Sura ya 17 −6−2="−4" (其の1)

 今回はこの企画で初めての堅い題材について書いてみたいと思う.

 なお,このシリーズの内容は表現は多少変わっているが隊員報告書ではすでに報告済みのものである.

 昨年はHead Mistressの「あなたは英語が出来ないからForm1(中学1年程度)の数学を教えなさい.説明はあまり要らないし黒板に書いていれば良いだけだから.」と言う鶴の一声で担当が決まった.
 確かに自分が英語が出来ないと言うのは事実だったのだが,ここで彼女はさらに重大な事実を忘れていたため昨年はかなり苦労させられた.

 それは,生徒達も英語が出来ないと言う事と自分はスワヒリ語が出来ないと言う事であった.
 つまり,お互い意思疎通の出来る共通した言語が無かったのである.

 この国の授業はPrimary School(以後Primaryと表記)はスワヒリ語で行われSecondary School(以後Secondaryと表記)から英語で行われる.
 多少はPrimaryでも英語は勉強するのだが,それだけで英語による授業を受けてその内容を理解できるまでの力は一部の生徒を除いて付いていないのである.
例えて言えば,我々日本人が中学校で勉強した英語を使って高校で英語による数学の授業を受けるようなものなのである.

 もし日本で今そんなことをしたら,たちまち理解度は半分くらいに下がり国を揺さぶる大きな問題になってしまうのではなかろうか?

 ここまで書くと
   「言葉が分からなくても世界共通の文字である数式を書いているだけなのだから理解度がそんなに下がるとは思えない」
 と言う意見も出てくると思う.

 確かに自分も最初はそう思っていてどうにかなると思っていた.
 しかし,実際に授業をしてみると決して大袈裟な話では無くTanzaniaの生徒達がそうであるように訳のわからない言語で授業をされるとmotivationが高くない限り理解しようとする前に数学に興味を無くしてしまうと思う.

 この国でUniversityに行くには頭脳よりもお金の方が必要だし,Secondaryを卒業しても就職するのは難しい状況なので,自分が教えているような進学校ではないSecondaryで数学のmotivationを保つのはかなり難しい.

 そう言った意味から"スワヒリ語で書かれた教科書が無い"と言う大きな問題もあるのだが,

Secondary Schoolにおいても英語では無く,進学校でない普通の生徒でも理解できるスワヒリ語で授業を進めるような教育システムにするべき

 と言うのがTanzania教育界への第1の提言である.

 「第1」と書くと言う事は「第2」もあるのだが,長くなるのでその話はまた次回以降と言う事にしたいと思う.



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