|
私は、彼女を愛していました─── 彼女と出会ったのは、16の春。 彼女は、広い教室の中で、一人窓から舞い散る桜を眺めていました。 私が進学した高校には、中学からの友達は一人もいなかった。私は友達と同じ公立高校に落ちて、一人私立の女子校に行った。 女しかいない教室は、初めとても不思議な感じで、無意識のうちに視線が横に並んでいた黒い学生服の壁を求めていた。けれど、一月、二月と経つうちに、その光景は慣れて当たり前になり、一年経った今では、教室に男の子がいることの方が不思議に思えるかもしれない。 友達はすぐに出来た。 今までと同じように、普通の友達と普通の日々を過ごす。いつも一緒にいる子と『親友』になった。これも、今までと同じ───。 彼氏は、中学の時から付き合っている一つ上の先輩で、マンネリ化した交際の打開策を求めるのに必死だった。相手のことが好きだから別れたくなかったのか、彼氏なしという状態が嫌だから別れたくなかったのか……。 多分、後者である。 毎日が平淡で退屈だった。 二年生になって、クラスが替わって、親友とは別のクラスになった。「離れてもあたし達親友だからね」と約束したのに、彼女はすぐに別の『親友』をつくった。そのことに、私は少しも傷つかなかった。そして、傷つかない自分の心の冷たさに傷ついた。 授業もつまらない。 私にはレベルの低い学校。風邪をひいて試験に失敗した公立高校にみんなと通えていれば、もっと充実した高校生活だったのだろうか? 考えてもらちのあかない事である。全くの無駄である。 何もかにもがつまらなくて、私は授業を抜け出して屋上に出た。 延々と続く階段を昇りながら、エスケープの場所に屋上を選ぶなんて、あまりにもステレオタイプの発想しかできない自分を嗤った。 そして、屋上には《彼女》がいた───。 彼女に初めて会ったとき、私は急に自分の世界の色彩が変わった気がした。 平淡な、モノトーンの世界が、急にまばゆいばかりのカラーになった。 彼女は、屋上のてすりにもたれかかりながら、舞い散る校庭の桜を見つめていた。穏やかな風に、黒髪と紫煙がたなびいている。遠目からでも、その横顔がとても端正であることはわかった。 「こんなところで何をしているの?」 ドアのところで立ちつくしていた私に向かって、彼女が言う。 「さぼり」 答えた私の声は、微かに震えていた。 「同じだね」 彼女がくすりと笑う。そして、こちらに歩み寄ってきた。 「吸う?」 「いらない」 「嫌いなの?」 「吸ったことないからわからないわ」 「試してみたいと思わない?」 「思わない。私に煙草って、似合わない気がするの」 「真面目なんだ」 「ううん、違うわ」 「なら何で?」 「本能、かしら?」 変なの。と笑われると思った。 けれど、彼女は納得したようにうなずいていた。 「笑わないの?」 「何で?」 「そんなこと言うと、みんな変だって言うわ」 彼女は少し首をかしげると、変じゃない。と言った。 「私も同じよ」 「本能で吸ってるの?」 「ううん、煙草じゃないわ」 彼女は長い髪をかき上げる。 「これ」 色白の耳たぶに、小さな金のピアスが陽光を浴びて輝いていた。 「校則違反だね」 「そんなの気にしないわ。これ開けて、初めて鏡見たとき、ようやく本当の自分になったって思ったの。ずっとホール開けたかった。校則とか、親の反対なんて問題じゃない。これが、私の本能」 「私も開けたいわ」 自然に言葉が口からこぼれ落ちた。 彼女はにこりと微笑んで、「今度開けてあげるわ」と言った。 翌日も、私は屋上に行った。 別に時間を決めていなかったけれど、彼女はそこにいると思った。 「おはよう」 やはり、彼女は手すりにもたれかかっていた。今日は、煙草は吸っていなかった。 「おはよう」 「ホール開ける?」 「え?」 「ピアス。昨日してみたいって言ってたでしょ」 正直言って驚いた。 開けたいと思ったのは本気だったけど、その場限りの話題で終わるだろうと思っていたからだ。 「開けたいわ」 「なら、やろう」 彼女の手には、白いピアッサーが握られている。 「似合いそうなの持ってきたの。ちゃんと18金だから大丈夫よ」 赤い、小さな石の付いたピアス。 「どう?」 「気に入ったわ」 赤は、私の好きな色である。 「なら、あなたにあげる」 彼女は嬉しそうに笑った。彼女の物をもらえると思うと、私も嬉しかった。 「消毒して、氷用意しないとね」 彼女が意味ありげな笑みを浮かべる。 「その二つがあるところといったら、どこだと思う?」 「…保健室かしら?」 「正解! 取りに行こう!!」 手を引かれるまま、一気に保健室のある一階まで下りる。 「先生、いないといいね」 保健室は職員室の隣。こんな時間にこんな場所を歩いているのがばれたら、説教をくらうのは間違えない。 二人で、足音をひそめてそーっと廊下を歩く。ちょっとした冒険気分で、なんだかどきどきしてしまう。偶然目があったとき、彼女がニッと笑ったのを見て、私達は同じ気持ちを共有しているということがわかった。 職員室の扉が開く。あわてて近くのトイレに飛び込む。 ドアの隙間から、中年の体育教師が歩き去っていくのを見た。通り過ぎた後、私達は顔を見合わせ、声をひそめて笑った。 運良く、保健室には誰もいなかった。私達は引き出しや戸棚をかき回して、ガーゼや消毒薬を探した。そして冷凍庫から氷を取り出して、それで私の耳を冷やした。 「もういいかな。触ってみて」 「何も感じないわ」 「なら平気。いくよ」 私の右耳から、バチッという痛そうな音が響く。けれど、冷やされて麻痺した私の痛覚は何も訴えてはこない。続いて、反対側でまた同じ音がした。 「見てごらん」 彼女が、ポケットから手鏡を取り出す。 鏡に映った私は、両耳に赤い刻印をしていた。 「似合ってるね」 「うん。ありがとう。でも、もらっちゃってホントにいいの?」 「それ、あたしには合わなかったんだ。似合う人がしてくれた方が、その子も喜ぶ」 「大切にするね」 彼女はまた、嬉しそうに笑った。 彼女の笑顔を見て、すごくどきりとした。その顔をさせたのが自分だということが、少し嬉しかった。 家に帰る頃になると、耳はしくしくと痛み出した。けれど、鏡に映る自分の姿を見ると、 そんな痛みなど気にならなかった。 私も、本当の自分になれた気がした───。 翌日、彼女が自分のクラスメイトであることを知った。 「おはよう」 教室で声をかけられ、私は本当に驚いた。 「このクラスだったんだ」 「そうよ。あなたと同じ」 「知ってたの?」 「ううん、今あなたを見かけるまで、知らなかったわ」 一クラスに、約五十人近くの少女達がひしめき合っている教室。私は、自分の友達になった一握りの子を除くと、よほど目立つ子以外、初めのうちはいつも把握できないでいる。 「驚いたわ」 「あたしも」 そこで、私達は初めてお互いの名を名乗り合った。 私は、彼女を名前だけ知っていた。 彼女は、いわゆる不良だと噂されている子だった。みんなが内心近付きたくないという風に彼女の噂を話し、私もそう先入観を抱いていた。けれど、噂のイメージと、現実の彼女はどうしても結びつかなかった。 「あたしの事知ってるみたいね」 「うん、噂は聞いてる」 「どう思った?」 「こんなに魅力的な人だとは思わなかったわ」 彼女は、一瞬唖然となった。そして笑い出す。 「本気で言ってるのよ」 「あたしにそんな事言ったの、あなたが初めてよ」 「どうして?」 「だって、みんなあたしの事を不良だって言うわ。それで、あたしの事を煙たがる」 「私もあなたと話すまではそう思ってたわ。でも、噂と実物は全然違う。噂なんてホントに当てにならないって思ったわ」 必死だった。どうにか彼女に自分の気持ちを伝えたくて。 「あなた、素直な子ね」 唐突に、彼女が真顔で呟いた。 「ありがとう。あなたのそんなとこ、あたし好きだわ」 綺麗な微笑み。私は、彼女の笑顔がとても好きだ。出会ってまだ三日だけど、今までの友達、親友の誰よりも、私は彼女が好きになっている───。 優等生といわれる少女と不良と言われる少女。誰もが変な組み合わせだと言った。大人達は私に彼女と付き合うのを止めろと言った。彼女には、私を悪い道に引きずり込むのはやめろと言ったらしい。けれど、二人ともそんなことは気にしなかった。くだらない大人の言う事なんて、私達にとって何の価値もなかった。 本当は私は優等生なんかじゃなかったし、彼女も不良なんかじゃなかった。ただ、私は成績が良くて、規則もそれなりに守っていただけ。彼女は、時々頭の固い古い大人達には理解できない行動や言動をしていただけ。それだけで、同じ行動をとったときの二人の評価は天と地ほどの差があった。 年度末、私の成績は少し下がった(これは、私が勉強以外の、もっと楽しいことを見つけたからである)。彼女の成績は少し上がった(これは、私と彼女が一緒にテスト勉強をする事によってだったら嬉しい)。 3年生になる時はクラス替えはない。私達は引き続き同じクラスで、この頃には誰もが私達のことを親友だと言った。彼女はめっきり授業をさぼらなくなり、先生は私のおかげだとそれを誉めた。急に変わっていったその評価に、二人して大笑いした。 そして高校卒業。 私は国立大学に進学した。彼女は、進学も就職もしなかった。芸能界入りが決まっていたのである。 スカウトされたという話を、彼女は真っ先に私にしてくれた。そして、一緒に行かないかと言った。私は、初めて彼女の誘いを断った。彼女は「そう」とだけ言った。そして、急に無言になった。私達は、初めての喧嘩をした───。 彼女と一緒に歩むのが嫌になったわけではない。ただ、私には芸能界に飛び込んでいくだけの度胸はなかった。やはり、平凡な道を望む心の方が大きかったのだ。 私達は、必要以上に口をきかなくなった。 淋しくて淋しくて、心が張り裂けそうになった。正直言って、今まで付き合ってきたどの男性との破局や、失恋よりも辛かったかもしれない。そして私は、それを失ってから、自分が彼女をどんなに愛していたかということに気が付いた。 ───LOVE。友情のLOVE。 恋愛感情とは違うけれど、私は彼女を愛していた。 私は今、テレビ局の廊下を歩いている。 楽屋の入り口に貼られた名札を一つ一つ確認しながら、目当ての部屋を目指す。扉を一度ノックすると、相手の返事を待たずにそれを開いた。 「おそいぞ、マネージャー」 中では、私の担当している人気アイドルがくすくすと笑っている。 大学卒業後、私はそれなりに大手の芸能プロダクションに就職した。そして、入社してすぐに、このアイドルのマネージャーとなった。理由は、向こうからの指名である。 「しかたないでしょ、変なもの頼むんだから」 「悪い悪い。でも、これ今あたしのマイブームでさ」 アイドルは嬉しそうに私の買ってきた清涼飲料水のプルタブを開ける。 「本番前にそんなの飲んで、口紅はげるよ」 「はげたらまた塗ればいいでしょう」 飲む? と言って缶を差し出したアイドルが、私の顔を見て急に目を丸くした。 「どうしたの?」 「ううん、まだ持ってたんだって思って」 私の耳には、小さな赤が収められている。 「宝物よ」 「大切にしていてくれて嬉しいわ」 アイドルはにっこり笑う。昔よりもさらに綺麗になったけど、高校時代と全く変わらない、私の大好きな彼女の笑顔。 「今日、あなたの夢を見たの」 「あたしの夢?」 「そう。昔の夢。で、懐かしくなってつけてきたの」 「ロマンチストね」 彼女は、くすりと笑った。 喧嘩別れした状態で高校を卒業してしまった私達であったが、それを解決してくれたの は、他でもない『時』だった。 大学1年の夏に、私は偶然旅行先で営業に来ている彼女と会った。私達は同じホテルに泊まっていた。 お互いの近況を話した。別れるとき、彼女は「また連絡するね」と言った。社交辞令かもしれないと思ったが、私はとても嬉しかった。そして、彼女は言葉通り私に電話をかけてきた。 私達の関係は、急速に修復されていった。いや、修復ではなくて、再構築かもしれない。高校時代の私達は、二人一緒の関係だった。けれど今は、大学生と新人アイドル。お互いの進む道は完全に方向性を違えている。その中で、もう一度友情を築き直した。 私は、彼女がスター街道を歩んでいくのを見つめてきた。最初は売れない新人だったけれど、あるドラマの準主役に抜擢されたのをきっかけに、彼女は一気にブレイクした。ファンクラブが出来て、コンサートが開かれた。忙しくなった彼女とは、ほとんど会えなくなってしまったけれど、彼女はファンクラブの会員番号1番の会員証を私にくれて、コンサートでもいつも一番良い席を用意してくれた。 大学を出たら、彼女のいる事務所に就職しようと、私は心に決めていた。 4年間で事務所の看板アイドルの一人となった彼女のコネを使えば、就職も簡単だろうとは思ったけれど、私は自分だけの力でそこに入って、彼女を驚かせたかった。本当に入れてしまったのは、きっと幸運な偶然だろう。 彼女を驚かせるというもくろみは見事に成功し、そして私達は、また同じ道を。けれども、今度は違う方向から歩くことになった。 「そろそろ本番で〜す」という声と共に、彼女の芸名が呼ばれる。 「さてと、行ってくるわ」 「行ってらっしゃい」 二人して組み上げられたセットへと向かう。すれ違う人が、「おはようございます」と頭を下げた。 こちらも「おはようございます」と返し、彼女はセットの中へ。私はセットの裏へ行った───。 〜fin〜 |