唯物論な話

その4

生物とは

 

 水は、標準状態なら100℃で蒸発しだすだし、
条件を変えても、その条件下のある一定の温度で必ず蒸発しだす。
このような正確さこそが、非生物である。

 じゃんけんをしたら、必ずグーかチョキかパーを出すかというと、
それすらも絶対ではないのが人間(生物)である。(たとえが悪いな)
この不正確さこそが生物である。

 生物の絶対は死だけである。
そして、死は生物から非生物への変化とも考えられる。
(誕生(発生)が生物にとっての絶対であるかどうかはよくわからない。
 そもそも、いつを持って誕生と言うか分からないし、
 おなかから出てきたときか?
 合体したときか?
 合体なんかしない生物も入るし、
 精子とかを非生物かと考えると、
うそ臭いし、
 単細胞生物が分裂するのは、誕生といえるのだろうか?)

宿る理由

 前回、
  
命は生物の動作の対象に消費し、それに化合する
と書いたが、その考えの根拠を示そうと思う。

 企業犯罪というものがある。
これこそが企業が生物である(企業に命の宿る)証明である。
 企業とは、仕事の集合であり、
「Aに対しA'をする」というものの集合であると思っている。
これだけでは、生物的とは言えない。
 しかし、企業に命を注ぐ人間がいると
その企業は人間的な動きをする。
 例えば、

   @ ある会社の社長が自己の利益の為に脱税したとする。

   A 単なる経理のミスの脱税

これが人間的(生物的)であるということだ。
(その会社の人間が、機械的、無感情に仕事をすれば、
 少なくとも@の悪意ある企業犯罪は起きないはずである。
 Aに関しては、仕事をただすること自体にも命は宿るので、
 仕様がない面も・・・。)

 また、大きなコンピュータでは変なミスをすることが多くなるそうだ。
これは、コンピュータに化合する命も多くなるわけで、
その為、そこら辺りのコンピュータより生物臭くなるからではないだろうか。

 これらからして、生物が命を放出すると、その対象に化合するんじゃないのかな。

続く


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