岐阜城下

岐阜城下



井ノ口から岐阜と名があらたまり、この城下町が織田信長のものとなってからは、
「まるで町中が踊り出したような・・・」
活況を呈しているらしい。
戦火に焼けただれた城や町が、おそるべき速度で復活しつつあった。
尾張から美濃へ・・・。
織田信長の本陣が移る。
「信長という大名は思いのほかの金持ちじゃ。何事にも惜しみなく金銀を 投じ、金銀を散するようじゃ・・・が、それよりも時を急ぐありさまが只事 ではない」 と、十五郎がいった。
岐阜城下の様子は、銭屋十五郎によって絶間なく甲賀の杉谷屋敷へ報告されている。
「わたしも一度、甲賀へもどってみたい」
と、於蝶が十五郎にいうと、
「そのうち、頭領さまが岐阜の様子見がてらに、ここへおいでなさる」
「まことかえ?」
「何ぞ、於蝶どのへ忍びばたらきさせるおつもりらしいぞ」
「まことならよいけれど・・・」
「退屈をしたか?」
「これでは身体が肥えてしもうて・・・」
十五郎の言葉通り、それから数日して・・・それは冷雨がふりけむる夜ふけで あったが、旅商人の風体で、杉谷信正が銭屋へあらわれた。
(頭領さまが、みずからの眼で岐阜の様子を見にこられたというのは、只事ではない)
奥のまに入り、杉谷信正は於蝶の給仕で熱い塩粥を食べながら、
「ときに・・・一昨夜、姉上からのたよりがあった・・・」
「おばばさまは、古府中(甲府)へ忍び入られましたのか?」
「うむ」
「それで?」
「元気らしい。春日山へ向う途次、失うたねずみどもも、新しく飼いならしたそうな」
「まあ・・・」
「絶えず、春日山の宇佐美様と連絡をつけているようじゃが・・・それによると、 上杉謙信公は、観音寺様と同じように、足利義秋公に見切りをつけておられるようじゃ。 このことをお前に申した上で・・・」
と、杉谷信正が箸をとめ、凝と於蝶を見守り、
「さて、お前に、ひとはたらきしてもらわねばならぬ」
と、いった。

季節は、冬に入っていた。
寒風も、この町づくりの熱気にはおよばない。
久しぶりで外出をゆるされた於蝶は、笠をかぶり、建設中の町へあらわれた。
「ま・・・」
眼を細めて、かすかに笑った。
彼女の視線は、人夫がひく大石の上に立ち、怒号しているたくましい武士に ひたと向けられていた。
彼の左眼は、於蝶によってつぶされたものだ。
尾張・清洲城外の川のほとりで、水浴を終えたばかりの於蝶にいどみかかった 織田家の武士、滝川忠介なのである。
いま、忠介は30歳になっている。
あれから6年・・・・。
「どけい!そこ退けい!」
「お久しゅうござりました」
「うぬ!」
忠介が飛び下りるよりも早く、於蝶は身を返して、人ごみの中へ駆けこんでしまった。
「おのれ、まてい!」
太刀をふるって樹々の小枝を切りはらいつつ、忠介は奥へすすむ。
樹林の間から陽がさしこんで来た。
ふかい森は風をさえぎっている。
「これ・・・」
不意に、よびとめられた。
「どこだ!」
「ここ」
「あっ・・・」
すぐ傍の枯草の上に、於蝶が横たわっていたのである。
於蝶は、ぬぎすてた衣類の上に、何と裸身を横たえていたのである。
於蝶の眼が妖しく笑みをたたえ、
「やさしゅうしてくれれば、このわたし、お前さまの思いのままじゃ」
甘い、切なげな女のささやきであるし、忠介は眼のやり場に困った。

しばらくして・・・。
ふたりは、ふたたび衣類を身にまとい、肩をならべて森の中にすわりこんでいる。
滝川忠介も右眼は、もう笑っていた。
「わたしが殿様の御殿へ御奉公にあがったら・・・そうなれば、お前さまとも 忍びあえましょう」
「いかぬ。だめだ。御殿へ上がる女たちへは御詮議がきびしい。どうだ、木下藤吉郎殿か、 柴田勝家様のお屋敷へ御奉公に上がっては・・・」
於蝶は、わずかな沈黙の後に、
「あい」
うれしげに、うなずいた。
「では、急いで京へもどり、家をたたみ、後始末をし、亡き父の墓にも別れを つげてまいりまする。待っていて、待っていて・・・」
甘やかにいいながら、於蝶は鳥のように森の中から飛び出して行った。
滝川忠介は茫然としていた。






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