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京都霊山護国神社
京都霊山護国神社

京都市東山区清閑寺
 (市バス「東山安井」停留所から徒歩約8分)
 明治天皇の御沙汰書に基づく太政官布告(明治元年5月)によって、近代日本の礎となった維新の先覚者1,400柱の御霊が東山の「霊山」に祀られた。
 しかし、戦後は心をかける人もなく、荒れるがままの状態だった。これを憂いた故松下幸之助氏の発唱で「明治100年」の昭和43年、「霊山顕彰会」が創設され、霊域を整備、復旧するとともに、新たに約1,800柱を合祀された。
霊山護国神社の境内
陸軍特別操縦見習士官之碑

 第二次世界大戦が転機を迎えた昭和18(1943)年、日本の戦況は悪化し、存亡をかけた総力戦となる。この年10月、250余名の若人は学業をなげうち、特別操縦見習士官としてペンを操縦桿に変え、肉親・友への愛情を断ち、特攻の主力となって自爆、沖縄・本土の護りに殉じたのだった。
木戸孝允(桂小五郎)勅撰碑
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓
 勤皇・佐幕と対立抗争を繰り返していた幕末に、「日本は一つにまとまらなければならない」という大きな視野から、新しい時代を構想していたのが坂本龍馬。薩長連合(1866年)を成立させ、海援隊を組織し、世界情勢や貿易の必要性を唱えたが、同士中岡慎太郎とともに、1867年、京都近江屋で暗殺された。
 現在、坂本龍馬と中岡慎太郎の功績を称えて陵内に銅像が立っている。
 明治維新の誕生につくした志士たち1043名の御霊を祀られている。
展望台

 坂本龍馬の墓の前には、展望台があり、京都市内が一望できる。
駆逐艦「長波」慰霊碑
ラダ・ピノート・パール博士の碑
 当時カルカッタ大学の総長であったラダ・ピノート・パール博士は、昭和21(1946)年、東京において開廷された「極東国際軍事裁判」にインド代表判事として着任した。
 既に世界的な国際法学者であったパール博士は、法の真理と研鑽探求した歴史的事実に基づき、この裁判が法に違反するものであり、戦勝国の敗戦国に対する復讐劇に過ぎないと主張し、連合国側の判事でありながら、ただ一人、被告全員の無罪を判決されたのである。
 今やこの判決は、世界の国際法学界の輿論となり、独立したインドの対日外交の基本となっている。
「極東国際軍事裁判におけるインド代表パール判事の勧告文より

 時が熱○と偏見を
 やわらげた暁には
 また理性が虚偏から
 その側面を剥ぎとった暁には
 その時こそ正義の女神の
 その秤を争衡に保ちながら
 過去の賞罰の多くに
 そのところを密えることを要求するでろう」
霊山歴史館(霊山護国神社の南側)

 昭和45年秋、近代日本の礎となった維新の先覚者達の資料などを展示する場として設立、開館された。
 動乱の幕末や維新史を紹介し、維新史に登場する人物や新撰組の資料など約5,000点を収蔵、常設展示している。

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