夢の記録
海に飲み込まれる



第九を歌う叔父さん
’03.2.20
私は 幼い頃を過ごした(現実では既に取り壊されて存在していない)家に いる
まもなく洪水が押し寄せてきて 母と一緒にその洪水に飲み込まれた
その洪水は海からのもので、内陸部にある私の家まで押し寄せて来たものだ
そして私の住んだ家は 私共々 海の中へ消えた
やがて 日本全土は海に飲み込まれ そこにあるのは海だけになった
いや 地球全土の殆どが 海になった と私は天空から感じた


近所に住む叔父さんが 私が住んだ幼い頃を過ごした家にやって来た
そして歌うのだ 「そんなことより俺は歌の練習をする」といって
分厚い資料を手に 叔父さんは第九を歌うのだ
うーん、確かにさっきまでやばかった。夢の中で感じたのと同じ嫌な気分だった。今は違うけど...うーん、確かにやばいかも。皮膚感覚が鈍る。実に嫌な感じ。馬鹿なアメリカが何かやるかも知れん。

第九を歌うのだ。ごく普通に、淡々と。それもかなり正確な歌詞であるように感じた。
見えない追跡者
’01.12.22
私は にげる
おわれるから にげる

何かが 私めがけて せまって来る
おいかけて来る 襲ってくる

もう駄目だ つかまる

あっ と思って 振り返る
なのに そこには なにもない
だれもいないのではなく なにもないのだ

そして つぎなる 追跡が また はじまった
だから 私は また 見えない敵から にげるのだ
 幼少期の夢。追ってくるのは、この場合は、時計、時間なのだ。母親からは、「おそい」「早くしなさい」と、常に急かされていたので、殆ど焦り癖が付いていた...やだねぇ。でも、せっかちな人って焦ってるよねぇ
水と魚
’01.12.22

 空気のように澄んだ水を携えた流れの緩やかな川のせせらぎに、大きな魚が、その場を動くことなく泳いでいる。
 天を見ると、ドーム上になっている。

 これも、幼少期の夢。子供のころから、必ずといっていいほど、私の夢の中での水は、空気のように有るのか無いのか分からないくらい透き通っていた。これは何を意味しているんだろうか?。何気に分かってたりして?。
蛇使いと蛇
’01.12.22

 右側にはターバンを巻いた身の丈20、30cmの蛇使い、左側には蛇。蛇使いは、黒い蛇の背で上下に浮き沈みしている。その蛇は、その蛇使いに盲目的に遣え、毬のような塊となりうねうねしている。この二人は、透明のガラス箱の中で、日に照らされ絶妙な関係を保っている。そして、私は思う。蛇は、チビを呑み込んでしまえば良いものを、何故、わざわざ従っているのか?。いや、もしや呑みこまれるのではないか、と思うが、蛇には全くその気が無くそんな考えすら思い浮かばない、と私は思う。そのうちに、このちびは人なのか、それとも、人形なのか区別が付かなくなるが、どうやら小人らしいということで、落着く。
 やがて、全景が見えてくると、そのガラスの箱は、道端の露店商の見世物であることに、私は、気付く。そして、私は、まだ見ていたいのに、人ごみの中に追いやられてしまうが、これ以上何も起きないことを悟ると、人ごみに身を委ねた。終わり。

 絶妙な関係を保って、背に揺られているということ。飲み込まれてはいないってこと。 蛇は、甘い感じの心理学とか哲学とか無意識とか恐怖とか、現実逃避的なことだ、やっと分かったよ。 ガラスは吾のことだ。壊れやすく敏感で繊細で、光が隅々までいきわたっているから影がない。ガラスだから全て見渡せる、見通せる、見切れる。日があるときは暖かくて、夜には凍えるほどに冷たく無機質。小人らしいものとは吾そのものだ。人形と見間違える程度である。けど、小人も人形も大差ないか?。 

 ただ一つだけ、実は、透明な箱としかイメージされていないのだ。ガラスでなくて、
頑強なアクリルの箱なのだ(大笑い)。あとは、勝手に想像してくだい。(’03.2.12)

赤と青の二重螺旋
’01.12.22

 私が、咳き込んでいると、うっと、何かが吐き出された。それは、棒状の透明なゼリーのようなもので、端が私の喉の奥に繋がった臓物。その中央には赤と青の二重螺旋の血管が脈を打っている。びっくりして、私がそれを引き千切ると、じわっと血が吹き出るのと同時に少しの痛みが襲い、もう死ぬのかと思った。

 これも、最近の夢。「死ぬ」ということで意味的には、かなり良い。螺旋ということで、更によい。赤青で、またまた更に良いかも知れない...。かなり嘘っぱちです。