| 村の背後の山の中腹に、小柴見の城があり、村人は、この山のことを 「お城山」とよんでいるようだ。 この城に、小柴見宮内は、三百の兵をひきい、じっと息をころしているのである。 かれは、何を考えているのであろう。 (なれど・・・・小柴見宮内というお人は、よほどに領民たちを可愛ゆくおもっているらしい) 安茂里の村へ近づきながら、於蝶は、そうおもった。 村人が逃げた様子もない。 そればかりか、村のまわりに、かがり火をたき、警戒もきびしい。 これは、村人たちが領主の小柴見宮内と共に、はたらこうという意気があるからと見てよい。 城の外まわりにも番卒の見張りが厳重だ。 けれども・・・・。 城の中は暗い。 ひっそりと暗く、静まっているのである。 間もなく、於蝶は、小柴見宮内の居館の床下へ、すべりこんでいた。 わらぶきの小さな居館であった。 宮内は、まだねむってはいなかった。 奥の「おやすみどころ」とよばれる板じきの一間で、彼は、重臣の深沢万右衛門と向かい合っている。 ここは城主の居館であるから、廊下にも外まわりにも、きびしく、番卒が見張りをしている。 「くせものが、潜入いたしたそうな・・・」 と、小柴見宮内が深沢万右衛門にいった。 「おやすみどころ」には、この二人きりで、人ばらいがなされている。 宮内は、40そこそこの年齢であろうか・・・。 ほっそりとした躯つきの、なかなかの美男子であり、 眼もとが、いかにもやさしげであった。 ととのった鼻の、左の小鼻のわきに大きな黒子があり、 一すじの毛が、この黒子からたれ下がっている。 小柴見宮内は、この黒子の毛を大切にしているらしい。 万右衛門は宮内の母の弟だから、叔父ということになる。 年齢も60に近いし、家来たちは「御年寄り」と よんでいるらしい。 「あ、ああ・・・」 宮内が、うめいた。 「なぜ、わしをそっとしておいてくれぬのかな。 わしはな、何も大きなのぞみを抱いているわけではないのだ。 信濃の国の片隅に細々と息をついている安茂里の村の主と して、平穏に暮らして行ければよい。 ただ、それだけの、のぞみもならぬというのか・・・」 このとき、深沢万右衛門が、腹の底からしぼり出すように、 「その、ささやかなのぞみをはたすためにこそ、 武田か上杉か・・・ そのどちらかへ与せずばならぬこと、殿は、 よくわきまえておられる筈ではござらぬか」 と、いった。 すでに、於蝶は二人が坐している真下へ、ひそんでいる。 低い二人の話声が、けだものの聴覚をそなえている 於蝶には、明瞭にききとれる。 「勝ったほうへ味方するのではおそい。 それは、ひきょうになる。勝つとおもうほうへ、先ずもって味方しておかねばならぬ。 そうして、こたびの大戦にはたらき、わが城を、わが領地を 安堵してもらわぬばならぬ」 またも、宮内のためいきなのである。 於蝶は、小柴見宮内が気の毒になってきた。 諸国には、宮内のような小豪族が数えきれぬほどにいるのだ。 間もなく、於蝶は小柴見の城からすべり出た。 まだ夜は明けぬ。 善光寺境内の地蔵堂へもぐり、鍵をもって堂扉をひらくと、 「於蝶か・・・」 叔父の新田小兵衛の声が立ちのぼってきた。 「於蝶。小柴見宮内がことは、これより、 すべてお前にまかそう」 と、いったのである。 「宇佐美さまはな。小柴見宮内によって、いざ決戦というときの 武田信玄の胸の底ふかく秘められた軍略を知りたいのじゃ」 「はい」 「これは、前もってわかることではないぞ」 「決戦まぎわに・・・」 「うむ。お前がさぐりとるのじゃ」 「はい」 於蝶は、いささか興奮してきた。 (大好きな上杉謙信公のために、わたしは、このように 重い役目をはたすことになったのか・・・) (甲賀の女忍びとしても、このような大役を果たしたものは、 あまりあるまい。うれしいこと・・・) であった。 その翌朝・・・。 小柴見宮内は百余の兵を城へ残し、二百の手兵をひいき、 川中島をわたって海津の城へ入って行った。 |