姉  川

SOUND by MACHI
♪さよならの潮騒♪

姉  川



浅井・朝倉の連合軍は大寄山の陣をはらい、姉川へ向って前進を開始した。
浅井軍は合計一万八千。
織田軍は合わせて三万四千。
晩夏の朝の大気は冷たかった。
淡い水色の空に、波雲が浮いている。
戦闘の前の、緊迫をはらんだ両軍の沈黙の中に、伝令の馬蹄の音のみが、 何か間のぬけた感じできこえている。
姉川は無心にながれ、山脈は、あくまでもしずかに両軍を見おろしていた。
と・・・。
浅井長政の本陣から、一発の狼煙が朝空へ打ち上げられた。
攻撃の合図である。
攻撃は、先ず朝倉軍から仕かけられた。
陽のかがやきが強くなってきている。
朝倉と徳川の戦闘は、尚も飽くことなくつづけられていた。
織田軍にも動揺の色が濃くなったのを、浅井長政は見のがさなかった。
「いまこそ!」
采配を強く振った。
ほら貝が鳴りひびいた。
陣太鼓が打たれる。
浅井軍約7千が4つに分れ、喚声をあげて、姉川へなだれこんだ。
浅井長政は、みずから長槍をふるって姉川へ馬を乗り入れ、
「退くな、退くな!」
と、下知をつづけた。

このとき・・・。
いつの間にか、七尾山すその森の中から疾風のように駆けあらわれた一隊が、 戦場の東側へまわりこみつつ、一気に姉川をわたりはじめた。
いまや戦闘は頂点に達してい、両軍とも、総大将が千メートル弱の 近間に向き合っての激戦であるから、この不思議な一隊の出現に気づく者はいない。
一隊を指揮するものは、杉谷信正である。
「かねて打ち合わせたる通り、これよりは各々、一心不乱に事をはこべ!」
と、命じた。
そのとき・・・。
織田信長本陣のあたりで、3度目の爆発がおこった。
「いまこそ!」
もうもうたる黒煙の中から、杉谷信正はじめ、4人の忍びと10名の兵が 槍をかまえ、猛然と信長本陣へ殺到した。
信長が白い歯をむき出し、槍をかまえかけた転瞬・・・。
杉谷信正は片ひざをつき、右手につかんだ槍を投げた。
信正の槍が、彼の手をはなれる一瞬前に、芋を洗うような混乱の中から、 武者を乗せた軍馬が信正の腰をかすめて走りぬけたのである。
馬の脚に、信正の腰がふれた。
わずかに、杉谷信正の手もとが狂った。
ために・・・。
うなりをたて、一条の光芒となって空間を切裂きつつ、彼の腕はわずかながら 衝撃をうけずにはいかなかった。
(しまった・・・)

伊佐木が決然として、
「みな、隠し穴を出よ」
叫ぶや、隠し穴から飛び出した。
「於蝶よ」
伊佐木が、於蝶の両肩へ、骨張った手をまわし、抱きかかえるようにしながら、
「お前を、ひとり前の忍びに育ててきた20余年、またたく間であったのう」
おだやかに微笑をうかべ、やさしくいった。
「おばばさま・・・」
「うむ。よし、よし。ようもこれまで、このおばばにつかえてくれた。礼をいうぞえ」
「於蝶よ。われはこれより信長本陣へ駆けつけ、頭領どのに助勢するぞよ」
いいはなった伊佐木が岸の堤へ躍りあがった。

戦場を、夜の闇が包んだ。
傷ついた軍馬の悲しげな声が、その闇の中からきこえている。
そして・・・。
杉谷忍び12名の姿は、戦士数千の血を吸った姉川の戦場のどこにも見出すことが できない。
夜ふけてから、雲が星をかくし、湃然たる豪雨が北近江の野をおおった。






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