〜僕の中学時代.2〜

そのくらい、自分は追い詰められた精神状態にあったのだ。それでも、しばらくすると落ち着いてくる。

親はそれを見極め、そういう時に「学校に行けそう?」と言ってきた。極力僕を刺激しないように。

できることなら早く安心させてやりたいと思った。しかし、それと同時に何も知らないくせに、という気持ちもあった・・・

時には親と大げんかになり、夜中に家を飛び出したことなど数知れない。ところで親にしてみれば、どんなにかストレスのたまる日々だったろうか。

なにせ小さな町のこと。噂話しはすぐに広まったであろうから。心無いことをいう人もいただろう。

そうして、なにも解決しないまま同じような日々が流れた。僕は、一日中考え事をしたり、一日中苛々していたり、たまに教科書を開いたり・・・そんな感じだった。

決して楽なものではなかった。食欲が出なく、拒食症一歩手前までいった。普通に学校にいってるほうが遥かに楽だと思った。とにかく精神が休まらないのだ。

いつ親やカウンセラーが説得にくるのか、人は自分のことをどんな風に言っているのか、このまま高校にもいけないのか、あいつらさえいなければ・・・

このようなことに完ぺきに頭が支配され、明らかに普通の人の精神状態とはちがっていた。

そんな或る日、母親が「もう、学校には行こうとしなくていいよ」と言った。母親は僕がこうなってから熱心に不登校の勉強をするようになった。

きっと、親なりの考えのあっての一言だったのだろうが、このセリフのおかげで僕は、悪夢から解放されたかのように心が軽くなった。

やっと親が自分が学校にいかないことを認めてくれた。そう思ったのだ。実際親も、どうしても駄目ならほかの道を探すしかない。そう考えるに至ったらしい。

そうして、将来のことを考えられるようになった。それでは自分はどうしたいのか。何回も考えたが結果はいつも同じだった。

進学である。

まだ働く気になれなかったというのもあるが、やはり勉強をしたくなったのだ。しかし、高校にいくには出席日数が足りない。

そこで親が担任に相談したところ、教室が駄目なら保健室に顔を見せれば出席としてカウントしてくれることになった。

当然かなり悩んだ。長い間、憎悪の対象であった、学校に来いというのだ。見るのもいやな学校に。(このころは学校自体がすでに悪になっていた。)

しかし、将来のことを考え、いくことにした。文だと簡単に決めたと思われるかもしれないが、実際には本当に悩んだ。

こうして、僕は高校の受験資格を得ることができた。しかし、学力の問題があり、やはりランクのかなり低い高校しか希望はなかった。

そして、希望のある中で一番ランクの高い高校を、第一志望として受験したところ奇跡的に合格できた。

そして、卒業式の日がやってきた。僕は家でそっけないふりをしていたが、あの中学の生徒でなくなったことが嬉しくてたまらなかった。

そして、その年の4月。普通の高校生としての僕の有意義な日々が始まったのである。   終


-最後に-

僕は、不登校という経験ができてよかったと思っている。自分がどんな人間なのか、知ることができたし、人の痛みのわかる人間になれたからだ。だから不登校も悪いことばかりではない。
もし、この文章を読んでくれた人の中に、不登校で悩んでいる人がいたらせひこれだけはいいたい。『あせるな』。僕は、中1のニ学期から中3の二学期まで、丸二年間学校にいっていない。それでも、高校にいけたし一生懸命勉強して大学にも入ることができた。こんなこというと、失礼かもしれないけど、人生なんとかなるもの。三歩歩いて二歩下がるでもいいんです。だから自分のペースで頑張ってください。

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