- 久々のウルトラクイズ。
ここ数日、去年放送された『今世紀最後!史上最大アメリカ横断ウルトラクイズ』のビデオを見直してみた。放送直後は色々な非難が出たが、今になってみると、「やっぱり“ウルトラ”は楽しいや」と思う。様々な非難も、大会自体開催されなかったら起こるはずのないものであるし、開催されたからこそ非難も出来るのだ。
考えてみれば、僕が高校に入る前にすでに“ウルトラ”は終わってしまっており、出場することなど夢のまた夢だったのだ。それが今年、大学に入って参加資格を得たと思った年に、復活。本当に夢のようだった。何問目で敗退しようが、参加できただけでもありがたいと思わなければ罰が当たる。非難するのはその後にしようよ。中には、応募したのに足切りを食らった人もいるんだから。
復活初年度はこんなもんでもいいんじゃないかな……と思う。そりゃ、“バラマキ”“グアムでの泥んこ”“大声クイズ”“決勝10ポイント先取早押し”がなかったのは残念だし、次回以降でも無かったら怒るけど、斬新といえば斬新。今見直したら、くだらない形式を一つ思い付かせてくれたし。それに、参加年齢制限がなくなったのはいいこと。“ウルトラ”って、“クイズ番組の皮をかぶった人間ドラマ/ドキュメンタリー”なんだから。クイズ番組ではあるけれど、ただ単に強い人を決める!というものでもない訳だし。強い人を決めるだけなら、アメリカなんぞ行かなくても十分。もちろん、形式が練られてて、たっぷり放送時間があってちゃんと流されてたら言うことはないけど。
非難しても、それはその年。次の年からは、もっと本腰を入れて、反省もきっちりして、何より“開催”してほしい!
- 酒と泪と男と女。(99/3/24)
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色々考えた。
- 酒を飲めない体質というのは、絶対的に不利なのだろうか?酒が飲めない→人付き合いの機会が他人より少ない→女性と話をしたりする機会も減る→淋しい人生(笑…)という方程式が成り立ちそうだ(そりゃ彼女欲しいさ)。かと言って、酒が飲めないという体質は、体質だからそんなに改善される余地もなさそうだ。合宿では仕方ないから飲みの場にはいるが、「飲めない」から「飲まない」ようにしていると、「オマエ、本当に飲めないのか?(by○間さん)」「強いじゃないか(と勘違い)」と言われる。『日記』にも書いたけど、この前はビール1杯だけで頭がガンガンしてきたくらいなのだ。酒が飲めなくて何が悪いんだっ!?「いや、悪くはないけど……」と、自分の中で答えが出る。しかしこう続く。「だけど、人と接する機会は確実に減るよ」。じゃあ、どうせえっちゅうねん!
- どうも失恋したらしい。いや、別に告白したとかそういう訳じゃないんだけど、色々な人と話をして、どうも僕の好きな相手に彼がいるらしいということが伝わってきた。悪口(?)を言い合っているのも、愛情の裏返しっぽい。やっぱり僕は1歩遅いんだなあ……。自分で言うのもなんだけど、シャイだし。なんとなく自己嫌悪に陥る。「僕のどこが良くないんだろ?」と書くと「この自意識過剰野郎が!」と言われそうだが、ある程度は自分の良くない部分は分かっている(上に書いたよ)。だけど、周りの誰も言ってはくれない、別の何かがあるのでは……と思う。誰も教えてくれない何かが。女性陣はそういうところを僕を最終的に拒否する切り札としているのではとさえ考えてしまう(うわ〜めっちゃマイナス思考だ)。そういうところは自分で気付いて、改善するべきなのだろう。だが、「酒が飲めない」「ルックスがいい訳じゃない」など、自分ではどうしようもない部分もある。はっきり言って、悔しい。そういうところだけで僕を否定する人間は、こっちも好きじゃない。だったら!そういう人間ではない女のコって、僕のことをどう見ているのだろう?「いつか君に合う人も現れるよ」って、無責任な言葉は聞きたくないよ……。どっちにしろ僕みたいな人間は、単なるつまらない人間なんだろうなあ。……新年度第1号のRADARで「ヒゲ」「サッカー」「レッズ」以外のことで、何が書かれているか。それで周りの人が僕をどう見ているかが分かる。
- クイ研について考えた。
今の早稲田のクイ研は、活動の中心が“クイズ”じゃなくなってるような気がします。クイズは「あくまでもサークルの共通項だからやってるだけ」というような感じを受けるんです。今のクイ研は<クイズ:その他=4:6>くらいに思う。もうちょっとクイズをしようよ……と思っていることは思っているんだけど、ここではそういう事を書くのは、本題じゃないです。むしろ、クイ研としての活動の要所要所に「酒を飲む」という行為が強制的に挿入されているという事実について。別に酒飲みを批判してるんじゃないんですよ。それぞれが好きでやってることだから、僕には「やめろ」という権利はないですし。酒が好きな人は飲めばいい。だけど、それが嫌いな人まで巻き込むな!ということ。「自分が酒が飲めるからって飲めない奴に飲ますな!」
僕が思うのは、「活動の一環として酒を飲むことが義務づけられているように思う(新歓合宿/“幹部就任・引退式”と称する飲み)。僕のように飲めない人間までが、わざわざ貴重な金銭を払って、飲めない酒で潰されに行かなくてはならないのは何故だろうか?しかもそれを『いや、儀式だから』『参加しなくちゃダメだ!』というような、半強制的な態度の一言で片づけられてしまうのはどうも納得いかない!」ということ。事は“酒”だけに限ったことではなく、「“(半)強制的”に参加させられる」ということも含めてです。
「クイ研というサークルの和を維持するために必要なんだから参加しろって言ってるんだよ!」と言う人もいるかも。しかし、そのことで逆にサークルが嫌になる人もいないとも限らない。僕みたいにね。何で強制するの?「嫌ならサークルやめちまえ!」と言いたいの?そこまで「酒」「強制」が大事?
「クイズ研」なんだから、クイズ以外の場は全て自由参加でいいと思います。酒にしろ、麻雀にしろ、スポーツにしろ、レクにしろ。それを強制参加にすりかえるのはおかしいと思いませんか?僕はおかしいと思っています。「来て欲しい」とは言っても、「来い!」とは絶対言えないはず。お笑いウルトラもレクに入ると思うんですけど、どうなんでしょう?“酒を飲まない宴会”にしか思えませんが。
こういう事を書くと、議論を巻き起こしたり、色々とねちっこく言われたり、更には仲間外れにされるようなことがないとも限りません。そんな心の狭い人ばかりの中にはいたくないなあ。逆に、「こんなところで書かないで、もっと人前で言いなよ」と言ってくれる人もいるかも知れないけど……。
僕が“自分のホームページ”という場を選んで書いたのは、「どういう場で言えばいいか」ということが分からなかったからです。例えば、先輩の1人に「僕はこう思っているんですよ」と言っても仕方ないし、活動の場で言うのも違うと思う。ラウンジノートに書くのもおかしいし、幹部でない僕が幹部会に出て愚痴っても仕方ない。というわけで、「見る人が見てくれる」というこの場を選んだのです。
「クイ研批判だ!」と受け取られても仕方ないのかな……こういう事を書けば。でも、自分の言いたいことははっきり言っておきたいし、嫌いではないクイ研が、もっと自分が楽しめるサークルであってほしいと思うから書いてみました。「酒を飲むな!」と言っているのではなく、「飲めない人に強制するな」と言いたいだけです。……村八分にされたりするのかなあ?
- クイ研について考えた。2
上に書いたことと若干矛盾することかもしれないけど、今のクイ研にも「なんかなぁ……」というものを感じていないわけじゃない。その理由……というのもよく分からないんだけど、何というか、「心に余裕がない」とでも言うのかなぁ?
ふとテレビを見て思ったんだけど、そのテレビではクジラのことをやってたわけなんですね。で、ふと思ったのが「クジラのプリーチングって言葉は知ってるクイ研人はいるだろうけど、そのプリーチングの映像とかを見て『おぉ……』って感動したり、自然の生き物の生態や環境問題に思いを馳せるクイ研人はどのくらいいるんだろう?」ということ。もしくは、言葉は知ってても、その実際を知らない(映画とか、スポーツとか、文学とか見たり読んだりしていない)場合が多いと……(もちろん、クイズで問われる量・知識量と、実際を知っている量を比べれば当然前者の方が多いのだが)。まぁ、全員そうだと言うつもりはないし、「みんな思いを馳せるんじゃ!」と言われれば反論は出来ないけど。でも、今現在(99/9)の状態はそんな余裕があるようには思えないなぁ。僕も人の事は言えないかもしれないけど、こういう事をふと思ったということは少しは余裕があるというか、第三者的な目を持てているということだとは思う。
また、今のクイズ自体もなんか楽しくない。理由は分からないし、自分の中にその原因があるかもしれない。自分のあまりにも引いたスタンスがその理由かもしれない。でも、絶対何か外側にも原因があるはず。誰のせいという訳でもないし、あえて言うなら、僕を含めた全体の雰囲気とでもいうか。う〜ん、何なんだろう?何でだろう?分からん。
- 己の信念を貫けなかった男など死んでも生きてても惨めなものだ(00/02/28)
自分の信念を貫くということは非常に難しいことだと思う。貫いたところで、人には「頭が堅いなぁ」とか「頑固野郎!」とか言われる可能性が大きい。だが、「信念」という言葉を「自分の核となり、全ての行動の基準となるもの」という意味で考えてみれば、これを持っているかいないかでは1人の「個」としての「自分」が大きく違ってくるように思えてくる。
僕は酒を飲めない。はっきり言って下戸だし、すぐに嘔吐してしまう。だから酒を飲まない。確かにクイ研という集団の中において「飲み」に行かないことは、行事の際の大量の飲みにおける「強さ」において決してプラスにはならないし、また人付き合いの面においても、その奥にある「集団における自分の位置」においてもプラスにはならないかもしれない。それは分かっている。だから、僕を「非・主流派」と呼んだりする人がいるが、否定はできない。だが、僕はクイ研が嫌いなわけでもないし、「飲み」という場の雰囲気が嫌いなわけではない。確固たる大金の収入源があるわけではなく、潤っているわけではない僕の経済的事情のために行けないという部分も大きい。「債権で(=金を借りて)行けばいいじゃん」という意見もあるが、その借りた金を返すための金がないんだから仕方ない。が、決して「飲み」という場の楽しい雰囲気が嫌いなわけではないのだ。明るい雰囲気で多くの人と色々な話ができるという状況は決して嫌いではない。僕が嫌いなのは「酒を飲む」という行為なのだ。「飲み」という場において“必ずやること”といえば、どうしても「酒を飲む」という行為になってしまうのは当然のことである。だから、それが出来ない僕は、“「飲み」に行くこと”と“飲めない「飲み」に金を出すこと”を天秤にかけ、結果“「飲み」に行かない”という答えを導き出してしまうのだ。だから、無理に誘われても、そう簡単に酒を「飲み」に行くことはない。
上に書いたことは1つの例である。「自分で納得できないことはしない」という「自分の決めたこと」=「信念」に合わないことはしない。逆に言えば、「自分が納得できたことはする」ということでもある。自分の中には自分独自の理論や価値観がある。それを無理に他人に分かってもらおうと思ってもいないし、簡単に分かってもらえるとも思っていない。だが、それが「僕」という「個」なのだ。こういう考え方をしている人間で有名な人物といえば、中田英寿(ASローマ)であろう。だが、彼は自分の考え方を貫き認めさせるために、きちんと結果を出している。マスコミのインタビューに答えようとしなくても、仕事場であるピッチの上ではきちんと結果を出しているのだ。だから僕も、自分の考え方を貫くために、きちんと結果を出していきたい。
- クイ研。(00/11/4)
正直に言おう。僕はいつクイ研を辞めようかということをよく考える。もちろん、3年後期途中の幹部引退式で辞めるという意味ではない。それ(=幹部引退式)以前に辞めるという意味での「いつクイ研を辞めようか」ということである。
確かに僕は早稲田大学クイズ研究会に籍を置いている。それは「クイズが好きだから」という理由で参加したのが一番大きい。もちろんその後このサークルにいて様々な体験が出来たことも、いい思い出である。だが、やはり当然のように嫌な思い出も出来る。僕の場合、それがいい思い出よりも大きな比重を占めるようになった時、クイ研を辞めることを考え出すようになった。
その「辞めたい」理由は幾つかある。まず「酒」。僕は酒が全く飲めない。だから普段から飲まないようにしている。その姿を見て「飲まなくてもいいよ」と言ってくれる人もいるが、それが分かっているのに「飲めって!」という人もいる。そして幹部就任式・引退式になると、「飲まなくてもいいよ」と言ってくれた人も豹変する。「今日はそういう日なんだから」という妄言を弄し、もはやこっちが拒否することさえ出来ない雰囲気を作り出してくる。そういう日にまで酒を断ろうものなら、白い目で見られるのだ。
第二に「人間関係」。どんな社会集団であっても、その集団に所属する以上、必ず何らかの人間関係は生じてくる。僕は3年目にしてようやく「やはりWQSSとは考え方が合わない」ということに気付いた。個人を重視する僕は、集団を過剰なまでに優先するクイ研とは合致していなかった。【お笑いウルトラ(とその内容)】【新歓合宿】【幹部合宿】……「幹部なのに」欠席したそれらのイベント後は、僕にいかなる事情・思想があろうと、それらは軽視される(さすがに無視はされないが、欠席後しばらくは周囲の反応が冷たい)。「いじられる」ということも嫌だった。もちろん「無視される」ことよりはマシなのは確かだが、こと僕に関しては異常なまでに話の矛先が向けられる。僕は「嫌だ」「やめろ」という意思表示を何度もしてきたが、それらは完全に無視された。「いじめはいじめられた本人が“いじめだ”と思えばいじめ」という言葉がある。僕に関して言えば、「いじめ」まではいかないものの、似たような感情を僕は抱いた。クイ研においては、真面目な人間は逆に目立ち、からかいの対象となりうる。僕がそうだったかは他人の判断に任せるが、いずれにしろクイ研では「出る杭は打たれる」という言葉が顕在化している。ただ、ひとつ思うのは「いかなる集団であれ、その集団に合わせられなかったのならば、その集団にも責任はあるだろうが、当然自分にも責任がある」ということ。つまりは、それだけ弱い人間であり、その集団に「負けた」ということになるのだ。負けず嫌いの僕としてはかなりの屈辱だが……。
“クイズ研究会”なのにクイズをやっている人間が冷遇され、クイズが占める位置そのものが軽くなってきていたのも納得いかなかった。確かに早稲田大学は学生が3万人を超える巨大な大学だし、必然的にサークルの人数も大量になりうる。そのため、どうしても「クイズがやりたい!」という意志を持って入ってくるわけではない人間もおり、彼らのために“バラエティ”色の強いクイズをやることも必要となってくる(そのことまで否定するつもりはない)。だから、「クイズがやりたい!」と考える人間(の一部)は“紺碧”に参加する。だが、他大を見ると本来なら例会でやるようなクイズを、早稲田では“紺碧”でやっているという現状に気付く。そのため、早稲田では「(“クイズに強い人”を含む)クイズ派」と「クイズがメインじゃないグループ」に分裂する。また“クイズ派”の中でも、強い人とそうでない人の差が広がり、早稲田全体のクイズ力の底上げは上手くいっていない。何より、「クイズ研」なのに“クイズ派”という言葉が存在すること自体おかしいのだ。今や、早稲田クイズ研における「クイズ」は、100人を越す会員を週2回の“集会”で遊ばせるためだけの道具となってしまっている。かつて僕は「クイ研にいる以上、会員の共通項はクイズであり、それ以外のこと(飲み・麻雀・レクなど)は自由参加」という意見を持っていた。今もその基本理念は変わらないが、現実はクイズが会員の共通項にすらならなくなってきてしまっている。
なお、僕はクイ研にいて市川尚志さんの思想(「考え方」と言った方が正確か)の影響を受けている事は否定しない。むしろ、そういう考え方が好きであると言ってもいい。それは間違いのないところだが、その考え方自体がクイ研で受け入れられているかどうかは、僕の関知するところではない。思うに、受け入れてくれる人もいるだろうが、受け入れない人も当然のようにいるはずである。むしろ、受け入れない人の方が多いと思う。
いずれにしろ、こういう事を書くと、早稲田クイズ研関係者から様々なバッシングが来ることは間違いない。だから、僕はこのコラムを幹部引退式後にアップすることにした。つまり、書いているのはそれよりもずっと前ということである。僕は引退式後、ほとんどクイ研には顔を出すつもりはない。もちろん学業・就職活動などが忙しくなるということもあるだろうが、幹部として1年間過ごしてきた疲れが出てくるし、上に書いたようなことが積もり積もってのことであると考えてほしい。ただ心残りは、もうFCシリウスでのサッカーには行きにくくなるだろうということと、本格的なクイズに常に触れていられる環境を失うということか。“紺碧”だけには出続けていたいと思うが、そうもいかないだろう。それも、幹部引退式を意図的にすっぽかしたとしたら尚更だ。
- 幹部引退に当たって。(00/12/20)
本当は11月中に書こう書こうと思っていたのだが、何となくダラダラと先延ばしになっていたね。という訳で、そろそろ書きます。
- 1.良かったこと
- いくつかあるけど、まずはやっぱり『クイズフェスティバル in WASEDA』でしょう!ここ数年学園祭が開催されない早稲田大学、そして「クイズ」という言葉自体に拒否反応を示す早稲田大学生に対して、我らがクイズ研究会が「どうだ!」とばかりに送り出した巨大企画。復活を提案した増田たちには、今更ながら大きな拍手を贈りたい。『わせだまつり』という、大学側の100%の承認を得ているわけではないイベントに絡むのは少々勇気が必要だったと思う。『ウルトラ』好きの大石班と『クイズ番組』志向の小山班という2人の企画担当を中心とした企画班、先人の遺産であるノウハウを見事に活かしきり、ニューカレドニア・ニューヨーク旅行という超豪華賞品をゲットした増田・清水の渉外班、そして2日間合わせて1000人近い参加者を集めた馬場広報班……。もちろん、僕自身もスタッフの1人として仕事をしたけど、まあ僕は各班の班長の仕事量に比べたら微々たるもの。少なくとも、「松村がいなくなったら仕事が全然進まない」というほどの存在ではなかったと思うよ(サボっていたわけではないけど)。それだけ皆さん忙しく働いていたよね。それでも僕は、ほんの少しの力であっても、このイベントに関われて凄く楽しかった。自分が関わったイベントで、数多くの人たちが楽しんでくれている(2日目の準優勝者には可哀想な事をしたけど……)。そう思うと、忙しいことが楽しめたんだよね。
会報『RADAR』・公式ホームページ『クイ研人の世界』作成についても、「仕事をした」という充実感があったね。まあ、両方とも「僕がどうしても中心になってしまっている」という、少々「いただけない」状況ではあったが……。その分、やり甲斐はあったけど。作家としても、RADARには2位の小山にトリプルスコア近い差をつけるくらい原稿を出したし、ホム担としても、「マティー、今の記録してない?」と常に頼られるくらいにメチャクチャ活動記録をとって、それをウェブ上に掲載し続けた。この点に関してだけは「松村がいないとダメ」という働きはしたと思う。少なくとも、(引退式欠席という事実以外は)自分の仕事を完全に全うしたはずだ。
そして、やっぱり数多くの友人が出来たということが挙げられる。それは同期の約20人だけに限らず、見習う所も多い(反面教師としても)先輩とカワイイ(ダブルミーニング?)後輩、“ミスコラ”“Q-th”を通じて知り合った他大の同期……。横のつながりも縦のつながりも出来た。サークルに入っていない友人を知っているが、大学生活において彼よりは(少なくとも数字上は)多い友人が出来たと思う(ゴメンね〜K.S)。そして、そのつながりの上で色々な所に顔を出したり、視野が広がったりすることもあった。この“人脈”は人生においてとても大切な宝物であろう。
- 2.ちょっとなぁ……ということ
- だが、それでもやはり「ちょっとこれはイヤだったなあ」ということもある。まあ、「酒が飲めないのに飲まされる」というのを最初に書こうか。僕もクイ研の飲みの雰囲気は好きだ。しかし、半強制的に酒を飲まされることについてはイヤだね。でも、それはおそらくどのサークルでもそうだろうし、僕が飲めないことを知ってて加減してくれるという点では、他のサークルよりマシなのかもしれない。だから、今では見逃してやろうと思う(笑)。少なくとも今のままでいてくれるのなら。
だが、どうしても「ここだけは直すべきだ!」と言いたいこともある。人間の集団だから生まれる、様々な人間関係の歪みとか。今まで何度も「いじられることは嫌い」と言い続けているのに、いや、だからこそそれをネタに僕をいじり続ける奴らがいる。「いじられてナンボ」「いじられるということは、それだけ気に掛けてくれているということ」へっ、笑えない詭弁だよ。「いじる=気にかける」という図式が成立するか?別に「いじられなくっても存在を認めてもらっている」という人はいくらでもいるだろうが!「クイ研にはそんな人はいない」とでも言うんなら、「クイ研は世間の基準から見れば異端の位置にいる」と答えようか。「異端のいない集団には未来はない」と僕が言ったことを引き合いに出して「クイ研は松村の言う異端だから、松村から非難される筋合いはない」と言い返されれば「その中の異端が僕だ。異端とは基本的には爪弾きにされるものだ(「クイズ」ということに対する世間の目というのも、それに近いものがないわけではないでしょ?)」。普段はそれでも我慢したり何とか合わせていったりしていたが、11月1日の件に関しては、和解したとはいえ、当時の怒りがどのようなものだったかは忘れたわけではない。人が真面目に話さなければならない時、真面目に話そうとしているのに、それを何も考えずに「いじろう」とする、そしてそれを見て「いじる」側に荷担し笑っている奴らがいる。これに怒らずに、何に怒るのか!確かに僕も少々無理を言っていたかも知れないが、少なくとも他人を中傷するような無理を言ったわけではない。まあ、この件に関しては和解したから、「今でも当事者を憎んでいる」というような気持ちは全く無いということを言っておく。
まあ、後は上にも書いたような「クイズ研なのに“クイズ”の占める比率が小さく、全体的な底上げは為されず、トップとセカンドグループとの間にも差ができている」ということかな。今年のマンオブで、早稲田のプレイヤが軒並み敗退していくのとは対照的に、準決勝の8つの席のうち4つまでを占めた明治大イージオスを見ると、更に危機感が募る。
というわけで、この「2.ちょっとなあ……ということ」に関しては、上の『クイ研。』と合わせて読んでもらえば分かりやすいでしょう。
- 3.まとめて。
- こんなことを書いておきながら、未だにクイ研に顔を出しているっていうことは、こんな僕の意見を寛容に受け止めてくれる(もしくは黙殺している)クイ研さんと、自分の中である程度の位置に一線を引きながら上手くクイ研と付き合っている自分がいるということなんだろう。結局は「どちらかといえばクイ研が大好き」という、よく分からない(矛盾しているかも?)気持ちを持っている自分がいるということなのかな。確かに、幹部を引退してから「サークルに顔を出す頻度が激減した(黒田とは完全に正反対だ)」「水・金に時間の余裕が生まれた」「サークルに行かなくても文句を言われない」「大きな飲み会に行くとロートル席に同期がいる」といった変化はある。そういうところで「あ〜、自分はもう幹部を引退したんだ」ということを意識するが、それでもやっぱり「就職しないでクイ研の活動に参加していたいなあ(実際にはそんなことはないのだが。極端な言い方をすれば、ということで)」くらいの気持ちがあるのだね。
- 企画アカデミー賞。(00/12/20)
このたび、私・松村亮祐は『マティーカップサッカークイズ』によって、早稲田大学クイズ研究会会員の投票による“企画アカデミー賞”の最優秀企画賞を受賞させていただきました。投票してくれた皆様、企画に参加してくれた皆様、そして早稲田大学クイズ研究会関係各位には心よりお礼申し上げます。また、このような賞を企画していただいた第20代企画担当の方々にも、お礼を申し上げます。そして、私がこの『マティーカップサッカークイズ』を開催するきっかけとなる『サイヤカップサッカークイズ』を開催しておりました市川尚志様に、深い感謝の念を捧げたいと思います。
まあ、今回の受賞に関しては、自分でも嬉しい反面、納得できないと言うか、そういう点がないわけでもありません。というのも、
- パクリ企画である
- この企画以外例会で企画を主催していない
- 進行などでミスがあった
- 会報に結果を載せているのはこの企画だけなので、知名度が高い
- 1年生は今年1月〜3月の企画を知らない
- 私が思うに、サッカークイズ以上の企画があった
- 上に書いた「いじりたがりのクイ研」が組織票を生んだ(笑)<冗談です。本気にしないように
などなど、自分では納得できない要因はいくらでもあるのです。
しかし、前企画担当の小山純也氏の指摘で、それらのマイナス要素は解消されました。
- パクリ企画である
→完全なるパクリではない。クイズ問題は違うし、自分なりのアレンジを加えている - この企画以外例会で企画を主催していない
→逆にそれしかない企画で選ばれた(つまり百発百中)のだからスゴイ - 会報に結果を載せているのはこの企画だけなので、知名度が高い
→そういうところまで含めて選ばれた - 私が思うに、サッカークイズ以上の企画があった
→他人の目から見れば「そうではない」ということなのでは
すべからく自分に自信が無かっただけなのですね。胸を張ってこの賞をお受けいたします。ありがとうございました!
ただ、よくよく考えたら一つだけ気になったので一言だけ。
「こんな継承シリーズ企画が1位を取るようじゃダメだぜ。みんな頑張って、もっと面白くって観客まで巻き込んで楽しめるオリジナルの企画を作ろうよ!」
なお、今回私は2000年度の“企画アカデミー最優秀企画賞”をいただいたわけですが、昨年度の最優秀企画『第1回せなげ杯』にも、私はスタッフとして関わっておりました。ということは、今回の受賞で、私は2年連続の“最優秀企画賞”受賞ということになります。これは嬉しい。どのくらい嬉しいかというと、エベレスト山に初めて登頂した(と一般的に見なされている)エドモンド=ヒラリーくらい嬉しい。つまり(まだ2回目ですが)「前人未到」「前代未聞」「空前絶後」のことをやり遂げたわけですから。自慢したくなる気持ちも分かるでしょうね。かまわないでしょう。ここは私のホームページなのです。
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