| 忍びの者にとって、甲賀から越後までの道はいく通りもある。 しかし、新田小兵衛が、 「於蝶よ。われらは先ず、関東へ行くぞ」 と、いった。 「関東の、どこへ?」 小兵衛は、上州の厩橋の城へ行くのだと、こたえた。 「われらが着くまで、上杉謙信公も厩橋に御滞陣であろうと思う」 甲賀を発して5日目に、二人は小田原の城下へ入った。 小田原城下も雨にけむっていた。 城下に、法城院という寺がある。 時刻を見はからい、新田小兵衛と於蝶は夜陰に小田原へ入った。 法城院の裏塀をおどりこえ、二人は、難なく寺内へ入った。 これほどのことはわけもないことだ。 法城院の和尚を心山という。 心山は60に近い老僧で、小田原へ来てから15年 ほどになり、歌も詠むし学識もふかく、人格も円満だと いうので、小田原城主・北条氏康の気にいられて、 城へも自由に出入りをゆるされているほどであった。 しかし、心山和尚は甲賀の息がかかった人物である。 寺内の奥庭に面した心山和尚の居室の外縁へ、小兵衛と 於蝶が影のように近づいて行くと、くらい居室の中から 心山の声がした。 「杉谷忍びの新田小兵衛にござる」 「おう・・・ま、入られい」 内がわから障子がひらいた。 小田原の法城院を発した小兵衛と於蝶は、のべ4日を 要して厩橋へついている。 城下をへだてること一里。利根川ぞいにある萩原の村はずれに ある小さな社の堂の中で一夜をすごした。 翌朝。この社を出て行った新田小兵衛と於蝶の姿は 見ちがえるばかりになっていた。 旅姿ながら、どこから見ても歴とした立派な老年の武士と、 その孫娘とも見える二人づれになっていたのである。 於蝶も、そうした小兵衛にふさわしい武人のむすめの風体なの だが、20歳の彼女が、見たところ15,6の少女におもえる。 まだ朝霧がたちこめている利根川にそった道をすすみ、 二人は、厩橋城の大手口へさしかかった。 新田小兵衛は、番所の士に、一通の書状をさし出した。 「これを宇佐美駿河守様へ・・・」 宇佐美駿河守定行は、越後・枇杷島に領地をもっているが、 上杉家には謙信の父・為影の代からつかえて、 いまは60をこえた老臣ながら、 「おもてには知られぬが、すぐれた軍師だそうな」 と、小兵衛は於蝶に語っている。 於蝶は、男の姿になっていた。 前髪だちの、15,6歳ほどの少年に変装をしていたのである。 上杉謙信は、妻もめとらず側室もおかぬ。 したがって、子もない。 「わが家をつぐものは、わが血をわけた子ならずともよい」 と、謙信はいいきっている。 あたまをまるめ、僧形となり、女性も酒も厳然として絶ち、 男としての快楽はおろか一切の欲望からはなれ、すべての エネルギーを戦陣に燃やしつくそうというのだ。 鬼神とうたわれた彼の、すさまじい武力は、 ここに根をおろしている。 このとき謙信は32歳であった。 本丸・居館内の奥主殿へ、宇佐美定行は二人を ともない、つかつかと入って行った。 (わたしを謙信公のおそばにつけ、御身をまもらせ ようとのことか・・・) くわしい打ちあわせは、まだなされてはいないが、 於蝶にもそれと感得できた。 春日山城には、御主殿とよばれる上杉謙信の屋敷が二つある。 春日山城に帰ってからの謙信は、夏のさかりを、城内本丸にある毘沙門堂へこもり、護摩をたきあげ、軍神にいのりつづけた。 夜も明けぬうちから屋敷を出て、山城の道をのぼり、 夜に入るまで出て来ない。 この間、毘沙門堂の近くにひかえているのは、 小姓二名のみにかぎられている。 謙信は、毎日の毘沙門堂通いにつき従う小姓を、於蝶の 井口蝶丸と、家来・岡本長七郎のせがれ小平太ときめた。 (美しい若者は、小平太どのひとり) と、於蝶がおもったように、岡本小平太は匂うように (抱きしめてあげたい・・・) ほどに、しなやかな肢体と、女の於蝶が顔負けする ほどの美懇をそなえている。 その日も・・・・。 於蝶は、岡本小平太と二人きりで、毘沙門堂下の草地の 腰かけに並びかけ、堂内の謙信が出て来るのを待っていた。 「小平太どの・・・」 「何?蝶丸どの」 「今夜、亥の下刻に、西の曲輪へ・・・」 と、ささやいた。 於蝶が岡本小平太を「わがもの」としたのは、女忍びとして 当然のことであったといえよう。 このように「共通の秘密」をもった味方を、たとえ一人にせよ 得たことは、これからの於蝶の活躍を容易にすることになる。 |