落  城

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♪さよならの潮騒♪

落   城



信長は上洛の準備をすすめると共に、武田信玄や上杉謙信にも、
「これからも仲よくいたしましょう」
などと、手紙を送ったりしている。 「上洛の仕度をいたすべし!」
動員令を下した。
一方、観音寺城でも、この様子を知って、
「素通りをして行く信長ではないぞ」
急ぎ、応戦の準備にとりかかった。
このころ、杉谷屋敷の奥ふかく暮す於蝶の傷も、ようやくに癒えてきていた。
頭領・杉谷信正みずからも、屋敷を出て、どこかへ忍びばたらきに行っているらしい。
どちらにせよ、杉谷忍びは、主家とあおぐ観音寺さまのために総力をあげているに ちがいない。
このようなことになるのなら、
(なんとしても、岐阜にいたとき、信長を殺害してしまうのだった・・・)
と、於蝶は、くやしさに五体がふるえてくることがある。
放胆のように見えていて、織田信長という人物は、あれでなかなか身辺の 警戒に、こまかく神経をつかっている。
あの居館の中の仕組みの秘密は、さすがの於蝶もさぐりとることを得なかった。
(ああ・・・おばばさまはいま、何をしておいでになることか・・・)
”ねずみのおばば”の伊佐木は、いまも甲府に潜入しているものと見てよい。

秋晴れの空の下を織田の大軍はひしひしと近江の国へ進軍しつつあった。 三河の徳川家康も千五百ほどの新鋭をひきい、これに参加しているという。
美濃から、中山道をまっしぐらに織田軍は愛知川を押しわたった。
中山道へなだれこみ、観音寺と蓑作山の両城のつながりを絶った織田信長は、
「それ! 陽が沈むまでに蓑作山を攻め落せ」
突然、軍列の中から姿をあらわした。
信長は、みずから長槍をつかみ、
「我につづけ!」
先頭に立って、蓑作山の東面から攻めかけた。
「三河武士の意気地を見せよ!」
家康は、三河の領国の守りに大半の軍勢を残して来たが、そのかわり大将 みずからがひきいた精悦部隊で、
「見ておれよ。三河殿(家康)のはたらきを・・・」
と、織田信長が、わが家臣たちにいった通りのすさまじい突撃ぶりであった。
それにしても・・・。
蓑作山が、このように素早く信長の手に落ちようとは考えても見なかったことである。
「おそれながら・・・」
と、杉谷信正はいいだした。
六角父子に変装をしていただきたいというのである。
名もなき軍兵の姿になっていただきたいと申し出たのである。

そのころ・・・。
甲賀の杉谷屋敷から、於蝶と、5人の忍びたちが出発している。
於蝶たちが、日野の分かれ道へ到着し、ここに待機したのは、ちょうどこのころであったろうか・・・。
愛知川沿いに、こちらへ向かって来るであろう”観音寺さま”一行を出迎えるため、下田藤作 はか2名の忍びが前行した。
於蝶は、山道の東側のそそり立つ山林の斜面へ、2人の忍びをあざない、
「うごきなさるな」
と、いった。
(これは、先へ行った下田藤作どのたち3名が、あの曲者のために殺害されたにちがいない・・・ そして、曲者は藤作どのに化けて、ここへあらわれ私たちをさそい出そうとした・・・)
於蝶の脳裡へ、突然ひらめいたものがある。
(銭屋十五郎ではないか・・・?)
於蝶は、全身の血が凍るかにおもった。
月の光はない。
雨が落ちてきた。
そのとき・・・。
山道の向こうの斜面から、わらわらと8名ほどの黒い影があらわれ、これが一気に 山道を突切り、於蝶たちがひそんでいる林の中へ駆け入ろうとした。
(逃げられる)
ほとんど傷の痛みもおぼえず、身をおどらせかけた於蝶のくびすじへ、 闇の底から蛇のようにのびてきた鉤縄がくるくると巻きついた。
「捕らえた!」
銭屋十五郎が鉤縄を手ぐりこみながら、勝ちほこった声をきき、於蝶は絶望した。
(もう、死ぬのだ・・・)
於蝶のくびへ巻きつき、一直線にのびきっていた鉤縄が、ぷつりと断ち切られたのは、 この瞬間であった。
「あっ・・・」
銭屋十五郎が叫び、手ごたえのなくなった鉤縄を捨てて、腰の忍び刀の柄へ手を かけたとき、彼の頭上から怪鳥のようなものが風を切って舞い下った。
怪鳥が、しわがれた声でいった。
「十五郎よ。裏切り者のたどる道を、おぬしも行け」
このとき、意識を取りもどした於蝶が、おどろきの叫びをあげた。
「おばばさまか・・・」
「いかにも・・・」
まさに”ねずみのおばば”の伊佐木ではないか・・・。
「さ、わしが背へ乗りゃい」
と、いう。
「先刻、甲賀へ到着。杉谷源七どのからすべてをきき、すぐに駆けつけたところ、 いまの始末よ。於蝶の忍びわざもにぶったのではないか」
伊佐木に叱りつけられ、於蝶は恥じ入るばかりであった。
山峡の道へ下り、これを突っ切るや、伊佐木は於蝶を背にしたまま、一気に 向こう側の山道へ駆けのぼる。
於蝶は伊佐木の背で、涙があふれるにまかせている。
(おばばさまのちからは何という、すさまじいものか・・・・)
つくづくと、感動をした。
(女ながら何十年もの忍びばたらきが、おばばさまの血となり肉となっているのだ。 ああ・・・私が、おばばさまの年齢に達したとて、とうてい、あれだけの はたらきはできまい)

六角義賢父子をまもった杉谷信正らは、伊佐木の案内によって蒲生の山々をぬけ、 この日の夜に入ってから、望月吉棟の屋敷へ入った。
この夜もふけてから・・・。
”ねずみのおばば”がひとり、焼け落ちた杉谷屋敷へもどってきた。
「おお・・・」
伊佐木は、大小数ヶ所の切傷をうけた源七老人の遺体の前へ来て、よろめく ようにすわりこみ、
「源七どのよ。もはや、この世の人ではのうなったか・・・」
よびかけて、号泣した。
老いた忍び同士で、しかも杉谷一族であるこの二人の友情は、だれも知らぬ ものはなかったのだけれども、
(もしや・・・?)
男女の情をかわし合っていたのではないか・・・。
あの、物に動ぜぬ”ねずみのおばば”の泣声は、いつまでもつづいた。
於蝶は、新井丈助や他の女たちに目くばせをし、しずかに伊佐木の住居から出て行った。
外は、まだ烈しい雨となっている。






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