杉谷忍び

Music by
♪17mile.mid♪

杉谷忍び



堂山のすそから山腹にかけ、石垣塀と空堀と、さらに、 いくつもの土塀もうねりが複雑にのびている杉谷屋敷の内には、 杉谷信正につかえる忍びたちの家もふくまれている。
忍びの術といえば「甲賀・伊賀」の二流が代表的なものとされている。
それもこれも、この両地が、天皇おわす京の都に近く、 しかも波のうねりのような山々にかこまれてい、忍びの術の 発達に益すべき環境にあったからといえよう。
当時、京は日本の首都である。
戦国の大名たちが、群敵を制圧し、この首都をおさめ得ることに よって、天下人となり、日本に号令することを得る。
このことを、上洛とよぶ。
足利将軍という天下人がいることはいても、いまの戦国大名 たちはこれを問題にしてはいない。
利用することだけを考えている。
ゆえに、上洛をはたすため、京をめざして戦い、進みつつある諸国 大名の角逐は、ようやくすさまじい様相を呈してきはじめた。

(それにしても、越後の長尾・・・いや、上杉謙信公のために 忍びばたらきをせよとは・・・?)
於蝶も意外であった。
頭領さまと、まだ密談があるらしい叔父を奥庭へ残し、 内土塀の外へ出て来た彼女へ、地の闇を疾って、 いきなり飛びついたものがある。
地の底から躍り出したような、それは二匹の鼠であった。
黒い影が、眼前に立ちあがった。
先刻、頭領と共に白壁にいた伊佐木であった。
この老婆は杉谷信正の長姉で、年齢も70に近いらしい。
どこからか、この小さな住居へ走りこんで来た二匹のねずみが、 伊佐木のふところへ飛びこみ、もぐりこんでいった。
甲賀では、伊佐木のことを「ねずみのおばば」と、よんでいる。
「ねずみはな、他国へつれて出ても餌の心配がいらぬし、 荷物にもならぬし、これほどあつかいよい生類はないぞよ」
と「ねずみのおばば」はいう。

「越後へおもむくそうじゃな」
伊佐木は、炉の火をかきたて、土鍋をかけて粥の仕度にかかりつつ、
「こたびは、小兵衛とそなたが忍びばたらきするは、頭領どのの御一存じゃぞ」
といった。
杉谷信正は、近江・観音寺城主・佐々木義賢の扶持をうけ、 これにしたがっている。
その、主家ともいえる佐々木家に内密で、杉谷信正は 上杉謙信のために、はたらこうとしている。
「頭領さまは、なにを考えておられるのでしょうか?」
於蝶が伊佐木に問うたとき、一陣の風のように大きな 黒い影が部屋の中へあらわれた。
「於蝶かい」
黒い影がよびかけ、炉端へにじり寄って来た。
この男、頭領・杉谷信正の末弟で、名を与次郎光安といい、 若いころから僧籍に入って善住房光雲と名のっている。
「於蝶よ。ぬしは、もう何人の男の腕に抱かれたのかよ?」
善住房が、ふとい鼻をひくひくさせながらいう。
「甲賀の女忍びは男に抱かれるのではありませぬ。善住さま」
「は・・・・?」
「男を抱いてやるのです」
「ふむ。出来た」
ぽんと手をうち、巨体をゆすって善住房は笑い出した。
「おい、わしはな、今度、お前と共に忍びはたらきすることに なりそうだわえ。兄上にはこれから会うのだが・・・どうも、 そのようにおもえてならぬ」
すると「ねずみのおばば」が軽くうなずき、
「その通りじゃ」
「まことか、おばば。やはりな・・・」
傍できいていて、於蝶は胸がときめいてきた。
善住房は忍びの術よりも、鉄砲の名手である。
「兄上、わしの鉄砲で、だれを殺せといわるるのかな?」
たのしそうなのである。

先ず新田小兵衛と於蝶の二人のみが、雨にけむる暗夜の 甲賀・杉谷の里を発して、越後へ向かった。






メニューへ