my story

僕の自分史みたいなもんかな。がんばって更新ごとに書いていくので見てね♪

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1982714日―フランス革命記念日。それほど裕福でないごく普通の軍人家庭で僕は第一声をあげた。

両親と親族の愛情を受けながら幸せに育った。実は、僕が生まれる1ヶ月前、じいちゃん(祖父)が病死したばかりだった。

沈んでいた重苦しい空気を僕が誕生したことによって、なんとか笑いのあるものにすることができた。みんなの笑顔が明るかった。

後から聞いたことだが、男のコが生まれてくるのをじいちゃんは臨死前、予言していたらしい。僕のお母さんに対して「絶対男のコだ!」って。

それほどじいちゃんは僕の顔を見たかったのかー。思わずため息が。。。時間を戻せるとしたら、迷わず会いに行っただろう。それが

今となっては、古ぼけた写真でしか見ることができない。なんて儚いんだろう。人の運命って本当にこういうものなのかとつくづく思う。

この世に生を授かったばかりの僕にとってはあまりにも難しいことであった。

僕のお母さんの実家はお父さんの実家からはすごく遠いとこにあった。すごくっていっても約44km。小さいときは自分がまだ小さいから

遠く見えたのだろう。今見れば全然遠くない。だから週末になれば、よくお母さんは僕を約44km離れたじいちゃん(外祖父)家に連れていって

もらった。バスに揺られ、田園風景の中の一時間。このときが一番昂揚だった。まるで生け簀の中の魚が海に放されたときのようだった。

僕はじいちゃん(外祖父)のことをよく 「公公」 と呼んでいた(これは北京の方の言い方)。「公公」はとても僕をかわいいがってくれた。

僕が行くと聞いたらその前日から市場に行っておいしいものやら僕の好物とかいっぱい買ってた。そして、じいちゃん自ら料理に手を揮う。

じいちゃんだけではなかった。ばあちゃんもじいちゃんと同様いっぱいかわいがってくれた。お母さんが仕事とかで忙しい時など、

ばあちゃんがほとんど僕の面倒を見てくれた。いろんなとこに連れてってもらったりもした。こうして僕は両家の間で幸せに成長していった。

しかし、そんな幸せも長くは続かなかった。

僕が幼稚園の年長組の時、うちの親族の中で、海外への出国ラッシュだった。おばさんたちは次々と出ていき、人生の新天地を求めて

いった。ちょうどその時、僕のお父さんはおばさんたちに刺激、影響され、1988年、とうとう、かつては「敵国」だった日本へ旅立った。

当時の僕にはそれが理解できず、お父さんは日本へは「打鬼子」(鬼退治)しにいくとしかわかっていなかった。たぶんそれは僕の回りの人が

ひやかしにそういうことを言ったと思う。それほど、日本へのイメージが悪かった。真実の歴史はここでわかる。。。

そして、旅立つ日がやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

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