スナフキンと公園番

ー「するべからず」と「怖れ」ー

 

 

「スナフキンと公園番」

 

スナフキンには彼が悪者とよぶ宿敵がいます。それは公園の管理をする公園番とそのおかみさんです。

その公園は管理者の二人によってとても丹念に手入れされています。本のことばで言うと「木はどれもこれも丸く刈ったり、四角く刈ったりされ、道は全部、学校の先生がもっているむちみたいに、まっすぐ」なのだそうです。

芝生のまわりには高いかこいがしてあって、どこもかしこにも、黒い大きな字で、なにかが禁止だと、書かれています。

「公園内に立ち入ること、かたく禁止」(どういう公園なのだろう!?)、「たばこをすうべからず」、「草の上へすわるべからず」、「わらったり、口ぶえをふいてはいけない」、「とびはねるべからず」

自由を愛する我らがヒーローのスナフキンはそんな公園番にひどく腹を立て、夏祭りの夜にテロを実行するのです。毎年、夏祭りの夜にだけ芽を出すニョロニョロのタネを公園に植え付け、「〜べからず」の立て札をすべて引き抜いて捨てたのでした。公園はニョロニョロの発する放電によって、硫黄とゴムの焼けるにおいがただよい、地面には電気ショックが走りました。

しかし、何よりショックを受けたのは公園番のおじさんに違いありません。阿鼻叫喚の中、ニョロニョロの発する電流は公園番のおじさんの制服の金ボタンをめがけて襲い掛かるのです。

ところで、この公園には24人のみなしご達が毎日おとずれていたのですが、彼らは芝生で寝転んだり、木に登ることを許されていませんでした。だから、スナフキンが公園を解放したときは、皆大喜びです。

スナフキンは彼らの正義の味方、ヒーローとなったわけですけど、同時に犯罪者のテロリストにもなってしまいました。

 

さて、こういうことって世間一般でもよくあることですよね。「正義は必ず勝つ」な〜んて思ってやたら正義感をもやしちゃうと、こんな事件に巻き込まれるものです。でもね、どっちが悪いってわけでもないんですよね。スナフキンにはスナフキンの言い分があるし、公園番のおじさんには「丹精こめて手入れをした公園を荒らされたくない」っていうちゃんとした言い分があるのですから。

 

「〜してはいけない」は人々の感じる「恐怖心」から発せられる言葉です。「なにかをされたら怖い」と思うとき人は強く反発し、きつい言い方で禁止を促すものです。公園番のおじさんが「〜するべからず」というきつい言い方で何もかも禁止したのも「公園を荒らされるのがこわい」という恐怖心があったからですね。そして、禁止されることに反発を覚えてテロを行ったスナフキンも、自由が損なわれることに対して恐怖を感じたのだと思います。そして、彼の主張である「禁止することはいけない」も、「禁止」と同じことではないでしょうか。

また、この「〜してはいけない」という気持ちは、外に対してだけでなく自分の心の中に対してもあるものだと思います。公園番のおじさんが頑固だったのも本人自身が自分に対してとてもきびしく、一途に公園の管理に心を捧げていたからですよね。もしかしたら、おじさんはそういう風に子供の頃から両親にきびしく躾られていたのかもしれませんね。

私達は何かに対して強い反発を感じたときも、お互いに歩み寄り、どうしてそういう風に感じるかを、まず自分自身に問うと良いと思います。反発を感じたときは自分の中のスナフキン、公園番のおじさんの言い分を聞いてみましょう。自分が何に囚われたのかが見えてくるはずです。

 

さて、この事件を和解に導いたのは、こだわりのないひとりの女の子の善意からでした。それは牢屋番のヘムルのいとこで、とても親切な女の子です。スナフキンに課せられていた罰は5千回「するべからず」とノートに書くことだったのですが、この親切なヘムルは内緒でこっそりとノートに書いて、いとこの牢屋番に渡してあげたのです。スナフキンは自分が書いたなんて、認めたくないので異議を申し立てようとしたのですが、女の子はこう言ってさえぎります。

「どうか、なにもいわないで。わたし、ほんとうに楽しかったの。ほんとに、ほんとに」

彼女にとっては「するべからず」を5千回書くなんて、なんともないことで、それよりもスナフキンやムーミン達と過ごした時間の方がはるかに大切だったのですね。

楽しいことにフォーカスして、小さなことにこだわらなければ、自分の周囲に調和と平和、そして喜びをもたらすことができます。そして、何よりも大切なのは、この親切なヘムルの女の子はスナフキンといとこのヘムル、二人のことを、とても愛し、理解していたことです。

 

  

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