『3年B組金八先生X』感想

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 前回の第4シリーズと生徒役の子のキャラがかぶるんだよなー。「ちょっと行動が普通のことは違う少年(桜木伸也−小野寺良輔〔デラ〕)」とか、「廊下側の席に座る、ストレートの髪を左右に分けた背が高い女の子(樫木真穂−加藤バーバラ)」とか、「ひねくれた女の子(広島美香−桜田友子)」とか、「髪の毛に特徴がある少年(高畑優−市村篤・比留間和憲〔ヒルマン〕)」とか。話の流れも、ほんのちょっと漫画版【GTO】と似てるなぁ。
 オープニングの主題歌のタイトルバックの映像。「外国人ランナー(子供の集団に何のためらいもなく突っ込んでいく!)」「土手ですべりっこをする子供」などの“御約束”が今回もあったのはいいけれど、「ゴミ捨てのおばちゃん」がなくなっていたのが残念。お亡くなりになられたらしい。
第1話『3B学級崩壊寸前』(99/10/14)
 今回のシリーズはかなり期待できる。今回は「学級崩壊」「キレる子供」「老人問題」というのをテーマにしてるんだなーと分かるし、かなり現実的な内容。ちょっとくらいオーバーに描かれてるのかもしれないけど、それが逆に「こういったことはありうる」「現実はもっと厳しいはずだ」と考えさせられる。。ラサール石井扮する中野先生が3Bの生徒に心身ともにズタズタにされてたけど、あながちドラマの中だけのこととは言い切れない。特に、暴行を受けただけならまだしも、退院後に兼末らに菊の造花を贈られたことによって精神的にも崩壊していく様が、教職を目指す者にとっては現実的な問題として突きつけられる(どうでもいいけど、いい大人が「菊は葬式用の花」ということを知らないっていうのは問題だろう!)。こういった問題を金八がどう解決していくのか、その1つの解決法を示してほしいと、教職を目指す人間として大いに期待を抱かせる第1回だった。何しろ、終盤、金八が3Bに対してガチンコの勝負を挑む台詞があったしね。「人と人との勝負だ」っていうやつ。今後の展開がすごく楽しみ。ところで、兼末健次郎っていつか造反されそう。デイサービスセンターに入っている元桜中学校長・大西豊、でしゃばり過ぎ。
第2話『問題続出大混乱!!』(99/10/21)
 さて、第2回です。いきなり、窓ガラスを割る3B生徒が出てきて「何となくやった」って言ってたけど、今の少年たちにとってはそれが普通なのだろう。はっきり言って、僕も自分の弟の思考回路にはついていけない部分が少しはあるし。どうでもいいけど、大森巡査はどうやって入船力也を捕まえたんだろう?あれだけ逃げられてたのに。で、力也が次の日デイサービスセンターで“罰ゲーム”として手伝ってたけど、これには理解できるな。少しでも良心に呵責があれば、ああいった行動に出ることはおかしくない。ところで、デイサービスセンターに入っているおばあちゃんが連れてきた犬をデラが面倒を見始めることから発展して3Bで世話しようという流れ。3Bが結束するきっかけを軽く提示したという意味では良かったのかもしれないけど、第1回で「クラス全体で教師に刃向かってます」みたいな雰囲気を提示しておいたはずなのに、第2回になって早くも多くの生徒が金八と融和しているのを見せられるのは、何か“金八ファン”ではなく“ドラマファン”“教職志望者“という意識で観ていると「つまらん。早くも妥協しちゃってるよ」という感じを受ける。みんな実はイイ子じゃないか。あれだけこじれていた3Bを金八がどうやってほどいていくかというのが凄く楽しみだったのに、これでは「いかに“優等生ぶったフィクサー”兼末を金八が捕捉し問題を解決していくか」ということだけに焦点が絞られてしまったような感がある。ま、それがこのシリーズのテーマなんだろうけど。あれだけ裏表があると、視聴者としては「逆に怪しい」と思えるけど、当事者の教師にとっちゃ全然分からんからね。これは難しいよ。
 いつも思っていたことだけど、「何か学校に新しい風が吹き始めると行動を起こすのはいつも3Bだけ」というのが今までのシリーズにはあった。でも、この第2回ではおばあちゃんが連れてきた犬の世話について動き始めたのが、3Bの他に(教師の働きかけがあったのだろうが)2年生が動いたというのが印象的だった。
第3話『不登校第一号』(99/10/28)
 誕生日に第3話。今日は兼末に口止めを脅迫されている市村が不登校になってしまうという基本的な流れの中に、フジテレビの『GTO』へのアンチテーゼを絡ませた感じの話。兼末の顔の裏表のギャップの大きさが非常に印象的に描かれていた。裏の顔というのはもちろん中野先生リンチ事件のフィクサーとしての、最近の若者に多い「ムカつくからやっちまう。チクッたら許さん。チクられても俺は逃げてやる」というような、大人どころか他人には到底理解しにくい心の動きであり、それを担任教師の前では隠して優等生を演じるというのは、教師にとっては非常に難しい相手である。そういった人間というのは簡単にはボロを出さないものだからだ。
 表の顔というのは、思春期を迎えた中学3年生としての顔である。今までさりげなく「教師の前の兼末」という感じで描かれていたことが、今回の話では完全に明らかな事実として提示されていた。それは兼末の(小西美帆演じる)渡辺花子先生への想いである。(かつて『新撰組血風録』で斎藤一を演じていた深江卓次演じる)小田切先生がさりげない感じで(職場のマドンナではあるのだろうが)渡辺先生に声をかけるのを複雑な思いで見つめている兼末。こういった点では兼末もやっぱり中学生だと思わされるのと同時に、残忍な部分も持つ兼末の心の中にある何か重いものを感じさせる。彼は一体何を背負っているのだろう?ジャニーズ事務所の風間俊介、君は非常に難しい役柄を演じているのだよ。
 で、市村です。典型的な優等生のお坊ちゃんとして描かれている市村が兼末のパシリとして使われた中野先生への“葬式花贈り事件”によって苦しみ、その過程で今までのような親の過保護に対して反発していき、バイクへの憧れを深めていく様は、今まで色々なドラマで描かれた典型的なパターンでありながら、それでもいまだに共感できるというのは、それが真実であるからに他ならない。僕もこのパターンとはかなり違うが、苦しみ・反発・憧れという心の動きを経験している。今でもそうかもしれない。10代の少年少女たちは絶対にこういう心の揺れを経験しているということを忘れちゃいけない。特に、普段まじめに過ごしている生徒ほど、自分がやった行為で他人が苦しむことに対する良心の呵責に苦しめられるもの。それを大人の視点から見て、相手の心の複雑に絡まった糸を理解しようとしないで(口先だけではなく心から!)無理矢理表に連れ出すことは決してしてはいけない。かといって“GTO”小田切先生のような先生が悪いと言っているわけではない。心にモヤモヤがかかったときにはバイクで飛ばして大声を出すような、ストレスを発散させるような行為が必要だし。だが、市村家で小田切先生が言う「出てこいよ」は金八の「出てこなくていい。気持ちの整理がついたら出てこい」という一言には勝てない。小田切先生はもう少しでしょう。
第4話『僕のエッチな過去』(99/11/4)
 今日はそれほどでもない。【市村が不登校になったがいつどうやって帰ってくるか】【兼末の家庭の複雑な事情】【兼末の渡辺花子先生を利用した金八包囲網の狡猾さ】など、今後に向けての伏線張りまくりぃ〜の、話の展開の元を用意しぃ〜のという感じだった。ま、こんな回も連続ドラマには必要でしょう。
第5話『歌踊り大分裂』(99/11/11)
 最初のところで金八が「先生冷たい!」と言われ、「私はね、ガスコンロのカチカチっていう種火なんですよ」というような話をして、文化祭の出し物に対する生徒の自主的な選択を促していた。僕はかつて、心理学者・富田隆が「金八は過保護な母親的存在である」と批判した文を読んだことがある。そのことを覚えていたので、この金八の台詞には(第1話のガチンコの勝負を挑んだ台詞と合わせて)「過保護ではない存在」としての金八を感じた。と言うよりも、今シリーズの金八は全体を通して、生徒に対して一定の距離を置いていると言うか、かなり生徒の自主的な判断を求めているように思える。そして、生徒が自分たちで決めたことに対しては全力で陰ながらの援助をしているようだ。これは教師に求められる必須意識のようなものだが。もちろん、今までのシリーズでも金八はそういうスタンスではあったが、今シリーズはそれが鮮明に表れているように思う。これはおそらく、第1シリーズの「中学生の妊娠」、第2シリーズの「不良」、第3シリーズの「生徒の無気力」、第4シリーズの「不登校の生徒」といったテーマと同じように、「教師に対しては良い子を演じ、裏では何をするか分からない生徒 ⇒ 学級崩壊」というようなテーマがあるためだと思われる。兼末のワルっぷりをはっきりと描くためには、それとは対照的に、「生徒を信じる教師」「素直で兼末の計略にも乗せられてしまうような教師」としての金八を描いてその存在を際立たせるという目的があるためかもしれない。
 また、今回の金八は最初から全力で物事に当たっているようにも思える。それは市村に本を渡し、それによって市村の変化を期待するという行動に表れていると思われる。と言うのも、「本を渡して云々」という手段(大技?)に出るのは、今までならシリーズ中盤以降だったはずだから。それによって、市村は平吹有里子に対して(ほんの少し取り繕ったけれど)自分のしたことをきっちり謝ることが出来た。
 それにしても、兼末の本当の狙いは何なんだろう?そして、兼末家ではどんな生物を飼っているのか?いつ、どんな状況で、金八は兼末の本当の姿を知るんだろう?中学校の文化祭で、『ダンス』はともかく『カラオケ』って何だよ?“のど自慢”のことか?ソーラン節を何でみんなはいきなり踊れるの?そしてその横で踊る大森巡(おおもりめぐる)巡査と、ムズムズと体が動き出す(というベタな展開の)遠藤先生(「ちが〜う!」)はナニ?遠藤先生の「自分の仕事が終わったらその時点で教師ではない」という考え方と、小田切先生(斎藤一)の「授業と部活と校務が終わったら僕がどうしようと僕の勝手です!あっ、花ちゃぁ〜ん!」はどっちがマシなの?……今回の『金八』は面白い(色々な意味で。もちろん笑いの面でも、教育的な面でも)。今後の展開が凄く楽しみでっせ。
第6話『踊る大文化祭』(99/11/18)
 今回は生徒役の子供達が踊りをマスターしたということをアピールしたかったのかな?それと、遠藤先生(山崎銀之丞)の危険ぶりを示したかったのか。兼末の“「金八=何でもない普通の扱いやすい教師」証明”作戦が失敗した時の顔と、それを責任転嫁する態度が、今後もう少し兼末が何かしでかしそうな予感をさせる。ただ、大森巡査の「1回に少し出しとけばいいや」的な使い方と、市村を「視聴者に忘れさせないように」的に出すのはいかがなものか。
第7話『迷える子羊たち』(99/11/25)
 兼末包囲網が段々と狭まってきている。戸田の気持ちをちゃんと聞き出し、また進路を選ぶためには普段の生活態度からが重要だと示したことにより多くの生徒の心をつかんでいる。と言うか、“金八節”が炸裂。何でビデオに撮っておかなかったんだろうと悔やむ。でも、小説版が今回もまた出るらしい。今回の話を見て、絶対に買うことを決めた。
 その理由をいくつか挙げると、
  1. 兼末の家庭の事情の複雑さが明らかになったこと。「兄はハーバード大に留学中」というウソをつかなければならないほど兼末家は荒れているっぽい。兄が人間じゃない状態のため、父は逃げ出し、母は怯えている。健次郎は自分の無力さを感じ、そんな家庭にやりきれなさを覚えている。そのために学校で周囲に対して八つ当たり気味に悪行を繰り返しているのであろうか。今後の話の中でその部分が徐々に明らかになっていくんだろう。
  2. で、今回の話で面白かったのが、様々な恋愛に関する人間関係。
       渡辺花子先生←兼末健次郎←安井千晴←坂本幸作
         ↑小田切誠先生
    っつー流れは今後も見逃せませんよ。特に兼末と千晴のそれぞれの想いが中学生っぽいというか中学生っぽくないというか、とにかく今後の展開が楽しみ。よくあるテレビドラマの“大人の”(要するにキムタクとかソリマチとかヒロスエとかが出てるようなやつじゃないやつ)恋愛は見ていて鬱陶しいけど、こういった中学生同士の恋愛って、ピュアで下心がないから好き。
  3. やっぱり“金八節”。これはやっぱり2次元化して文字になってもらったほうがイイ。ま、テレビ放送での、武田鉄矢の独自のアレンジで話されるからこその“金八節”なんだけど。あぁ、そういえば『金八語録』なんていう本も持っていたなぁ。
第8話『アノ事件の主役……』(99/12/2)
問題:テレビドラマ『3年B組金八先生』第5シリーズで、主人公である中学教師坂本金八の家で購読している新聞はどこの新聞でしょう?
正解:毎日新聞(この回の最初、生徒が家に来たシーンで映っていた。ま、TBSだからね)
 いくつか印象に残った場面を。
  1. この回の折々に発せられた金八の「エンドー!!」。怖いよ山崎銀之丞。
  2. 市村篤が中野先生の家を訪ねて自分の罪を告白し、中野に詰め寄ったシーン。市村は金八の援助もあってどんどん強い人間になっている。皮肉ではあるが、不登校という状況に追い込まれたことによって市村は強く大きな人間になるきっかけを与えられたことに。もし兼末にここまで追い詰められなかったら市村は単なる人付き合いの悪いガリベンで終わってたかもしれないと考えると、兼末に感謝しなくちゃいけないかも。で、そうやって中野に詰め寄って「俺はやられてなんかいない!!」と叫ばれ(中野もほとんど無意識のうちに)殴られたが、今度は中野が自分のしたことに唖然としていた。もし僕がその時の中野先生だとしたら、市村を殴らなかったと言い切れるだろうか。僕は「言い切る」ことは出来ない。僕は見かけによらず(?)負けず嫌いで、結構プライドも高い方だから。しばらく時間が置かれていたら殴らなかったかもしれないが、少なくともあのタイミングで市村に詰め寄られたら果たしてどうしていたか。生徒にやられたということを認めたくないという中野先生のプライドの高さは、僕の中にもあるもの。教師生活の最初の頃なら若さと熱意で殴らずに話し合いで解決するだろう。だが、もし教師として20年ほどやってきて、生徒を把握しきれず、話し合いを持っても上手くいかないとき、僕は一体どうするだろうか。今の21歳の時点で「絶対に殴ったりしない」と誓っても、実際にその立場に立つ(立てるといいな)20年後、僕はそのときでも(無意識のうちにでも)殴ったりしないと言い切れるだろうか(言い切れる人間でありたい!)。中野先生もそうなのだろう……と考えた。中野先生の苦しみは、金八でない普通の1教師であれば、おそらくほとんどの教師が経験することかもしれない。だから、このドラマからは「生徒に対する求心力」を金八から学び、「実際の教師の苦しみ」を中野先生から学べると思う。
  3. というわけで、金八の生徒の心の惹きつけ方。三者面談で、「実家の寿司屋が回転寿司に押されている現状」を踏まえて「寿司屋を継ぎたくない!フリーターでいいよ」と言った生徒に対して、「フリーターなんて根無し草のような生き方は感心しないなぁ」というような言い方をするのではない金八。「シャボン玉のようにフワフワしていても、いつかは地面に落ちて自分の行き方を見つける」と言い、「お前は家業のことをよく考えているんだ。驚いたなぁ」と誉める。生徒の生き方を否定せず、その発言の中にその生徒の良い面を見ようとする。それでいながら「半端な気持ちでフリーターをしていても、そんなのは長続きしない。一生の職業とするものじゃないんだ」ということを匂わせる。上手いテクニックというか、これが教師生活30年の経験から来るものなのだろうか。
  4. 久々登場の坂田拓也(渡辺卓)・高鳥よし江(水間ちづる)・桜木伸也(小池直樹)。拓也はそれほど演技力は落ちていなかったが、よし江は……。しばらく演技から離れてたんだろうな、きっと。よく分からないのは伸也。あの喋り方は小池直樹の地なのか、それとも卓越した演技なのか(だとしたら凄いよ)。とにかく、第4シリーズのメンバーの消息を知ったようで嬉しい。この第5シリーズでの「過去の出演者出演」はこれでおしまいなのかな?沖田浩之死んじゃったし。第4シリーズみたいに近藤真彦・三原じゅん子たちをもう1度使うわけにもいかないし。ちなみに、第4シリーズのメンバーでは石田智樹(古屋暢一:ジャニーズ)・伊丸岡ルミ(松下恵)・佐藤賢二(反田孝幸:ドラマ色々)・鳥谷真一(中江太:『ごきげんよう』おやつボーイズ)・能登剛(服部圭介:CM『第一生命:第一でナイト』「普通では考えられない!」)・広島美香(小峰麗奈:タレント・女優として色々。三流芸能人<格付けチェック)・藤岡美智子(重光絵美:女優)・蓑田紀美(藤田瞳子:日テレ深夜のMAXの番組。セクシーアイドル系?)は放送後の芸能活動を確認しています。
第9話『ギャルの父は先生』(99/12/9)
 今回の話のテーマは何だろな。やっぱりこのシリーズのテーマの1つでもある「教師も教師である前に1人の人間である」ということの1つの形を示してるのかな。というか、「人間の生」なのかもしれない。
  1. まず、生徒の近くにいる(正確には「おかれている」)老人に死が迫る。それを知ったデラや他の老人達も不安になるが、金八は「不安な人の前では静かにニコニコしていればいい」と言って、他の生徒らを落ち着かせる。確かにね。そういったことを騒ぎ立てたら逆に不安になるもんね。
  2. 「過保護とは必要悪なんですよ」と金八。やはり「金八は過保護な母親的存在である」という批判があってるのか?以前「過保護ではない存在」としての金八を感じたと書いたが、今回の金八には「“過保護”とは、あまり良い事ではない。だが、ある面ではなくてはならないものだ」という意思が感じられた。だから、僕はこう解釈したい。
    「生徒の自主性を重んじ、あまり必要以上に生徒の内面に踏み込むことはしない。だが、常に全力をもって生徒を見守り、子供達が正しいと思われる方向に成長しようとすることに対する援助は惜しまない」
  3. 北先生。僕は結構好きですよ、この先生。もしかしたら金八以上に好きかも知れない。子供を心配するあまり、授業に身も入らない。確かにプロの教師としては誉められたことではないかもしれないが、父親が子供を心配するという意味においてはこれ以上の父親はいない。というか、世の中の父親ができればこうであってほしい。普段はつい声を荒げたりすることもあるが、その内面では自分の子供のことを愛し心配する。こういう親になれればいいのだが(その前に相手がいないよ……)。
  4. 相変わらずの兼末。いつになったら心を開くのかね。自分の悪事がばれそうになっても、咄嗟にウソをつける兼末。「自分の罪を言うことができるのも勇気だ」と言う金八に対し、一瞬謝ったと思わせて罪から逃れようとする“優等生”兼末。何か、最近、兼末は教師のどこに不信感を持っているのかが、逆に不透明になってきた。よく分からん。だからこそ、今後の展開が楽しみ。
  5. ところで、また出てきましたね、「漢字読み解きによる人生説諭」。この第5シリーズは、今までのシリーズに比べてこの「漢字読み解き説諭」の回数が圧倒的に多いような気がする。何でだろう?小山内美江子、ハマったか?
第10話『3B短歌発表会』(99/12/16)
  1. 『学校へ行こう!』から出てきた不良役の3人。台詞の量や露出度とかからそう見えるのかもしれないけど、灰色がかった髪のロン毛の秋元は、これからの育て方次第によってはかなり伸びるんじゃないかな。台詞の言い方とか、それなりに出来てるもん。
  2. 中野先生がフリースクールに行ったというのはかなり大きい試みだと思う。子供に対して恐怖感を抱いてしまい、うまく付き合う自信がない状態に陥っている彼にとって、「子供の生き生きとした姿」を見せ、それまで子供達に対して持っていたイメージを変えさせることができる。教師になりたての頃のドキドキ感を思い出すところまでいくことができるかもしれない。
  3. 短歌の授業。ま、これが今回のメインなんだけど、これは今話題となっている“総合学習”になっている。国語として文章表現を磨かせるのはもちろん、月の形の話をしたり、道徳的な話をして他の教科・道徳(道徳は“教科”ではない)と結び付けている。ドラマの中だからある程度現実から逸脱した形で授業を進められているのかもしれないが……。この撮影はきつそうだなぁ。製作側としてはワンカットだから楽なのかもしれないが。
  4. 「死ぬなんて言葉をそう簡単に使うなよ!!」と叫んだ第4シリーズ。その流れを今回も受け継いでいるのがよく分かるのが、最後に市村の歌を詠んだとき。「死にたい」という言葉に対して「こういう事を言っている友達に声をかけてあげようではありませんか。生きているということを実感することは素晴らしいことです」というような内容のことを語る。これが90年代の『金八』の主要テーマなのかな。
第11話『金八涙の体罰…3B騒然辞表提出』(00/1/6)
 脚本家の小山内美江子の手のひらで弄ばれるのが嬉しいこのドラマ。この話は、今シリーズ最高の出来とインパクトだった。
  • まず、老人が餅を喉に詰まらせ窒息死しかかるシーンから。この状況は中学校とデイケアセンターが一体化している桜中学校ならではのことだと思われる。子供たちは老人に対して親しみを持ち、老人たちは子供たちからエネルギーをもらっている。だから、生徒は餅を勧め、老人はつい若い気持ちでそれを食した。今の世の中では、そういった子供−老人の交流が少なくなっている。あんなつっぱった感じの3Bの生徒たちでも、そういう点では実際の世の中よりはいい経験をしている“大人”である。「喉を詰まらせた餅は私があげた」という“過失致死”的な恐怖を感じてはいるが。
  • 老人は子供たちに何を教えるか。子供たちにとってどういう存在であるか。それがこの桜中学のデイケアセンターでは描かれている。子供たちは老人から、その様々な人生経験を学ぶとともに、“生命”について学んでいる。その端的な項目は『死』についてであろう。窒息死しかかるというのは、「それだけ人間というものは脆い」ということを示しており、また、『死』に対する感覚が未熟な子供たちに現実を突きつけているのである。いくら親しみを持って接していても、老人は子供たちより人生の残り時間が短く、その別れは意外なほどあっさりと訪れるというのは、生物学的な事実である。僕もつい最近経験した。
  • よくよく考えると、兼末の花子先生に対する気持ちはよく分からない。姉を亡くしたことによる『花子先生as姉』ということなのか、それともほのかな恋心なのか。だが、今回の話でその一端が見えたように思う。安井ちはるの誘いを断ってまで花子先生と初詣に行く約束を取り付けたときの喜び、当日に花子先生の家に行くときの嬉しさではやる気持ち、そしてクラスメートに目の前で連れ出され、花子先生も兼末のことを忘れたような感じで一緒に出かけてしまう様子を目の前にしたときの裏切られたという思いは非常によく分かる。あれは兼末に限らず、異性に何らかの特別な感情を持っている人間にはつらいよ。だが、その裏切られたという思いは、クラスメートに向けられ(「お前、昨日何やってたんだよ」)、花子先生を糾弾してはいないのだ。ここが大事。ここから、兼末の思いは、どちらかと言うと恋心というよりは『姉に対する思い』に近いことが分かる。恋心であれば、裏切られたと思ったならその“恋人”のほうに憎しみは向けられるからだ。だが“姉”であれば、そこまでの憎しみはなく、むしろそういう行動を起こさせた第三者に矛先は向けられるであろう。
  • 大西入院騒ぎについて。『お年玉をもらえなかった=不公平・ひいき』という短絡的な考え方は、やっぱり中学生だね。『金八の家に行かなかったからもらえなかった』という事実には気付いていないのだ。それをネタに老人を批判するのはまったくもっておかしい。兼末の目配せによって騒ぎが大きくなったとはいえ、それを生み出すだけの火種は、思わぬところから出ていた。そしてその騒ぎの中で大西が体を張って示した“礼儀”“『死』という事実”は  「殺人者になってしまったかもしれない」という、少々オーバーな感情がなくとも  精神的に未成熟な中学生には重いかもしれないが、逆に早い段階で知っておく必要がある。ま、でもね。パニックになって自殺を図った好太の気持ちもよく分かるよ。良心があって罪の意識があれば、思わず死にたくなっても仕方ないよ。
  • そしていよいよ金八の説教。「人間として」「人として」何をやってはいけないか  ということが、「生命の尊さ」に次ぐ今シリーズのテーマのようだ。その相手が自分自身であっても、他者であっても、人間に対して『死』を迫る「死にたい」「死ね」という言葉を吐くことは決して許されることではない。最近の若者が冗談半分に「死ね」と嘲りの言葉を吐く光景をよく目にするが、その吐いた言葉の本当の意味・重さをよくよく考えれば、決して軽々しく言える言葉ではないことは分かるはずだ。かく言う僕自身、(いい子ぶるわけではなく本当に)その言葉の意味を意識しているため、今では決して口にしない。
  • 中野先生に対する暴行事件の首謀者を「あの時は健次郎だ」と名指ししたシーン。大西の負傷から始まった騒ぎという偶然性は否めないが、その事実を知っている事を示す言葉を放つそのタイミングとしては、機をみた非常にいいタイミングの一発だ。この言葉が放たれた瞬間、クラスは金八が真実を知っていることを一瞬で理解し、金八が単なる優しいだけの先生ではないことを理解したのである。だがクラスの黒幕は兼末であることを暴いたと同時にこの言葉は、逆効果でもあったように思う。この言葉で、今まで兼末に脅迫されていた生徒が自分の罪と脅迫について告白したことは良かったと思うのだが、「金八の言葉をきっかけに」という事実が少々淋しい。この言葉によって「“生徒たちが勢いに乗って”兼末を糾弾し始めた」ということが。大人という強者の力に頼ってしまい、さもないと自分では何も言い出す勇気がないということもできるのだ。全く事情を知らない人間から見れば、兼末が言う通り、クラスがグルになって兼末をスケープゴートにしている見方もできる。兼末の「罪を逃れよう」という言動は、悲しい悪あがきであるとともに、一面では真実を突いているのである。確かに、クラスメートに囲まれても強がる様子は「かわいそうな奴さ」だが。
  • 金八が生徒をぶっ飛ばすシーン。金八にあそこまでの行動を起こさせるとは、よっぽど腹に据えかねたに違いない。だが重要なのは、金八の個人的な理由(「理解できない奴がむかついた」とか中野先生的な)でぶっ飛ばしたのではなく、何度教えても「人間として」やってはいけない行動を起こしたからである。同時に、殴ることは自分の教師生命が終わることにつながる。おそらく、何度教えても生徒たちに生命の尊さを理解させられなかった自分を殴っているような気分であったに違いない。ただ、兼末の殴り方は強烈。「本当はお前じゃないんだろ。先生分かってるよ」のような優しい声をかけて兼末の顔を上げさせたところを一発!これは心身ともに強烈に響く殴り方だ。だが、その手には愛情が込められていたであろうことも疑いのないところである。
  • 校長に辞表を出してからのシーン。ここに金八の教師としてのスタンスが非常に明確に表れている。そのことを一番端的に示しているのが、乾友彦先生の「この人は自分の言葉に首をかけてるんです!」という一言。“カンカン”と呼ばれていた頃からの長年の付き合いが、教師として金八の一番の理解者としての乾先生を生み出している。その教師としての立場は大きく違うが、坂本金八という教師を一番よく理解しているのは“カンカン”であるということも同時に分かる。話を戻して。金八はその言葉通り、自分の言葉に首をかけている。「男に二言はない」という信念の強さを体現しているとも言える。正直で、素直で、本当に生徒本位の教育をしているのだ。だからこそ、正月にあれだけの卒業生が集まるのだろう。だが、小田切先生の「そんなことでいちいち辞表を出していたらきりがないですよ!」という一言も、現実問題として事実。そのあたりの兼ね合いが、現実の教師の中での葛藤なんだろうなぁ。
  • というわけで。「伊丸岡さんは僕の心の母なんです!」の日下信二は、第4シリーズであれだけ「僕は今まで何のために頑張ってきたんですか!?」とブーブー言いながらちゃんと東大に現役で入っていたんだねぇ。何故か隣には樫木真穂。紀美は歩と付き合ってるのかなぁ。で、そこに宮沢(旧姓:浅井)雪乃が来るって、親子じゃん。川上麻衣子も三原じゅん子  そういや、第1話で兼末が「顔はやめとけ」と言ったのは、三原演じる山田麗子の「顔はやめときな、ボディボディ」を思い起こさせる  も来てたっけ?惜しむらくは近藤真彦が来ず、沖田浩之が自殺していたことか。


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