに目が くらみかけた。
うわさにきいた織田信長・・・・。
また6年前に、今川義元に決戦をいどむべく、単身先がけて清洲の城を 飛び出していったときの信長・・・。
いままで、於蝶の胸底にあたためられていた信長像とは思いもつかぬ、 それはやさしげな、思いやりのあふれた声音なのである。

杉谷信正と、上杉家の軍師・宇佐美定行が”ねずみのおばば”の伊佐木 を通じて、
「杉谷忍びは、上杉謙信公の御為に、この事をなしとげよう」
と、こころを合わせた”その事”は・・・。
「杉谷忍びの手をもって、武田信玄と織田信長を殺害してしまおう」
と、いうものである。
杉谷信正としても、
(この事をなしとげるためには、杉谷忍びがほろびてもよい)
とまで決意しているらしい。

於蝶は、あせっていた。
頭領さまの命令は、
「先ず、信長の寝所をつきとめよ」
と、いうことなのだ。
それから、3日後の夜ふけに・・・。
於蝶は自分の部屋をぬけ出した。
於蝶が広間へ入った、そのごく短い時間に、小廊下の闇いっぱいに殺気が たちこけていたのである。
闇の中から、ゆるやかに、声がたちのぼってきた。
「於蝶よ」
その声・・・。
於蝶は耳をうたぐった。
「於蝶よ、うごくな」
その声のぬしはだれあろう、あの銭屋十五郎なのだ。
さすがに、於蝶も自分の血が凍るかと思われた。
結束もかたく、かつて裏切り者を出したことがない杉谷忍びだけに、
(十五郎の寝返りを、まことに頭領さまは御存知なかったのか・・・?)
どうしても信じきれない。
もし、このことが本当なら、出陣中の織田信長のいのちをねらって活躍 する筈の杉谷忍びの動きは、すべてむだになってしまう。
(ああ、おばばさまのいのちもあぶない)
於蝶は居ても立ってもいられぬ気がしていた。
「於蝶よ」
と、またも銭屋十五郎が、
「とても逃げられぬぞ。どうじゃ、わしのいうことをきけい」
「いやじゃ」
「何・・・」
「来るなら来やれ。於蝶は、この場で死ぬ!」

「あっ・・・」
また、於蝶は切られた。
(斬られる、死ぬ・・・)
おもいきわめた瞬間に、於蝶はぐいと腕をつかまれ、引きおこされた。
「逃げよ!」
その敵がいった。
(だれか・・・?)
背後に、すさまじい争闘のひびきをききながら、於蝶は夢中で通路を 走り、突当りの板扉を引き開けて、ついに大廊下へ出た。
そして・・・。
於蝶が、甲賀の杉谷屋敷へたどりついたのは、何と翌日の夜ふけであった。
隠し門の番をしていた杉谷源七老人によって於蝶が屋敷内へかつぎこまれたときには、 半死半生のありさまだった。
数日して、於蝶はいくらか元気を取りもどし、尚もくわしく当夜の模様を 頭領さまへ語ると共に、織田の家来と見えた一人が最後の急場で自分を 救ってくれたことをはなすや、
「伊坂七郎左衛門というものじゃ」
と、杉谷信正はいった。
「わしの、隠し忍びじゃ」
それで、何もかもわかった。
そして、伊坂はあの夜、闇の小廊下に41歳の生涯を終えたことになる。






メニューへ