| 8月14日朝に春日山を発した上杉軍は飯山街道を経て、
現・飯山市を通過し、千曲川に沿って南下。 闘志をひそめた強行軍で、16日の夜には、早くも善光寺 へ入った。 上杉軍出発を知った武田方の間者は、越後の山々から、 烽火の信号をもって、つぎつぎに、山から山へつたえ ながし、これが甲府の烽火山へとどくまでに、二刻(4 時間)とはかからなかったとつたえられる。 さて。 尼飾城にいた武田軍三千余は、ただちに城を下って、すぐ 目の前の海津城へ入り、合せて五千の兵力となった。 これは、上杉軍が善光寺へ入った同じ日の夕暮れであった。 17日の朝となった。 (あれが、旭山の城か・・・) 夜明けと共に、於蝶の井口蝶丸は、善光寺の城の矢倉に のぼり、木立と平野の民家のつらなりの彼方にそびえる 旭山をながめた。 「蝶丸よ、ここにか・・・」 矢倉へ、のぼって来た人の声がした。 宇佐美定行であった。 「蝶丸・・・いや、於蝶よ」 ややあって、宇佐美定行が、ひとりごとのように、 「今夜、おぬし、小柴見宮内の城へ忍び入ってくれぬか」 と、いった。 「宮内の城へ忍びこみ、宮内の本心をたしかめてもらいたい」 「こたびの戦は、よういならぬ。それだけに、わしは何としても 御屋形に勝っていただきたいのじゃ」 と、宇佐美定行の声が熱をおびてきはじめた。 「あの城へ・・・」 と、彼方の海津城の方向へ、定行はゆびをあげつつ、 「あの城へ、やがて入って来る一人の男も、このわしが 御屋形の勝利を祈っておることと同様に、武田信玄の勝利を 必死のおもいをこめ、祈っているにちがいない」 「一人の男・・・?」 と、於蝶。 「山本勘助という」 「・・・?」 「ふむ・・・甲賀の忍びたちの耳へも、名がきこえてはおらぬ 男じゃが・・・」 定行が、ふといためいきを吐き、 「おそるべき男じゃ、おそるべき・・・」 「武田信玄へ影のようにつきそっている軍師じゃわえ」 小兵衛や於蝶が「忍びの術」をもって、戦国の世にはたらく のと同じように、軍師は、「兵法」をもって戦争を勝利に みちびくための学問と技術と経験をもって、主とあおぐ 大名のためにはたらく。 「こたびの戦さは、御屋形と信玄の戦さであるばかりでなく ・・・・この定行と山本勘助との戦さでもある。わしも 勘助も、かつて今まで、このようにひろびろとした戦場に おいて、互いの智略をかたむけつくしたことはなかった・・・」 「宇佐美さまは、山本勘助をごぞんじなのでございますか?」 「うむ・・・」 うなずいた定行の視線が晴れわたった朝空へ向けられた。 定行の表情は、何か、ものなつかしげな、夢みるような 和やかに変わっている。 「若きころのわしが、諸国を流れ歩いていたころ、勘助も また同じように放浪の身の上じゃった・・・」 「では、その折に?」 「一年ほども共に暮らしたことがある。たがいに、よき主を えらび、おのれの兵法をぞんぶんにはたらかせてみたいという、 はげしいこころのをも燃え上がらせつつ、二人は旅をつづけて いたものじゃ」 「さようでございましたか・・・」 「おそらく、勘助が、武田信玄にしたがって甲州を発したのは、 昨日であろう」 するどい宇佐美定行の直感は、的中していた。前日の16日に 信玄は甲府を発している。 「念には念をいれねばならぬ。わしは、どうあっても小柴見 宮内を味方につけておきたい」 ふたたび、定行が於蝶をかえり見た。 そして、8月20日の未明。 朝霧がただよう善光寺平へ、一万余の軍団をひきいて すすみはじめたのである。 武田信玄は、まだ到着していない。 上杉軍は、犀川と千曲川の合流点のあたりから、川をわたって、 まっすぐに海津城を目ざし進んで来るではないか・・・。 (攻めかけて来るつもりなのか・・・?) 城内の武田勢に緊迫のいろがたちこめた。 上杉軍は、横目に海津城をながめつつ、城のすぐうしろを 西へ進みはじめた。 上杉軍は、海津城の南から西へ、ふたたび山なみを通り、 ついに、妻女山へとどまった。 このとき、空は血のような夕焼けとなった。 |